The Lost King 失われし王 ルイ=シャルル(上)

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一 フライヘア・フォン・シュタイン

 国王擁立者という大望を秘めた卵が死によって砕かれた瞬間、ラサールの悲喜劇には幕が下りた。その幕は、それから十三年が過ぎて、フランスの玉座が皇帝によって再び占拠されるべく準備が進められるようになるまで、再び上がる事はなかった。ナポレオン・ボナパルト1が自ら玉座に就かんとする素振りを見せ始めた事によって、かのコルシカ人が、往年の英国王チャールズ2に対してマンク3が果たしたのと同じ役割を演じてくれるであろうという、見当違いの期待を抱いていたルイ十八世は、狼狽と嫌悪に襲われた。

 1808年春までの間、ラサールの足取りを辿る手がかりとなるものは、一切見つからない。再び彼の痕跡が現れるのは、ベルリンの逮捕歴である。これにより想定できるのは、彼がレマン湖の悲劇の後、そもそもの旅の目的が完全に砕かれてしまったにもかかわらず、尚もドイツへの道を辿ったのであろうという事である。恐らく彼は、デマレの存在によってパリへの帰還が危険になったのではと懸念し、また画家として身を立てるには、フランスよりもプロイセンの方が容易と考えたのであろう。彼はフリードリヒ・ヴィルヘルムにジュネーブで起きた事件について伝え、王の脱出に際して自分が果した役割を利用し、プロイセン宮廷に出入りする為の足掛かりにしようと試みた可能性もある。

 だが、これらは推測に過ぎない。彼が何を考えてドイツに渡ったにせよ、資料から判断できるのは全てが不首尾に終わったという事であり、その中には画家として身を立てる道も含まれている。何故ならば、ようやくラサールの動向を把握できる資料というのが、彼がプリジャンというフランス人と共同でヘルプストストラッセにある館の二階で開いていた賭博場で起きた、喧嘩騒ぎの結果としての逮捕歴であるからだ。

 この記録と、これ以降の彼に関して記述のある資料の全てにおいて、彼はド・ラサールと名乗っている。彼が爵位を継いでしかるべき出自であったという点については、疑問の余地はほぼない。恐怖政治テルール時代のフランスにおいては愛国的な目から不穏分子と見なされるような称号を名乗らずにいたが、己の社会的地位を向上させようと苦闘する冒険家となってからは、貴族としての名を使う方が都合が良いと判断した、というのが妥当な解釈であろう。

 賭博場経営との関わりを除けば、彼の逮捕に関して他に不名誉な事実は何もない。その原因である喧嘩騒ぎにおいても、彼はあくまで受動的であったように見える。

 プリジャンは、ラサールのファロ賭博場4元締めクルーピエを務める男であり、必要に応じて浮薄な振る舞いもする魅力的な女を妻にしていた。筆者の推測では――そのような申し立てがあったか、その後の訴訟手続きで証明されたのではないかと思うが――彼女は主として、羽振りの良い客につけるサクラの役を務めていたようだ。この役割において、彼女が若いポーランド槍騎兵ウーラン5士官のハウプトマン・フォン・ヴァイセンシュタインを相手に上げた成果は、どうやら博打を成立させるのに必要な水準を大幅に超えていたように見受けられる。

 フォン・ヴァイセンシュタインが恐ろしく深酒をし、そして恐ろしく負けが込んでいたある夜、その婦人に対する彼の品行は目に余り、商売上の都合を考えて、夫としての面子は押さえる心構えをしていたプリジャンにして、怒りに駆られて抗議せざるを得ないほどだった。だが、その彼に対する返答は、白いコートを着た士官からの辛辣な侮辱であった。

「下賎なフランスのポン引き風情が、何を生意気な」

 プリジャンの顔は紅潮し、次に死人のような蒼白になった。そして彼の黒い目には、一瞬にして炎が吹き上がった。彼は立ち上がったが、その声は慎重と躍起の両方により抑制を強いられた激昂で震えていた。

「即刻、この館を立ち去っていただこう、フォン・ヴァイセンシュタイン大尉。すぐにだ」

 大尉は彼を嘲った。「それを命令するのはマダムの役目だな。そしてマダムは、そんなつれない科白は言わんだろうさ。エ、シャッツリ?(どうだい、べっぴんちゃん?)」

 マダムは既に、厚かましい男の腕が届かぬ位置まで退避しており、純白のドレスに包まれた大柄で整った肢体は、暗赤色をしたベルベットのカーテンを背にしていた。彼女は大きく目を見張り、その赤い唇は不安で半ば開かれていた。

 十人以上いる洒落者の賭け客は、皆がテーブルに着いていた。髪粉を振って黄色い制服を着た二名の従僕は、部屋の終端にあるビュッフェの両端で固い表情をして立っていた。ディーラー席のラサールは、丁度、新しいパックを手に取った処だった。静まり返った部屋の様子に、彼は包み紙を破らぬまま、再びそれを下に置いた。

 ここで改めて、もう一度、彼という人間について説明せねばなるまい。ベルリンのヘルプストストラッセの賭博場にいる、三十五歳のフロランス・ド・ラサールは、ダヴィッドのアトリエで学ぶ美術学生でありながら、ド・バッツ男爵に加担する事で窮乏をしのぎつつ、君主制回復を助けようとしていた青年とは、大きく異なる人間だった。彼がフォン・エンセの遺体に付き添ってジュネーブの教会墓地に行き、政治の世界で栄華を掴むという希望を男爵の亡骸と共に完全に埋葬してから、十三年が過ぎていた。だが、その費やした年月によって、彼の気性が丸くなるような事はなかった。彼が一見して、四十代の男性に見えるような風采であったという事実は、ラサールが如何に過酷な人生を歩んできたのかを示している。彼は昔よりずっと痩せており、全てが流れるように素早い動作の中には、しなやかな強靭さがうかがわれた。ラサールには、かつて天然痘で瀕死の床にあったものの、彼を愛する女性のたゆまぬ世話によって辛うじて命を拾い、その女性は結果として病に感染し、彼を看護しながら息を引き取った、という経験をしている事が判明している。これは彼の性質の硬化を助長したであろうと推察される出来事であったが、同時に彼女が生き延びてさえいれば、ラサールは彼女の愛に対して献身的な情愛をもって報い、それにより彼の精神は高められ、利己主義エゴイズムという罪業から救済されていたに違いないとも言える。ラサールが高熱で臥していた間、その女性が彼の顔面に当てた湿布を昼夜も休まず取替え続けてくれた為に、彼の顔には病の痕跡がほとんど残らずに済んだ。だが、にもかかわらず、病から生還した彼の容貌には、奇妙な変化があった。皮膚は縮んで骨格が際立つようになり、以前は柔らかく丸みを帯びていた顔立ちに鋭さが加味され、顔色は白に近い乳白色になっていた。かつては肩まであった髪は流行に合わせて短く刈り込まれ、未だ黒く艶やかではあるのだが、額から頭部の中央を通して生えている幅1インチほどの帯状の分だけは、完全な白髪になっていた。これは天然痘が残したもうひとつの置き土産であり、その奇異は彼の容貌に、ある種の不吉な特徴を与えていた。

 顔の青白さを際立たせる黒い襟飾りを付けた、明るい青地に銀ボタンの並んだ軍服風のダブルコートを身に着けた彼は、独自の流儀によって世渡りをしてきた男、如何なる非常時にも対処する能力を備えた男、侮ってかかるには危険な男の沈着を暗示するような、静かで観察力の鋭い目をしてファロ・テーブルを動かずにいた。

 その静かな両眼は、落ち着けと命ずるようにプリジャンに定められていた。だがプリジャンは、鼻持ちならぬ士官に対する怒りで我を忘れているかのように、ラサールの視線を無視した。怒りに駆られた彼は先刻の要求を繰り返した。

「フォン・ヴァイセンシュタイン大尉、私は貴方に、この館を去るように要求した。即刻、お引取り願う、さもなくば、相応の報いを甘受してもらう事になるが」

「報いだぁ?」大尉はプリジャンの激怒を煽るように、小馬鹿にしたような嘲笑を浮かべて彼を見た。怒り狂ったプリジャンはクルーピエの熊手をひったくると、それで大尉の横っ面を打った。

 それは怒りの全てを込めた凶悪な一撃であった。したたかに打たれたヴァイセンシュタインはよろめいた。体勢を立て直そうとしながらも、彼はしばしの間、驚きで麻痺したように呆然とした状態で突っ立ったまま、顔面から血を垂らしていた。それから呪いの言葉を吐くと、彼はサーベルに手をやり、力まかせに引き抜いた。

 店の者たちが駆け寄って、危うい処で大尉から武器を取り上げ、そしてその瞬間、エレガントな部屋の静寂は一気に熊の巣穴の如くと化した。フォン・ヴァイセンシュタインは腕を押さえ込んでいる人々の間で猛然と抵抗し、フランスの泥棒野郎どもの隠れ家を叩き潰してやると誓い、その誓いは概ね果たされた。何故ならテーブルと椅子は叩き壊され、装飾品は切り刻まれ、窓は破られたからである。

 その騒音が巡回中の警官たちの注意を引いて、彼ら――巡査部長と四人の部下――は秩序を回復させるべく踏み込んで来たのだが、卑劣にもフォン・ヴァイセンシュタインが自分は金を騙し取られたと申し立てた為に、逮捕者は三名の外国人だけという結果になった。ヴァイセンシュタインの軍における階級が警官たちに服従を強い、免責特権を保証したのである。

 ラサールにしてみれば、これは大いなる災難だった。拘置所で一夜を明かした後、プリジャンと共に行政長官の前に出頭した彼は、フォン・ヴァイセンシュタインによって風紀を乱す賭博場を開いた罪で告発され、プリジャンに対しては、それに加えてプロイセン王国軍の制服を着た士官を襲撃した件について、より重い罪状の告発がなされた。

 あの場に居合わせた四名の客が温情を発揮して、フランス人たちを弁護する為に足を運び、最初の一発が出るに至った挑発行為について証言をしてくれたのも無駄に終わった。司法は賭博場自体については――よくある話として――見逃してくれるかもしれない、だが、其処が不穏な騒動の舞台となった場合には、何らかの対処が必要だった。その上これは、ティルジットの和約6の翌年、西暦1808年の出来事だった。ボナパルトはフリードリヒ・ヴィルヘルム7から領土の半分を奪い、プロイセンという国家に大恥をかかせ、破滅の縁まで追いやっていた。フランス人に対する感情は、プロイセンの行政長官が彼らの法律違反に寛大な対処をする気になるような性質のものではなかった。

 ラサールに課された途方もない罰金は、彼の所有する財産の限度一杯に相当する金額であったように思われる。それに加えて、彼は三ヶ月の投獄を宣告された。彼のパートナーであるプリジャンも同様に罰金を科され、フォン・ヴァイセンシュタインを殴った罪に対しては、城塞刑務所への一年間の投獄という判決が下された。くだんの女性に対しては、彼らは騎士道精神にのっとって自由放免を許し、自分たちが夫に下した判決の結果として彼女が落とし込まれた貧困を大いに楽しむようにさせたのであった。

 ラサールが投獄され、刑期を全て務め終えた後に釈放された場合、彼はどん底に沈んで二度と浮かび上がる事はなかったはずだ。だが、このベルリンにおいては少々事情が違った。彼は時折ヘルプストストラッセの館に遊びに来るプロイセンの若き議員と、かなり親密な友誼を結んでいたのである。この貴族の名前は、カール・テオドール・フォン・エンセ。レマン湖の嵐によってフランス王と共に非業の死をとげた、フォン・エンセ男爵の甥にして相続人だった。

 その事実だけで、ラサールと彼が行動を共にする理由の説明になるだろう。ベルリンにおける彼らの邂逅が偶然だったのか、あるいは、こちらの方が可能性としては高いが、ラサールが彼を探し出したのかは定かでないが、この若き議員は、伯父の失踪の謎を解明する事によって、甥である自分の正式な遺産相続を可能にしてくれた男に対して、借りがあると考えた。そしてまた、ラサールがフォン・エンセの唯一の葬送者であるという話がジュネーブにおいて確認され、自然な情として感謝の念を抱いたというのもあるだろう。ラサールが賭博場を開くにあたっては、フォン・エンセからの資金援助などがあったのではという想像も、大いに有り得る話といえよう。

 ともかくも、投獄の身という苦境にあったラサールが助けを請うた相手はフォン・エンセであり、そのフォン・エンセは、即座に彼の援助に駆けつけた。ラサールを救い出すに際しては、彼は絶好の立場にあった。何故なら彼は、単に議員というだけでなく、現状においてプロイセンの政治を実質的に動かしている人物、偉大なる政治家ハインリヒ・フリードリヒ・フォン・ウント・ツム・シュタイン首相8からの信頼が厚く、ほぼ筆頭補佐の位置にいたのである。

 イエナの大敗9と、巨額の賠償金を全て支払うまでは、フランス帝国軍のプロイセン王国への駐留を認めねばならぬというティルジットの和約がもたらした痛手から、この国はフォン・シュタインの辣腕によって、秘かに再生されつつあった。火を噴くが如き愛国心に突き動かされた彼には一切のためらいも迷いもなく、ボナパルトにより失陥しっかんの憂き目に遭わされた祖国を衰亡の道より救うという目的の為ならば、手段については拘泥せず、その目的に寄与すると判断すれば、道徳的側面から恥とされる行為など存在しなかった。彼の祖国に奉職した者の内、目的は如何なる手段も正当化するという信念を、これほどまでに強く抱いた者はかつて存在しなかっただろう。疲弊した祖国に再び繁栄をもたらす為に労を惜しまず働く一方で、彼は誤りを正す為の国家的蜂起を静かに計画し、準備をし、既にスペインとの間では、時が熟せば互いに支援するという密約を交わしていた。ボナパルトによって課されたプロイセン陸軍の兵数制限は、交替要員という抜け道によって回避され、武器を持つ事が可能な全てのプロイセンの男たちを潜在的な軍人に変えるという効果を次第に発揮していた。

 ボナパルトの警察大臣にして、今や帝政フランスにおける最も力を持った人物である、ジョゼフ・フーシェ配下の密偵たちの鼻先で、フォン・シュタインは全てを着実かつ成功裏に達成していた。

 カール・テオドール・フォン・エンセは、祖国救済の為にフォン・シュタイン首相と共に秘かに活動しているプロイセン貴族の小集団に属しており、従ってフォン・エンセは、自分の友人であると同時に、ブルボン王朝の為に刻苦し尽力してきた者の一人であり、自動的に反ボナパルト派と見なして当然の男について、この国の全権を有する首相に寛大なる処置を要請できるだけの立場にあったという事になる。

 ラサールはすぐさま釈放され、罰金を免除され、そして今後は亡命先である国の法を尊重し、二度とベルリンで賭博場を開かぬ事を唯一の条件として財産も回復された。

 当然ながらフォン・シュタインは、一見して、いかがわしい生活を送る不逞の輩としか思えぬこの男とフォン・エンセとの交流の始まりについて不思議に思った。

「数多い他の亡命者エミグレについても、同じ事が言えないでしょうか?」フォン・エンセはそう問いかけた。「生計を立てる為に不本意な職に就いているフランス貴族は、ドイツの至る処にいるのではありませんか?彼らは革命によって全てを失うという不幸にみまわれた、気の毒な紳士たちです」このような形でフォン・エンセはラサールを弁護した。彼は更に言葉を重ねた。「この男は画家としての才能を有しております。私は彼の作品を幾つか見た事があります。去りにし日々、彼の希望と目標は、芸術によって身を立てる事でした。しかしながら、その道の困難は閣下も御承知の通りです。残酷な運命にもてあそばれていなければ、ラサールは今頃、宮廷画家として名誉を得ていたかも知れません」そしてようやく、ラサールのルイ十七世救出についてを語る段になり、これによってフォン・エンセが彼に同情を寄せる理由が完全に明かされたのである。

「ああ、そうだった」シュタインは言った。「以前、君がこの件について話したのは覚えている」そして彼はすぐに、全ての政治的事件の関連性を探る思考に没頭した。「あの時、私はこう言った――そうだったね?――その一連の出来事は、フランスにおいて強く信じられ、広まり続けている説の裏付けになる。ルイ十七世はタンプル塔から逃亡しており、彼の死に関する公式発表は捏造であった、という説の」

 考えにふけり、大きな椅子に背を丸めて座っている首相は、小柄で禿げ上がり、引き締まった体躯をした五十代の男性であり、血色の悪い顔には皺があった。それは注目に値する顔だった。顎のラインは長く、口はやや厳しい形をしていた。高遠な額、水平に位置する黒い眉、垂れ下がった大きな鼻は、やや突き出した鋭い両眼に挟まれていた。

 彼らはシュタイン邸内にある、白い羽目板張りの図書室で座っていた。高い窓は庭園に向けて開かれ、五月も下旬、今が盛りの木蓮により、生温い大気は芳しい香気に満たされていた。

 背を丸めて椅子に座っている彼は、心ここに在らぬ様子で口元を象牙色のペーパーナイフで軽く叩いていた。彼は再び語り出したが、それは静かに思いにふけりつつ、己の思考をそのまま声に出しているかのようだった。「その少年が生き残っていたならば、物事はどれほど違っていただろうな!ボナパルトがルイ十八世を国王に擁立する事はないだろうが、国民感情に逆らえず、ルイ十七世を国王に擁立する役を務めるように迫られていたかもしれない。タンプル塔の孤児みなしご。悔恨からの反動状態にある国民感情の集約点として、これ以上のものはあるまいな!」彼は幾分、底意地の悪い微笑を浮かべた。「かつては私も夢に描いて…」彼は突然言葉を切った。「だが、夢などに何の意味がある?政治を担う者の責務は常に現実と共にあり、目の前には現実が……」彼は言いかけたまま肩をすくめた。「そのフランス人の名前は何といったね?」

 フォン・エンセは説明し、フォン・シュタインはそれを書き留めた。「フラウエンフェルトには、すぐに手紙を書こう。君の友人、ムッシュー・ド・ラサールは、今日にでも自由の身になるはずだ」

 これで差し当たりの問題は片付いた。だが一週間ほどが過ぎてから、フォン・エンセが再び首相と同席する機会を得た際に、シュタインは突然、彼に尋ねた。「君の友人ラサールだが、彼は未だベルリンにいるのかね?」

「はい、閣下」

 シュタインはためらっているように見えた。彼は顎に手をやり、考え込んでいた。それからそっけなく告げた。「彼と話してみたいのだが」

「彼も大変名誉に思う事でしょう。面談の日程は、どのようにいたしましょうか?」

 首相の返答はなかった。彼はライティングテーブルに向かうと、其処に座り、そして引出から子牛革ベラムで装丁した非常に薄い本を一冊取り出した。「ここに、かつて私に夢を見させた原稿がある。フランス王国第一王女マダム・ロワイヤル、現在はアングレーム公妃となった、あの不運な少年ルイ十七世の姉が記した回想録メモワールの写しだ。これは彼女がタンプル塔で過ごした最後の週に書かれ、あの塔内における幽閉生活の全貌が記録されている。その後、彼女が流浪の身にある叔父のルイ十八世と共にミタウに滞在していた時期に、ロシアの密偵がそれを見る機会を得て、更に写しをとった。しばらく経ってから、その男は私のエージェントの一人にくだんの写しを売ったのだ。私はこれを、歴史的な重要性を持った知的好奇心の対象と見なしてきた。これが、いつの日か政治的に利用できるとは考えもしなかった。現時点においては、ムッシュー・ド・ラサールの物語を裏付けるのに利用できるという側面が興味の対象だが。彼に問い質す事によって、より多くの情報を、この回想録メモワールの記述を補足できるようなものを提供してもらえるかもしれない。それを終えてから、恐らく私は何らかの提案をするだろう。私が彼という人物を、慎重で、抜目なく、勇敢であると判断した場合に限るが。明日10時に、彼を私の許に連れて来てくれたまえ」

 フォン・エンセは早速使いの役目を果し、そして時間通りに翌朝10時、彼の被保護者を首相に引き合わせた。

 男爵フライヘアフォン・ウント・ツム・シュタインは自宅の図書室で彼らを迎え、銀のインクスタンドと昨日見せた子牛革ベラム装丁の本以外は何も置かれていないマホガニーの大きなライティングテーブルを前にして、高い背もたれの付いた肘掛け椅子に座っていた。しばしの間、彼の厳しく刺すような凝視が訪問者のやや風変わりな容貌を検分し、その青白く落ち着いた、輝きを放つ力強い両目と、豊かな黒髪の中にある奇妙な白い房に思いを巡らし、その衣装の落着いた品の良さについて考察した。そしてようやく、訪問者の顔に光の当たる位置に据えられた椅子を示した。

「どうぞ座りたまえ。君もだ、カール。同席してくれたまえ」

 それから、机上に置かれた肘と手によって部分的に顔が隠された状態で、首相は流暢なフランス語による自己紹介をした。

 ルイ十六世の不運な息子がフランスから脱出した際にラサールが果たした役割が、彼の興味を喚起した事を述べてから、首相はタンプル刑務所に関する詳細な質問に入った。その構造、塔内の配置、監禁中のルイ十七世の取り扱い、そして王の脱出及び替え玉とのすり替えに用いた策の詳細。それぞれの質問に対してラサールは、落着いた様子で、即座に、きっぱりと、そして細大漏らさず回答した。

 最後に彼は尋ねられた。「君は正確な日付を覚えているだろうか、君が話してくれた、かの君主が塔から逃亡した日を?」

「完全に。我が人生における、忘れ難い日付の一つです。あれは1794年1月19日でした」

 シュタインは頷いた。「うむ。一致している。その日のマダム・ロワイヤルは、弟が連れ去られようとしているという印象を抱いた。彼女は、自身とマダム・エリザベートが階下に聞いた、人の出入りする物音を根拠として、そのような印象を持つに至った。彼女は後日、その物音はシモン夫妻の退去によって生じたものであり、彼女の弟は十八ヶ月後に死亡するまで独房内に留まっていたと知らされた。そのように彼女は記録している」彼はラサールの確固たる眼差しが投げかける問いに答えて説明した。「だが、それは単に他者から聞かされた話を書き記したに過ぎず、彼女自身が直接目や耳にした事実に基づいていないのは明白だ。94年1月の、問題の日の騒音を最後に、彼女自身が記している通り、下の部屋からの物音は一切聞こえなくなった。その時までは、彼女の弟が遊び歌う様子は、毎日マダム・ロワイヤルの耳に届いていた。彼女が一切、これらの事実を挙げていないのは妙だ。ここには演繹的推理を用いる必要がある、私はそう考える。この静寂は、君が話してくれた聾唖の替え玉と完全に合致している」

 彼は95年夏のフランスからの逃亡に関する質問に移り、ラサールの答えによって全ての経緯を聞き出した。

 それからフォン・シュタインは熟考による長い沈黙に陥ったが、その静寂は突然、更なる質問を発する彼自身の鋭利かつ耳障りな声で破られた。

「ムッシュー・ド・ラサール、フランスの正統な王に対する君の忠誠心は、変わる事なく続いている、そしてブルボン王朝復活の計画に熱意を持ち、熱情すら持って協力してくれる、そう考えても良いだろうか?」

「ざっくばらんにお話しいたしますが、閣下、政治に対する興味は、フォン・エンセ議員の伯父上を埋葬した日に死にました。その時から今まで、自分の利益になる事だけに専心してまいりました」

「だが、上手くやりおおせているようには見えない。そしてどう見ても、価値ある人生ではない」

「閣下、人は誰も、己に可能な範囲のやり方で生きているのです。言い換えれば、それ以外にどうしようもない限界の中で」

「私は君に対して、もっと価値のあるものを提供できる。君の冒険心と魂にとって」

「それは御親切に、閣下。充分な報酬がいただける仕事ならば、喜んでお引き受けします」

「他に条件はないのかね?」その問いは鋭いものだった。

「それ以外に付けるべき価値のある条件を知りませんので、閣下」

「よろしい。それについては保証しよう」フォン・シュタインは椅子に深く座ると、指先を合わせてきちんと据え、それからゆっくりと、そして明瞭に語り出し、驚くべき提案を行なった。

「君も同意すると思うが、自らをフランスの帝位に就けた、あのコルシカ人によって、欧州全土は悪夢の渦中にある。奴の恐るべき野心は世界を修羅の巷と化したが、その中でも、私の祖国より酷い苦しみを味わう事になった国家は他にあるまい。ナポレオン信奉者ボナパルティスト以外の真っ当な考えを持つ全ての人間は、この荒廃の終わりを思って溜息を吐き、祈り、そしてこの状態を終結させる為であれば、如何なる手段も正当化されると考えている。如何なる手段もだ。フランス国民ですら、あの男の独裁体制による苦しみで怨嗟の声を上げ始めている。奴が要求する犠牲、奴が栄光と呼ぶものを追い求める過程で作り出される大量の孤児と未亡人たちによって、フランス人はボナパルトという男を、自分たちが自由の名の下に犯した罪に対して、神が与えたもうた罰と見なし始めている。はっきりと言おう、フランスはあの暴政に疲弊しつつある」彼は挑むような態度でそう言うと、ラサールがそれに応じるのを待つかのように、ひと呼吸おいた。

「お言葉を返すようですが、閣下」彼は静かに答えた。「フランス人はまだ、ボナパルトの代わりにルイ十八世を受け入れるほど疲弊し切ってはいません」

「残念ながら、それは事実だ。そして君は、今まさに、ブルボン王朝復活の主たる障害を指摘したという訳だ。人々の同情心を掻き立てたり、己の意志に従わせるような器量を持たないブルボン家の現当主に対して、ボナパルトは無関心であるか侮っているかだ。しかし、あの国を構成している感情的でヒステリックな人々――こう表現する事を許してくれたまえ、ムッシュー・ド・ラサール――が興味を引かれるようなロマンチックな人物、受難像の如き姿で思い描かれ、虐待から死に至ったと噂される王子ならば、彼らの良心をわずかなりと揺さぶる事が可能かも知れず、故に彼の再出現は安堵をもたらし、無残な過ちを正す願望を喚起するだろう。彼があのコルシカ人に匹敵する、大規模で熱狂的な崇拝者を獲得するのは難しくはないであろうし、それが成れば、ボナパルトを徐々に弱体化するのも不可能ではない。よしんば速やかな現政権転覆が成らなかったとしても、彼の存在によって、フランス本国には大きな政治的混乱が引き起こされるのは必定、その結果として、欧州は侵略戦争からの休息を得る事ができる。この上、更に版図を広げんとするボナパルトの野心に抗する態勢を整える為の、猶予を持てるのだ。私の計画に加わってはくれまいか、ムッシュー・ド・ラサール」

「閣下、そのお考えには全面的に賛同いたします。しかし残念ながら、あの湖で起きた事故は取り返しがつきません」

 かすかな微笑で首相の唇が引かれた。「彼は溺死してなどいなかった、と考えてみたまえ。彼はプロイセン、オーストリア、あるいはロシアに無事辿り着き、そして今、再び姿を現したのだと――あのタンプル塔の孤児みなしごが――己の正当な権利を主張する為にね、そう考えてみてはどうだね?」

「しかし、そう考える為には…」ラサールは突然言葉を切った。彼は男爵フライヘアの奇妙な発言に含まれた重大な意味を悟った。「わかりました。しかし、ルイ十七世役を準備するには……。エルバゴー10が98年にその詐欺を働いて以来、今までに、一体、何人の偽者が現れたでしょうか?」

「数え切れぬほど。だが、その役を演じ通すのを可能にする為に必要な知識を有した者は、一人としていなかった。誰も持ち得なかったのだよ、ムッシュー・ド・ラサール、君と私が握っているような知識はね」彼は象牙色の人差し指で子牛革ベラム装丁の本を叩いた。「エルバゴーとそれに続く者たちのような、無知であるか説得力を欠いた、お粗末な王位狙いが成し得たものは、適切な準備を整えた候補者ならば何を成せるかを測るのに充分だ」

 彼は身を乗り出し、その声音は活気づいた。「私が提案する仕事とはそれだ、ムッシュー・ド・ラサール。王の死の間際まで身近にあった故に得た詳細な知識によって、そして容易に旧交を温める事の可能な王党派との古いよしみによって、これは君だけに可能な仕事なのだよ。

「話を先に進める前に、質問しておきたい事がある。全人類に対する貢献であり、君個人にとっての幸運の源となる事業に、着手する心構えはあるかね?」

 ラサールは、あまりにも皮肉めいたやり口で誘われた詐欺の重大性に、自分は面食らい、憤慨すらしていると、言わずもがなの事を述べた。外見上は図り難い無表情を保ちながらも、彼は心中で何と言って断るべきかを考えていた。だが、拒絶を口にする前に、彼は一つの質問を発した。

「閣下、我々が肉屋の息子を、あるいはパン屋か仕立屋の息子を、フランスの王座に据えるのに成功するとお考えなのですか?其処に彼を置き残す事は、可能でしょうか?」

 男爵フライヘアフォン・シュタインの内面に刻み込まれた貴族主義は、その想定に対し露骨な嫌悪を示した。「とんでもない。偽者を用意する目的は、このような詐欺を永続させる為ではなく、単に現在の血に飢えた簒奪者の足をすくう道具として利用する為だ。一度ひとたび、我々のブルボン革命が達成されたならば、まがい物の操り人形を退場させて、正統な王を連れて来る。必然的展開だ」

 確かに、これならば問題は違ってくる。だがラサールの白い顔は、首相の探るような視線に対して未だ無表情なままだった。彼は更にもう一つの質問をした。

「その役を演じる男は?既にその人物を見つけ出したのですか?」

「まだ該当者を探してはいない。それについては、同様に君の手助けが必要だ」

「彼は黄色い髪に青い目、血色の良い肌、アーチ形の眉、ふっくらとした唇、小さい鼻、顎にはえくぼがあります。背が高いとは思いません。あの少年は、年齢の割に背が低かった。そして肉付きは良い方、あるいは肥満型かも。ブルボンは肉付きの良い血統ですから」

「それは、君の答えと受け取って良いのかね、ムッシュー・ド・ラサール?」

 ラサールは、より明瞭な覚醒状態に己を奮い起こそうとしているかのようだった。彼は物憂げな笑みを浮かべたが、その中にはこの年月の間にいつしか混入した、ある種の狡猾さが含まれていた。「これは性急に着手できるような計画ではありません、閣下。少し考える時間をいただけませんか」

「よろしいとも。そして、これを役立ててくれたまえ」彼はラサールに、子牛革ベラム装丁の回想録メモワールを差し出した。「それを持ち帰って熟読するのだ。その中にある詳細な記述が、君の持つ知識に極めて重要な情報を加えてくれるだろう。それから再度、私の許で話をしようではないか」

 ラサールが再びやって来たのは三日後の事であり、彼は今回もまた、この会見の静かな立会人を務めるフォン・エンセに同伴されていた。一枚の絵が入った書類入れを持参したラサールは、それをフォン・シュタインの前に置いた。

「閣下、これは計画に相応しい男を捜す助けになるはずです、外見に関する限りですが」

 その絵には、天使のような顔が描かれていた。それはクシャルスキの筆になる有名な肖像画と非常に似ており、二つを並べて見た人間は、両方ともが同じ作者によるものと判断したかもしれない。

 フォン・シュタインは腕を真っ直ぐ伸ばしてそれを持ち、もっと良い光の中で検分する為に立ち上がった。「これは君が描いたのか?」

「はい、閣下」

「私は芸術的価値について論評するつもりはない。だが、この絵は私にとって明らかに役立ってくれそうだ」

「既に御説明申し上げましたが」とフォン・エンセが言った。「ムッシュー・ド・ラサールは画家なのです」

「自分自身の選択した職業はそうです」とラサールが言った。「ですが必要に迫られて、それ以外の様々な職をこなしております」

 フォン・シュタインは頷いた。「これは記憶だけを元に描いたのか?」

「ほとんどは。しかし、驚くような事ではありません。この肖像画は、かつて非常に気を入れて描き、更に何枚も複製を作ったものなので、十五年経っても忘れる事はできませんでした。その上、自分の画帳を未だ保存しておりますので。その中の一つには、閣下にお話しした例の日に、タンプル塔内で描いたスケッチがあるのです」

 フォン・シュタインは肖像画を置くと、ラサールの目を見つめた。「これは、君が計画に加わる覚悟ができているという意思表示かね」

 ラサールは軽く一礼した。「閣下の御為に、問題の役を演じられる男を探し出すのに必要なものは、全て提供いたします」

「必ず適任の者を見つけるぞ。安心して任せたまえ。君の言う通り、これは我々の捜索の助けになるだろう」そう言って引き結んだ薄い唇は、例えヨーロッパ全土を虱潰しに探し回る事になろうとも、必ずや目的に適う人材を見つけ出すと確約しているように見えた。

 後世の我々にも良く知られる、男爵フライヘアフォン・ウント・ツム・シュタインの人物像から判断すれば、彼が断固として目的の人材を探し出したであろうという事には疑いの余地はない。彼に行動の自由が許されていたならば、であるが。だが、五日後のある晩、蒼白になり、動揺した様子のフォン・エンセは、酷いニュースを土産にラサールの宿を訪れた。偉大なプロイセン首相は、フーシェのスパイ活動の巨大な蜘蛛の巣に絡めとられた。彼の密使は途中で捕えられ、秘密同盟を示す文言が含まれた、プロイセンが力を強めつつある現状を誇示した内容のスペインに宛てた親書11が奪われてしまったのである。プロイセン王に対しては、フォン・シュタインのフランス司法への引き渡しが要求されており、そしてフォン・シュタインは既に祖国から脱出していた。もしもナポレオンの手に落ちれば、彼の死は確実である。フォン・エンセ自身も荷物をまとめていた。このまま留まって、フォン・シュタインの陰謀に占めていた役割が明るみに出た場合、恐らく彼は銃殺隊に直面しなければならないだろう。

 そして途方もなく莫大な報酬が待ち受けているように思えていたラサールが手に入れた唯一の褒美は、マリー=テレーズ・シャルロット・ド・フランス、現アングレーム公妃によって書かれた回想録メモワールの、子牛革ベラム装丁の写本だけだった。


  1. ナポレオン・ボナパルト(1769年8月15日 1821年5月5日)
    コルシカ島の貧乏貴族の息子として生まれ、フランス革命戦争の動乱期に天才的な軍事指導者・政治家として出世を遂げた。クーデターにより総裁政府から政権を奪取、執政政府の第一執政として事実上の独裁権を握った後、1804年に「フランス人民の皇帝」に即位した。 

  2. チャールズ世(1630年5月29日 1685年2月6日)
    清教徒革命により斬首刑に処されたチャールズ世の息子。革命勃発前の1646年に英国を脱出し亡命生活を送る。クロムウェルの死後に復古王政の国王として帰国。イングランド及びスコットランド、アイルランド王として即位した(在位1660年5月29日 1685年2月6日)。 

  3. アルベマール公ジョージ・マンク(1608年12月6日 1670年1月3日)
    イングランドの貴族・軍人。イングランド共和国末期の混乱を収拾し、王政復古を実現させた功によりアルベマール公爵に叙された。 

  4. フランスを起源とするカード賭博。複数のプレーヤーがバンカーの引くカードを当てるもの。 

  5. ポーランド軽騎兵。ランス、サーベルや小銃などを装備した。 

  6. ナポレオン戦争中の1807年7月に、東プロイセンのネマン川沿いの町ティルジットで結ばれた講和条約。この和約によりプロイセンは大きく国力を削がれ、フランスとロシアとの間には協調関係が成立した。 

  7. フリードリヒ・ヴィルヘルム世(1770年8月3日 1840年6月7日)
    プロイセン国王(在位1797年11月16日 1840年6月7日)。浪費や猟色とは無縁の質素で家庭的な王であり、消極的な性格で軍事面の才能にも欠けていたが、宮廷には多数の有能な人材が集った。 

  8. ハインリヒ・フリードリヒ・カール・フォン・ウント・ツム・シュタイン(1757年10月25日 1831年6月29日)
    プロイセン王国首相(在任1807年10月 1808年11月)。ティルジットの和約以後、領土・人民ともに半減し国力の衰えたプロイセン復興の為に、農奴制廃止、土地売買の自由、職業選択の自由等の徹底的な改革を断行。更に都市条例による市民自治の導入、営業の自由、軍制改革、行政機構改革、教育改革等、プロイセン王国の近代化を推し進めた。 

  9. 1806年10月14日、ドイツのテューリンゲン、イエナおよびアウエルシュタットにおいて、フランス帝国軍とプロイセン王国軍の間で戦闘が行なわれた。ナポレオン自ら主力を率いてあたったイエナにおいては、プロイセン軍を壊滅状態まで追い込む完全勝利を収めた。同じ頃、アウエルシュタットの戦いにおいては、ダヴー元帥率いる第三軍団が兵数二倍のプロイセン軍を相手取って二倍の損害を与えるという、世界史においても稀な勝利を収めている。この戦いにおける大敗の結果、プロイセン全土がフランス軍に制圧された。 

  10. ジャン=マリー・エルバゴーはノルマンディーの仕立屋の息子であり、1796年9月に家を出て以降、詐欺行為を働きながら各地を転々とし、数回の投獄を経験した末に「タンプル塔から脱出し潜伏していたルイ十七世」を詐称して世を騒がせた。マトゥラン・ブリュノー、バロン・ド・リシュモン、カール・ヴィルヘルム・ナウンドルフ等、その後数多く出現する「偽王太子」の第一号と言われている。 

  11. プロイセン王国首相フォン・シュタインは、表面的にはナポレオンに従いつつも水面下ではオーストリアと連携し、北ドイツの民衆蜂起及び期を同じくしたスペインの蜂起を画策していた。しかし1808年8月、スペイン宛の密書がフランス帝国の手に渡り、フランス政府の官報『モニトウール・ユニヴェルセル』に全文転載される。ナポレオンから「フランス及びライン連合の敵」と宣言されたフォン・シュタインは国外逃亡を余儀なくされた。 

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