トムと波止場の大砲

第五章 ナッター・ハウスとナッター・ファミリー

 リバーマスでは、ナッター・ハウスのように目立った建物はだれかの名前にちなんで名付けられる。たとえば、ウォルフォード・ハウスとか、ベンナー・ハウス、トレフェセン・ハウスという風に。
 その建物に、必ずしも同じ姓の人が住んでいるとは限らないが、ナッター・ハウスには百年のあいだナッター家の一族とともにあり、この家は大工の棟梁とうりよう(ぼくの先祖だと信じている)の仕事がたぐいまれなる耐久性を誇るものだったという履歴書にほかならなかった。
 もし、ぼくの先祖が棟梁だったとするなら、彼はただ腕が良いだけではなく自分の商売に精通していたと言える(ぼくも、自分の仕事に対してそうでありたいと思うのだが)。
 良い材木と良い職人を集めるのは、この家が建てられた時代には難しいことだった。

 大きな広間が中央にある天井の低い構造の建物を想像してほしい。きみが建物に入ると黒くて高いマホガニー材でできた時計が、まるで死後、おきあがったミイラのように右手に立っている。広間の左右にはドアがあった。ただ、ドアのノブはガタがきてて、なかなか回らなかったことは正直に告白しよう。
 広間に入る。暖炉やはりは木彫レリーフの板張りで装飾されていて、壁には田園風景や海景色といった壁紙が貼られている。応接間や他の部屋でも、基本的にはこの賑やかな壁紙の繰り返しだ。
 イタリアの帽子を被ったイギリスの農民たちが海辺をバックに芝生の上で踊っている図。国籍不明のもんやりした顔の漁師が釣りざおにかかった小さなクジラを釣り上げるために恐ろしい大海戦に向かうかのように海原を進むの図。さらにその漁師の絵は背景に小さくイギリスが描かれていて、さっきと同じ農民達が踊っているのだった。
 ぼくの先祖は素晴らしい人たちだったけれども、この壁紙だけは大嫌いだった。

 これらのすてきな壁紙の各部屋に火鉢やストーブは無かったけれども、かわりに立派な暖炉がナッター・ハウスにはあった。でっぷりした予備のまきが薪台のうえでゆったり寝そべられるくらい広くて立派な煙突部屋があったのだ。
 では、広い階段を登ってホールから二階へと、順序良く話を進める。一階と二階の途中に屋根裏部屋がある。
 ニューイングランドの少年にとって、築五十年から六十年を過ぎた建物の屋根裏部屋が好奇心の博物館であることは説明するまでもない。さあ、いっしょに見ていこう。
 すべて破損している一家の椅子、すべて落ち着きを無くしてしまってるテーブル、すべてよれよれになってしまってる帽子。すべて酔い潰れてしまっているブーツ。すべて折れて廃業してしまったステッキ。破壊にいたる何らかの決められた手順でもあったのだろうか。
 「人生に疲れてしまった」ポットやナベや旅行カバンや、だれかがこの無数のガラクタで埋め尽くされた部屋の目録を作ってくれるだろうという、計測不能なほど低い可能性を期待している空き瓶たち。
 しかし、雨がパタパタと降りしきる午後を過ごすには、なんと素晴らしい場所だったことか!『ガリバー旅行記』や『大怪盗リナルド・リナルディーニ』を読むのに、なんと素晴らしい場所だったことか!

 ナッター・ハウスは大通りから少し下がったところに建っていた。そこは二本の素敵なにれの樹の影の中であり、風の強い日にはにれの大枝が頻繁に切妻に当たった。家の後ろには三十メートル四方ほどはあろうかという、梅とスグリの樹でいっぱいの美しい庭があった。
 これらの樹は年老いた移住者であったため、一本をのぞいて現在ではすべて枯れてしまった。その一本は卵ほどの大きさの紫の実を結ぶプラムの樹だ。くりかえすが、この樹はまだ健在だ。この樹と争うような美しい樹は、この庭のどこにも育たなかったのだ。
 庭の北西の隅には細い通りへと開く車庫と厩舎きゆうしやがあった。ぼくがジプシーの様子を見るためすぐにそこへ行ったことは容易に想像できるよね?
 到着の日、ぼくは三十分おきに彼女を見にいった。二十四回目の訪問のとき、ぼくは彼女にかなり強く足を踏まれてしまった。
 思うに、おそらく、ぼくの表敬訪問は彼女をちょっぴりうんざりさせてしまったのだろう。 知ってのとおり、ジプシーは小さなポニーだ。彼女についてはあとでたっぷりページを割いて別章で語るつもりだから、覚悟してくれたまえ。

 ジプシーの厩舎も願いえられる最高のものだったけど、ぼくのために用意された快適な寝室は新しい環境の中で、これ以上ないほど満足できたものだった。その部屋は広間の正面入り口の上にあった。
 ぼくはそれまで、自分の部屋というものを持ったことがなかった。そして、この部屋(タイフーン号でのぼくたち一家の個室の二倍の広さはあった)は清潔と安らぎの驚異だった。
 きれいな更紗のカーテンが窓にかかり、ヨセフのコートよりカラフルな(※訳注 旧約聖書の逸話。ヨセフは兄弟のだれよりも父に可愛がられ、特別に作られたカラフルなコートをもらい、他の兄弟から嫉妬された)パッチワークのキルトで覆われた、小さな車輪付きのベッドがあった。
 壁紙のパターンは例のあの方向の中では最高のものだった。暗い背景に、この世に存在するすべての植物に似ていない枝と葉っぱ。すべての枝に赤紫のうろと、そこで休む黄色い鳥が描かれてて、ちょうど天然痘の激しい症状が峠をこえたのに似ていた。その鳥がこの世に存在するいかなる鳥にも似ていないからといって、ぼくはこの絵の賞賛を惜しんだりしなかった。鳥は全部で268羽、描かれていた。壁紙の、ちゃんとつながってない接合部で分割された鳥は数えないとして。
 あるとき目のまわりにアザ作ってベッドに倒れこんだときに、鳥を数えてたらすぐに寝落ちしてしまい、鳥たちがすべて群れとなって窓から飛んでいくという夢を見た。その日以来、ぼくはこの壁紙の鳥や木々をただの枝とは思えなくなったのだ。

 部屋の隅には洗面台があって、マホガニー材でできたたんすや、すかし細工のフレームの鏡、真鍮製の釘がびっしり打ち付けられた棺桶に似た背の高い椅子といった家具があった。
 ベッドの頭の側には二つのブナ材の棚があり、十冊以上の本が並べてあった。

  • 『セオドア、あるいはペルー人』
  • 『ロビンソン・クルーソー』
  • 『トリストラム・シャンディ』の一部
  • バクスターの『聖人の安息』
  • ハーヴェイによる600カットもの木版挿絵の入った素晴らしい『アラビアンナイト』の英訳版。

 ぼくがこれらの本を最初に分解点検したときのことを忘れることができようか。おっと、バクスターの『聖人の安息』についてはノーコメント。あれは元気な少年から遠いところにある本だった。
 かわりにロビンソンクルーソーやアラビンナイトの話をしよう。あのとき、ぼくが指先に「ひろわせて」感じたスリルは、いまなお「いろあせて」はいない。
 ぼくは何度もねぐらに忍び寄っては、読みかけの折り目を入れた本を手にとり、心奪われた分野を飛び回った。ここにはぼくの凧を邪魔するいかなる授業も少年もいなかった。
 ひきつづいて本の虫と化したぼくは、屋根裏部屋の壊れたトランクから

  • 『大泥棒ジャック・シェパード』
  • 『ドン・キホーテ』
  • 『ジル・ブラース物語』
  • 『シャーロット・テンプル』

といった一貫性の無いコレクションを発掘した。
 ぼくは、これらの作品の題材には、黄色い髪の小さな乱暴者を魔法のページに何時間もすがらせるために本当だと信じ込ませる親切さがないと思った。
 つまり、子供だましの作り物のリアリティがないと感じた。したがって本当の話だと判断し書かれていた文章をすべて信じた。
 船乗りシンバッドの冒険にはなんら疑わしい点はなく、憂顔の騎士は実在し彼の祖父は確かに騎士だったのだろうと。

 ベッドの足側の壁にはシングルバレルのショットガンが吊り下げられていた。ナッター老が飾ったらしい。
「さすがおじいさん!ぼくのためにこんなすばらしいものを用意してくれたんだ!」
なんてよろこんだものの運悪く引き金がもぎとられており、おそらくそれは子供の手にできるもっとも恐ろしい武器ではなくなっていた。
 こんな状態では、ぼくのポケットの真鍮製のピストルよりも役に立たないのは明白だ。
 すでにインディアンに対する馬鹿げた疑念も晴れていたこともあり、ぼくはただちにその鳥撃ち銃のインテリアを元に戻した。

 さて、ナッター・ハウスの説明はこれで終わりだ。続いてはナッター家の家族についてのプレゼンテーションを行おう。
 まず、祖父のナッター老。そして、祖父の妹の、つまりぼくの大おばにあたるミス・アビゲイル。さらには、家のあらゆる仕事をこなすメイドのキッティー・コリンズ。

 祖父のナッター老は矢のように真っ直ぐで頭の光った、陽気でかくしゃくとした老紳士だった。
 若いころは船員だったという。
 十歳のとき、彼はかけ算九九の表に怖れをなして逃げ出し、そのまま海へと出てしまったのだ。
 このたった一度の航海は祖父を満足させた。彼が海に逃げ出していなかったら、ぼくたちの家族のだれかは存在しておらず、血筋のどれかは絶えていたはずだ。
 祖父は一八一二年には民兵軍のキャプテンだった。米英戦争——別名、第二次独立戦争——のときだ。
 もし、ぼくが英国民になにか借りがあるとするならば、祖父の足をマスケット銃で狙撃した、どこかの英国兵にだ。彼には心からの感謝を述べたい。
 立派な戦士だったキャプテン・ナッターが足をわずかに引きずらせる理由となったその銃弾は、肉体の損傷と引き換えに、この話を語る祖父も聞くぼくをも飽きさせないマテリアルになったからだ。

 話というのはこうである。

 米英戦争が起こったとき、リバーマスの沖に英国のフリゲート艦が数日間停泊していた。港の堅固なとりでと民兵の連隊は海岸沿いにそれぞれ点在していて、上陸を試みる敵艦を撃退する準備はできていた。
 キャプテン・ナッターは河口そばに築いた小さな稜堡りようほで待機していた。ある夜おそく、オールをこぐ音が聞こえた。
 歩哨ほしようがあわててハーフコックのまま銃の引き金を引き射撃に失敗すると、キャプテン・ナッターは、まっ暗闇の中、バリケードをこえて敵へ飛びかかり、叫んだのだ。
うぉぉぉおおおいっ!ボートだぁぁぁぁあああああーっ!!
直後にマスケット銃の銃声が響き、キャプテン・ナッターのふくらはぎに銃弾が撃ち込まれた。
 キャプテン・ナッターがボートから転げ落ち、のたうちまわって砦へ戻ったとき、おそらく飲み水を汲みにやってきたボートは艦へと戻っていった。

 これが米英戦争における、祖父の唯一の手柄だ。祖父の迅速かつ大胆な行動は、この国を武力で征服するのは難しいことを敵国に思い知らせたことだろうと、少年時代のぼくは強い信念でそう思った。

 ぼくがリバーマスへ来たときには、祖父はすでに楽隠居しており、主に海運業者に投資した株式の配当で楽に暮らしていた。
 ぼくの祖母はぼくが生まれる前に亡くなっており、何年ものあいだ、祖父は独身だった。それで、前述した未婚の妹であるミス・アビゲイルが、この家をきりもりしていた。
 アビゲイルさんは君臨者としてではなく、みなのためへの奉仕者として、兄と、兄の使用人と、兄への訪問客を管理した。
 彼女は背が高く、やせて骨張っており、顔色は灰色に近く、灰色の目に灰色の眉をしていて、いつも灰色の服を着ていた。
 そして彼女の最強の弱点は、『ホット・ドロップス』が万病に効くと信じている点だった。
 きみは『ホット・ドロップス』が何か知らないだろうから、説明しよう。それはドロップスと言っても、甘くておいしいキャンデーからはほど遠いシロモノだ。『ホット・ドロップス』とは様々なハーブや「体に良いと信じられているもの」を漬け込んだ一種の薬酒だ。アルコール度数は高く、クロロホルムのように今では人体に有毒と考えられる成分まで含まれていた。これをスプーンでひとなめするのだけど、味のひどさといったら、これをなめるくらいなら病気になった方がマシというシロモノだった。

 この家に憎しみ合ってるようにしか見えない二人がいたとすれば、それはミス・アビゲイルとキッティー・コリンズだ。
 また、この家に親愛の情で結ばれている二人がいたとすれば、それもミス・アビゲイルとキッティー・コリンズだった。
 二人はいつも小競り合いをするか、仲良くいっしょにお茶をしていた。

 アビゲイルさんはぼくに優しかったし、キッティーもそうだった。そして、当然の成り行きとして、二人が小競り合いをしたとき、ぼくは二人が相手の秘密を暴露するのを聞かされることになった。

 キッティーによれば、アビゲイルさんがこの家の家事をとりしきっているというのは、もともとは祖父の意図しないことだったという。
 祖父は、片手に紙袋を持ち、もう一方の手に色あせた青い綿布の傘(こちらはまだ現存している)を持ったミス・アビゲイルに、襲撃された(キッティーによる、キッティーらしい表現)のだという。
 祖母の葬式の朝にナッター家の玄関の前でミス・アビゲイルが披露した(キッティーのほのめかすように語った)奇妙ないでたちをぼくが知るよしはない。
 ミス・アビゲイルの手荷物が少なかったので、この皮肉屋の観察者は滞在は数日間だろうと考えた。そのときからずっと後、ぼくがこの物語に現れたときまで、キッティー曰く「それから十七年間」アビゲイルさんは滞在しつづけたのである。
 アビゲイルさんは現在、すでに人生を満了してしまったので、どのくらいの滞在予定か、いまとなって知ることができなくなってしまった。
 はたして、祖父がこの思いがけない家族の追加を歓迎していたかどうか。ナッター老はいつもミス・アビゲイルに優しく、めったに彼女に反対することはなかった。
 アビゲイルさんはときどき祖父の忍耐力を試していたのではないかとすら思う。キッティーに関する余計な干渉は、特にその最たるものだったにちがいない。

 キッティー・コリンズ(ミセス・キャサリンと呼ばれるより、こちらの方を好んだ)は、かつてアイルランドを統治した王の一族の子孫だ。
 様々な不幸な成り行きの結果、王の血を引く数百名の女性が働く彼女の会社は年間千八百名もの従業員を移民船でアメリカにやっかいばらいしており、キッティーもリストラされた一人だった。ジャガイモの不作でも、とがめられたのだろう。(※訳注 ジャガイモに伝染する疫病と政府の無策によってアイルランドの人口が二百万人以上減少したジャガイモ飢饉を指している
 この追放されたすばらしい王族は、いかなる運命のいたずらかきまぐれか、リバーマスへとやってきた。キッティーがこの国へ来てから数ヵ月後、彼女は週4シリング6ペンスの給料で家事手伝いとしてぼくの祖母に雇われたのだった。
 キッティーは当初、自分の出自を秘密にしてて、それはいつも彼女の心の圧迫していた。それを告白して重荷から解放されたのは、ナッター家の住人となって七年後のことだった。

 人間はときに、
「過去をもたない者は幸せである」
と言われるかもしれない。あるいは、その言葉はどこかの新参の国家に向けても言われるだろう。

 キッティーは過去を持っていた。それも、哀しい過去を。

 アメリカへの移民船の中で、キッティーはある水夫と知り合った。キッティーの身の上を知ったその水夫は、なにかと世話を焼いてくれ、船旅の終わりごろにはキッティーはそのボディガードから離れられなくなっていた。
 船旅は退屈であり、また若いひとり身の女性にとって危険なものでもあったからだ。そして、二人は離れなかった。キッティーの愛情に水夫は応え、二人は到着するやいなや港で結婚した。
 キッティーは、その夫の名前について決して語ろうとしなかった。その水夫と別れたとき、価値ある遺跡に大量の財宝を隠すように、キッティーはその名前を胸中に秘めたのだった。
 キッティーが結婚した若かりしころ、夫婦は南通りの下宿で、とても幸せに暮らしていた。その下宿はニューヨークのドックの近くにあった。
 幸せな若い二人にとって、数日は数時間のように過ぎていった。そして小さな花嫁がストッキング(節約)しても、貯金は少しずつ削られていき、とうとう残金が3ドルから4ドル……ストッキングは爪先だけになってしまった。
 キッティーは悩んだ。夫が港で就職できないのなら、再び水夫になって長い航海に行くしかなかったからだ。これは結婚したばかりの二人には辛い選択肢だった。しかし、なかなかおかでの仕事は見つからなかった。
 ある朝、夫は「おはよう(グッド・デイ)」のキスをすると、仕事を探しに出かけていった。

「いってらっしゃい(グッドバイ)のキスをしてよ、ぼくのかわいいアイリッシュ娘さん……って、あの人は言ったわ」
とキッティーはすすり泣きながら話した。
「おかげで、最後にさようなら(グッドバイ)を言うことができたのよ……神様にお礼を言わなくちゃね。あたしがあの人やあの人の仲間を怒鳴らずにすむようにしてくれたんだもの」

 キッティーの夫は戻ってこなかった。一日一日、一夜一夜と、何の進展も無い数週間が過ぎた。
 いったい、彼に何が起こったのだろうか?殺されたのか?ドックに落ちて死んだのか?キッティーを捨てて逃げたのか?
 ——いや。
 キッティーはそれだけはないと確信していた。彼は勇敢で思いやりのある誠実な人間だったと。仮にキッティーと別れるとしても、だまって出て行くような人間ではなかったと。何らかの理由で夫は死んだ——もし生きていれば、かならず戻ってくるはずだから。
 キッティーはそう、信じていた。

 一方、キッティーの夫がいなくなったのを知り、家賃の支払いが滞るだろうと考えた下宿の主人は、キッティーを追い出してしまった。
 八方手をつくしてキッティーは勤め先を探し、彼女を
「しようがない、使用人にしよう」
と言って雇ってくれる御仁を見つけた。
 キッティーを雇った家族はまもなくボストンへ移ったので、キッティーもそれに同伴した。
 ほどなくその一家は外国へと引っ越していったが、キッティーはアメリカを離れず、リバーマスへと流れ着いたのだった。
 それから七年のあいだ、キッティーはいつも明るくふるまい、決してこの哀しい話をしなかった。
 彼女の友人となった紙袋と青い傘を持った奇妙な訪問者のおせっかいが、彼女の唇を開くまで。

 キッティーの話から、祖父とミス・アビゲイルが彼女に対してより親身になったのが、きみにもわかるだろう。
 その日から彼女は単なる使用人ではなくなった。彼女は、その負い目にへこたれない強い心をもった誠実な家政婦、自発的な奉仕者、喜びも悲しみもわかちあうナッター家の友人と見なされるようになった。
 キッティーは台所で歌いながら仕事しているとき、アビゲイルさんへの返答にしばしば歌を止めて、ウィットにあふれる返事をしていた。
 おそらく彼女の心には無意識下に複雑なレース編みのようなユーモアの静脈があったのだと思う。彼女の明るいまっすぐな笑顔は、リバーマス、そしてナッター・ハウスでぼくの少年時代から現在までを照らしている。

 新しい家でのぼくにかかった最初の影は、両親のニューオーリンズへの帰還だった。ナチェズにあった父の銀行の支店で父が必要になり、滞在は予定より早くが切り上げられることになったからだ。
 父母が去ったとき、いままで想像したこともなかったような孤独感で、少年だったぼくの心ははりさけそうになった。
 ぼくはコソコソと厩舎へ行くと、ジプシーの首に腕を回して声を出してすすり泣いた。ジプシーもまた、いまや暖かい南部から見知らぬ土地へ来た、よそ者だった。
 ジプシーは、その柔らかい鼻をぼくの顔に何度もこすりつけ、しょっぱい涙を舌で拭き取ってくれた。彼女はぼくたちの置かれた情況を理解していて、ぼくが求める限りの共感を与えてくれているように思えた。

 夜が来ると、昼にもまして寂しさがこみあげてきた。ナッター老はだいたい、夜になると肘掛椅子に座ってリバーマス・バーナクル紙(ようするに地方新聞だ)を読んでいた。
 そのころ、家にはガスが来てなかったので、キャプテン・ナッターどのは小さいすずがねのオイルランプを片手に持って読みふけっておられた。
 ぼくは「ナッター老は夜、新聞を読んでいるとき三分か四分おきに居眠りする」という習性を発見し、それを観測しているうちに、ようやくホームシックを忘れることができたのだった。
 二回か三回、ランプの炎で新聞の端っこを焦がしてしまったときには、とくに大笑いした。夜の八時半を過ぎたころ、燃え上がるリバーマス・バーナクル紙の炎とともに言い訳をする祖父に大喜びしてしまったことを少々、申しわけなく思う。
 ナッター老は、あわてずさわがず、すみやかに炎を素手でもみ消した。近くに座って星型のランプの光で編み物をしていたアビゲイルさんは、見向きもしなかった。
 もう、このカタストロフィーには慣れっこだったのだ。

 その晩には会話らしい会話はなかったように思う。実際、ぼくはだれかが会話したかどうかさえ覚えていない。
 ひとつだけを除いて。
 ナッター老はひとこと、ぼくの両親が
「そろそろニューヨークについたころだな」
と半分眠りながら言ったのだ。
 このとき、ぼくはすすり泣きをこらえている自分自身を絞め殺しそうになってしまった。

 会話が無い中、アビゲイルさんの編み棒のカチリコチリという単調な音のみが部屋に響き、ぼくはさらにナーバスになった。最終的には、ぼくは居間からキッチンへと逃げ出してしまった。台所ではキッティーが
「アビゲイルさんに言えば『ホームシックにはホットドロップスが効く』と言って飲ませようとしたでしょうに」
と言って、ぼくを笑わせてくれた。
 アビゲイルさんはあらゆる非常時に際してすぐにホットドロップスで治療する準備ができていた。もしどこかの少年が足を折ったとか、母親を失ったとかする。アビゲイルさんはそういうとき、確実にホットドロップスを処方するのだ、間違いなく。

 キッティーは、ぼくを楽しませようと彼女の見知った話を展開した。いくつかのおかしなアイルランドの話、町に住んでる風変わりな人々といった話だった。
 しかし、そのおかしい話の中、ぼくは不本意にも涙をにじませてしまった。ぼくは、決して泣き虫ではなかったはずなのに。
 キッティーはぼくを抱きしめると、
「気にしない、気にしない。どこかのだれかのように、異国で一人ぼっちになった貧しい少女というわけじゃあるまいし」
と言った。
 しばらくしてぼくは元気を取り戻して、キッティーにタイフーン号の話や、タイフーン号にいた老いた船乗りの話をした。(そのとき、セイラー・ベンの名前はもう、記憶のはっきりした場所のずっと後ろに追いやられており、ぼくは思い出そうとして空しい努力をしてしまった)

 午後十時が来て、ぼくは心の中で喜んだ。この時刻こそ若者にとっても年寄りにとっても、ナッター・ハウスでの就寝時刻だった。
 ぼくは広い部屋で一人、これを最後にしようと、声を上げて泣いて枕をぬらした。そして、まだ涙でベッドが濡れてない部分へと寝返りを打って眠った。

 もし、ぼくが家と厩舎でだらだら過ごすのを許可されたら、ぼくはホームシックを何ヶ月も続けていただろう。
 賢明なことにナッター老は、ぼくを学校へ通わせるべきだという結論を下した(そもそも、そのために北部へ来たのだった)。
 したがって、翌朝、ナッター老はぼくの手を引いて学校へと出発した。学校はナッター・ハウスからだいぶ離れた、町外れにあった。

 テンプル文法グラマー学校スクールは大きな正方形の一区画の中央にあった。文法学校という名前がついているが文法の専門学校というわけじゃない。数学も社会も教えるごく普通の学校だ。リバーマス市の北側に住む十八歳までの男子が通う学校だった。二階建てのレンガの建物で、高くとがった杭のフェンスで囲まれていた。周辺は三本か四本の枯れかけた木があったほかはどんな草も生えてなく、つるつるしていて長い時間そこを歩くのは難しそうだった。
 ぼくは地面のあちこちに小さな穴があるのに気がついた。いうまでもなく、それは今、この学校でビー玉遊びが流行っていることの証拠だった。ここを良い野球場にするための工夫は存在していなかった。

 校門に着くと、キャプテン・ナッターどのはグリムショウ校長先生に面会を求めた。ノックに応じた少年が別室へと案内し、数分間、ぼくの目はグリムショウ先生が示した四十二個の帽子掛けにかけられた四十二個の帽子を数えるのにかかりきりになった。

グリムショウ先生は痩せてて色白で、病弱そうな手をしていた。そして、職業柄、身についた習慣であろう六種類ほどの異なる見かたでぼくをいちべつした。
 少しの話し合いのあと、ナッター老はぼくの頭をポンポンとたたくと、ぼくの正面に座って面接を行なってるグリムショウ先生に後のことをまかせて、ぼくを置き去りにして帰ってしまった。
 グリムショウ先生はぼくの知識レベルの深さを(もしくは浅さを)計ろうとして、いくつか質問をした。
 とくに歴史の知識ではグリムショウ先生を驚かしたのではないかと思う。ぼくは、グリムショウ先生に、リチャード三世がイングランドの最後の国王だと教えてさしあげたときのことを今でも思い出す。まったく、リチャード三世が最後の国王だとしたら、そのときのぼくはヴィクトリア女王をなんだと思っていたのだろう?(※訳注 リチャード三世は薔薇戦争の最後にボーズワースの戦いで敗れたイングランド王。戦死した最後のイングランド王でもあるが、イングランド最後の王ではない

 試練は終わり、グリムショウ先生は
「ついて来なさい」
と言った。教室のドアが開くと、ぼくは四十二組の視線の炎の中に立ち尽くすことになった。
 ぼくは年齢のわりには落ち着いたほうだったのだけど、ひるむことなくこの一群に対峙する大胆さには欠けていた。すこしぼうっとしながらグリムショウ先生の後について、低い二つの机にはさまれた狭い通路をよろよろ歩き、ぼくは恥かしそうに示された席へと着いた。
 ぼくの訪問によって生じた教室のざわめきは次第に静かになり、中断されていた授業が再開された。だんだん冷静さを取り戻したぼくは、そっと周囲を見回してみた。

 四十二個の帽子の持ち主は、ぼくと同様、それぞれ割り当てられた緑色の机に着席していた。机と机は、ちょうど少年たちが、ささやき声で会話するのを防げる程度に間隔があけて、六列に配置されており、教室の黒板は端から端まで達していた。
 ドアの近くに教壇があり、その上に教卓があった。そして教壇には一度に十五人から二十人の生徒が着席できる暗唱用のベンチもあった。ドラゴンとペガサスが彫られた二つ球のランプが窓と窓の間を占領してて、窓はキリンだけしか外を見られないってくらいに高い位置についていた。
 これらのディテールに関して思考しながら、好奇心を隠そうともせず、直感的に自分の友人や敵を選んで精査した。この直感による選択では二人だけ、その選別を間違えた。

 四列目に座っていた赤毛の土気色した少年は、午前中の授業のあいだ、こっそりなんども拳をぼくにむかって振り回すしぐさを見せた。ぼくはいずれ彼とはトラブルになるだろうと予感し、それはのちに現実となった。

 ぼくの左には、でぶでちびで、顔に胡椒ペツパーをまきちらしたような、すさまじいそばかすがある少年がいた。これがペッパー・ホイットコムだ。彼はぼくにミステリアスなしぐさををしてみせた。
 ぼくはそのジェスチャーの意味がわからなかったけど、平和的性質のものであるらしいのは明白だったので、ウインクで応じた。この対応に満足したらしく、彼はよそ見をやめて授業に向き直った。
 こののち、休み時間には、ぼくのところに何人かが青田買いにやってきたが、このときペッパー・ホイットコムがぼくにくれたのは食べ終えたりんごの芯だった。

 授業中の話に戻ろう。ほどなく、二列の真鍮ボタンをつけたオリーブ色のジャケットの少年が、自分用の小さな黒板の裏から折りたたまれた紙を取り出した。
 それが、ぼくのために用意したものであることをほのめかしつつ。
 その紙折りは机から机へと巧みにリレーされ、ぼくのところまで届けられた。紙折りをひらくと、中にはベトベトに湿った小さなキャンディーのカケラがたくさん入っていた。

 まぁ、歓迎のプレゼントにはちがいない。

 ぼくは、彼の意図を汲み取ったことをうなずきで示すと、その心づかいをすばやく口に滑り込ませた。瞬間、ぼくの舌はトウガラシによって炎上した。

 ぼくの顔は、よっぽどコミカルな表現に包まれていたらしい。オリーブ色のジャケットの少年はヒステリックに笑い転げ、ただちにグリムショウ先生から罰せられることになった。
 ぼくは涙とにじませながら激辛キャンデーを飲み込むと、平然を装い、マーデンがなにをしでかしたのかという追求をはぐらかす生徒の一人と化した。
 チャーリー・マーデン、それが彼の名前だった。

 ほかには、午前中の授業を中断するようなことは起きなかった。
 ただし、ある生徒が国語の授業中、旧約聖書のイスラエル王ダビデの子「アブサロム」を「あさぶろむ」と読み間違え、
「あさぶろむ!嗚呼、我が息子、あさぶろむ!」
とやったときには、クラス中の生徒が腹筋を崩壊させた。
 ぼくもみんなと同じように大笑いしたけど、そうするべきではなかったのかもしれない。実は絶対に「あさぶろむ」じゃないと確信できてはいなかったからだ。

 休み時間になると何人かの生徒がぼくの机に集まってきた。彼らはフィル・アダムズ(グリムショウ先生が前もってぼくに紹介してくれていた)を通じて友好的にぼくと握手をした。
 ぼくの新しい知人たちは運動場へ行こうと提案した。ぼくたちがドアの外へと飛び出したとき、赤毛の少年がクラスメイトをかきわけて進んでぼくの横にやってきた。
「言っておくぞ、新入り。この学校へ入りたいんだったら、なにごともこのオレに『ほう・れん・そう』しなきゃならねぇんだ。忘れるなよ」
 ぼくは彼の言っていることの意味がわからなかったけど、それがこの学校の慣習であり、それがぼくのためになると彼が言ってくれているのだから、ていねいに返事をした。
「意味がわからない」
「ナメたこと言ってんじゃねーっ!」 
赤毛は顔をゆがませた。

「周りをよく見ることだな!コンウェイ!」
運動場の端から澄んだ声の叱咤しつたがあった。
「ベイリー君を孤立させてどうする気だ?彼はこの土地へ来たばかりだ。コンウェイ、お前を怖れているかもしれないし、怖れて殴りかかるかもしれない。なんだって、自分から殴られようとするのだ?」
 声のした方をふりかえると、声の主は、すでにぼくたちの近くまで走ってきていた。コンウェイはべつ色のしかめっ面をぼくに投げるとコソコソと去っていった。
 ぼくは、ぼくを助けてくれた少年に感謝の握手をした。彼の名はジャック・ハリスと言った。

「予言しておこう、ベイリー君」
と握手を返しながらジャック・ハリスはおだやかに言った。
「三ヶ月のうちに、もしくは冬休みが来るまでに、きみはコンウェイと戦うことになる。ヤツはいつも暴力に飢えているのだ。いずれきみにもわかるだろう。だが、不愉快な作戦を急ぐこともない。今はいっしょに野球でもやろう。
 ……ああ、ところでベイリー君、アメの件でのきみのグリムショウ先生への対応は申し分なかった。もしきみが正直に話していたら、チャーリー・マーデンへの罰は二倍になってたところだった。チャーリーは私に、すまなかったときみに伝えてくれと言っていたよ。

 ……おーい、ブレイク!バットはどこだ?」

 ブレイクと呼ばれた、ぼくと同い年くらいのハンサムな少年は、校舎のわきの木の皮に彼のイニシャルを刻んでいるところだった。ブレイクはペンナイフをしまうと、バットを探しに駆けて行った。

 それからぼくは新しい友人たちと野球をして遊んだ。その友人たちとは、チャーリー・マーデン、ビニー・ウォーレス、ペッパー・ホイットコム、ハリー・ブレイク、そしてフレッド・ラングドンといった面々だ。
彼らの中にも、のちにぼくの選ばれし親友となった者の中にも、ぼくより二つ以上年上の人間はいなかった(ビニー・ウォーレスにいたってはぼくより年下だった)。
 フィル・アダムズとジャック・ハリスはぼくたちの上級生だったので、ぼくらにたいして非常に親切に「子供」扱いしており、たいていは別のグループとともにいた。
 もちろん、まもなくぼくはテンプル文法学校の全少年を親密に、あるいはほどほどに知ったのだけれども、この五名が、ぼくのふだんの遊び仲間となった。

 テンプル文法学校での初日はこんなもので、ぼくはおおむね満足した。ぼくは数人の親友を作り、コンウェイと彼の舎弟のセス・ロジャースを恒久的な敵だと認定した。この二人はまるで吐き気と頭痛のようにいつもセットになっていた。

桝田道也
作家:トマス・ベイリー・オルドリッチ/桝田道也 訳
トムと波止場の大砲
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