直線の断髪の、プロ意識にいよいよ侵食されていた三十歳のころだったっけ。
小山なずさは、他にもいろいろな意識に翻弄されていたが、その最たるものは逆説的ではあるが、子を産む機械である女体の義務感であった。
一に、エストロゲンを分泌せよという、脳の視床下部の命令は絶対だった。
従って、二には、オスメスどちらの主導であれ、社会の要請が大きな蓋のように、特にメスを洗脳し刺激して恋愛へと鼓舞していた。
生物である限り生殖の要請はすさまじく、狡猾だ。それに押し流された。オスは美しい青年の姿をして、小山なずさを幻惑し圧倒した。一人の唯一の特別なオスとして。
彼の射精欲は彼自身を圧倒したし、メスはそれを受容したいという欲に押し流された。
あれほど小説や映画で宣伝されているいわゆる快楽に程遠かったにもかかわらず、そもそもそんなことは自然のちょっとしたアメにすぎないわけで、ともかくどうするという意図もないうちに受胎してしまった。
ひどい仕打ちだった。
小山なずさはひっかけられたのだ。
自然のたくらみばかりではない。
誰一人として本当の真理を知らないくせに、したり顔で結婚や性愛や家庭や子育てや学業と職業や経済や政治や名声や効率や芸術や技術や戦争や進化や宇宙やらを論じた。
二十世紀の後半は、当時の社会のシステムが女性を外の労働へと外へと駆り出した時代だ。
その渦の中で、強烈な働き蜂として育成された、それなりに男に伍して充分な知力に恵まれた女であった小山なずさは、当然なこととして仕事人間だった。
まず自分がプロとして自活できること、それしか考えていなかったはずなのに、ふと三十歳に惑わされた。無意識に焦っていた。
小山なずさの身ごもった子の父親は、それを知らずにアメリカに栄転していった。
ここで、泣き喚いたりするようには二十一世紀のキャリアウーマンは作られていない。
あってしかるべき現象である。
小山なずさ自身も栄転した。
どうせ別居結婚の形態しかなかったのだから。
いわゆるシングルマザーというのも流行を通り越して普通の現象となっているのだし。
そんな気持ちで時代の流れに流されていった。
がんばった。
父も母も助けとはならなかった。
一歳になるまでは、赤ん坊はまだ喋らず動かなかったので元気でありさえすれば問題は少なかった。
一歳から二歳半まで、かりなは母親を全身で、その存在意義をかけて必要とした。そのために自分が愛されているか、どこまで許されるか試しにかかった。
可哀想なかりな、小山なずさはわざとぼんやり呟いた。良かれと思ってなずさがしてやることをかりなは嫌がった。泣き喚く顔を憎らしいと感じた。眠ってしまうと後悔して自分が泣いた。自立した強い賢い女性となって欲しいとのみ思っていたことが、今は間違いだとわかる。社会の要請に幻惑されていた。
かりなにはしっかり甘えさせてくれる抱擁が大事だったのに、一度も眼を見てわかるようにはっきりと、愛してるよ、可愛い娘よ、と感じさせたことが無かった。
その事の意味を、ある時理解した。もう救いはなかった。
崖下に落ちていく時間の尻尾をつかみ損ねてしまった。もう取り返せない。落ちてしまった。