夜になり、月や星があり、風が吹く。
どうしても涼みたくなる。筋肉が無いのでよろばいながら外に出て、その肉体が天と地の間にまっすぐに立たされるのを感じる。
両腕を立てたり広げたりして回る。
すぐ疲れるので、だらだらと上半身を前に垂らして両腕を脱力させる。両脚の膝が曲がり、深く頭も落とす。そしてぶらんぶらんと揺する。この体勢も気持ちのいいのはしばらくだけだ。
「は、シンド。よいしょっと。わ、くさ」
つい言葉が出た。
「あんたくさいナ」
と、小山なずさが自分に伝えた。
カイコさんだ。お勤めからご帰還。
明らかにぎょっとして暗闇を見透かすように小山なずさの方へ顔を向けている。立っている小山なずさにカイコさんは遭遇したことがなかったのだ。
意味不明な音を出しながら、自転車を止めてプラスチック袋を2つ手にしたカイコさんの方へ小山なずさは歩いていった。そして力尽きたように体ごと倒れかかり、肩を抱くような形になって止まった。
カイコさんも口を開閉させるのみだった。
そのうちお互いに押し退けあった。双方ともにくさかった。カイコさんは汗が、小山なずさのほうはコケ類が強烈だった。
カイコさんは意外にも、押し退けたことを間が悪いと感じたらしく、慌てて袋のひとつを渡そうとした。
それは小山なずさの手によって受け取られた。双方の間で行き来したのはどうも、を意味するド、いいから、を意味するン、いつも、を意味するソ、いいって、を意味するア、そんな音のみである。
そこらへんから徐々に脳の穴が、再生していく神経細胞によって埋められていったらしい
小山なずさの意識としては、問題から離れる、問題を気にしない、という心の動きとなった。どうしても、としがみついたいたことがどうでもいい、と意識される。
その次に、むくむくと無から意欲が湧いてでた。そうしてきのうから外に出た。
昼間出た。
日光アレルギーでないのは天の恵み。
ぶっといめがねで眼を保護、厚手のマスクでのどを保護。すべての近代的人工物から遠ざかる。しかし、ここにはそんなものが余り存在しないことに間もなく気づいたのだが。
この社会の呪縛にからめとられ、しかしそれから今や解かれようとする小山なずさだ。
今日も今日とて、春風に吹かれながら、土の路をポクポクと進んでいた。
癖になって口の中で唱えていた春の七草は、もう全部言えるようになった。
良寛様よろしく、と思っていたのだが、春休み中の悪童どもが回りにこそこそしていたのに小山なずさが近づくにつれ、ついにわーっとばかり逃げ出していく。
おやおや、遊んでくれへんの、と、笑ってやるのだが、怖いもの見たさという小さな顔がいくつか木立に見え隠れしている。
あの子もこんなくらいかなあ。
ぽつりと思いが浮かんだ。
小山なずさの産んだ女の子だ。一歳のぽやぽやの髪のまあるい顔が、昼の光のどこそこにぽっかり浮かんだり消えたりしている。
夜の時代には完全に抑圧されていたその顔とそれをめぐる感情。
事実はしっかりわかっていた。