トムと波止場の大砲

訳者まえがき

 本書はトマス・ベイリー・オルドリッチが自分の少年期をモデルにして書いた半自伝的なユーモア小説『The Story of a Bad Boy』の日本語訳です。全章を省略せず完訳したものとしては、おそらく本邦初となります。

 原著は一八六九年に刊行され、たちまちのうちに版を重ねるヒット作になったばかりか、『トム・ソーヤの冒険』に代表される「十九世紀アメリカ不良少年モノ」というジャンルの開祖となりました。

 本書の主人公のトム・ベイリー少年はアメリカにおいて「もう一人のトム」として知られ、今なお広く読まれているそうです。ジャンル開祖の方が「もう一人の~」と二番手に位置付けられているのは、やや残念な気がします。(ところで、『The Story of a Bad Boy』のヒットを見るや『トム・ソーヤの冒険』を書き、『タイム・マシン』のヒットを見るや『アーサー王宮廷のヤンキー』を書いたマーク・トウェインという作家に対する私の印象が変わってしまったのは内緒にしておきましょう)。

 『トム・ソーヤ』が一本の物語であるのに対して、ベイリーの半自伝である『The Story of a Bad Boy』は基本的に独立したエピソードの積み重ねです。
 本書の主人公の方のトムは11歳くらいのとき、アメリカ合衆国北部、ニューイングランドのリバーマスという架空の町(モデルはニューハンプシャー州ポーツマス)に転校します。物語はトムがリバーマスで過ごした三年半を描いたもので、不良というほどでもないが、少なくとも天使のようにお行儀の良い子供ではなかったトムは、リバーマスでさまざまな騒動を引き起こし、冒険をし、イタズラをやらかします。
 南部の少年を描いたトム・ソーヤに対して北部の少年を描いたのが本書だと言えます。これは、それぞれの作者が自分の少年期をモデルにしたからでしょう。

 そしてトム・ベイリー少年は物語の終盤に手厳しい失恋をし、それまでの明るい気質をすべて捨てて、世界から関わりを断とうとする世捨て人同然となってしまいます。

 この、失恋とえんせいのくだりが健全な少年向け小説には不適だと日本では考えられたのか、調べた限りでは過去の邦訳において、これらの章を完全に訳しているものは存在しませんでした。

 自分が少年時代に読んだのは抄訳かつ翻案だった——これは少年少女向けに刊行された本ではめずらしくないことですが——ともあれそれが、英語を苦手としている私が苦労して原著を読み始めた理由であり、こうして電子書籍にして刊行する理由です。世の評価が「もう一人のトム」であろうとなかろうと、少年期の私にとってこの物語は『トム・ソーヤ』以上に好きな作品でした(あえて言えば私が読んだのは『少年少女世界の名作文学 18 アメリカ編』(小学館)に収録された「わんぱく少年物語」(森いたる・文)です)。原著をあらためて読み返して、訳されてない部分を徹底的に訳して、いま再び日本でも読まれるべき小説だと思いました。失恋とえんせいのくだりはもちろん、他にも日本人には理解しにくいという理由で省かれたのであろう小ネタも。やや難しい知識(それは十九世紀アメリカの少年には普通の知識だったのかもしれない)を要するため省かれたのであろう部分も。

 タイトルについて。直訳すれば「一人の悪い少年の物語」。過去の邦訳では『悪童物語』または『わんぱく少年』と訳されることが多かったようです。しかし、「悪童物語」ではなんだか古臭い感じがするし「わんぱく少年」では幼稚すぎて読む気がしないと思いました。実際、少年時代の私は
「こんなタイトルじゃ、きっとつまんないだろう」
と思って、最初この物語をスルーしたのでした。そして、他に読むものが無いから仕方なく読み始めて、スルーしたのを後悔したほどその面白さにとりつかれてしまいました。

 そういう理由で、あえて原タイトルから大きくはなれ『トムと波止場の大砲』というタイトルにしました。トムたちがやったイタズラを代表するエピソードを元にしてつけたもので、このタイトルでトムが少なくともお行儀の良い子供じゃなさそうなことと、物語に少年の心を面白がらせるような冒険が含まれていることが暗示できたのではないかと思います。

 なお、本書には少年の飲酒や喫煙のシーンがあります。このふたつは十九世紀のアメリカ合衆国ニューイングランド地方では違法でなかったことと、原作を尊重してそのままにしました。また、差別用語および、差別用語ともとれる言葉に関しては物語上どうしても必要な一ヶ所だけを残し、それ以外の場所では表現を改めました。なお、トムやその仲間のやらかした(当時であっても法に触れる)イタズラは、もちろんそのままです。

 それでは、物語をお楽しみください。大丈夫、生まれてこのかたイタズラをしたことがないという異常者じゃないかぎり、きっと楽しめますとも!

トムと波止場の砲台

原題:The Story of a Bad Boy

トマス・ベイリー・オルドリッチ / 桝田道也訳



底本



Arthur : Aldrich, Thomas Bailey
Original text is a public domain.
Translated by MASUDA mitiya.Copyright 2013.
Illustrations by MASUDA mitiya.Copyright 2013.

オリジナルテキストの著作権は消滅しており、パブリック・ドメインです。
訳文・表紙・挿絵・一部の図版など、この翻訳版のため創意が新たに加えられた部分の著作権は桝田道也が有します。

第一章 ぼくという人間について

 これは不良少年の話——いや、不良少年というほどひどくはない。しかし、悪ガキにはちがいない——そういう少年の話だ。そう、ぼくの知る限り。なぜならその少年とはぼく自身のことだからだ。
 おっと、不良少年の話と聞いて、読者が誤解するといけない。この物語にはどこにも暗~い罪の告白などない。安心して読み進んでくれたまえ。

 少なくともぼくは、若い少年たちの中にはたしかに存在する、智天使ケ ル ビ ムのような人間ではなかった。さきほど不良少年の話だと言ったのも
「良い子ではなかった」
という程度の話だ。
 実際の話、ぼくは偽善者ではなく、神に祝福された食欲を持ってた以外は、すなおで感じの良い少年だった。
 ぼくは天使になりたいと望まなかったし、天使のそばにいたくもなかった。聖書が欲しいとも思わなかった。ワイバード・ホーキンス牧師のくれた伝道のパンフレットはロビンソン・クルーソーの半分ほども面白くなかった。
 ぼくはおこづかいを、たった数セントで救える命のためにフィジー諸島の住民に送ったりしなかった。そして罪悪感を抱くこともなく、はっかのドロップスとタフィーキャンディにつぎ込んだ。
 ようするに、ぼくはニューイングランドのどこにでもいた、普通の少年だった。干からびたオレンジのような、孝行少年の物語の主人公ではなかったってこと。

 とにかく、最初から始めよう。

 学校に新入生があると、決まってこういうのが口ぐせだった。
「やあ!ぼくはトム・ベイリーだ。きみの名前は?」
もし名前が気に入れば、その新しいクラスメートと心からの握手をかわした。でも、そうでなかったら、回れ右をした。この点において、ぼくは気難しい人間だった。
 ヒギンズ、ウィギンス、スプリッギンスなんて名前の響きにぼくの耳は耐えられなかった。逆に、ラングドン、ウォーレス、ブレイクなどという名前は、ぼくから信頼と尊重を受け取るパスワードだった。
 ああ、そのころの親友たちはもうみんないいオッサンだ。商人、艦長、軍人、作家……。みんな、様々な何者かになった。

 フィル・アダムズ(特に良い名前だ!)は上海シヤンハイの領事になった。もっとも、彼の場合は弁髪にするのにわざわざひたいを剃る必要はなかったと思うけど。
 結婚したと聞いた。彼は奥さん——ミセス・ワンワンだかなんだか——と、鐘のある空色の塔で小さな湯のみでお茶でも飲みつつ、幸せに過ごしてるだろう。
 つまり、ぼくにとってフィルが清国の高級官僚になったなんてことは、宝石をちりばめた服を着ていんちきな中国語をしゃべってるというだけのことにすぎず、どこにいようと心の友であることに変わりはない。
 ホイットコムは賢く、落ち着いた裁判官になった。その昔に「胡椒顔《ペッパー》・ホイットコム」というアダ名をつけられる理由になった、あのそばかすだらけの高い鼻にメガネをかけてることだろう。あのチビのペッパー・ホイットコムがいまや裁判官だなんて!法廷に行って
「ペッパー
と歌ったら、あいつ、どんな顔をするだろう?
 そこらの野草から最高に美味いジュースを作ることの出来たフレッド・ラングドンは、今ではカリフォルニアでワインを作っている。
 ビニー・ウォーレスは南墓地で眠っている。その昔、あばずれヶ丘の大雪合戦でぼくらを指揮したジャック・ハリスもだ。
 壊滅寸前のポトマック軍の救援に向かうハリスの連隊を見たのは昨日だっただろうか?いや、ちがう。六年前のことだ。
 南北戦争におけるセブンパインズの戦いで、勇敢なジャック・ハリスは反乱軍(南軍)の要塞へ突入していった。戦友たちは戦闘終了後、弾幕の向こう側に横たわるジャックを見て、彼が一度も手綱を引かなかったことを知った。
 みんなあちこちに行った。結婚したやつもいれば、死んだ人間もいる。ぼくたちは、なんと、バラバラになってしまったのだろう。リバーマスのテンプル文法学校の同級生たちは、みな、なにものになったのだろう?

「すべて——すべては過ぎ去っていくさだめなのだ、なつかしきわが友たちよ!」

 目をつぶればすぐに過去はぼくをとり囲む。こうして彼らを呼び戻すぼくを、怒ったりはしないだろう。心の中で再生される思い出のなんと楽しいことか。そして不思議なことに、思い出補正はぼくの宿敵・コンウェイさえも、なんというか、輝く赤毛の少年だったように幻惑させるのだ。

 では、小学校時代のぼくのやり方どおりに始めよう。
「ぼくはトム・ベイリー。きみは?」
おっと、親愛なる読者どの。きみはウィギンスでもスプリッギンスでもないね?うん、それじゃあ、よろしく。ぼくたちはきっと親友になれると思うよ。

桝田道也
作家:トマス・ベイリー・オルドリッチ/桝田道也 訳
トムと波止場の大砲
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