M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 7 / 26 )

46.伊豆高原のシュナウたち

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 伊豆高原の僕んちの周りには、今まで紹介したワンちゃんたちの他にも、いろんなワンちゃん達がいた。

 

 決してみんなとお友達ということではなかったけれど、僕は、みんなみんなと友達…の思いがいっぱいだったから、たくさんのワンちゃんに近づいた。

 

 同じミニチュア・シュナウザーの仲間から始めると、前に書いた初恋のローズテラスのアミちゃんは、何度もお店で遊ばせてもらったから、桜のアイスと一緒に決して忘れない。黒の細身の体が美しくて、会いたいなぁと今でも思う。

 

 定番の大室山の方への別荘の散歩道を行くと、丘の上に壁がブルーのペンション・スカイブルーがあった。そこのワンちゃんがいることはワンワンという鳴き声がしていたので、お父さんと近くまで登っていったけれどワンちゃんは見えなかった。

 

 そんなある日、定番の散歩道を登っていたら、角を曲がって小学生に連れられたぼさぼさのワンちゃんにあった。僕は、いつものように、さっそく挨拶に行く。匂いでシュナウザーだとわかった。けれど、お父さんにはシュナウザーだとは分かんなかったみたいで、その小学生に、なんて種類の犬ですかときいていた。小学生は、シュナウザーだと言った。わぁ~、ぼさぼさで分かんないやとお父さん。

 

 耳も眉毛も、シュナウのしるしのあごひげもみんなもしゃもしゃの毛の中に埋まっていて、シュナウだとわかる人はいないような恰好をしていた。お父さんは、毛を切ってやったらいいのにと言った。スカイブルーの周りを歩くと、ワンワンという声が聞こえたから、もしゃもしゃのままでも元気でいるみたい。

 

 ケーキ屋さんのぶどうの実に行く道の、二本下に並行して走る石ころ道があった。

そこに一軒、ポツンと平屋の別荘が立っていた。かなり手入れが悪く、屋根も、壁も、ペンキがはがれて、もともと、どんな色の家だったかもわからないような小屋だった。

ある日、お父さんとその道をガラスと工芸美術館の方に歩いていたら、ワーゲンが止まっていた。珍しいなとお父さんが言った時、別荘のドアが開いて、シュナウザーとその仔のお父さんが姿を見せた。そのシュナウとは、鉄の門扉で隔てられてうまく挨拶ができなかったのだけれど、僕と体の大きさも、たぶん歳も同じくらいのオスのシュナウザーだった。

 

 いつもは締まっている別荘だったけれど、時々、ワーゲンとシュナの姿を見るようになった。運がいいと、鼻を合わせることができた。

 

 僕とお父さんの散歩は、ときにはとても遠くまで歩くことがあった。その日は、遠笠山道路に大室山がすぐそばまで近づいたところにある、スペイン料理のグラナダから入り込んだ道を歩いていた。僕んちから、3~4キロも歩いていた。坂道を登っていくと、お父さんが、あれ、シュナウの置物があるよと僕に言った。それは二匹のシュナウザーのいる3階建ての建物だった。僕の声を聴いて、大人のシュナウザーがベランダに走り出てきた。その仔のお母さんが窓から見下ろしている。よく手入れされた、シュナウだった。

 

 お父さんがコンニチハと声をかけると、お母さんとそのシュナウが門のところまで降りてきた。僕にそっくり。その仔が総次郎君。もう一匹、子供のシュナウがいたけれど、名前は聞かなかった。シュナウの二頭飼いは初めてで、お父さんが話しこんでいた。

 

 その後、お母さんを引っ張って、その道を歩いていたら、すぐ前の別の家から出てきた優しそうなおばさんに、「総次郎君かい?」って聞かれた。僕は誰でも声をかけてくれたら、なでて貰いに近づいていく。お母さんが、これはチェルトですと言っている。僕は構わないで、その人のところに行って、大好きです光線を出してしっぽを振ってなでて貰った。総次郎君に間違えられようが構わない。

 

 ある日、ワンちゃんと一緒に泊まれるホテルの最初のホテル、プチホテル・サンロードの近くを歩いていたら、ある別荘にポルシェが止まっていた。

 

 お父さんは、車が大好きだから車庫に近づいてブルーのポルシェを見ていた。ワンワンと声が聞こえるなと思っていたら、シュナウの女の子、はなちゃんが庭に出てきた。女の子のシュナウは久しぶり。僕は仲良くなろうと、門扉のところまで行って、待っていたけれど、はなちゃんは吠えてばかりで、挨拶はできそうにもない。はなちゃんの声を聞いて、はなちゃんのお母さんが出てきたのだけれど、この子は犬がこわいらしくて、なかなか友達ができないのですと言った。

 

 同じシュナウでも、仲間や人間が大好きな仔と、嫌いな仔がいるんだと初めて知った。僕にはでも不思議だった。挨拶するのは当たり前。仲良くするのも当たり前と、犬のお父さんやおばさんから瀬田で教えられていたから…。友達ができるとうれしいのに…と思った。時々、ポルシェが止まっていると、はなちゃんの匂いがした。でも挨拶はできなかった。残念。

 

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 8 / 26 )

47.我慢の僕

 

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 僕の縄張りは、もちろん僕んち。お庭も含めて。

 そして、家の車。そして、家の前の遊歩道。

 

 この縄張りの中では、僕は決して、おしっこもウンチもしなかった、ほんとの例外を除いて。

 

 ウンチとおしっこについては、もうせん話したように、お父さんと厳しい戦いをしたことがある。30時間におよぶ我慢比べだ。お父さんは、なんとか僕に、家のリビングのオシッコ・シートの上で、おしっこをさせようと思ったらしく、30時間もの我慢比べ。

 

 最終的には、お父さんが獣医さんに怒られて僕の勝ち。これで、縄張りの中では、決しておしっこもウンチもしない僕が出来上がった。お父さんとお母さんは、それから毎日2回は、僕を散歩に連れ出さなくてはならなくなった。

 

 僕は、遠い遠いご先祖さま、狼から受け継いだDNAの「決して自分の巣穴の近くでは、おしっこもウンチもしてはならない。どこかにいる敵に自分の巣穴を教えることになるから…」を守って、決して縄張りの中ではおしっこもウンチもしなかった、いやできなかった。

 

 でも、僕が一番困ったのは、車の中。僕んちには、ボロボロと走るスバルと、本当はお母さんが買ったホンダのポシェットの2台の車があった。

 

 近くのお出かけは、ほとんどはお父さんが運転するポシェット。ごみ出し、桜の里のお散歩なんかは、いつもポシェット。

 

 ちょっと遠くでは、ホームセンターのカインズとかハンディーまで、ポシェットに乗っけられて、ついていった。お父さんとお母さんと三人一緒の時もあった。ホームセンターでは結構、長い時間待たされた。僕一人で、ポシェットかスバルの中で二人が買い物を終わるまで待つのだ。

 

 電気屋さんのノジマとか、お父さんが車の修理とかで出かけるスバルのお店とか、ポシェットのホンダとかについていくこともあった。そして、車の中で、お父さんの用事が終わるのを待つ。本当は一緒に歩きたいのだけれど、こうしたお店には犬の僕は決して入れない。だから、車の中で待つしかないのだ。

 

 近くのスーパーのヤオハンへの買い物の時も、結構長い間、地下のくらい駐車場でいっぱい待たされた。

 

 いつだったかは、伊東駅前のスーパー・ナガヤの屋上の駐車場で、長い間待たされてた。何故、屋上かというと、車の近くに人が来ると僕が落ち着かないのをお父さんが知っていたからだ。僕が、すこし開けてもらった窓から鼻を出して外を見ていると、だれかが近づいてくる。そのたびに、僕は吠えるべきなのか、それとも甘えて、少しでもなでて貰おうかと迷うのだ。

 

 いつも、それは僕のジレンマ。

 

 それに、もう一つの悩みは、近くのお店にお出かけの時は、車から降ろしてもらっておしっこをすることはできなかった。みんなと出かけるのは大好きだけれど、おしっこを我慢しながら、車の中で待つのは嫌だった。車は僕の縄張り。決しておしっこをしていい場所ではなかった。だから頑張って待つしかないわけで…。

 

 そんなある日、お父さんとお母さんの三人で、ユニーへお買いもの。やっぱり待たされるんだとあきらめながら駐車場に入った。いつもは一階の駐車場なのに、その日はなぜか屋上へ。窓を少し開けてもらって、その時はおしっこを我慢しながら、車の中で待っていた。

 

 お買い物を済ませた二人が帰ってきた。

 荷物を積み込んで、おうちに帰るんだとやっと安心した途端、お父さんが、僕を抱きかかえて、屋上のユニーの入り口に走る。お母さんもついてくる。

 

 まわりを見回して、お父さんはぼくを抱えたまま犬の入れないユニーの店内に。お母さんもついて入ってくる。いいのかなあと思っていたら、カーテンで囲まれた箱の中に連れて行かれた。早く早くと、お父さんが言っている。お母さんが、コインをじゃらじゃら言わせながら、取り出している。お父さんが僕を二人の真ん中に抱えて、何かがピカリと光った。

 

 何度か光って、またお父さんが、おしっこを我慢している僕をギュッと横抱きにして、スバルに走る。お母さんが、何かを持ってついてくる。僕たちは、誰にも見られずにスバルに戻った。

 

 やったねとお父さん。それが僕の初めてのプリクラ体験だった。

 

 プリクラを見せてくれたけど、よくわからない。僕は、おしっこを我慢しながら待つのだったら、プリクラよりアイスクリームの方がよかったのだと思う。横抱きにされたときは、僕はおしっこを漏らしそうだったのだ、本当は。

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 9 / 26 )

48.二人だけのお出かけ

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 お母さんがテンプスタッフでお仕事の時は、僕とお父さんの二人で、ポシェットにのって伊豆高原の近くに、お散歩に連れて行ってもらった。

 

 初めての場所は、他のあたらしいワンちゃんの匂いもするし、うまくするとお友達もできるからよろこんでついていった。

 

 コースは、海と港が多かった。

 

 一番近くは八幡野のみなと。桜並木をまっすぐ下りて行って、ちょっと国道を下田の方へ走って、すぐに左に下りていく。

 

 小さなみなとで、伊豆高原駅に一番近いみなと。小さなみなとなんだけど、ちゃんと漁師さんがいて、時には船も入っている。僕は、そんなにお魚は好きではないけど、八幡野のみなとに行くと必ずお猫ちゃんに会えた。いっぱい、いっぱいいた。みんな、漁師さんから、お魚をもらっているお猫ちゃんたちだ。お友達になろうと、近づくんだけど、お猫ちゃんはさっと自分の場所に行ってしまう。鼻はあわすこともできない。つまんない。お父さんはやめろというけれど、ミーシャとボニーという猫の友達がいるから、僕は平気。

 

 いつもはたくさんの人はいないけど、お魚をとりに行く船がたくさん、みなとのスロープに引き上げられていた。その前が、防波堤に囲まれたみなと。

 

 お父さんはみなとのコンクリートのスロープを歩いて、僕を左の方の石がいっぱいある海岸に連れて行った。おおきな波がざっぶ~~~んとよせてくる。海に匂いがする。丸っこい石だらけで、僕はちょっと歩きにくい。お腹が石にこすれてしまう。だから、ちょっと苦手。

 

 お父さんは、大きなペットボトルで海の水をすくっていた。お母さんが買ってきたアサリとかハマグリを泳がせて、砂を吐き出させるんだとお父さんが言っていた。

 

 みなとには小さな旅館があったりして、運がいいと、僕をなでてくれる人が現れる。だから僕は浜より、みなとの近くの通りのお店とか、食堂のある所かのほうが好きだった。一番のお気に入りは、スキューバダイビングの学校。

 

 いっぱい若い女の人が、スキューバの変な服をつけて歩いている。僕を見つけると、たいてい、かわい~って言って僕の周りに集まってくる。そして、優しい手がたくさん伸びて、僕をなでてくれる。時には、まだ海の水にぬれている手で触られたりする。でも僕はなでてもらう方がいい。だからどんどん近づいていく。

 

 八幡野のみなとのすぐ近くに、同じような赤沢のみなとがあった。僕の大好きな、あの赤沢の別荘地のすぐ下だ。ここにもよくお父さんと出かけた。

 

 赤沢のみなとには、コンクリートの大きな、高いでっぱりが、遠く沖の方に海の中に突き出していた。お父さんについて高い突堤をあるいていくと、すぐ下に深い海が見える。僕の足は、だんだんのろくなって、腰が下がってくる。お父さんが、どんどん先に行こうと引っ張るんだけど、僕の足は思うようには進まない。その突堤が高くて、僕は足がすくんでしまうのだ。おしっこをもらしたことはないけど、ほんとうに怖かった。

 

 ここも、スキューバの人たちがたくさんいて、僕はなでてもらって、幸せな気持ちになった。

 

 赤沢で一番僕が好きだったのは、赤沢の真っ白い砂浜を歩いていくと、端っこにある砂湯だった。ちいさな小屋の中で、みんな着物を脱いで入ってくる。海のすぐそばの露天風呂で、海を見ている。入っている人は気持ちよさそう。

 

 人がいないと、お父さんは僕を抱いて、あったかいお湯に後ろ足をつけてくれる。あったかくていい気持ち。温かいだろう…とお父さん。お父さんは、ちょっと手をつけて、いい温泉だねと言っていた。でも、自分で入っているのを見たことはない。

 

 お父さんは、ここが大室山の溶岩が流れてできた岩の丘のはしっこだよっと言っていた。

 

 そんなお父さんとの二人の時間は、ゆっくり過ぎて行った気がする。

 

 お母さんが仕事から帰ってくる前に、僕たちのポッシェトは僕んちに帰っていた。こうして、僕たち二人だけしか知らない、お母さんが知らない場所がふえて行った。僕の散歩も、いつものコースだけではなくなって、僕は新しい場所を楽しんでいた。

 

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 10 / 26 )

49.山中湖へ…

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 明日、山中湖まで、みんなで出かけようかとお父さんが言った。

 僕は聞き逃さなかった。お出かけはどこでもみんなと一緒で楽しいから。明日は山△□とか言っていたから、僕には知らないところだった。

 

 翌日、僕はバリケンの中で早く目が覚めたので、耳を二階の方に集中させて物音を聞いていた。

 

 僕んちでは、お母さんよりお父さんの方が早く起きてくる。階段を下りる音で、お父さんかお母さんかすぐにわかる。お父さんの方が早い音だ。

 

 お父さんは、自分のご飯の前に、僕のドッグフードを僕のボールに入れてくれる。

だからいつも朝ごはんはお父さんと一緒。ドッグフードを食べ終わてお父さんのところに行って、ちょうだいな光線を出しても、朝はあまり期待できない。大体はお父さんの朝はおそばだったから、数本のおそばが僕の目の前に下りてくる。お父さんがはしで、僕の口の近くまでおろしてくれるのだ。さいしょのころは、なかなかうまく食べられなかったけれど、ふらりと揺れるおそばをうまく口で捕まえることができるようになって一応満足だった。

 

 ご飯を終えると、さて今日はどの道を走ろうかな…と言いながら、お父さんは地図を広げている。僕は分からないけれど、地図をそばに座ってみている。

 

 沼津から東名だなとお父さん。僕は東名って知らない。

 

 お母さんが、みんなのお弁当を作り、僕の水とボールとリードとシートベルトをそろえてくれて、三人でボロボロいうスバルでお出かけだ。

 

 いつもワインを買いに行く道を走るらしい。僕の嫌いなぐにゃぐにゃ道も、今日はお父さんの運転だから車酔いはなかったので、どんどん走った。いつもの大仁のワインさんの道ではなくて、修善寺から有料道路を走って三島へと向かう。でも、降りたところから車は急に走れなくなった。渋滞だとお父さん。ボロボロ元気に走っていたスバルは、走っては止まり走っては止まりだ。ちっとも前に進まない。やっと三島を出たと思ったら、国道一号線から沼津インターへの道が、やはり大渋滞。

 

 東名高速で、スバルがボロボロ元気な音を出してすごいスピードで走りだすまで、家から3時間くらいたっていた。

 

 お父さんは、ブツブツ言いながらスバルを運転していた。お父さんの予定が狂ったらしい。僕は、後ろの席の僕のマットに乗っていたから、どこを走っているかなんて問題ではなかった。みんなと一緒。それが一番。

 

 お父さんが、今日は山中湖まで行って帰ってくるのはきついなぁとお母さんに話している。御殿場からまだまだ時間がかかるから、しょうがないから箱根にでも行ってみようかと話している。どうも、山中湖には僕は連れて行ってもらえないらしい。

 

 東名を御殿場で降りて、山中湖とは反対の箱根への峠の道を登っていく。スバルはボロボロ元気。渋滞はない。

 

 でも、お父さんは、仙石原に行けばどこかいい場所がるだろうと思っていたようで、どこだか知らなかったようだ。どこに行く?とおかあさんに相談している。お母さんも知らない。とにかく芦ノ湖の湖尻に行って案内所で聞こうとお父さん。

 

 湖尻に着いたのはもう午後1時を過ぎていた。お腹がすいていた。おしっこもしたかった。

 

 お父さんが、観光案内所からにこにこしながらスバルに戻ってきた。近くにチェルトも遊べるところがあるって!

 

 僕たちは、やっと休めるところを見つけたわけだ。

 そこは「箱根ビジターセンター」だった。広い駐車場にスバルをとめて、まずはみんなでトイレ。そしてお弁当を持って、野鳥の森を抜けて、広い草原に出た。

 

 お母さんが、ビニールシートを広げて、みんなでやっと落ち着いた。お天気は良かったし、森もきれいだし、鳥の声もいっぱいしていた。気持ちがよかった。とにかくおなかがすいていたから、ゴハン、ゴハン。僕はドッグフードを食べて、お父さんたちが食べているオイナリさんを目で追っていた。僕はオイナリさんが大好きだ。やっと少しだけもらえて満足。

 

 リードを放してもらって、どんどん走って、森の中とか野原で、ワンちゃんの匂いの探検。森にはあまり匂いはなかったけれど、くさはらの木にはたくさんのワンちゃんの匂い。ぼくも匂いつけをして、お父さんたちのいるところに走って戻る。疲れたのか、お父さんは草原で眠っていた。

 

 お母さんが僕にリードをつけて、子供広場に行ってみましょと言って二人で草原と森を抜けて行った。明るい太陽の中で、子供たちがたくさん集まっていた。僕はなでてもらわなくてはと、ぐいぐいリードを引っ張って、お母さんを子供たちのところに連れて行く。でも、子供たちも先生と一緒にいるので、かわいいとは言っても僕に手は伸ばしては来ないで、つまらない。

 

 箱根ビジターセンターには、2時間くらいいただけで、またまたスバルの中。

 

 お父さんはブツブツ言いながら、湖尻から、箱根峠への細い道をスバルで走っていた。ちらちら芦ノ湖が見えたけれど、どんどんお父さんはスバルを走らせて、箱根の関所から箱根峠へ登って行った。

 

 あと楽しかったことは、途中で、富士山のよく見えるところでスバルをとめて、写真を撮ったくらいかなあ~。伊豆スカイラインンをブビュンビュン飛ばして、僕たちは家に夕方帰ってきた。山中湖は、僕たちには日帰りでは遠かったのだ。

 

 よほど疲れたのか、お父さんは夕食後ワインを飲んでから、寝てくると一人で、二階に上がって行った。

 

 僕はみんな一緒で楽しかったけれど、でもスバルの中に閉じ込められた時間は長かった。その後、山中湖にはいったことがない。

 

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
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