The Lost King 失われし王 ルイ=シャルル(上)

一 ルイ十七世陛下

 コミューン1の代理官アナクサゴラス・ショーメット2は、自分に任せれば国王をひとりの人間に作り変えて見せると自信満々に断言していた。

 長椅子に座って短い脚をぶらぶらさせながら、時に支離滅裂になりつつも、下賎な表現を用いて雄弁に陳述している亜麻色の髪をした器量良しな八歳の少年。市民ショーメットは、己の崇高なる錬金術の成果をじっくりと眺めた。それは彼の心からの信念を裏付けるものだった。すなわち、例え王族のように堕落した救いようのない素材であろうとも、潜在的には偽りない本来の人間性を秘めているものであり、骨折り次第では、その人間性を顕在化けんざいかさせる事も可能なのだと。

 ここでいう骨折りとは、ショーメットの指示に従って、彼が王子の教育係に任命した元靴屋のアントワーヌ・シモン3によって実践された。ずんぐりとした大きな体を、年に約1万リーヴルの俸給を伴う公職にふさわしい装いとして選んだ鮮やかな青いコートで包んだシモンは、この部屋の所有者然とした態度で長椅子の背にもたれていた。彼は教師としての手柄によってショーメットに認められたのみならず、彼の生徒が目下、その成果を実践中である、口にするもおぞましい暗唱を日課として指導したのが明らかな世話によって、市民エベール4からの承認も得た事を誇らかに意識していた。

 猥雑極まりない表現を駆使して編集されたコルドリエ・クラブ5の機関紙『デュシェーヌ親父6』の発行人、気取り屋で派手好きなドブネズミのエベールは、時折、眼鏡をかけた粗野な同僚と目配せを交わしつつ、着席したまま拝聴していた。そして陛下の一本調子でよどみない陳述がとどこおった時には、おぞましい流れを再開させるべく、エベールは適宜、なだめすかすように誘導訊問を差し挟んだ。

 テーブルでは、進行役を務めている大柄で無感動な顔をした市長パシュ7の隣で、書記役のダンジュという若い市職員がしきりと筆を走らせていた。彼の唇は堅く結ばれ、その瞳の中には脅えがあった。後年になって、彼は自らの筆で記録していた発言を、ただの一言も信じてはいなかったと世に語る事になるのだが。

 かの高潔なるアナクサゴラスはといえば、繊細な感受性の限界に達したというように、時折、好色そうな厚い唇から息を噴き、眼鏡の後ろで白目をむいていた。かようにして、共和国の貧民が勝利を収めるのを確実にせんが為に彼らの代弁者として闘うエベールにより暴露された事柄に対して、ショーメットは己の狼狽を誇示したのであった。

 このエベールの尋常ならざる熱意は、王妃の裁判が近づくにつれて公然と囁かれるようになった噂、すなわち、公安委員会8は王妃の解放をオーストリアとの交渉材料にしようと目論んでいるのだという噂を警戒した為であった。あのメッサリナ9を再び地上に解き放って良いものだろうか?ペンと舌とをふるい、己の崇高なる理想を下劣な表現で訴え続けてきたエベールであるが、その彼にして、ここまで口汚い言辞を駆使した事はそれまでなかった。

 独善的かつ下劣な怒りで泡を吹かんばかりになりつつ、彼はジャコバン派10議員たちに向け熱弁をふるったものである。「諸君らの名において、既に私はサン・キュロット11にアントワネット12の首を約束しているのだ。であるからして、私は彼らに約束のものを与えねばならん。例えその為に、この手でそいつを切り落とさねばならんとしてもだ」と。

 そしてまた、同じく焼けつくような熱意に駆られながら、彼は検察官に意見を求めた。タンヴィル13は王妃の調書に対し、疑わしげに下唇を突き出した。「これでは証拠不十分がせいぜいだな、我が友よ。確実に有罪判決を勝ち取るには、到底足りない。既存の告訴を行うだけでも、政治的配慮が必要なくらいなのだからね」

 エベールは政治的配慮を地獄の最下層に放り込んだ。今は公正の時代、啓蒙時代だぞ、政治的詐術なぞ終わったんだ。裏切り者や陰謀家どもが抱く王妃の無罪放免という甘い夢を打ち砕く為に、追加の告発材料を見つけねばならん。

 それを見つけだす為に、エベールは友人であるショーメット、その胸中に燃え盛る共和制に対する滅私の精神は我にも劣らぬと認めた男の助けを求めた。

 かの不幸な女性を断頭台に送り込む為の更なる告発材料を探すに際して、エベールが、故王の弟に主たる責任がある醜悪なスキャンダルの端切れを利用しなかった点について、筆者はいささか奇妙なものを感じる。プロヴァンス伯14は、王弟という立場に対して、そして己こそが戴くに相応しいと信じて疑わぬ王冠が長兄のものとなった事実に対して、少年時代からずっと憤りを感じていた。ルイ十六世15が長きにわたって子宝に恵まれぬ間、彼は運命が遅ればせながら過ちの償いをする気になったのでは、という希望を抱いていられた。そして輿入れから七年後、マリー=アントワネットは娘を出産し、更に三年後には息子が生まれた。だが、このような出来事があっても尚、彼は絶望には至らなかった。病弱な王子16の先が長くないのは一目瞭然であり、あの夫婦はこれ以上の子宝に恵まれる事もなさそうだと。しかしながら、更に四年後の1785年、健康で力強いルイ=シャルル17が、間もなく確実に王太子ドーファンとなるはずの男児がこの世に生まれ出でた事によって、その叔父の最後の希望は打ち砕かれた。

 プロヴァンス伯とは、抜け目なさと愚かさ、威厳と道化の奇異なる混合物だった。しかし筆者は、彼が発信元となって懸命に広めようとした醜聞の真実性について、彼自身が信じていなかったと想定するような不当な扱いをするつもりはない。人間には、己の目的に好都合な事柄、とりわけ己が嫌悪する者たちに痛手を与える類の事柄を易々と信じ込む傾向がある。そして嫌悪はプロヴァンス伯とマリー=アントワネットの間において、互いに勝るとも劣らぬ強さで存在していたのだ。

 信じられるだろうか、と彼は懇意の者たちに向かって悲しげに尋ねたものである。七年もの不毛が続いた結婚が、突然、多くの実を結ぶなどという事が有り得るだろうか?少なくとも怪しんでしかるべきであろうし、あの軽薄な王妃に対するフェルセン伯18の愛情深い振る舞いが、高潔というにはあまりに熱がこもり過ぎていたのは誰もが認める処ではないかな?あのハンサムで献身的なスウェーデン人が王妃の愛人であり、フランス王太子殿下モンセニュール・ル・ドーファンが不義の子であるという疑いを、欠片も抱かぬ者など存在するだろうか?

 その中傷は、慎重かつ密やかに、しかし悪意に満ちた活発さをもって、宮廷から都市まで、ベルサイユからパリまで広がっていった。かの首飾りの醜聞19、そしてポリニャック家の人々と王妃の関係20についての悪趣味な作り話に加えて、この噂は君主政体の面目に泥を塗ろうとやっきになっていた者たちに更なる武器を与える事となった。

 愚かにもプロヴァンス伯は、恐怖に駆られて嵐から逃げ出すまでの間ではあるが、ジャコバン派の思想に傾倒を見せてすらいた。新しい思想の者たちが、その思想とプロヴァンス伯の願いに基づいて、王位継承権から現王太子ドーファンを除外するやも知れぬというのが彼の浅薄な希望だった。

 エベールにとって、これは厄介な問題だった。王妃の不貞は時代を問わず大逆罪にあたる。しかし恐らくは、王権に対する反逆罪が王権を破壊した者たちにとって大きな意味を持つ事は論理的に有り得ぬ為か、あるいは、この告発はエベールが駆使する政略的猥雑性に必要な忌まわしさが足りなかったのであろう。その代わりに、彼はもうひとつの更にはなはだしく邪悪な道を選択し、己が知るに至ったという王妃の品行について強弁した。

 その件について、彼はショーメットと論じ合った。十三歳にして教会の学寮から追放され、以来これまで不道徳な人生を歩んできた卑しい野心家のショーメットは、恐怖で圧倒された。彼は無骨な顔を赤く日焼けし荒れた両手に埋めた。

「勘弁してくれ。確かに反吐が出るほど王族は嫌いだが、しかし、だからって、俺は人間を辞めたくはないんだ」

 その理解し難い激発の後、彼は己の感情に打ち勝つと、仕事に取り掛かった。彼はシモンに指導を行い、次にシモンがそれを少年に教え込んだ。生来の鋭い理解力を鈍らせる為にブランデーで半ば朦朧とした状態にさせられた少年は、ありとあらゆる猥褻な表現を用いて己の発言を自在に修飾する術を教えられ、その無邪気な唇からベルサイユの優雅な発音に代わって陋巷の下層民訛りが発せられるまでに仕込まれたのであった。

 今、宣誓証言を聞くショーメットには、少年の現在の有様についてエベールと全く同量の責任があった。この両者は、全ての同席者たちが期待通りに狙い通りの衝撃を受けるであろうと確信していた。ルイ十六世が幽閉中に使っていたタンプル塔21三階の部屋、今はシモンとその妻、そして夫妻が世話する子供が間借りしているその部屋には、現在、少年の他に九名の人間が在室していた。家具にせよ食事にせよ、故王は甚だしい制約を受けてはいなかった為に、この部屋には充分な調度品が整えられていた。壁際に並べられた、薔薇色の絹紋織物ブロケード張りの長椅子には、今日が当番にあたるコミューンの委員二名、チョコレート職人のウセと医者のセギイが座っており、彼らは深刻な衝撃を受けながら耳を傾けていた。その後ろで高い背もたれの椅子に座っているのは、ルイ十六世の惜しみない引き立てによって高名を得た画家にして、革命政府の式典演出家のジャック=ルイ・ダヴィッド22であり、そのすぐ横に置かれたスツールには、彼が伴ってきた最も有望な弟子のフロランス・ラサール青年が腰掛けていた。この師弟は成人男性が椅子の上に立っても外を覗くのは不可能なほど極めて高い位置にある窓を背にして座っており、ラサールは脚を組んで開いた画帳を膝の上に置いていた。

 彼は座ったまま鉛筆の尻で軽く口元を叩いていた。夢想に沈んでいるかのように、その間隔の広い、輝く暗青色の両目は少年をじっと見つめていた。それもダヴィッドに醒まされるまでの事だった。師はラサールの描いた絵を指差した。

「その線はもっと強く」彼は唸るように言った。

 弟子が指示に従ったのを見て彼はぶつぶつと是認を口にしたが、その醜貌に浮かんだ微笑は、腫瘍で損なわれた上唇のせいで嘲るようにねじれていた。「これで全体が見違えるようになったのがわかるか?奥行きが深まっただろう?ほんの少しの描き込み、数本の線だよ、フロランス。たったそれだけで、顕著な違いが出る」彼は親しげに若者の肩に手を置き、重々しく言った。「似せるというのは、真実を描く事とは違うのだ。君はその点を勘違いしている。君が簡素な表現を身に着けさえすればな。厳格簡潔な」

「描き直してみます」弟子は小声で応じた。彼は画帳を一枚めくると、別のアングルから対象を眺める為であるかのように装って、自分のスツールを師の椅子から離れた位置に移動させた。

 だが彼は、すぐに描き始めようとはしなかった。陰鬱な仮面の如き表情を変えぬままに、その黒い眉の下から、下劣なレッスンの成果をペラペラとしゃべり続ける少年に向けて視線を放っていた。

 年齢のわりに小柄でふくよかな幼い王は、緑のカルマニョール23を着せられており、その胸には青白赤トリコロール円形章コカルドが留められていた。ふっくらとして色白な顔は不自然に赤らんで、その子供らしい愛嬌も、今は成人男性の態度や挙動を猿真似する生意気な空威張りによって損なわれていた。高く孤を描く眉の下、青い瞳には不自然なきらめきがあり、忌まわしくも抑制が失われている兎に似た小さな口からは、自分の母親をギロチンに送り込む為の偽りが引き出されていた。

 少年を見つめるラサールに、突如、彼には根本的に欠落しているとダヴィッドが嘆いた、深遠なる天啓がもたらされた。

「君は優秀な素描家だ、フロランス」一度ならず、師は彼に告げた。「だが、如何にデッサン技術を身に着けようと、知性か情動が君の作品に命を吹き込まない限り、君は芸術家には成り得ない」

 一瞬にして彼は、この場が二通りの意味を含んでいるのを悟っていた。芸術家の洞察力を与えられた精神によって、この哀れな酔っぱらいの少年の中に、冷笑的で無情な喜劇性、もしくは深く心を穿つ悲劇性という主題を見出していたのである。

 彼の鉛筆は素早く、着実に動いた。そしてダヴィッドを喜ばせるような無駄のない描線によって、ラサールは肖像画であり物語でもあるスケッチを、あっという間に描き上げた。

 ラサールが鉛筆を走らせていた間に、少年の宣誓供述は終わっていた。市長のパシュが咳払いして、証言はこれで全てかと尋ねると、理性レゾンの女神24の捏造者である無神論者のショーメットは、彼が懸命に廃棄しようとしているはずの神に誓って、更なる証人の召喚を申請した。戦慄の晩餐は、腐り果てた王族の害毒が及ぶ領域内でのみ、したためられるものでありますと。其処でパシュは、その者たちを法廷に召喚すべきであろうと主張して、丁度ラサールがスケッチを描き終えるのと同時に、マリー=テレーズ・カペー25を呼ぶ為にダンジュが上階に送られた。

 その小休止の間にエベールは席を立ち、ぶらぶらと歩いてやって来ると、ラサールの肩越しにスケッチを見た。彼は気取った態度でそれを称賛した。画学生は上の空だった。ぼんやりとした様子で座っている彼は、ダヴィッドがかけた称賛の言葉にさえ気づいていないようだった。だが、エベールは頑強に、他の者たちが彼の芸術的満足を分かち合う事を望んだ。

「失敬、市民シトワイヤン」と声をかけ、彼はラサールから画帳を取り上げた。

 その画帳をテーブルに運ぶと、彼はパシュとショーメットの間に身を乗り出して、スケッチに注目するよう促した。

 ショーメットは眼鏡を調節した。スケッチから少年に彼の視線は移り、そして再びスケッチへと戻った。彼はくすくすと笑い声を漏らした。

「彼の鉛筆には悪魔が宿っているな」とショーメットは認めた。彼は隣の男をつついた。「御覧なさい、パシュ」

 しかし己が役職と、その職務の重要性を猛烈に自負するパシュは、それを不謹慎な行為と受け取った。苛立ちながら、彼は画帳を押し返した。

「つまらんもので煩わせんでくれたまえ。君は、我々の目的をわかっとるのかね?」

「つまらんもの!」画帳を拾い上げるとエベールは言った。「これは、つまらんものではありませんぞ。後世においては、歴史資料として扱われるかもしれんものだ」それから馬鹿にしたように付け加えた。「貴方に芸術的な素養が欠けているのは残念ですな、パシュ」

 エベールが画帳を持ち主に返したのは、再びドアが開き、ダンジュが内親王殿下マダム・ロワイヤルを入室させた時であった。

 ラサールの同情的な目は、痩せた身体に喪服をまとった十六歳の青白い少女を観察したが、彼女と長椅子に座る少年とは、非常に良く似ていた。彼女は少年と同じ亜麻色の髪、同じ白い皮膚と青い目をしており、そして同じく孤を描いた眉は、彼女の方は常に驚きの表情を浮かべているように見えるほど、くっきりとしていた。なだらかで丸い顎には少年の印象深いえくぼを欠いていたが、口のラインは瓜二つであり、上唇は少年のそれと同じく、少し突き出していた。

 生まれて初めて自分の両足で立ち上がった日から、彼女は最も深い敬意を向けられる対象だった。この王国で最も高貴にして高い地位をもつ男女は皆、彼女がベルサイユ宮の回廊や並木道を通り過ぎる時には、畏まって整列し御意を待ち、深々とお辞儀をするか、彼女の高位に対してへりくだり、片膝を曲げて会釈した。出生の権利に帰する、侵す事のかなわぬ内的認識だけが、今、この粗野な男たちによるこれ見よがしの無礼に直面した彼女に――未だ子供といってよい年齢ながら――ほとんど軽蔑的なまでの自制を保たせていた。彼女の目には、彼らの攻撃的な態度は、彼女ではなく、彼ら自身を損なうものに見えた。彼女が何者であるか、生まれながらにして如何なる身分に定められているのかは、彼らの下品な振る舞いによって損なわれる事はないのだ。

 わずかの間だけ狼狽を見せたのは、彼女の視線が初めて弟の姿をとらえた瞬間、先頃受難にあった父に対する哀悼を表して、自分と同じく喪服に身を包んでいるべき弟が、緑のカルマニョールと派手に縞模様の入ったベストを着ているのに気づいた時であった。

 それから内親王殿下マダム・ロワイヤルは、平等思想を誇示するように彼女の面前で座ったままでいる男たちに、軽蔑を込めた眼差しを向けた。パシェと同様に、長椅子上の二人の職員も円形章コカルド付きの帽子を被ったままで、その片方――ウセのもの――には、身分証明書――セルティフィカ・ド・シヴィスム26――とジャコバン・クラブの会員証が誇示されていた。セギイは煙草をふかしており、そしてショーメットはといえば、自分のむき出しの頭が誤解を招くのではないかと突然の不安に駆られ、青白赤トリコロールの羽飾付き帽子を掴むと、手入れが悪く艶のない黒髪の上に慌てて乗せたのであった。己は革命という大釜の浮き滓に過ぎぬと自覚しているこの輩は、官能的な戦慄を覚えつつ、歴代の王たち――王とは造物主から恩寵を与えられた特別な存在であるという根本概念を、己の中からどうしても拭い去る事ができなかったが故にこそ彼が嫌悪して止まぬ王たちの末裔として大切に養育された小娘の高慢な頭を、いわば自らの足で踏みつけにするのを可能にした任務を堪能していた。

 彼は今、眼鏡越しに少女を睨んでいた。だが彼女の注意は、三か月前に塔の四階にある部屋から連れ出されてシモンの世話に委ねられて以来、一度も姿を見ていなかった弟に戻っていた。彼女は弟に向かって一歩踏み出し、何事かを語りかけようとしている様子であった。それから彼女は急に動きを止めて思いとどまり、当惑していたが、それは弟の中に見出した微妙な変化と、その態度自体が成さしめたものだった。

 少年は再び脚をぶらぶらとさせていたが、それは先程までと同じ快活な調子ではなく拗ねたような風情で、その表情はむっつりとして不機嫌そうだった。少女の率直な眼差しに呼び起こされたが如く、彼の幼い精神の深い場所から、彼女に糾弾されるかもしれない罪についての漠然とした自覚が生じた。それ故に、愛する姉の出席に対し説明のつかぬ憤りがこみ上げたのである。突然、パシュのしわがれた声に注意を奪われなければ、彼女はその障壁を突破していたかもしれないが。

「テレーズ・カペー、よろしければ、こちらに注目を」

 彼女は無礼な呼びかけに身を堅くした。しかし抗議するのは己を貶める行為と思った彼女は無言で彼に対面し、つんと顎を上げた。

 尋問が開始された。彼は大胆不敵なる冒険家、ジャン・ド・バッツ27の計画による王妃救出の陰謀に加担した職務に不忠実な二名の委員と、彼女自身と母親と叔母との共謀関係についてを事細かに質問した。この件については、既にタンプル塔の当時の守衛であり、現在は彼自身も塔の囚人であるチゾンという男から証言を得ている。しかしパシュの質問は、チゾンが認めたものよりも、更に多くを引き出す事を狙っていた。

 真実のみを述べるよう心せよ、という警告に対する彼女の唯一の返答は、憤慨を込めた眼差しだった。それを除けば、完全に知らぬ存ぜぬの一点張りを固持していた。彼女の冷ややかな拒絶に困惑した市長は、遂に自分の椅子に背を預けると、隣席の職員に声をかけた。

プチカペーの宣誓証書を読み上げたまえ。恐らく、それで彼女の記憶は回復するだろうから」

 ダンジュの無感動な声が、二人の思い遣りある友人たちについてのみならず、職務を裏切るように彼らを誘惑した王妃の画策についても告発している弟の署名入り文書を読み上げる間、彼女は一、二度、当惑の視線を少年に向けたが、其処に見たものは嘲笑的なにやにや笑いであった。

「何か発言すべき事はありますか?」最後にダンジュは彼女に向かって問うた。「貴女は、貴女の弟の証言について、真実性を認めますか?」

 再び、彼女の深刻で責めるような視線が弟に向けられた。それは彼の憤りを増す効果を発揮した。

「アンタはソイツがホントだって知ってンだろ」少年は不機嫌に叫んだ。「ぜんぶホントのこった。クソいまいましいほどベラボーにな」

 恐らく彼女に最も衝撃を与えたのは、幼い王の唇から発せられた品のない野次だった。彼女が再び質問者に向けた眼差しは、その声と同じく厳しい色を帯びていた。

「確認する事など何もありません。私はこの問題について、何の知識も有しておりません」

「貴女の弟はこの問題を知っているというのに、そのような事は有り得るでしょうか?」

「私よりも、彼の記憶力の方が優れているのかもしれません」

「貴女の証言は、それで全てですか、お嬢さん?」

 ショーメットはダンジュの背後までやってきた。彼はダンジュを見下ろす位置に立った。

「次に行こう。宣誓証書を寄越したまえ」

 ダンジュはそれ以上の事をした。彼はショーメットに自分の席を譲ったのである。

「更に重大で、更に嘆かわしく、更に恐ろしい問題だ」かようにして代理官は譲られた席に落ち着くと、眼鏡を磨いた。服装はだらしなく、衿は傷んでおり、汚い平織りのタイはもつれ、如何にも単純素朴そうな佇まい。このコミューンの猟犬ブラッドハウンドには、田舎校長のような雰囲気があった。

 眼鏡をかけ直し、騒々しく咳払いしてから、彼は読み上げ始めた。行数は1ダースにも満たなかった。しかし人の世においてこれまでに書かれた何十行もの文章の中でも、実の母親がわずか八歳の子供から受けた告発として、これほど多くの醜行を詰め込まれたものが存在したかどうか28

 ショーメットは書類を下に置くと、テーブルに肘をついて身を乗り出した。「聞きましたな。貴女はこれらについて、自分の気づかぬ処で行われた問題だ、などという主張はせんでしょうな。貴女は彼らと共に暮らしていたのであるから、彼らの行状に気づいているのが当然だ。それを認めるかね?」

 彼女は当惑した。「気づく?一体、何に気づくというのです?」

「真実だ、無論。たった今、貴女に読み聞かせた事だ」

「けれども私は、そなたの読み上げた内容が理解できません」一点の曇りもなく率直な眼差しは、彼女の声に含まれた苛立ちが装ったものと疑う事を不可能にした。

「もっと、はっきりとした表現を使う必要があるな」エベールが言った。「遠まわしに言って何の益になる?開けっぴろげでいこうじゃないか。我々は解放された時代に生きているんだ」

 代理官は悲憤慷慨した。

「神よ!このような邪悪極まりないほのめかしで唇を汚し、恥を忘れて、あらゆる慎みを打ち捨てるだけでは充分ではないのか?しかしながら、貴女が無邪気を装う以上は、お嬢さん、私は嫌悪に打ち勝って、はっきりとした物言いをせねばならんようですな」

 けれども彼があけすけな表現で語った時でさえ、内親王殿下マダム・ロワイヤルの穢れなき純真は、しばしの間、その意味を悟らぬままでいた。だがしかし、遂に彼の意味した処の全てのおぞましさと獣性は、彼女の心に突然破裂した。紅潮が生じ、それは首から額へと、彼女の柔らかな丸い顔で濃くなっていった。ショーメットは、この侮辱によって彼女の鎧に穴が穿うがたれたのだという確信を味わっていた。その燃えるような表情、その震える唇、突然、彼女の目を満たした涙、それらはショーメットが遂に彼女の軽蔑的な無関心を焼灼しょうしゃくした事を示す、歓迎すべき兆候の数々だった。

「返答がありませんな」彼は苦情を言い、言葉によって王女としての怒りを煽った。彼女は前に進み出た。その涙は、今や閃光を放つ両目からこぼれ落ちていた。

 ダヴィッドは弟子をつついた。「この瞬間を捉えろ!素早く!正面斜め横からの、君に見えるままの彼女を描くんだ」

 ラサールは言われるままに鉛筆を動かした。指示に従う方が、自分は獣でも機械でもないのだとダヴィッドに説明するよりも容易だったからである。そうする間に、少女の声が響いた。

「答えろと、そなたは言うのか?そのような事を要求するのか?このような汚らわしい作り話に、なんと答えよと申すのか?これほどに邪悪で、下劣で、おぞましいものに?」

「はい、はい」ショーメットは言った。「邪悪で、下劣で、おぞましい、我々も同意しますぞ。こういった事柄を口に出す事を、私は恥ずかしく思っている。だが、作り話?仮にこれが捏造だとしたら、それは我々がでっちあげたものではありませんぞ。私が読み上げた文章は貴女の弟の証言だ。こういった事柄は、八歳の子供の頭で思いつけるようなものではないと思うのだがね」

「私の弟の!」確かにそれは、しばしの間、失念していた事だった。それを指摘された彼女は急に口をつぐんだ。弟の方に目を向けると、興奮し不機嫌な様子で其処に座る少年は、よくはわからないが、自分は叱られるような事をしてしまったらしい、という意識から、鞭を恐れる犬のように、こっそりと彼女をうかがい見ていた。

「なんて破廉恥な!」彼女は叫んだ。「お前がこんな嘘を吐くなんて」

 長椅子で身体を揺する彼は、先程と同じく反抗的な様子だった。

「いいか。そいつぁ本当の事だ」シモンは彼の方に身を乗り出すと、励ますように少年の肩を軽く叩いた。「お前は、そいつが掛け値なしの本当の事だって知ってるんだ」

 彼女が鋭く息を呑む音が聞こえた。「なんて事!お前は自分が何を言っているのか、わかっていないのよ」

「おう、モチのロンだぜ。俺っちは、テメェがなんていってるか知ってらぁ、ソイツがホントのことだって知ってらぁ。アンタも知ってンだろ」

「ありえない!この子が、そんな事を知るはずがありません」彼女は自分を苛む者たちと対決する為に、再び向き直っていた。八人の男たちをぐるりと見渡す間、彼女の悲痛な両目は一人ひとりを観察した。しかし、その内の二人以外は皆が冷ややかであるか嘲るような様子で、残る二人――ダヴィッドとラサール――は、彼女の苦悩する姿を見てはいなかった。この両名は、下を向いていた。ダヴィッドは彼女の発言を記録する為に筆記中であり、スケッチをするふりをしていたラサールの顔は肖像画に向けられていた。

 ショーメットは指示を求めてエベールを見た。エベールは下唇を突き出し、肩をすくめた。「彼女は頑固だ、いやまったく。時間の無駄だな」

「いいだろう」ショーメットはダンジュから筆記された紙を受け取った。彼はマダム・ロワイヤルに向かって進み出るように合図をすると、ペンにインクを浸してから差し出した。「よろしければ、ここに署名を」

 彼女は疑わしげに、怪しみながら彼を見た。それから彼女は書類に目を走らせて、それが自分に対する質問と、その返答以上の何も含んでいないのを確認すると、無言でそれに署名した。

 ダンジュはマダム・ロワイヤルを再び連れて行く為に立ち上がり、彼女がテーブルを離れると同時に、姉が出て行こうとするのを見た幼い王が長椅子から滑り落ち、おずおずと彼女ににじり寄った。少年は彼女を愛していた。彼はこの三ヶ月、彼女の不在を酷く寂しく思っていた。母の不在を寂しがるのと、ほとんど同じくらいに、そしてバベット叔母様29の不在を寂しがるよりも強く。彼は孤独で、愛情を切望していた。シモンとその妻は粗野な優しさで彼に接し、今では彼も、その下賎な振る舞いに順応していた。同様に、タンプル警備隊の兵士たちが互いに彼の身体を投げつけあい、彼の顔に煙草の煙を吹きかけ、彼をシャルルと呼ぶ事にも既に慣れて、最早、憤慨する事もなくなっていた。実際、彼は既に、兵士たちの間に混じって楽しむようになっていた。兵士たちの間で一人前の男のように振る舞い、甘くしたブランデーを飲み、罰当たりで猥褻な表現に富んだ下層階級の言葉を学び、そして彼らも面白がって品のない革命歌を少年に教えた。かつては厳格な礼儀作法に従って暮らしていた子供にとって、これらには心躍るような解放感があった。だがしかし、三ヶ月前に彼から乱暴に奪われた母や姉や叔母の愛情の代わりになるような暖かさは、其処には存在しなかった。

 マリー=テレーズの存在が次第にそれを悟らせた。どうしてかはわからないが、自分は彼女の気持ちを害してしまったのだ、という漠然とした意識が彼の孤独感を増して、それが二人の間の溝を埋める為の愛情表現に駆り立てた。

 そのような訳で、少年はこの時、悲しげな様子で彼女に近寄っていった。自分の指に絡めようとする彼の指を感じるまで、彼女はそれに気づいていなかった。驚いた彼女が視線を下に向けると、悲しげな、弱々しい微笑みを浮かべた顔が見上げていた。彼女の表情は急変した。自分の手をひったくると、彼女は少年から後ずさった。

「さわらないで!私に触れる事は許しません!私に言葉をかける事は許しません!」彼女は息を荒げた。「小さな怪物!私は決して、お前を許さない。絶対によ!」

 彼は当惑し、しばし呆然と立ち尽くした。それからすすり泣きに身を震わせ、目を涙で一杯にした。またしても、すぐさま彼の肩に手が置かれた。長椅子から彼の後を追ってきた大柄なシモンが耳障りな声でなだめるように語りかけた。

「そら、シャルル。俺っちと一緒に座ってるんだ。すぐに、お前のバベット叔母ちゃんが来るからな」

 幼子は涙の霧を通して姉の姿を追ったが、しかし硬い身ごなしで、頭を高くもたげ、彼女は部屋から消えてしまった。

「俺っちのこと、怒ってたよ、市民シモン」彼はすすり泣きながら言った。「どうして俺っちに怒ったんだい?」

 シモンは彼をなだめる為に肩を軽く叩いた。「あんなアマっ子なんざ、気にすんな。ちっこいお貴族さまアリストクラトよ」


  1. ここでは1792年8月10日の王権停止から1794年7月27日までパリの行政と治安を担当していた自治市会、パリ・コミューンを指す(首都パリは王権の直接支配下にあり、そもそもは「コミューン都市」ではなかった)。大革命直後はパリのあらゆる地区の急進的活動家が集い、コミューン評議会はパリ市民の代弁者として国民議会の決定をも覆す力があったが、本章の時期(1793年10月)にはショーメット、エベール、パシェらに決定権が集中し、評議会は執行部の決定を追認するだけの機関と化している。 

  2. アナクサゴラス・ショーメット(1763年5月24日 1794年4月13日)
    エベール派の政治家。急進的な脱キリスト教運動を推進し、自身の名前もクリスチャンネームである「ピエール・ガスパール」からギリシア語の「アナクサゴラス」に改めた。1792年10月にパリ・コミューンの検事相当職である代理官に就任。マリー=アントワネットの裁判も担当。 

  3. アントワーヌ・シモン(1736年 1794年7月28日)
    パリのコルドリエ通りで靴屋を営んでいた無学な男。エベールの推薦により、タンプル塔に幽閉されたルイ十七世の世話係に任ぜられた。 

  4. ジャック・ルネ・エベール(1757年11月15日 1794年3月24日)
    ジャコバン派内の急進派を主導。サン・キュロットの領袖を自認し、大衆迎合した言論活動によって支持を得ていた。王政廃止と国王夫妻の処刑を求めて画策。タンプル塔の監視委員でもあった。 

  5. 正式名称はSociété des Amis des droits de l’homme et du citoyen(人間と市民の権利の友人会)。パリのコルドリエ地区にあった人民結社。革命家グループの中でも急進的君主制廃止論勢力であるエベール派が主導していた。 

  6. Le Père Duchesne 1790年9月にエベールが創刊した新聞。下品な表現で右派(王政維持派)を罵り大衆を扇動し、貧困層の人気を獲得した。エベール本人を指すニックネームとしても用いられる。 

  7. ジャン=ニコラ・パシュ(1746年 1823年11月18日)
    1793年2月にパリ市長に就任。元はジロンド派(穏健共和派)だったが、本章の時点では急進左派のエベール、ショーメットらと共闘している。 

  8. Comité de salut public 国民公会内の一機関であるが、テルミドール9日のクーデター以前においては、事実上の革命政府だった。本章の時点ではマクシミリアン・ロベスピエールをリーダーとする十二人体制。 

  9. ローマ帝国第四代皇帝クラウディウスの皇妃ウァレリナ・メッサリナ。「強欲で冷酷な悪女」の代名詞的存在。 

  10. ジャコバン・クラブに集った様々な思想グループによる政治闘争の末、本章の時点ではモンターニュ派(急進共和派)が牛耳っており、マクシミリアン・ロベスピエールを中心とする派閥の主導により恐怖政治が進行している。国民公会で左側の席に座った為に「左翼」「左派」と呼ばれる。 

  11. Sans-culotte 上流男性の服装であるキュロット(半ズボン)ではなく、長ズボンをはくような社会階層、つまり固有の財産を持たない下層市民を指す。 

  12. マリー=アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリシュ(1755年11月2日 1793年10月16日)
    フランス国王ルイ十六世妃。神聖ローマ皇帝フランツ世シュテファンとオーストリア女大公マリア=テレジアの十一女。長年にわたるオーストリアとフランスの国家対立解消の為にフランスへ輿入れしたが、革命期には旧体制の悪の象徴的な立場に置かれる事となった。 

  13. アントワーヌ・フーキエ=タンヴィル(1746年6月12日 1795年5月7日)
    革命裁判所検事。恐怖政治期に夥しい人々をギロチン送りにした。テルミドールのクーデター後に罷免されて、元裁判長、元判事らと共に革命裁判の被告となり、処刑された。 

  14. プロヴァンス伯爵ルイ・スタニスラス・グザヴィエ(1755年11月17日 1824年9月16日)
    ルイ十六世の弟。復古王政期にルイ十八世として王位に就いた。(在位1814年4月6日 1815年3月20日、1815年7月8日 1824年9月16日)。 

  15. ルイ=オーギュスト(1754年8月23日 1793年1月21日)
    ルイ十五世の孫。ブルボン朝第五代フランス国王ルイ十六世(在位1774年5月10日 1792年8月10日)。保守的な大貴族の抵抗により政治・財政改革に失敗。税制問題をきっかけに聖職者・貴族・ブルジョワ平民で構成される三部会を約170年ぶりに復活させるが、議決方法をめぐって紛糾。この時の第三身分(平民)議員達が国民議会を形成し、共和主義革命につながった。国民公会の投票により死刑判決が下され、斬首刑に処された。狩猟と錠前造りを愛する穏やかな人物だった。 

  16. ルイ=ジョゼフ・ド・フランス(1781年10月22日 1789年6月4日)
    ルイ十六世の長男。七歳半で逝去。 

  17. ルイ=シャルル・ド・フランス(1785年3月27日 1795年6月8日)
    ルイ十六世の次男。フランス王国王太子(ドーファン)。革命勃発により国王一家と王妹エリザベートはタンプル塔に幽閉されたが、父王ルイ十六世の処刑により、ルイ=シャルルは獄中に在りながら王党派から新王ルイ十七世として推戴される立場となる。1793年7月3日に別階の個室に隔離され、エベールの指名した教育係である文盲の靴屋アントワーヌ・シモンによって「共和国市民」としての洗脳教育を受けた。 

  18. ハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵(1755年9月4日 1810年6月20日)
    スウェーデン国王グスタフ世の寵臣。青年期にはパリの社交界に出入りし、フランス王妃マリー=アントワネットとの親密な交際から愛人関係を噂された。革命勃発後、グスタフ世の命を受けて国王一家の国外脱出を図るが失敗(ヴァレンヌ事件)。 

  19. 1785年、「ヴァロワ王朝の末裔」を称するジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人が、王妃の所望と偽り160万リーヴル相当のダイヤモンドの首飾りを騙し取った詐欺事件。 

  20. ルイ十五世時代には家運の衰えていた名門ポリニャック家は、ポリニャック夫人ヨランド・ド・ポラストロンが王妃マリー=アントワネットのお気に入りになる事によって権勢を回復し、陞爵や多額の年金等の恩恵を受けた。その為、アントワネットに反感を持つ者たちからは「王妃はポリニャック夫人ら寵臣たちと同性愛の乱交に耽っている」という中傷が行なわれていた。尚、ポリニャック夫妻は革命が勃発すると早々に国王一家を見捨ててオーストリアに亡命した。 

  21. 元々はテンプル騎士団の修道院だったが、1776年にアングレーム公の所有となる。革命時には大塔が国王一家の幽閉場所として使用された。1808年にナポレオンの命令により解体。 

  22. ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748年8月30日 1825年12月29日)
    フランス新古典主義を代表する画家。ルイ十六世の治世からナポレオン失脚までの激動期に活躍。ジャコバン派として政治活動にも積極的に参加し、国民公会議員として国王の処刑に賛成票を投じている。若年から左頬に腫瘍があった為に発音が不明瞭だった。詳しくは上巻の巻末解説を参照。本章に登場するルイ=シャルルの宣誓証言書にも保安委員会委員代表として署名している。
    代表作『La Mort de Marat マラーの死』『Bonaparte franchissant le Grand-Saint-Bernard グラン・サン=ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』『Le Sacre de Napoléon ナポレオンの戴冠』 

  23. カルマニョールは当時の革命家たちが着ていた丈の短い上着。トリコロールの円形章(花形帽章)はフランスの共和主義者が自らの政治主張をアピールする為に、三角帽の縁などに付けた装飾品。また、縞模様は革命の象徴だった。 

  24. la déesse de la Raison フランス革命中のキリスト教破棄運動において、理性を宗教上の対象とする事によって国民をキリスト教から切り離そうと試みたもの。エベール、ショーメットらが推進した。 

  25. マリー=テレーズ・シャルロット・ド・フランス(1778年12月19日 1851年10月19日)
    フランス国王ルイ十六世と王妃マリー=アントワネットの第一子。嫡出の第一王女を指す「マダム・ロワイヤル」の称号で呼ばれた。 

  26. certificat de civisme パリ・コミューンによって発行された市民権の証明書。市民の義務を果している証であり、所持していない者は逮捕される場合もあった。 

  27. ジャン=ピエール・ド・バッツ男爵(1754年1月26日 1822年1月10日)
    フランスの金融業者。王党派の活動家として暗躍。ちなみにサバチニの『スカラムーシュ』続編、"Scaramouche the Kingmaker"はアンドレ=ルイとバッツ男爵が結託して恐怖政治時代のフランス政界を撹乱する物語であり、本章で言及された王妃救出未遂事件は物語前半の山場になっている。詳しくは上巻の巻末解説を参照。 

  28. エベールとショーメットは、王妃に死刑判決を下す為に「マリー=アントワネットは実の息子であるルイ=シャルルを強姦し、王妹エリザベートも甥に対する性的虐待に加わった」という証言書を捏造して、1793年10月6日付けでルイ=シャルルに署名させ、10月8日に姉王女マリー=テレーズとエリザベートを個別に呼び出し尋問を行った。 

  29. エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス(1764年5月3日 1794年5月10日)
    ルイ十六世の妹、フランス王女。バベットはエリザベートの愛称。信心深く慈愛ある人柄で福祉にも熱心だったが、兄王一家と共にタンプル塔に監禁された後、革命法廷にて「カペー一族の謀略の共犯者」として死刑宣告を受け刑死。 

二 男爵ジャン・ド・バッツ

 十月同日の夜、アルマンチュー男爵ジャン・ド・バッツは、ショワズール公爵邸オテル・ド・ショアズール 1の裏、メナール通り某所にある、豪奢だが落ち着いた部屋で書きものにいそしんでいた。彼はカーテンを引いて蝋燭の明かりで作業しており、室内では暖炉に赤々と火が燃え盛り、丸太に混じった松毬まつかさの発する芳香が漂っていた。

 この驚嘆すべき人物、当時のヨーロッパにおいて、最も果敢に王党派を利する為の活動をしていた男は、秘密工作員としては類を見ぬ豪胆を備えていた。彼はまるで、危険に備えた用心というものをいさぎよしとしておらぬように見えた。己の正体をベールに包む手間などめったにかけずに、彼はいつであれ必要とあらば、身をさらした状態で何処にでもおもむき、焼けた石炭の上を涼しい顔をして裸足で歩く者のように危険な場所に踏み込んだ。

 己の身が罠網で包まれた時、余人ならば半狂乱になるか無駄に足掻き苦しむであろう処を、ド・バッツは黄金のはさみで静かに網を切り、するりと通り抜けるのである。これほどまでに賄賂の使い方を熟知した者は他におらず、これほどまでの大規模に買収という手口を駆使した者も彼より他にはいなかった。潤沢な黄金とは別に、彼には自在に供給可能な共和国紙幣が無尽蔵にあったが、それはシャラントンで秘密裏に稼動している自前の印刷機で刷られたものであった。この偽札は、彼に無制限の資金力を与えただけではない。紙幣価値の恐ろしいまでの暴落を加速する事によって、王党派の目的に貢献したのである。

 彼の間者は到る処にいた。公安委員会の全議事録は、彼と内通しているセナールという秘書によって即座に漏らされていた。そして革命裁判所を唯一の例外として、彼の便宜を図るように買収された役人がいない政府の部署は存在しなかった。にもかかわらず、ルイ十六世の命を救わんとした企て、そして後日に試みられた王妃と御子たちをタンプル塔から救出せんとする企てが成功裏に終わらなかったのは、彼には予測不能の障害をもたらした運命の悪意によるものだった。これら一連の計画を企てたのが彼である事は判明しており、他にも共和国政府に対して死刑相当の様々な罪を犯していたにもかかわらず、ほとんど捜索もされず、自由に活動を続けられたという事実、それは己の身を守る為に彼が駆使した財の力を示す充分な証明となるであろう。

 彼の風采はといえば、中背で姿勢の良い、凛然たる美丈夫であり、鼻と顎は押しが強く、目は生気に満ちていた。今、彼はコートとベストを脱いで、フリル付きのシャツと黒いサテンのぴったりした膝丈キュロットという姿で座っており、その艶やかな黒髪は、過激な平等主義サンキュロティズムがはびこる以前と変わりなく、下げ髪を垂らすスタイルに整えられていた。

 時折、棚の上に置かれた鍍金オルモル時計に目をやりつつ、彼は書きものを続けていたが、それも予期していた物音に遮られるまでだった。年配の使用人ティッソが、市民ラサールを案内してやって来たのであった。

 ド・バッツは椅子に座ったまま半身をひねると、訪問者に向き合った。

「遅かったな、フロランス」

 ラサールは、その強健な痩身にきっちりと着込んでいた暗緑色の乗馬コートのボタンを外した。彼は円錐コニカル帽を脱ぐと、長く伸ばした犬の垂れ耳アン・オレイユ・ド・シアンスタイルの艶やかな黒髪を振り出した。

「随分と長い尋問で、最後までは立ち会えませんでした。ダヴィッドは、終わりまで待ってはいられなかったんです。夕方の議会は反革命容疑者法2についての議論なので、我らがリュクルゴス3は自分の席に着いている必要がありましたから。エリザベート内親王マダム・エリザベートが奴らの汚い手で取調べを受ける直前に、俺はダヴィッドと一緒にあの場を離れなければなりませんでした。なにせ、彼の引き立てのお陰で、随行者としてタンプル塔に潜り込めただけの立場なので」

 彼には物憂げに、ゆっくりと話す癖があったが、それには至極抑制された話しぶりの中にも、冷笑しつつ半ばおどけたような調子をもたらす間延びした発音が伴っていた。そのような話しぶりが、無遠慮で図太そうな青白い顔や力強い口に組み合わさると、笑みを浮かべても余計に皮肉めいて見えるだけであった。

「何があった?」ド・バッツが尋ねた。

「思いつく限り最低な、底の底というのを想像してみてください、それでも、あの紳士方の反吐が出るような作り話までは届かないはずですよ」彼は胸がむかつく思いで、タンプル塔で目撃した一部始終を詳細に説明した。「あの少年は、自分が何を話しているのか理解していなかった。あれは丸暗記するように仕込まれた話で、あの子の判断力は鈍らされていたんです。尊大で我が強く、言う事だけは威勢のいい、大人の男の猿真似。あの悪党どもは、あの少年が用済みになる前に、精神を完全に腐らせてしまうつもりですよ。それから、あの少女。連中の汚い手が穢れない純真のベールを引き裂いた時、あの娘は持って生まれた性質を根こそぎ変えられるような衝撃を経験したはずです。激しく苦悶しながら、彼女はあの不幸な少年に向かって怒りをぶつけていた。本当に酷い光景でした。子供たちが、あんな風に利用されるのを見せられるとはね!」彼は懐中から画帳を取り出した。「多分、この時の強い感情が、ダヴィッドがいつも俺に欠けていると言う天啓をくれたんだと思います」彼はド・バッツの前に、開いた画帳を差し出した。「如何です?」

 しかし深い思いに沈んだ男爵は、ラサールの絵に目を向けなかった。

「この不快な手口はエベールだな。奴は王妃を確実に断頭台ギヨティーヌ送りにする必要に迫られているのだ」

「殺すだけじゃ足りないんですか?寄ってたかって、あの女性に泥を塗りたくる必要が、何処にあるんです?神は眠っているんですか?」

「神?神に何の関係があるというのだ?」男爵の抑制された声には、悲壮な嘲りが含まれていた。「これまで神に向けられた最も悪質な侮辱は、神が自らに似せて人間を創ったという主張だ。人間!悪意に満ち、貪欲で、偽善的なる人間、悪の攻撃に対しては、あらゆる点で隙だらけの存在だ。さあ、真実を直視したまえ、フロランス、君がまだ若いうちにね。そうすれば君は多くの過ちを犯さずに済むはずだ。人間の本性は、善ではないのだよ」

 ようやく彼の視線はスケッチの上に落ち、たちまち其処に釘づけになった。彼は首を振った。「悲劇的な絵だ。哀れな御子よ!」

 ラサールは己の画業を披露する誇らしさのあまり、その悲劇を意識の外に置いていた。彼は描画の持つ力に関するダヴィッドの称揚を引用し、雄弁な描線を指摘して、それに比べれば元になった現実の苦しみなど取るに足りぬものであるかのように語った。熱弁は無駄に終わった。何故ならば、ド・バッツにとって重要なのは、その肖像画によって伝えられたものであり、それを伝えた手段ではないからだ。

 その痛ましい絵に描かれている、陰険な表情によって半ば隠された少年らしく愛らしい顔が、彼を強烈に揺さぶった。

 彼は突然、熱情の突風がほとばしるように語りだした。

「神、我を助けたまう。如何なる犠牲を払おうと、例え我が手でタンプル塔の壁を崩さねばならぬとも、私は必ず、あの御子を救い出す。フロランス、これは君の助力にかかっている」

 ラサールの目は丸くなった。彼の唇は怪しむような形になった。「それは難しいでしょう」

「そして危険だ。往々にして、成すべき価値のある事というのは、そのどちらかであるか、あるいはその両方であるかだ。だが、困難や危険は少ないに越した事はない。君を当てにしても良いだろうか?君は問題の場所を知っている。先刻まで其処にいたのだからな」

 ラサールは豪胆な性分であったが、しかし無謀ではなかった。彼は冷静で論理的、そして感傷とは無縁の男だった。男爵の密偵頭の一人として、既に彼は大胆かつ熟練した仕事振りを見せていた。任務の遂行を可能にする為に、急進的共和主義者ダヴィッドの生徒兼助手である彼は、これみよがしに進歩的かつ活発な革命家として振舞ってきた。彼はジャコバン・クラブとコルドリエ・クラブに加わり、コミューン議会の選挙に当選して、自分の自治区セクシオンの代表として議席を得てもいた。これにより、彼は情報源を直に観察していたのである。そのようにして情報を探った彼は、何らかの国家的重要性を帯びる可能性のあるスケッチの作成を口実にして、自分をタンプル塔に同行させるようにとダヴィッドを説き伏せる事に成功したのであった。

 しかしながら先程の申し出は、絶望的に危険であるのみならず、破滅が運命づけられているように思えた。彼はためらい、眉を寄せた。

「成功の可能性がゼロでないのなら、協力するのにやぶさかではないのですが」

「よろしい。この問題を可能にする話をしようではないか」

 夕餉ゆうげの席で、彼らは更にそれについて論じた。ド・バッツと食事を共にする為に、つまりは急騰している食料品の法外な代金を支払う余裕がある者の物惜しみしない食卓を目当てに、ラサールは留まったのである。革命家や観念論者イデオローグや利己主義者に、富の公平な分配という約束で騙された不運な民衆が得たもの、それは窮乏と飢餓だった。無論、貧困者の為には給付金が用意されていた。国家の減衰にはつきものの制度である。それは自治区の会合に出席すれば得られる事になっていた。だがそれは、一週間に、たったの40スーにしかならないのだ。パンが1ポンドにつき30フラン、そして専制政治の時代には一瓶が8スーだったワインは今や20フラン以下では買えないというのに、40スーが何の足しになるというのか?パレ・ロワイヤルのレストランは繁盛していた。劇場と賭博場には常連客が通っていた。革命の恩恵を受けた者たちは裕福になり、たらふく飲み食いしていた。だが、専制君主の支配という溝から救い出されたはずの民衆は、専制君主が玉座にいた時代には想像もしなかった悲惨の深淵にはまり込んでおり、彼らがその軽信性によって己の目隠しの結び目を自らの手で固くし続ける限り、この国の状態は変わりなく続くだろう。

 それについて、ド・バッツは以下のような表現を用いて示唆した。「私の計画が成就せぬ限り、自分が食いものにされている事にすら気づかぬ愚か者たちは、偽善的な標語を頭に詰め込まれ、空っぽの胃袋を抱えて、正気に立ち返る事もかなわぬままだろうな」

「それで思い出しましたが」ラサールは告げた。「明日の夕食代を持ってないんです」

「君が私を訪ねて来る時は常にそうだろう」

「おっと、貴方を訪問する時に限った話じゃありませんよ。ほとんど素寒貧すかんぴんなんです。ブーツには穴が開いたままだし、他にも…」

 男爵は彼の言葉を遮った。「君には一週間前に千フランを渡したはずだが」

「千フランぽっちが何になるんです?アシニャ4の価値がどんどん落ち続けてるのは、御存知でしょう?この御時世じゃ、千フランは金貨一枚の価値もないんですよ。それに」と彼は物憂げに言った。「貴方の刷った紙屑が流通の中に入り込めば、その分、革命政府の財政破綻が進むんじゃありませんか?」

「君は常にもっともらしい科白を吐く。しかし、私は金の事だけを考えている訳ではない」厳格に、刺すような視線が、当惑の滲むラサールの顔に向けられた。「時折、判断に迷うのだが、君は大義の為に働いているのかね?それとも私から受け取る金の為に働いているのかね?」

 ラサールは微笑まずにいられなかった。「愚問ですね!その両方の為に働いてるんですよ。はっきりさせておきましょう。貴方の金なしじゃ、俺は生きていけませんよ、なにせ、革命に身ぐるみ剥がされましたんでね。俺が相続するはずだった地所も、奴らが伯父の首をはねた時に没収されました。俺が金で動く人間だと判断するなら、どうぞ御自由に。それだって、俺を信用する根拠としては充分なはずですよ。俺は王党派の為に働かなきゃならない。何故なら、俺が自分の土地を取り戻せるかもしれない唯一の希望は、君主制の回復にかかっているんだから。それが上手くいかなかったら画家になるしかない。ダヴィッドからは、俺には芸術家になる為に必要な深い洞察力が欠けているって言われてますがね。無秩序社会には画家の生きる場所はありません、ジャック=ルイ・ダヴィッドみたいに、野外式典の総合演出を仕切るような能力があれば別ですが。如何です、俺の現在と未来、両方とも同じものを頼みにしているのは明白でしょう。この点に関しては、疑う必要はないはずですよ、俺の道徳的な美点は信じるに足らないとしてもね」

「なるほど、君は率直だ。そして無情だ。その若さにしては不思議なくらいに無情だ」

「速く歳をとるんですよ、この腐敗の温床に住む人間はね。そして無情になるんです。しまいにぺてん師エスクローになって金をせびるのを恥とも思わなくなる、俺みたいにね。ブーツに大穴が開いてる時に、自尊心が何の役に立つっていうんです、ジャン?」

 そのブーツを直す為に、その夜、男爵は彼に偽造紙幣の束ではなく、本物の金貨をひと握り与えた。男爵は、それについては皮肉っぽくも率直だった。

「君は今や、軽々けいけいに危険にさらすには貴重過ぎる身になってしまったのだ、フロランス。偽造したアシニャを所持するのは危険だ、それが私の印刷機で刷った出来の良いものであってもな。タンプル塔から救い出さねばならぬ少年がいる。この任務は君が考えている以上に、君の為にあるような仕事だ。君も理解しているように、来るべき王政回復の時に備えて国王を護る事は、宮廷画家となる為の最も確実な道なのだから」

「シャルロットの籐籠5の中に俺の頭が転がり落ちていなければね」ラサールは金貨をポケットに入れた。「どちらの道かはコインの裏表みたいなものですから。行動方針が決定したら、すぐに知らせてください」

 しかしながら――作戦展開の――決定に到達するまでに、ド・バッツは三ヶ月を要した。その間に、不幸な王妃は元々の罪状に加え、実の息子が意図せずして告発者となった複数の余罪で起訴されて、詮議が始まる前から既に決定済みの有罪判決を下された末に、革命広場プラス・デ・ラ・レヴォリュシオンへと荷馬車で運ばれていった。そしてサントノレ通りに面した窓から見物していたダヴィッドは、名人技による素早く、恐ろしく、冷酷な筆さばきによって、今日こんにちの我々にも良く知られている、かの女性のスケッチ6を作成したのであった。彼はルーブルの北分館にある自分のアトリエにそれを飾り、特にラサールに対して、その妙技を手本として示した。

 依然としてラサールは、タンプル塔で描いた三つのスケッチを基にしたルイ十七世の肖像画に取り組んでいた。そして、ようやく描きあがったものは、クシャルスキ7が約十八ヶ月前に描いた肖像画と非常に良く似ていた。ダヴィッドは、それを単に出来の良い職人芸に過ぎぬと決めつけて酷評したが、それはいささか厳し過ぎる評価であったかもしれない。その絵は、モデルとなった人物の特徴を非常に良く捉えていたのだ。師匠を満足させる為に、ラサールは更に大きなカンバスに描き直したが、それは前作にも増して型にはまりきった出来であった。

 其処には、ダヴィッドがラサールによるスケッチの一枚に見出して彼のねじくれた心を大いに喜ばせた、あの陰険な薄ら笑いは失われていた。しかしながら、いくら師が辛辣な嘲りを浴びせようと、彼の弟子がその肖像画の中に、あの邪悪な攻撃性、少年の顔に浮かんだ一瞬の表情を完全に再現する事はできなかった。ラサールは再度、今度はほぼ細密画ミニアチュールに近い小品を試してみた。彼はその一つの主題に取り組む事に三ヶ月の大半を費やし、目隠しをしたままでも小さな国王の肖像画を描くのが可能なまでに、全ての線と面を記憶するに至った。

 ある日、彼はそんな日常が、たまらなく可笑しくなった。世界が激動し、国境には他国の軍隊が押し寄せ、テュイルリー庭園の向こうではギロチンが日々の刈り入れにいそしんでいるというのに、自分はといえば、絵に描かれた顔や、彼の欠点についてくどくど不平を並べる師匠について思い悩んでいるのだから。

 ド・バッツから行動開始の連絡がようやく届いたのは、そのような時だった。


  1. ルイ十四世時代の財産家アントワーヌ・クローザの大邸宅。クローザの孫娘との結婚により、エティエンヌ=フランソワ・ド・ショワズール公爵の所有となった。 

  2. 1793年9月17日国民公会にて採択。「反革命的行動」という曖昧な罪状による恣意的な告発を可能にし、恐怖政治を加速させた。ダヴィッドは保安委員会の委員として300以上の政治犯の逮捕状に副署している。 

  3. スパルタの伝説的立法者。 

  4. 革命期のフランスで使用された紙幣。本来は公債券だが、正貨が不足していた為に通貨として流通された。革命期のハイパーインフレの原因のひとつ。アッシニア。ちなみに通貨単位が正式にフランに改められるのは1795年になってから。 

  5. 斬首刑後に死刑囚の頭を入れる為の柳籠の俗称。 

  6. ルイ・ダヴィッド作『Marie Antoinette conduite à l'échafaud 処刑台に向かうマリー=アントワネット』オリジナルはルーブル美術館所蔵。(作者のJacques Louis David は1825年没につき本画像はパブリックドメインである)Marie Antoinette on the Way to the Guillotine 

  7. アレクサンドル・クシャルスキ(1741年3月18日 1819年11月5日)
    ポーランドの肖像画家。マリー=アントワネット専属の画家となり、当時の王族の肖像を多数手がけている。代表作『Louis Charles, Dauphin de France』『Marie Antoinette au Temple』 

三 市民ジョゼフ・フーシェ

 ド・バッツとラサールの共謀の結果として、革命暦第雪月ニボーズ初旬――キリスト紀元でいえば、1793年12月の終わり近く――のある日、この美術学生は、サントノーレ通りの薄汚い建物の四階まで階段を登る事となった。愛想は良いがやつれた面持ちの若い女性がノックに応えてドアを開けると、彼は市民議員ジョゼフ・フーシェ1は御在宅でしょうかと尋ねた。

 予定された作戦の足がかりとなる人物として、ド・バッツはショーメットに狙いを定める事に決めたのだが、丁度、それと時を同じくして、ジョゼフ・フーシェが突然、派遣議員として共和制徹底の任務に従事していたニヴェルネー州から帰還した。フーシェは、ロベスピエール2によって矛先を向けられた、彼の節度に関する嫌疑から己を守る為にパリに戻ってきたのである。

 この予想外の帰還とその状況から、ド・バッツは自分たちの目的にとってはフーシェの方がより有益であろうと判断するに至った。彼は既に、この男の経歴を観察し、その背景を調べ上げていた。

 教職の為にオラトリオ会3で学んだフーシェは、七年の間、オラトリオ会所属の学校で教鞭を執っていた。ニオールで数学、ヴァンドームでは論理学を教え、1783年にアラスで物理学講師を任されて以降は勤勉に奉職を続けていた。気体静力学の研究には熱心で、1791年にはナントで気球の上昇実験を行って、周辺住民を驚きと恐怖で震え上がらせた事もあった。92年に結婚したが、これを期に教会関連の全ての職を断念し、既に拝命していた赴任先を辞退する事となった。政治の為に教職に見切りをつけると同時に、彼はロワール地区代表として議員選挙に立候補し、当選した。つまりこの男は、とド・バッツはラサールに解説した。まさに日和見主義者中の日和見主義者、信念なき男、常に状況の使用人、そして常に勝利の側にいる可能性が高い人物でもある。何故ならば、その卓越した知性と狡猾さによって、彼は常に勝者を予測する事が可能であるからだ。状況が故王に対して寛大な方向に傾いていた時、フーシェは国王助命の論拠を反論し難いものとして受け入れていた。議論の大勢が逆方向に大きく傾いた時、フーシェは国王死刑に票を投じる以外に選択の余地なしと判断した。西国における彼の任務4は比類ない無慈悲をもって始められたが、その方針は己の栄達には無慈悲が必須であると彼が判断していた期間、継続された。革命思想を持つ者たちの多くを混乱せしめた狂信、野蛮、臆病とは無縁な明晰な頭脳が世論は虐殺に吐き気を催し始めているという兆候を察知すると、フーシェは節度ある方針に転換した。そして彼は更なる炎と流血を抑制する一方で、依然として無慈悲な方針を要求してくる――世論の変化を認知するに敏ではない――政府に対しては、炎と流血に満ちた報告書を送り続けたのである。

 だがロベスピエールは容易に騙されたりはせず、覇権を掌握する兆候を見せた全ての人間に対して目を光らせるのと同じく、綿密に、油断なく、フーシェを監視していた。何故ならば、フーシェは既に、その活動によって声望を得ていたからである。彼の知的能力は信頼を獲得し、その後追いをする派閥は人数を増し続けており、アナクサゴラス・ショーメット――この男自身が大衆の偶像アイドルである――がその筆頭となっていた。

 ロベスピエールは、フーシェの中に自分を追い落とし得るライバルの可能性を認知したのみならず、私怨に類する動機というのも別に持っていた。革命以前、アラスにおける教職時代に、このオラトリオ会士とかの弁護士との間には交友関係が結ばれていた。フーシェは彼に金を貸した事もあった。だが、それによって、フーシェが自分の妹と結婚する約束を反故にしてアラスを去ったという事実を水に流すのは、ロベスピエールにとっては難しい事だった。フーシェは既に彼女を誘惑していたのではないかと疑われていた。しかしながら、恐らくそれは邪推であろう。何故ならば、フーシェが道徳観念や他の諸々に左右される事なく知的判断を優先するのは、その並外れて禁欲的な性質が付随する冷徹な精神によるものであったからだ。

 それらに加えて、かつてのオラトリオ会士、今や名うての無神論者である彼が、派遣議員としての自分の任務は担当地域の脱キリスト教化であると認識していた点も問題であった。彼はショーメットと共に理性レゾンの女神5をでっち上げ、祭儀を敢行していたのだが、それは理神論者デイスト6ロベスピエールにとっては不快極まりないものだったのだ。

 ショーメットから、君の頭上にいきなり雷が落ちるかもしれないぞという警告を受け取ったフーシェは、自分の足をすくおうと画策する連中と対決する為に、すぐさまパリに向かった。

 フーシェは単に彼らの質問に答えたのみならず、大仰な巧言を用いたもっともらしい弁論によって彼らを納得させ、少なくとも一時的には圧倒した。そしてまた、彼は議論よりも雄弁なものを持参していた。彼は議会の床上に、夥しい量の金銀を山と積み上げたのである。十字架、聖杯、聖パン皿、聖体容器、燭台等々、西国の教会から没収した品々と、マザラン公爵家の冠7のような飾りもの。そして彼は表明した。この品々は全て、共和国の為に戦った人々がブーツとパンを買えるように、熔解して現金に変える為に集められたのだと。

「我々にとって、うってつけの人材だ」ド・バッツは、そうラサールに語った。「当人も自覚しているように、彼は危険と困難の状況にある。彼は来たるべき変化を察知し、明確な意思表示を先延ばしにし過ぎる危険性も理解しているが、それでも時期尚早な行動は危険であるとも考えている。現状において、あの男にできるのは、事態を見極め、武装して待つ事だ。彼は提供される武器を拒まないだろう。そして彼の知性は、我々の申し出る武器の力を高く評価するはずだ」

 そのような訳で、ラサールはサントノーレ通りにある建物の階段を登り、くだんの派遣議員が居住する粗末な一人部屋に入る事となった。ベッドが押し込まれたアルコーヴは、一室と数えるには無理があった。にもかかわらず、フーシェの妻は其処を別室として扱い、その中に引っこむと境目にぼろぼろの仕切りを置いた。

 これでラサールはフーシェと二人きりになったと見なすべきなのかもしれないが、しかしむずかって泣き、咳き込んで息を切らす病んだ子供をなだめている女市民シトワイエンヌの様子は、嫌でも伝わってきた。

 派遣議員は既に、通りを見下ろす二つの汚い窓のうち、片方の傍らに立っていた。それまで書きものをしていたノートは閉じられていた。立ち上がって待つ彼は、長身で痩せぎすの神経質そうな人物であり、赤味がかった髪をしていた。髭のない面長の顔は、これほどやつれて蒼ざめていなければ、個性的な魅力のある容貌と言えたかも知れない。それは元教師の実年齢である三十三歳よりも、ずっと年がいった男の顔だった。目蓋の垂れた、眠たげな色素の薄い目には、何処か不吉でひやりとさせるものがあり、薄い一文字の口からは、感傷に流される事のない知的な人物であるのがうかがえた。

「私に御用だそうですね、市民シトワイヤン?」彼の態度は冷ややかで礼儀正しく、声は細かった。雄弁の才を要求される政治家でありながら、彼には元々、弱い喉という不利があり、更に昨日の議会では大いに喉を酷使させられて、未だ充分に回復していなかった。

 この重要人物を尋ねて辿り着いた先が予想外にむさ苦しい環境だった事に動揺していたラサールは、我に返ると帽子を脱いで一礼し、あらかじめ良く考えていた自己紹介をした。

「幸いにも、昨日の議会での貴方について耳にしまして、生粋の共和主義精神に対する敬意と、心ある市民が皆、どのように感じているかを――自由の破壊者と戦う我々が、貴方のような断固たる闘士を擁している事を非常に心強く思っているとお伝えしたく、駆けつけました」

 フーシェは一瞬の間、謹厳に彼を見つめた。それから「それを、どうしても伝えたかったという訳ですか、市民」と言い、更に「その為に、わざわざ四階まで階段を登ってきたと」と続けた声音には、疑念が含まれていた。

 ラサールの微笑はすまなそうなものになった。「もうひとつ用件がありまして」

「でしょうね」

「俺は画家なんです、市民議員。まだ学生の身ですが、今年の官展サロン8に展示されたいと願っています。それで、画題自体が重要なものなら、その願いが実現する可能性が高まるのでは、と思いまして。この偶然の巡り合わせを自分の有利にしようとする試みが、貴方にとって無駄になったりはしないと約束します」

 如何なる野心を叶えるに際しても、偶然の巡り合わせを自分の利にする機会を決して見逃さぬ事で知られた男の青白い顔には、氷の張った水面に射す冬陽の如き微笑が浮かんだ。「それはそれは。しかし何故、私の処に来たのです?恥ずかしながら、芸術とは縁がなくて。余暇は仕事と同じく、全て科学に費やしてきたものですから」

「俺が描きたいのは、貴方の肖像画なんです、市民議員」彼は片方のポケットから画帳を、もう片方から鉛筆を取り出した。「下準備の素描を、お許しいただけないでしょうか……。俺は敬愛する貴方の理想主義から霊感を受けて……」

「なるほど。良くわかりました。私は市民からの要請を無下に断る事はめったにないのですよ、事情が許される限りはね。しかし、これは時間がかかるでしょうし、私はすぐにパリを発たなければなりません。西国での任務がありますので」彼は懐から取り出した時計を見た。「残念ですが、君の用件は、またの機会にしてもらわねば」

 ラサールの顔には内心の狼狽が表れた。「それほどお時間はいただきません。筆は早い方なので。下準備の素描と若干の覚書だけです、次にまた貴方がパリにいらした時に、カンバスにとりかかれるように」

 生気のない、冷やかな目が彼を見つめていた。「そんな手際の良さを、何処で身に着けたんだね?」そして彼は、更に踏み込んできた。「君は学生だと言ったね。誰の門下で学んでいるのかな?」

「ルイ・ダヴィッドに師事しています」

「ああ!偉大な画家だ。古典的な伝統を我々に伝えてくれている」彼の態度は和らいだ。血管が透けて見える骨ばった手の鷲の鉤爪を思わせる長い指が、この部屋には二つしかない椅子の片方を若者に示した。「座りたまえ。半時間程度でも君の役に立つのなら、付き合いましょう」

「ああ、有難うございます、助かります!では、すみませんが、そちらに座ってください、市民シトワイヤン、横顔を光の方へ。そうです。ああ、もう少し窓の方を。少しだけで結構です。それでいい」

 彼の鉛筆はきびきびと動き、しばしの間、ラサールはスケッチに没頭した。しかし主線を描き終えた時、これで見せ掛けは充分と判断した彼は、描く手を止めずに話を始めた。

「本当に残念ですね、市民。貴方がパリから離れるなんて、残念でなりませんよ。ここには貴方が必要なんです。はびこる腐敗と戦う為に」

 フーシェは答えなかった。考え込んでいるかのように、彼は座っていた。しばしスケッチに集中した後、再びラサールは口を開いた。

「妙な噂があるんです。アトリエやカフェで耳にしたのですが。根も葉もない話かもしれませんが、でも、聞いた者は不安になってしまいますよね」

「どんな種類のものだね?」乾いた細い声が尋ねた。

「ただ聞いた話を繰り返すだけでも、我が身を危うくするようなのもあって。そう……例えば、最近耳にした噂は、プチカペーの誘拐に関する陰謀です」

 彼は、自分の希望する方向に話を転がせるような応答を期待した。しかしフーシェは、そのようなきっかけを与えてはくれなかった。「失敗は避けられないだろうね」と彼は言った。「既に試みた者もいるが。ショーメットがタンプル塔の管理をしている限り、そのような心配は杞憂というものだろう」

「それならいいんですが。本当に、そんな心配が必要ないならいいんですが。貴方がそうおっしゃるのなら、安心ですね」ラサールはスケッチを続けながらも、頭では別方向から攻撃する道を懸命に探っていた。「それでも誘惑を考えると、人心は不安になるものです」

「具体的には、どんな誘惑だね?」

 今度は良い反応だった。本題に入るきっかけにできる。「フランスの敵が、いわゆるルイ十七世の身柄に対して支払うであろう金額です」

「それは愛国者を誘惑する事はできまいよ。愛国者は金に貪欲ではない。愛国者が求めるのは、ささやかなものだ。武器とパン、そして40クラウン9の収入だ」

 ラサールは溜息を吐いた。彼は質素な部屋に、ちらりと視線を走らせた。

市民シトワイヤン、全ての愛国者が貴方のようだったら、何の心配もないでしょうが」

「私のようではない愛国者は、愛国者とは呼べまい」フーシェは言った。「だが、それほど心配ならば、市民ショーメットに会うといい。彼はタンプル塔と、その囚人に対して責任がある」彼は再び時計を取り出して見た。「スケッチはできたかね。私は時間に追われていてね」

 自分の意図が怪しまれたのを、ラサールは理解した。そして、その性質を確認する手間すらかけずに、フーシェはラサールの意図をくじいたのであった。これ以上は食い下がっても無駄と認めざるを得なかった。謝辞と共に、彼はほんのしばし、静かに作業を続けた。

 描き終えた時、フーシェは彼と共に立ち上がった。「君の絵を見せてもらえるかな?」

 ラサールは画帳を差し出した。生気のない目は、そのページを見つめた。

「なるほど」それは奇妙な評だった。「君はアーティスト10だ」彼は脇を向いて呼びかけた。「ボンヌ!おいで、この絵を見てごらん」

 呼ばれてやってきた大人しく優しげな女性は、そのスケッチを見ると暗く疲れた目を好奇心できらめかせた。その肖像は実物より美化されたものだった。何故ならば、ラサールはモデルの容貌を忠実に描き写してはいたが、しかし――ダヴィッドが彼の将来の為に冷笑的に指摘するように――其処に内包された、曰く言い難い他者を撥ねつけるような力を捉える事には失敗していたからである。

「素敵ね」彼女は叫んだ。「そっくりだわ、ジョゼフ、今にも話しだしそう」

「もしそれが話しだしたら、私とは似ても似つかない事を言うだろうね」

「冗談よ、市民シトワイヤン。夫はこういう人なの」彼女は深刻そうに耳をそばだてているラサールを見て、優しく声をかけた。

「できれば、すぐにでも絵の具で描きたかったのですが、女市民シトワイエンヌ。またお会いする日まで待たなければなりませんね」

 そのように装ったまま、そして儀礼的な賛辞を何度も述べてから、彼は去って行った。

「魅力的な若者ね」ボンヌ=ジャンヌは言った。

「ああ、魅力的だ」彼女の夫は同意した。「魅力は密偵にとって、最良の商売道具だからね」

「密偵?」彼女の目には偽りない恐怖があった。「あの人は、密偵なの?」

「少なくとも、その可能性はある。ルイ・ダヴィッド、ロベスピエールに心酔している崇拝者。ロベスピエール、彼は私を捕らえるべく罠を広げている。彼らが結託していても不思議はない。そして彼は、ここに留まるのを許すと予想通り陰謀について話した。荷造りをした方が良いね、そして西国に戻ろう」

 簡易ベッドの中にいる子供はむずかっていた。ボンヌ=ジャンヌの顔に不安の色が濃くなった。「二日か三日、遅らせる事はできないの?ニエーヴル11の具合がとても悪いのよ」

 心痛で彼の目は細くなった。彼は妻の肩に愛情を込めて片手をまわした。「ニエーヴルの為には、我々が血に酔った連中から逃げる方が大事なんだよ。野の獣が残酷なのは、知能が低くて恐怖心に駆られているせいだ。人間もそれと変わらない。ただ愚か者と臆病者だけが残酷になる」

 にもかかわらず、リヨンにおいてフーシェは炎と血を用いて己の名を刻み、それによって彼は永遠の悪名を得た。そして彼は、その全てを自覚的に行ったのである。彼が残酷に行動したのは愚かさ故でも臆病故でもなく、勝利への階梯を築くまでの間、己の地盤を維持する為であり、現政権における支配的な空気を大きく逸脱してはならぬが故であった。


  1. ジョゼフ・フーシェ(1759年5月21日 1820年12月25日)
    恐怖政治期から総裁政府、執政政府、第一帝政、復古王政期までの激動の時代を生き抜き、変節を繰り返しながら権力中枢で辣腕を振るい続けた政治家にして、近代的な国家警察の祖。この物語のもう一人の主人公である。詳しくは下巻の巻末解説を参照。 

  2. マクシミリアン・ロベスピエール(1758年5月6日 1794年7月28日)
    ジャコバン派内モンターニュ派。地方の弁護士から第三身分議員に転進、ジャコバン派内のセクト争いに勝ち残り、1793年7月に公安委員会入りしてからは事実上の革命政府首班として強権を振るい、他派や反革命派の粛清を断行した。 

  3. 16世紀にイタリアから始まった、宗教教育を目的とした在俗聖職者の会。教会音楽発展にも大きく寄与している。 

  4. パリに次ぐ大都市リヨンにおける反革命派の叛乱鎮圧後、国民公会は「リヨンの完全破壊」を決定し1793年11月にジャン=マリー・コロー・デルボワとジョゼフ・フーシェを派遣、二千人近い市民が粛清された。尚、史実においては、同年12月にパリの公会及びジャコバン・クラブで釈明を行なったのはコロー・デルボワである。 

  5. エベール、モモロら無神論者たちは理性崇拝を提唱し、既存の教会にミサを禁じた上で理性崇拝寺院への転向を強制、「理性の祭典」と称する祭儀を行った。同様のキリスト教廃絶運動は地方に波及し、フーシェも1793年の秋に担当地域であるニエーヴルにおいて、ショーメットと共に教会からの貴重品没収と理性崇拝カルト普及を行っている。 

  6. 啓蒙時代のヨーロッパに栄えた宗教思想。世界の創造者としての神は認めるが、その後の宇宙は自律的に駆動し発展しているとする。無神論とは一線を画す。 

  7. フーシェの派遣先ニエーヴル県にはマザラン宰相の甥の一族であるマンチーニ公爵の居城があった。 

  8. 1725年に始まったパリの芸術アカデミーの公式展覧会。サロン・ド・パリ。 

  9. 原文 forty crowns 英国通貨に合わせた表記と思われる。 

  10. 原文 an artist 恐らく「芸術家」と「術策を弄する狡猾な人」のダブルミーニング(本章のフーシェはダヴィッドを指してはpainterと言っている)。 

  11. ニエーヴル・フーシェ(1793年 1794年)
    ジョゼフ・フーシェの長女。フーシェが議員として派遣されたニエーヴル県で誕生し、現地の大聖堂で「市民洗礼」を受けている(これはフランスにおいて現代まで続いている非宗教の後見人指名制度である市民洗礼の最初の例と言われている)。 

イソノ武威
作家:ラファエル・サバチニ
The Lost King 失われし王 ルイ=シャルル(上)
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