M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 5 / 26 )

44.タケノコ狩り

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 伊豆高原の僕んちと、僕に北海道リンゴをくれた優しい原さんちの間は、ミズナラの大きな木が56本と雑木と、竹藪だった。

 

 お父さんはいつもタケノコのシーズンになると、原さんちからはみ出してきた、この小さな竹藪を気にしていた。

 

 その頃、タケノコの被害がいろんなところで出ていたみたい。山全体を占領したり、空き家の庭を占領したり、手入れの悪い竹林が隣に這い出して、その家の土台を貫通して部屋の中にタケノコが生えてきたなんて話がいっぱいあったから。

 

 ほんとは、ぼくは一緒だったから知っているんだけど、お父さんは、よその家の別荘の庭とか山や林から、いろんな木や草花を頂戴してきてぼくんちの庭を豊かにしていた。

 

 原さんとの間の空き地からは、いい香りのする山椒の樹を掘り起こしてきて、風呂の側の日陰に植えたり、遠笠山道路の遊歩道の茂みからは、アジサイの株をいくつも掘り起こしてきて、ぼくが遊んでいると何時も怒られた畳の6畳の部屋の前の庭に植えたこともあった。

 

そ のアジサイは、紫陽花の好きなお父さんが選んだだけあって、しろ、うす水色、濃い水色、ガク・アジサイ、そして、いくつかの紫色の大きな株に育っていった。どうも、お父さんの若いころの恋人との思い出とつながってると、僕はお父さんの独り言から

感じていたが、知らんぷり。お母さんは、気がついていないようだった。きれいな、アジサイの塊ができていた。

 

 そう、タケノコのこと。

 原さんちの、庭から生え出したタケノコは、僕んちとの真ん中にあたりに、頭を出すようになってきていた。だからと言って、タケノコを掘ってきて食べるのは面倒だとお父さんは言っていた。

 

 お父さんは、本当は庭の竹を何本か切れば、外までは出てこないのにとつぶやきながら、原さんちの竹藪を恨めしそうに見ている。でも、迷惑だからと、おおっぴらには切れなかったようだ。そこで、まだ原さんちの雨戸が開かない朝早くだとか、夕方、原さんちの光りが灯りえなくなってから、お父さんは、出かけて、林の中で背の高くなったタケノコ、もう竹だったかな、をボキンとおって草むらに隠したりしていた。

 

 お隣づきあいは大変だ。関係を悪くしたくないからと…言っていた。それはそうだ。僕は夜中にも、うれしくて吠えたりするし…。僕の声は大きくてよく遠くまで聞こえるらしい。

 

 お父さんががんばって、タケノコはそれ以上僕んちには近づいてこなかった。

 

 それにタケノコには、もっと悪い思い出がある。

 タケノコ狩りのシーズンが近づくと、いっぱい、いっぱい電話が鳴るんだ。最初はお父さんもお母さんもていねいに間違い電話に応えていたようだけれど、いっぱい、いっぱいかかってくると、めんどうくさくなったらしくて、違います、ガチャンとなっていった。

 

 僕んちの電話が、どこかのタケノコ狩りの事務所の電話として、伊豆高原の観光案内のHPに登録されているらしい。

 

 だから、タケノコシーズンになると、いっぱい電話がかかってきたのだ。「違います、違います」ってばかり言っていられないと、今度はお父さんが、電話をかけてきた人に訊いていた。どこのタケノコ狩りに電話されているのですか?なまえは?所は?と聞きだした。何人かと間違い電話で話をしていた。お父さんはある日、チェルト出かけるぞと言って、ポシェットに僕にシートベルトを着けて乗り込んだ。

 

 時々、アイスクリームを買ってもらうセブンイレブンの前を通って、どんどん伊東の方に走っていく。ああここだ、のぼり旗が出ていると、お父さんは細い道に入って行った。

 

 そこの人と、かなり怒ってお父さんが話している。僕のうちの電話番号が、ここの案内番号になっていて、間違い電話で大変迷惑しています、と話している。HPを変更して、私の家に電話が来ないようにしてくださいと言っているのが聞こえる。

 

 帰ってきて、僕んちの電話番号は、どうも昔、このタケノコ狩りの店の電話だったらしいとお母さんに行っている。HPを変えてもらうから、間違い電話はなくなるだろうと言っていた。

 

 でも、そうではなかったんだ。HPは変わったようだけど、古い情報がのった雑誌とか、紙の観光案内が残っていたようで、なかなか間違い電話は止まらなかった。だから、僕んちでタケノコ料理がほとんど出てこなくなった。お父さんも、お母さんも怒っていたのだ。でも僕は知らないっと。

 

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 6 / 26 )

45.やってきた人たち

 

 

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 伊豆高原の僕んちには、東京とか、横浜とか、もっと遠い神戸とかから、たくさんの人がやってきた。

 

 僕んちには、一階の和室がお客さん用のたった一つの部屋だったから、泊まって行くお客さんは少なかった。でも、たくさんの人がやってきて、僕をなでお土産をくれて、お散歩に連れて行ってくれて帰って行った。みんな、みんなそれぞれにおもしろかった。

 

 おばあちゃんやおばさんみたいな身内の人以外で、はじめてきてくれたのは、お母さんの通っていた横浜のキリスト教会の牧師さんご夫妻。

 

 牧師さんは、いつも穏やかの笑い顔でいらしたし、奥さまは、その先生を後ろで支えている感じで僕も気に入った。いっぱい、なでてもらったし、お土産ももらったから、僕もサービス。奥さまの膝に乗ったり、先生とお父さんが呼んでいた牧師さんの顔を匂ったり…。

 

 いつだったか覚えていないけど、熱海の梅林で会った時なんかは、牧師さんの奥さまに僕はリードを持ってもらって、犬の僕が入れない建物をお父さんとお母さんが見に行ってしまった時、心配しないでもすぐ帰ってくるからと、僕のことを慰めてくれた。優しい人だなぁと思いながら、リードをうんと引っ張って、お父さんたちが入った入口を見続けていた僕を思い出す。本当は心配だったのだ。

 

 おおぜいでやってきてくれたのは、お母さんの横浜の友達の鈴木さんのご家族。明治学院の教授のご主人と、二人のおんなの子供さんが一緒だった。お土産ももらって、僕の大好きない、かわい~~~~~~って声をかけてくれる女の子にはぴったり寄り添ってなででもらっていた。二人が、とてもいいにおいがするので、気持ちが良かったね。

ご飯を食べて、そのあと、みんなで明治学院大のセミナーハウス・セレベンス館まで、散歩に行って、僕は大興奮。みんなが帰った後は、僕んちががらんどうで、急にさびしくなったのを覚えている。たくさんの人といると、たのしいのだと学んだのだ。

 

 二度もやってきてくれたのは、お父さんが大学時代にアルバイトをやっていて、そこでお世話になったという石川さんご夫妻。もうせん犬を飼っていたお二人は優しく、僕はべったりしていた。東京から車で来て、近くなんだけど道がわからないと電話が入った。僕とお父さんは、すぐにホンダのポシェットに乗って、大室高原シャボテン公園管理センターの駐車場までお出迎え。帰りに、いつものぶどうの実でタルトを買って、石川さんの車を先導して僕んちに着いた。お父さんと石川さんが話している間じゅう、僕は奥様に膝に頭を乗っけて、なでてもらっていた。石川さんは、その日のうちに下田まで行くんだって、短い滞在だった。でも、またまた僕の知った人が増えた。二度目の時は、もう全く警戒の気持ちはなくて、奥様にべったりしていた。

 

 伊豆高原の僕んちに遊びに来て、何日か泊まって行ったのは、お父さんの親友の炬口さん。高校2年の時からの40年以上のお友達だということで、お母さんも一緒にお酒を飲んで、和室に泊まっていた。話とお酒が大好きで、お父さんとずっと飲んでいたような気がする。

 

 でも、一つ困ったことがあった。それは炬口さんがまだ禁煙していなくて、一日に2箱もピースという、匂いは良いのだけれど、辛い煙のするタバコを手放さなかったことだ。

 

 お母さんが最初に反応した。うち中がタバコの匂いで満ちてしまったから。お父さんは、二日目には自分も困って、悪いけど、タバコは庭で吸ってくれないかなぁと頼んでいた。それから、炬口さんはリビングから出て、お父さんが作ったウッド・デッキでピースを吸っては帰ってきていた。

 

 炬口さんはプロのカメラマンで、日本中を旅していた。その頃、本拠は神戸の近くで、伊豆高原までお父さんを訪ねてきてくれたわけ。プロのカメラマンは、スナップみたいな写真は撮るのがいやらしく、なかなかカメラはとりださなかった。

 

 最初で最後に、カメラを構えて写真を撮ったのは、僕んちの玄関の前。僕をお父さんが抱いてくれて、そこに並んで炬口さんが写っていた。シャッターはお母さんが押した。

 

 あとになって、お父さんの高校の時の同窓会の炬口さんの記事の中に、その写真が使われていた。そして、その写真に並んで、高校時代の丸帽をかぶった高校生の二人の写真があった。それが、高校生の頃のお父さんと炬口さん。お父さんが、こんな写真もっていたんだとうれしそうに言っていた。

 

 いろんな人が僕んちに来て、僕も親しい人が増えて行った。だから、僕は人間が大好きな犬になっていったのだ。

 

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 7 / 26 )

46.伊豆高原のシュナウたち

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 伊豆高原の僕んちの周りには、今まで紹介したワンちゃんたちの他にも、いろんなワンちゃん達がいた。

 

 決してみんなとお友達ということではなかったけれど、僕は、みんなみんなと友達…の思いがいっぱいだったから、たくさんのワンちゃんに近づいた。

 

 同じミニチュア・シュナウザーの仲間から始めると、前に書いた初恋のローズテラスのアミちゃんは、何度もお店で遊ばせてもらったから、桜のアイスと一緒に決して忘れない。黒の細身の体が美しくて、会いたいなぁと今でも思う。

 

 定番の大室山の方への別荘の散歩道を行くと、丘の上に壁がブルーのペンション・スカイブルーがあった。そこのワンちゃんがいることはワンワンという鳴き声がしていたので、お父さんと近くまで登っていったけれどワンちゃんは見えなかった。

 

 そんなある日、定番の散歩道を登っていたら、角を曲がって小学生に連れられたぼさぼさのワンちゃんにあった。僕は、いつものように、さっそく挨拶に行く。匂いでシュナウザーだとわかった。けれど、お父さんにはシュナウザーだとは分かんなかったみたいで、その小学生に、なんて種類の犬ですかときいていた。小学生は、シュナウザーだと言った。わぁ~、ぼさぼさで分かんないやとお父さん。

 

 耳も眉毛も、シュナウのしるしのあごひげもみんなもしゃもしゃの毛の中に埋まっていて、シュナウだとわかる人はいないような恰好をしていた。お父さんは、毛を切ってやったらいいのにと言った。スカイブルーの周りを歩くと、ワンワンという声が聞こえたから、もしゃもしゃのままでも元気でいるみたい。

 

 ケーキ屋さんのぶどうの実に行く道の、二本下に並行して走る石ころ道があった。

そこに一軒、ポツンと平屋の別荘が立っていた。かなり手入れが悪く、屋根も、壁も、ペンキがはがれて、もともと、どんな色の家だったかもわからないような小屋だった。

ある日、お父さんとその道をガラスと工芸美術館の方に歩いていたら、ワーゲンが止まっていた。珍しいなとお父さんが言った時、別荘のドアが開いて、シュナウザーとその仔のお父さんが姿を見せた。そのシュナウとは、鉄の門扉で隔てられてうまく挨拶ができなかったのだけれど、僕と体の大きさも、たぶん歳も同じくらいのオスのシュナウザーだった。

 

 いつもは締まっている別荘だったけれど、時々、ワーゲンとシュナの姿を見るようになった。運がいいと、鼻を合わせることができた。

 

 僕とお父さんの散歩は、ときにはとても遠くまで歩くことがあった。その日は、遠笠山道路に大室山がすぐそばまで近づいたところにある、スペイン料理のグラナダから入り込んだ道を歩いていた。僕んちから、3~4キロも歩いていた。坂道を登っていくと、お父さんが、あれ、シュナウの置物があるよと僕に言った。それは二匹のシュナウザーのいる3階建ての建物だった。僕の声を聴いて、大人のシュナウザーがベランダに走り出てきた。その仔のお母さんが窓から見下ろしている。よく手入れされた、シュナウだった。

 

 お父さんがコンニチハと声をかけると、お母さんとそのシュナウが門のところまで降りてきた。僕にそっくり。その仔が総次郎君。もう一匹、子供のシュナウがいたけれど、名前は聞かなかった。シュナウの二頭飼いは初めてで、お父さんが話しこんでいた。

 

 その後、お母さんを引っ張って、その道を歩いていたら、すぐ前の別の家から出てきた優しそうなおばさんに、「総次郎君かい?」って聞かれた。僕は誰でも声をかけてくれたら、なでて貰いに近づいていく。お母さんが、これはチェルトですと言っている。僕は構わないで、その人のところに行って、大好きです光線を出してしっぽを振ってなでて貰った。総次郎君に間違えられようが構わない。

 

 ある日、ワンちゃんと一緒に泊まれるホテルの最初のホテル、プチホテル・サンロードの近くを歩いていたら、ある別荘にポルシェが止まっていた。

 

 お父さんは、車が大好きだから車庫に近づいてブルーのポルシェを見ていた。ワンワンと声が聞こえるなと思っていたら、シュナウの女の子、はなちゃんが庭に出てきた。女の子のシュナウは久しぶり。僕は仲良くなろうと、門扉のところまで行って、待っていたけれど、はなちゃんは吠えてばかりで、挨拶はできそうにもない。はなちゃんの声を聞いて、はなちゃんのお母さんが出てきたのだけれど、この子は犬がこわいらしくて、なかなか友達ができないのですと言った。

 

 同じシュナウでも、仲間や人間が大好きな仔と、嫌いな仔がいるんだと初めて知った。僕にはでも不思議だった。挨拶するのは当たり前。仲良くするのも当たり前と、犬のお父さんやおばさんから瀬田で教えられていたから…。友達ができるとうれしいのに…と思った。時々、ポルシェが止まっていると、はなちゃんの匂いがした。でも挨拶はできなかった。残念。

 

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 8 / 26 )

47.我慢の僕

 

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 僕の縄張りは、もちろん僕んち。お庭も含めて。

 そして、家の車。そして、家の前の遊歩道。

 

 この縄張りの中では、僕は決して、おしっこもウンチもしなかった、ほんとの例外を除いて。

 

 ウンチとおしっこについては、もうせん話したように、お父さんと厳しい戦いをしたことがある。30時間におよぶ我慢比べだ。お父さんは、なんとか僕に、家のリビングのオシッコ・シートの上で、おしっこをさせようと思ったらしく、30時間もの我慢比べ。

 

 最終的には、お父さんが獣医さんに怒られて僕の勝ち。これで、縄張りの中では、決しておしっこもウンチもしない僕が出来上がった。お父さんとお母さんは、それから毎日2回は、僕を散歩に連れ出さなくてはならなくなった。

 

 僕は、遠い遠いご先祖さま、狼から受け継いだDNAの「決して自分の巣穴の近くでは、おしっこもウンチもしてはならない。どこかにいる敵に自分の巣穴を教えることになるから…」を守って、決して縄張りの中ではおしっこもウンチもしなかった、いやできなかった。

 

 でも、僕が一番困ったのは、車の中。僕んちには、ボロボロと走るスバルと、本当はお母さんが買ったホンダのポシェットの2台の車があった。

 

 近くのお出かけは、ほとんどはお父さんが運転するポシェット。ごみ出し、桜の里のお散歩なんかは、いつもポシェット。

 

 ちょっと遠くでは、ホームセンターのカインズとかハンディーまで、ポシェットに乗っけられて、ついていった。お父さんとお母さんと三人一緒の時もあった。ホームセンターでは結構、長い時間待たされた。僕一人で、ポシェットかスバルの中で二人が買い物を終わるまで待つのだ。

 

 電気屋さんのノジマとか、お父さんが車の修理とかで出かけるスバルのお店とか、ポシェットのホンダとかについていくこともあった。そして、車の中で、お父さんの用事が終わるのを待つ。本当は一緒に歩きたいのだけれど、こうしたお店には犬の僕は決して入れない。だから、車の中で待つしかないのだ。

 

 近くのスーパーのヤオハンへの買い物の時も、結構長い間、地下のくらい駐車場でいっぱい待たされた。

 

 いつだったかは、伊東駅前のスーパー・ナガヤの屋上の駐車場で、長い間待たされてた。何故、屋上かというと、車の近くに人が来ると僕が落ち着かないのをお父さんが知っていたからだ。僕が、すこし開けてもらった窓から鼻を出して外を見ていると、だれかが近づいてくる。そのたびに、僕は吠えるべきなのか、それとも甘えて、少しでもなでて貰おうかと迷うのだ。

 

 いつも、それは僕のジレンマ。

 

 それに、もう一つの悩みは、近くのお店にお出かけの時は、車から降ろしてもらっておしっこをすることはできなかった。みんなと出かけるのは大好きだけれど、おしっこを我慢しながら、車の中で待つのは嫌だった。車は僕の縄張り。決しておしっこをしていい場所ではなかった。だから頑張って待つしかないわけで…。

 

 そんなある日、お父さんとお母さんの三人で、ユニーへお買いもの。やっぱり待たされるんだとあきらめながら駐車場に入った。いつもは一階の駐車場なのに、その日はなぜか屋上へ。窓を少し開けてもらって、その時はおしっこを我慢しながら、車の中で待っていた。

 

 お買い物を済ませた二人が帰ってきた。

 荷物を積み込んで、おうちに帰るんだとやっと安心した途端、お父さんが、僕を抱きかかえて、屋上のユニーの入り口に走る。お母さんもついてくる。

 

 まわりを見回して、お父さんはぼくを抱えたまま犬の入れないユニーの店内に。お母さんもついて入ってくる。いいのかなあと思っていたら、カーテンで囲まれた箱の中に連れて行かれた。早く早くと、お父さんが言っている。お母さんが、コインをじゃらじゃら言わせながら、取り出している。お父さんが僕を二人の真ん中に抱えて、何かがピカリと光った。

 

 何度か光って、またお父さんが、おしっこを我慢している僕をギュッと横抱きにして、スバルに走る。お母さんが、何かを持ってついてくる。僕たちは、誰にも見られずにスバルに戻った。

 

 やったねとお父さん。それが僕の初めてのプリクラ体験だった。

 

 プリクラを見せてくれたけど、よくわからない。僕は、おしっこを我慢しながら待つのだったら、プリクラよりアイスクリームの方がよかったのだと思う。横抱きにされたときは、僕はおしっこを漏らしそうだったのだ、本当は。

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
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