トムと波止場の大砲

第一章 ぼくという人間について

 これは不良少年の話——いや、不良少年というほどひどくはない。しかし、悪ガキにはちがいない——そういう少年の話だ。そう、ぼくの知る限り。なぜならその少年とはぼく自身のことだからだ。
 おっと、不良少年の話と聞いて、読者が誤解するといけない。この物語にはどこにも暗~い罪の告白などない。安心して読み進んでくれたまえ。

 少なくともぼくは、若い少年たちの中にはたしかに存在する、智天使ケ ル ビ ムのような人間ではなかった。さきほど不良少年の話だと言ったのも
「良い子ではなかった」
という程度の話だ。
 実際の話、ぼくは偽善者ではなく、神に祝福された食欲を持ってた以外は、すなおで感じの良い少年だった。
 ぼくは天使になりたいと望まなかったし、天使のそばにいたくもなかった。聖書が欲しいとも思わなかった。ワイバード・ホーキンス牧師のくれた伝道のパンフレットはロビンソン・クルーソーの半分ほども面白くなかった。
 ぼくはおこづかいを、たった数セントで救える命のためにフィジー諸島の住民に送ったりしなかった。そして罪悪感を抱くこともなく、はっかのドロップスとタフィーキャンディにつぎ込んだ。
 ようするに、ぼくはニューイングランドのどこにでもいた、普通の少年だった。干からびたオレンジのような、孝行少年の物語の主人公ではなかったってこと。

 とにかく、最初から始めよう。

 学校に新入生があると、決まってこういうのが口ぐせだった。
「やあ!ぼくはトム・ベイリーだ。きみの名前は?」
もし名前が気に入れば、その新しいクラスメートと心からの握手をかわした。でも、そうでなかったら、回れ右をした。この点において、ぼくは気難しい人間だった。
 ヒギンズ、ウィギンス、スプリッギンスなんて名前の響きにぼくの耳は耐えられなかった。逆に、ラングドン、ウォーレス、ブレイクなどという名前は、ぼくから信頼と尊重を受け取るパスワードだった。
 ああ、そのころの親友たちはもうみんないいオッサンだ。商人、艦長、軍人、作家……。みんな、様々な何者かになった。

 フィル・アダムズ(特に良い名前だ!)は上海シヤンハイの領事になった。もっとも、彼の場合は弁髪にするのにわざわざひたいを剃る必要はなかったと思うけど。
 結婚したと聞いた。彼は奥さん——ミセス・ワンワンだかなんだか——と、鐘のある空色の塔で小さな湯のみでお茶でも飲みつつ、幸せに過ごしてるだろう。
 つまり、ぼくにとってフィルが清国の高級官僚になったなんてことは、宝石をちりばめた服を着ていんちきな中国語をしゃべってるというだけのことにすぎず、どこにいようと心の友であることに変わりはない。
 ホイットコムは賢く、落ち着いた裁判官になった。その昔に「胡椒顔《ペッパー》・ホイットコム」というアダ名をつけられる理由になった、あのそばかすだらけの高い鼻にメガネをかけてることだろう。あのチビのペッパー・ホイットコムがいまや裁判官だなんて!法廷に行って
「ペッパー
と歌ったら、あいつ、どんな顔をするだろう?
 そこらの野草から最高に美味いジュースを作ることの出来たフレッド・ラングドンは、今ではカリフォルニアでワインを作っている。
 ビニー・ウォーレスは南墓地で眠っている。その昔、あばずれヶ丘の大雪合戦でぼくらを指揮したジャック・ハリスもだ。
 壊滅寸前のポトマック軍の救援に向かうハリスの連隊を見たのは昨日だっただろうか?いや、ちがう。六年前のことだ。
 南北戦争におけるセブンパインズの戦いで、勇敢なジャック・ハリスは反乱軍(南軍)の要塞へ突入していった。戦友たちは戦闘終了後、弾幕の向こう側に横たわるジャックを見て、彼が一度も手綱を引かなかったことを知った。
 みんなあちこちに行った。結婚したやつもいれば、死んだ人間もいる。ぼくたちは、なんと、バラバラになってしまったのだろう。リバーマスのテンプル文法学校の同級生たちは、みな、なにものになったのだろう?

「すべて——すべては過ぎ去っていくさだめなのだ、なつかしきわが友たちよ!」

 目をつぶればすぐに過去はぼくをとり囲む。こうして彼らを呼び戻すぼくを、怒ったりはしないだろう。心の中で再生される思い出のなんと楽しいことか。そして不思議なことに、思い出補正はぼくの宿敵・コンウェイさえも、なんというか、輝く赤毛の少年だったように幻惑させるのだ。

 では、小学校時代のぼくのやり方どおりに始めよう。
「ぼくはトム・ベイリー。きみは?」
おっと、親愛なる読者どの。きみはウィギンスでもスプリッギンスでもないね?うん、それじゃあ、よろしく。ぼくたちはきっと親友になれると思うよ。

第二章 ぼくのゆかいな偏見について

 ぼくはリバーマスという北部の町で生まれた。だけど、この美しいニューイングランド地方の町について知る前に、両親とともに南部のニューオーリンズへ移ってきたので、何も覚えていない。
 父はこの南部で銀行を始めたのだった。もっとも父はそこから自分のお金を取り出すことはできなかったのだけど——そのことについては、またあとで話そう。

 南部へ来たとき、ぼくはまだ一歳半だったので、故郷について何か思うところは何も無かった(あたりまえだ)。
 しかし、父が教育のためにぼくを北部へ転校させると言ったとき、ぼくの中には北部への偏見が育っていた。だから、それを聞いた瞬間、思わずいっしょに遊んでいた、ちびころのサムをけっとばし、リビングの真ん中で地団太をふんで
「ヤンキーだらけの北部になんか絶対行くもんか!」
と涙ながらに宣言した。

 きみは、ぼくが「南部の偏見に染まった北部出身者」だと思うかい?うん、その通り。ぼくにはニューイングランドの思い出が全くなかった。
 ぼくの人生最初期の思い出は南部に始まる。ぼくのうちでメイドをしていた黒人のクロエおばさん(本業は看護婦だ)に、石灰石造りのぼくの白い家と手入れされてない庭、広いベランダの向こうのオレンジの木々、さらにイチジク・モクレンと続き、そこが道路との境界になっていた。
 ぼくは自分が北部で生まれたのを知っていたけど、それがバレないことをいつも願っていた。その不幸な生い立ちを、時間と距離に覆われて思い出せない何かだと見なしていた。
 北部出身者(ヤンキー)であることを決してクラスメートに明かさなかった。級友たちはヤンキーをものすごくバカにしていたからだ。だもんで、ぼくは自分がルイジアナ生まれか、せめて南北の境界線上の諸州で生まれた人間でなければならないと感じていた。

 そして、この印象がクロエおばさんによって強化された。あるときクロエは言った。
北部にはまともな人間なんて、ひとりもいませんですだ
この、推測を越えた断言は、ぼくをふるえあがらせたものだった。
「もし北部人たちがぼっちゃんをだましてわたすから引き離そうとするなら、このひょうたんで頭を叩き割ってやりますだ!」
 この哀れな生き物への刷り込み、クロエの想像する「意地悪な白人」のかもし出す悲惨な空気といったものが、このころのぼくの記憶の中でもっとも鮮明に思い出せる部分だ。

桝田道也
作家:トマス・ベイリー・オルドリッチ/桝田道也 訳
トムと波止場の大砲
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