トムと波止場の大砲

第三章 タイフーン号の三人男

 ボストンまでの航海については、それほど覚えていない。出航して数時間もしないうちに、ぼくは船に酔ってしまったからだ。

 ぼくたちの乗った船は『快速定期船タイフーン号』という名前だった。もっとも、その船が「快速」に走れるのは新聞広告の上だけらしかったけど。この定期船の出資金の25%は父の銀行から出ていたらしい。それが、ぼくたち一家がこの船に乗った理由だ。
 ぼくは父の所有する25%とやらが船のどこからどこまでかを真剣に考えた。最終的には丸い窓があって、たっぷり朝寝坊ができそうな二段ベッド(壁に釘付けされた棚か箱にしか見えない)のある、船の後方のキャビンのあたりがそれだろうと結論づけたのだった。なぜなら、そこがいちばん居心地がよかったからだ。

 航海のあいだ、甲板はいつもしっちゃかめっちゃかだった。船長は使い込んだトランペットを吹き鳴らして命令するのだけど、水夫たちはまるで言うことを聞こうとしない。顔を真っ赤にしてトランペットを吹くキャプテンは、まるでハロウィーンのかぼちゃランタンのよう。船長は
「おまえたちには船長に対してあってしかるべき尊敬がかけらも無い!」
と水夫たちをののしりつづけるのだけど、水夫たちはそれを気にしないばかりか、歌まで歌う始末だった。

ホイサッサァー
 ラム酒をまわせ
 フレー!フレー!おお、スペイン大海圏!

 ぼくはカリブ海を中心とした「スペイン大海圏」を悪いことだと思ってた。なぜなら、彼らは中南米の金銀宝石を略奪していたからだ。しかし、その歌の「フレー!」は明らかに「スペイン大海圏」にに向けられたものだった。
 少し悩んだけど、おそらく「フレー」に深い意味はなく単なる歓喜で、水夫たちは見た目どおり陽気でいい人たちなのだろうと結論づけた。
 事実、その通りだった。
 特に、あるひとりの風雨にさらされた水夫に、ぼくの眼は釘付けになった。青い目と王冠のようにきらめく灰色の髪をした陽気なガチムチ五十男の水夫。彼がタール塗りの防水帽を取ると、頭頂部は実にスムースというかなめらかというかシンプルだった。だれかから若いときに罰を受けたのだろうか?
 彼の赤褐色の表情には、なんだか魅力的なゆるさがあった。そのゆるさはいいかげんに結ばれた彼のネッカチーフにもよく現れていた。しかし、ぼくがなにより心をうばわれたのは、彼の左腕にあった素晴らしい絵だった。
 それはエメラルドグリーンの髪をピンクのくしでといている人魚の絵で、こんなきれいな絵は生まれてはじめて見た!と思ったほどだった。
 ぼくは、なんとしてでも、この水夫とと友達になろうと思った。ぼくの腕にこういう絵を描いてもらうためなら、大事な真鍮のピストルをあげてもいいと思ったくらいに。

 そんなふうに、ぼくがその美術品を賞賛しながら立っていたとき、ドイツ・ゴシック体でAJAXと書かれた外輪カバーをつけたずんぐりした蒸気船が、 ゼイゼイ言いながらタイフーン号の近くでモクモクと煙を吐きあげはじめた。
 そいつはこのぼくらの立派な船とくらべると、ばかげて小さいうぬぼれやのようで、ぼくはそいつがなにをしているのか気になった。数分後、水夫達はその小さな怪物をムチで打ち、
「ポッポー」
と悲鳴をあげさせながら、手際よく波止場から船を曳航させた。蒸気船はタグボートだったのだ。

 ミシシッピー河で、丸ぽちゃで黒ずんだ船首をしたタグボートがタイフーン号を引っ張るのを見ると、アリが自分の八倍から十倍ものチーズを運ぶ様子を思い起こさずにいられなかった。
 ミシシッピー河を下るあいだ、ぼくたちは景色を楽しんだ。河の流れはぼくたちを喜ばせた。河岸には無数の蒸気船に停留中の船、長く連なった倉庫が見えた。船はまるで翼で飛ぶようにスイスイと進んだ。ぼくたちが動いているのではなく、河岸の方がぼくたちから遠ざかっていくように見えたくらいだ。
 後方甲板からこの景色を見るのは良い気晴らしだった。しばらくのあいだ、見るべきものはなにもなかった。曲がりくねった湖沼群や、スペイン苔がびっしり生えて成長が止まった糸杉や、ワニや、サンショウウオのほかはなにも。
 イエロー・サンドバーのあたりでは、生きている流木たちが鮫のように水の中から鼻を出していた。
 ぼくがあたりを見回すと、
「これがニューオーリンズを見る最後のチャンスだよ。よく見ておきなさい」
と父が言った。
 ぼくは、ふりかえって、ニューオーリンズを見た。ニューオーリンズはもはや、ただ遠くにある灰色の塊だった。聖チャールズのホテルのドームだけが太陽を反射して少しだけキラキラ光っていたけど、それはもう、クロエおばさんの指貫の先端ほどの大きさも無かった。

 そのあとなにがあったんだっけ?そうだ、灰色の空と不機嫌なメキシコ湾。タグボートはタイフーン号を引いて進み、にくたらしいが来ると去っていった。たまらず、ぼくはさけんだ。
「こっちは運賃を払ってんだぞ!なにがタイフーンだ!このボロ船!」

 船はすました顔でぼくを無視した。船にもし口があれば
なるようになるのさケ・セラ・セラ、おお、スペイン大海圏!」
とでも歌っただろう。巨大な白い帆が大きく膨らむ様子はまるで七面鳥の丸焼きのようで、船酔いで食欲の無いぼくへの当てつけのように感じられた。ぼくは操舵室の近くの父によっかかって、子供特有の精密な知覚でそれらのものを観察していた。
 しばらくすると嵐と船酔いがおさまりはじめたので、ぼくたちは夕食をとるために下へ降りていった。
 新鮮な果物、ミルク、および冷たい鶏肉のスライスはとても美味しそうに見えた。が、ぼくはまだそれほど食欲が戻っていなかった。おまけに防水のためのタールの匂いが船のいたるところに漂っていて、これがさらに食欲を減退させた。
 船は食事中の人間なんかおかまいなしに突然揺れるものだから、フォークの行き先が口になったり目になったりという大問題も発生していた。テーブルの上のラックのワイングラスやタンブラーはチリンチリンと鳴りつづけ、金の鎖で吊るされたテーブルランプは少し落ち着けってくらいに揺れていた。床が上昇してきたかと思うと、次の瞬間、羽毛布団に乗ったときのように沈み込んでいくのだった。

 このとき食堂にはぼくたちを含めて十名くらいの乗客がいた。一時間半前に自分の部屋に戻ったハゲ頭の紳士(引退した船長で、トラック氏といった)以外の、ほぼ全員の乗客が集まっていたわけだ。
 夕食後に現れたその年配の紳士、すなわちキャプテン・トラック氏と父はチェッカーを始めた。この攻防は見ていて実に愉快なものだった。というのも、船がゆれるたびに置いたコマが盤面からズレてしまうので、父とトラック氏はゲームそっちのけでコマの位置を保持するのにおおわらわだったからだ。
 父は苦笑いし、キャプテン・トラック氏はというとマジギレしてしまい、
「この、おんぼろのニワトリ小屋がここまでゆれてなかったら、わしが勝っていたはずなんだ!」
と言いはる始末。いくらなんでも、おんぼろのニワトリ小屋と言われてはタイフーン号がかわいそうだ。

 それでも、まだいくぶんか船酔いしていたので、ベルトを父の膝にあずけると
「ぼくはもう寝るよ」
と言って船室に戻った。
 タイフーン号が安定してがむしゃらなスピードで突き進みはじめたころだったので、寝るにはちょうどいいころだった。ぼくは二段ベッドの上のほうをサッと片付けた。ここならすぐに眠れるだろうと思えた。脱いだ衣服は足元の細長い棚に置いた。真鍮製のピストルがそばにあるというのは、実に心強かった。いつなんどき海賊に襲われるかわからないと、真剣に考えていたからだ。

 ここまでがぼくがハッキリ覚えている最後のことだ。あとで教えられたことだが、その日の真夜中から船がマサチューセッツ州の沖に入るまでのあいだ、大嵐に襲われたのだった。

 何日も何日も、身の回りのことなんか、まったくわからないような日が続いた。自分の体が上や下へとあちこちに投げつけられたこと。ぼくはそれを好まなかったこと。それがぼくの感知できたことのすべてだった。
 たしか、父がぼくを元気づけようと、ぼくのことを「おいぼれ水夫くん」と呼んでいたような気がする。しかし、そのおいぼれ水夫ははっきりとそのときのことを思い出せないくらい、元気からほど遠い状態だった。立派な航海士が送声管を通じて
「この小さくて、お先真っ暗の、あやしい小舟は、帆をすべてたたんで急速に状態を回復しつつありまァす!」
と言っていたが、ぼくは信じなかった。
 実のところ、あくる朝ぼくはついに絶望的情況になってしまった思ったのだ。
「ズドォン!」
という船首の大きな大砲が放った音と衝撃のせいだ。ぼくはもちろん、海賊が襲ってきたんだと直感した。数秒後、大砲が打ち返す音が聞こえた。ぼくはズボンのポケットをまさぐろうと、けんめいな努力をした。
 しかし、ようするにタイフーン号は南からケープコッドの海岸に近づく船の礼儀として空砲を撃っただけだった。
 船は、もんどりをうつのをとっくにやめていた。ぼくの船酔いは、始まったときと同じくらいのすばやさで去っていった。
 ぼくと同様に船酔いで寝込んでいた母を診断したキャプテン・トラック氏の言葉は
「ミセス・ベイリー号は少し船体がきしんで、わずかに浸水しておりますが、もう大丈夫。沈没の心配はありませんぞ」
というものだったが、まさしくぼくたちの船酔いはすでになんともなくなっていた。
 ケープコッドでは
「お別れの時間がやってきました。ザ・暴風雨、提供はメキシコ湾でした。さようなら」
とも言わずに嵐がぼくらから去っていった。航海士が言うには、晴天であれば七時間ですむ航海に二日も費やされたということだった。

 いまや、船酔いの治ったぼくは船に向き合うことができた。腕に緑髪の人魚の刺青を持つ水夫セイラーと親しくなるために、ぐずぐずしてるひまはなかった。ぼくは、船の前方下部にある貯蔵庫で彼を見つけた。彼は思ったとおり気のいいセイラーで、ぼくたちは五分とかからず仲良しになった。
 彼はいままでに世界二周か世界三周していると言い、話のタネが尽きることはまったくなかった。彼自身の計算によれば、生まれてこのかた、二年に一回のペースで難破に遭遇しているという話だった。
 彼は、かの勇敢なスティーブン・ディケーター海軍代将がバーバリ戦争でアルジェリア人を丸め込んで捕虜の解放を約束させたとき、代将の部下として働いていたという。
 また、メキシコ戦争でのベラクルス大海戦では砲兵として戦ったといっていたし、アレキサンダー・セルカークの島(別名、ロビンソン・クルーソー島)へも何度か行ったことがあるという話だった。
 つまり、おかで過ごしていたのは、数えるほどしかないということだ。

「思うんだけど」
ぼくはたずねた。
「おじさんの名前、まさかタイフーンじゃないよね?」
「なぜかね?王に愛でられし少年よ。わがはいの名はナンタケットのベンジャミン・ワットソンであるぞ」
と彼は言い
「……ただし真の名は「青いタイフーン」である」
とつけたした。
 ベンジャミンか、ワットソンか、ナンタケットか、ブルータイフーンか……どれがぼくの心に響いたのかはよくわからない。だいたい、そのときのぼくは「タイフーン」とはいったいなんなのか——野菜の名前か、はたまた職業名か——それすら知らなかったのだから。
 素直さが要求されていたので、ぼくは自分の名前はトム・ベイリーだとセイラー・ベンに教えた。ベンは、とても良い名前だとほめてくれた。

 親しくなってくると、ぼくは、ベンが自分を「パーフェクト絵本人間」と呼ばれたがってるのだと気がついた。ベンの右腕にはふたつの錨とひとつの星、そして帆をすべて張ったフリゲート艦が彫られていた。胸には握手する愛らしい一組の手が彫られていた。体のほかの部分も同じクオリティのイラストだらけなんだろう。
 ぼくは、ベンは絵画が大好きで自分の芸術趣味を満足させるためにこのような手段をとっているのだと考えた。これはまったく理にかなった結論だった。世界中を旅する船乗りにとって、額縁に飾られた絵だと置き忘れたり、海に落としてしまうことがあるかもしれないからだ。ベンが絵と一心同体であれば、どこへいこうと彼は詩趣をおびた偉大な人間でいられるというわけだ。

あの娘がどこへ行こうとも
 指のリングと爪先の鈴が
 鳴るところ……

と、ベンは古い童謡を何度も口ずさんだ。

 胸に彫られた二つの手について、ベンは説明してくれた。それは何年も前に死んでしまった仲間の思い出へ捧げたもので、墓石に彫るより確実に素晴らしいやり方だと彼は自慢した。
 そこで、ぼくは遠く離れてしまった故郷の年老いたクロエおばさんを思い出した。ぼくはベンに、ぼくの胸にピンクの手と黒い手を描いてくらたら一生恩に着ると言った。
 ベンは、これは針で皮膚の中に描いていくものだから、かなり痛いのだとぼくに説明した。ぼくは、痛いのは我慢するから、すぐやってくれと断言した。
 この、お人よしの心の友(おそらく彫物師のスキルはほとんど持ってない)は、ぼくの頼みに応えるために船の前部船室に連れて行こうとした。が、この装飾美術行為を邪魔したのは、たまたま通路にいたぼくの父だった。父は水夫の業務を邪魔している息子を引きはがして客室へ連行した。
 その後、ぼくはセイラー・ベンと二人きりになるチャンスがなく、翌朝とうとうボストン州議会の丸い屋根が視界に入ってきたのだった。

第四章 リバーマス

 タイフーン号がロングワーフ(長い波止場=ボストン港のこと)に接岸したのは美しい五月の朝のことだった。
 ぼくは、インディアンが見当たらないのは、ここが彼らの戦線ではないからなのか、彼らは早起きが苦手だからなのか、判断をくだしかねていた。しかし彼らが大挙して現れることはなかった。また実際、インディアンなんてどこにもまったくいなかったのだ。
 ニューオーリンズにいたとき、ぼくが歴史とちがってなまけずに学んだ地理の教科書にはピルグリム・ファーザーズ(メイフラワー号に乗ってアメリカに渡った約百人の移民団)がプリマスに上陸する様子の絵が載っていた。
 未開人に近づこうとしている、かなり変な帽子とコートを着たご先祖様たち。一方、コートも帽子も着ていない未開人は明らかに握手するべきか、襲って頭の皮をはぐべきかを決めかねている……そういう絵だった。
 これは学校で習ったことであるから、父の数日に及ぶ教育にもかかわらず、いつネイティブなアメリカの人々が「ごあいさつ」に来てもいいように、ぼくは決して油断せずにいたのだった。しかしながら、ぼくの期待は満たされることはなく、残念でならなかった。
 それはそうと、ピルグリム・ファーザーズについて。ぼくはどうして、まったくというほどだれも「ピルグリム・マザーズ」とは言わないのか、いつも不思議に思ったものだった。

 ぼくたちの荷物が荷揚げされてるあいだ、ぼくはキャビンの船窓からボストンの様子を観察した。たくさん家がひときわ高いビルの周りに密集しているのには港にはいったときに気がついた。
 その大きな建物はマサチューセッツ州会議事堂だった。周りの建物にくらべて誇らしげなほど高い彼女の姿は、さながらたくさんの雛に囲まれためんどりのように見えた。
 しかし、いくつかの点でぼくのボストンに対する評価はやや辛口だった。
 三日月型の川にぴったり沿って拡がるこの街の大きさはニューオーリンズと大差なく、さほど印象的なものではなかったからだ。
 ぼくはてんでばらばらに連なる家々にうんざりしてしまったので、父がボストンにしばらく滞在しようと言い出さずに本当によかったとほっとした。そんな気分で手すりによりかかってると、浮浪者らしい裸足の小さな男の子が
「波止場に降りるなら2セントで靴をみがいてやるぜ。ここいらじゃ相場の値段さ」
と声をかけてきた。
 しかしぼくはそのときは波止場へ降りず、帆綱に登って彼を見下ろしてニヤニヤしただけだった。少年は腹を立てて積み重ねられた板切れの山に乗って逆立ちをして、自分をなだめていた。

 タイフーン号で遅い朝食をとったあと、手荷物置き場に積み重ねられたトランクを自分たちで馬車に積み込んで、駅へと向かった。馬車は少なくとも100回は角を曲がって、ようやく駅に到着した。リバーマス行きの始発列車は正午に出発した。

 言葉にする間もないほど恐ろしい速さで、列車はこの国を縦断していった。いま、鉄橋をガタガタと通過したかと思うと、次の瞬間には轟音を立ててトンネルを通過していた。いま、にぎやかな村をナイフでふたつに切り裂くように通過したかと思うと、次の瞬間には暗い松林の中にいた。
 列車はときどき海岸線を併走し、水平線の上の船の白い帆が銀貨のようにきらめいているが見えた。ねむたげな目をした家畜たちのいる岩だらけの牧草地を通ったときは、線路のそばの新芽の出た木々のまわりにいたのろまな牛たちがおびえる様子がゆかいだった。
 列車は路線上の小さな茶色い駅(おじいさんの古時計そっくりでうんざりさせられる)のどれにも停まらなかった。通過時に機械のように飛び出して赤い旗をふる駅員達は、ぼくたちを止めたがってるようにも見えたけれども。
 ぼくたちの乗った列車は急行列車で、エンジンに水を飲ませるために二度ほど停まった以外は、途切れることなく走りつづけたのだった。

 ひとの記憶が何に執着するかというのは、なかなか奇妙なものだ。ぼくはその、人生ではじめての体験した汽車——リバーマス行き急行列車——のことを、まるで昨日のことのように覚えているのだ。
 ハンプトンの村を通過したとき、赤レンガの納屋の裏でケンカする二人の少年を見たのは、二十年も前のことだ。黄色いムクイヌもいた。そいつは自分を縛る縄から外されて興奮して尻尾に向かって吠えていた。
 見えたのは一瞬だけだったけど、二人のケンカがマジもんだと確認するには十分だった。そのときから、どちらの少年が勝ったかと何回ぐらい考えたか、言うのが恥かしいほどだ。
 おそらく、この二人の小さなヤクザは両方とも死んでしまったか(このケンカ以外の理由で、と望む)、二人とも結婚して父親に似た小さな戦士をこさえたことだろう。いまのところ、ぼくはその結果がどうなったのか知りえてはいない。

 列車は二時間半、走りつづけた。教会の尖塔みたいな煙突のついた高い工場に到着したかと思うと、機関車が悲鳴を上げて、機関士はベルを鳴らした。薄暗い木造建築の中で停車し、客車の両端の扉が開いた。開いたドアから車掌が首だけ出して
「お客様!リバーマスです!」
と大声で叫んだ。

 ついに長旅は終わった。プラットホームでは、父が血色の良い落ち着いた表情でピシッと立っている老齢の紳士と握手した。その人は白い帽子に長い燕尾服を着ていて、耳が隠れるほどの長襟のシャツを着ていた。
 偉大なるご先祖、ピルグリム・ファーザーズの一人とは思えなかった(あたりまえだ)。
 そう、この人こそぼくの祖父のナッター老だった。母は祖父に何度もキスをした。ぼくも祖父に再会できてうれしかった。もっとも、最後に別れたのは生後十八ヶ月のときだったので、すごく親密な人だと感じたわけじゃないけど。
 ぼくたちはナッター老が用意してくれた四人がけ馬車へと乗り込んだ。馬車の中で、ぼくは自分のポニーの健康についてたずねた。
 ジプシーはぼくたちより十日も早く到着してて、馬小屋でぼくに会いたがってるという話だった。

 馬車は静かで古い街並みを通り抜けていった。ぼくはリバーマスは世界一美しいところだと思った。じっさい、いまでもそう思っている。街を南北に貫く街道は広くて長く、妖精の手仕事のような優雅なアーチ橋のかかる短い大通りには大きなアメリカにれの樹の枝の落とす影があちらこちらで重なり合っていた。
 多くの家には大きな煙突が一本、軒からはみでるように家の前面に持ち、だれもが空いたスペースに季節の花の鉢を並べた小さな花壇を作っていた。
 美しい川の流れはせせらぎを立てながら町を横断し、湾内の島々にぶつかってひきかえし渦をまいたあと海へと消えていっていた。

桝田道也
作家:トマス・ベイリー・オルドリッチ/桝田道也 訳
トムと波止場の大砲
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