M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 9 / 26 )

48.二人だけのお出かけ

スキューバ.jpg

 

 お母さんがテンプスタッフでお仕事の時は、僕とお父さんの二人で、ポシェットにのって伊豆高原の近くに、お散歩に連れて行ってもらった。

 

 初めての場所は、他のあたらしいワンちゃんの匂いもするし、うまくするとお友達もできるからよろこんでついていった。

 

 コースは、海と港が多かった。

 

 一番近くは八幡野のみなと。桜並木をまっすぐ下りて行って、ちょっと国道を下田の方へ走って、すぐに左に下りていく。

 

 小さなみなとで、伊豆高原駅に一番近いみなと。小さなみなとなんだけど、ちゃんと漁師さんがいて、時には船も入っている。僕は、そんなにお魚は好きではないけど、八幡野のみなとに行くと必ずお猫ちゃんに会えた。いっぱい、いっぱいいた。みんな、漁師さんから、お魚をもらっているお猫ちゃんたちだ。お友達になろうと、近づくんだけど、お猫ちゃんはさっと自分の場所に行ってしまう。鼻はあわすこともできない。つまんない。お父さんはやめろというけれど、ミーシャとボニーという猫の友達がいるから、僕は平気。

 

 いつもはたくさんの人はいないけど、お魚をとりに行く船がたくさん、みなとのスロープに引き上げられていた。その前が、防波堤に囲まれたみなと。

 

 お父さんはみなとのコンクリートのスロープを歩いて、僕を左の方の石がいっぱいある海岸に連れて行った。おおきな波がざっぶ~~~んとよせてくる。海に匂いがする。丸っこい石だらけで、僕はちょっと歩きにくい。お腹が石にこすれてしまう。だから、ちょっと苦手。

 

 お父さんは、大きなペットボトルで海の水をすくっていた。お母さんが買ってきたアサリとかハマグリを泳がせて、砂を吐き出させるんだとお父さんが言っていた。

 

 みなとには小さな旅館があったりして、運がいいと、僕をなでてくれる人が現れる。だから僕は浜より、みなとの近くの通りのお店とか、食堂のある所かのほうが好きだった。一番のお気に入りは、スキューバダイビングの学校。

 

 いっぱい若い女の人が、スキューバの変な服をつけて歩いている。僕を見つけると、たいてい、かわい~って言って僕の周りに集まってくる。そして、優しい手がたくさん伸びて、僕をなでてくれる。時には、まだ海の水にぬれている手で触られたりする。でも僕はなでてもらう方がいい。だからどんどん近づいていく。

 

 八幡野のみなとのすぐ近くに、同じような赤沢のみなとがあった。僕の大好きな、あの赤沢の別荘地のすぐ下だ。ここにもよくお父さんと出かけた。

 

 赤沢のみなとには、コンクリートの大きな、高いでっぱりが、遠く沖の方に海の中に突き出していた。お父さんについて高い突堤をあるいていくと、すぐ下に深い海が見える。僕の足は、だんだんのろくなって、腰が下がってくる。お父さんが、どんどん先に行こうと引っ張るんだけど、僕の足は思うようには進まない。その突堤が高くて、僕は足がすくんでしまうのだ。おしっこをもらしたことはないけど、ほんとうに怖かった。

 

 ここも、スキューバの人たちがたくさんいて、僕はなでてもらって、幸せな気持ちになった。

 

 赤沢で一番僕が好きだったのは、赤沢の真っ白い砂浜を歩いていくと、端っこにある砂湯だった。ちいさな小屋の中で、みんな着物を脱いで入ってくる。海のすぐそばの露天風呂で、海を見ている。入っている人は気持ちよさそう。

 

 人がいないと、お父さんは僕を抱いて、あったかいお湯に後ろ足をつけてくれる。あったかくていい気持ち。温かいだろう…とお父さん。お父さんは、ちょっと手をつけて、いい温泉だねと言っていた。でも、自分で入っているのを見たことはない。

 

 お父さんは、ここが大室山の溶岩が流れてできた岩の丘のはしっこだよっと言っていた。

 

 そんなお父さんとの二人の時間は、ゆっくり過ぎて行った気がする。

 

 お母さんが仕事から帰ってくる前に、僕たちのポッシェトは僕んちに帰っていた。こうして、僕たち二人だけしか知らない、お母さんが知らない場所がふえて行った。僕の散歩も、いつものコースだけではなくなって、僕は新しい場所を楽しんでいた。

 

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 10 / 26 )

49.山中湖へ…

箱根ビジターセンター.gif

 

 明日、山中湖まで、みんなで出かけようかとお父さんが言った。

 僕は聞き逃さなかった。お出かけはどこでもみんなと一緒で楽しいから。明日は山△□とか言っていたから、僕には知らないところだった。

 

 翌日、僕はバリケンの中で早く目が覚めたので、耳を二階の方に集中させて物音を聞いていた。

 

 僕んちでは、お母さんよりお父さんの方が早く起きてくる。階段を下りる音で、お父さんかお母さんかすぐにわかる。お父さんの方が早い音だ。

 

 お父さんは、自分のご飯の前に、僕のドッグフードを僕のボールに入れてくれる。

だからいつも朝ごはんはお父さんと一緒。ドッグフードを食べ終わてお父さんのところに行って、ちょうだいな光線を出しても、朝はあまり期待できない。大体はお父さんの朝はおそばだったから、数本のおそばが僕の目の前に下りてくる。お父さんがはしで、僕の口の近くまでおろしてくれるのだ。さいしょのころは、なかなかうまく食べられなかったけれど、ふらりと揺れるおそばをうまく口で捕まえることができるようになって一応満足だった。

 

 ご飯を終えると、さて今日はどの道を走ろうかな…と言いながら、お父さんは地図を広げている。僕は分からないけれど、地図をそばに座ってみている。

 

 沼津から東名だなとお父さん。僕は東名って知らない。

 

 お母さんが、みんなのお弁当を作り、僕の水とボールとリードとシートベルトをそろえてくれて、三人でボロボロいうスバルでお出かけだ。

 

 いつもワインを買いに行く道を走るらしい。僕の嫌いなぐにゃぐにゃ道も、今日はお父さんの運転だから車酔いはなかったので、どんどん走った。いつもの大仁のワインさんの道ではなくて、修善寺から有料道路を走って三島へと向かう。でも、降りたところから車は急に走れなくなった。渋滞だとお父さん。ボロボロ元気に走っていたスバルは、走っては止まり走っては止まりだ。ちっとも前に進まない。やっと三島を出たと思ったら、国道一号線から沼津インターへの道が、やはり大渋滞。

 

 東名高速で、スバルがボロボロ元気な音を出してすごいスピードで走りだすまで、家から3時間くらいたっていた。

 

 お父さんは、ブツブツ言いながらスバルを運転していた。お父さんの予定が狂ったらしい。僕は、後ろの席の僕のマットに乗っていたから、どこを走っているかなんて問題ではなかった。みんなと一緒。それが一番。

 

 お父さんが、今日は山中湖まで行って帰ってくるのはきついなぁとお母さんに話している。御殿場からまだまだ時間がかかるから、しょうがないから箱根にでも行ってみようかと話している。どうも、山中湖には僕は連れて行ってもらえないらしい。

 

 東名を御殿場で降りて、山中湖とは反対の箱根への峠の道を登っていく。スバルはボロボロ元気。渋滞はない。

 

 でも、お父さんは、仙石原に行けばどこかいい場所がるだろうと思っていたようで、どこだか知らなかったようだ。どこに行く?とおかあさんに相談している。お母さんも知らない。とにかく芦ノ湖の湖尻に行って案内所で聞こうとお父さん。

 

 湖尻に着いたのはもう午後1時を過ぎていた。お腹がすいていた。おしっこもしたかった。

 

 お父さんが、観光案内所からにこにこしながらスバルに戻ってきた。近くにチェルトも遊べるところがあるって!

 

 僕たちは、やっと休めるところを見つけたわけだ。

 そこは「箱根ビジターセンター」だった。広い駐車場にスバルをとめて、まずはみんなでトイレ。そしてお弁当を持って、野鳥の森を抜けて、広い草原に出た。

 

 お母さんが、ビニールシートを広げて、みんなでやっと落ち着いた。お天気は良かったし、森もきれいだし、鳥の声もいっぱいしていた。気持ちがよかった。とにかくおなかがすいていたから、ゴハン、ゴハン。僕はドッグフードを食べて、お父さんたちが食べているオイナリさんを目で追っていた。僕はオイナリさんが大好きだ。やっと少しだけもらえて満足。

 

 リードを放してもらって、どんどん走って、森の中とか野原で、ワンちゃんの匂いの探検。森にはあまり匂いはなかったけれど、くさはらの木にはたくさんのワンちゃんの匂い。ぼくも匂いつけをして、お父さんたちのいるところに走って戻る。疲れたのか、お父さんは草原で眠っていた。

 

 お母さんが僕にリードをつけて、子供広場に行ってみましょと言って二人で草原と森を抜けて行った。明るい太陽の中で、子供たちがたくさん集まっていた。僕はなでてもらわなくてはと、ぐいぐいリードを引っ張って、お母さんを子供たちのところに連れて行く。でも、子供たちも先生と一緒にいるので、かわいいとは言っても僕に手は伸ばしては来ないで、つまらない。

 

 箱根ビジターセンターには、2時間くらいいただけで、またまたスバルの中。

 

 お父さんはブツブツ言いながら、湖尻から、箱根峠への細い道をスバルで走っていた。ちらちら芦ノ湖が見えたけれど、どんどんお父さんはスバルを走らせて、箱根の関所から箱根峠へ登って行った。

 

 あと楽しかったことは、途中で、富士山のよく見えるところでスバルをとめて、写真を撮ったくらいかなあ~。伊豆スカイラインンをブビュンビュン飛ばして、僕たちは家に夕方帰ってきた。山中湖は、僕たちには日帰りでは遠かったのだ。

 

 よほど疲れたのか、お父さんは夕食後ワインを飲んでから、寝てくると一人で、二階に上がって行った。

 

 僕はみんな一緒で楽しかったけれど、でもスバルの中に閉じ込められた時間は長かった。その後、山中湖にはいったことがない。

 

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 11 / 26 )

50.伊豆高原のそのほかのワンちゃんたち

 

ラブラドール.jpg

 

 

 伊豆高原の犬の友達とか、ねこの友達とかはもうみんなにしょうかいしたし、シュナウザーたちも紹介しました。

 

 こんどは、そのほかのワンちゃんたちも紹介します。

 特別の友達でもないけど、そのほかにもいろんなワンちゃんたちと出会いました。

 

 ちょっとさびしかったのは、三菱自動車の寮に飼われていたワンちゃん。

 名前は知らない。いつも寮の入口のところに、くさりにつながれてひなたぼっこをしていた。きっとミックス犬だったと思う。お父さんとの散歩の時に、アンナちゃんのおうちの方に行かないときには、三菱の寮の前を通っていた。

 

 リコールで三菱自動車は危ないらしいぞとお父さんが言っていた。

 前にはたくさんの車が来て、人も来てにぎわっていた寮も、ある時から急にお客さんが来なくなってガランとしてきた。

 

 ワンちゃんも構ってくれるお客がいなくてつまんなかったと思う。管理人さんのご夫婦と犬とが取り残された感じだった。いつまでいられるかわかんないぞとお父さんが言っていた通り、ある日、寮の門に鍵がかけられてしまってしまった。あのワンちゃんはどうしたのだろうと思うけど、分からない。寮はガランとした廃墟になって行った。さびしい気持ちになった。

 

 

 僕んちの前を毎日通るゴールデンがいた。名前はリョウちゃん。大きな犬で、茶褐色の雄犬。いつもおじいさんが散歩させていた。

 

 お母さんが、そのおじさんと話していたら僕にも聞こえてきたのだけれど、そのワンちゃんは、そのおじいさんの犬ではないんだって。おじいさんのおうちの前にある、おおきなペンション「サテンドール」の犬だとおじいさんは言っていた。飼い主さんが忙しくて(?? そのペンションは、そんなにはやっていなかった)、リョウちゃんをお散歩に連れて行ってあげられないようで、そのおじいさんが自分でリョウちゃんをお散歩に連れて行っていたみたい。

 

 リョウちゃんとは、家の前でも、お散歩の途中でも、あったら鼻を合わせて挨拶していた。飼い主さんに連れられたリョウちゃんを見たことがないから、リョウちゃんはよそのおじいさんにうんとなついていた。でも、ちょっと悲しそうなリョウちゃんだった。

 

 一番あいたくなかったのは、「ガーリック・ハウス」というレストランの後ろの道にいつもいる二匹の野良犬たち。僕とお父さんがその道を通ると、どこからかすっとあらわれて、僕たちの後ろをついてくる。そして、意地悪そうな目で僕たちを見ている。時には牙を見せて、ウウ~とうなってくる。僕はケンカなんてしたことがないから、お父さんの横にぴったりついて歩いていた。

 

 あるとき、一匹が僕たちを後ろから追っかけ、もう一匹が前に回って僕たちが待ち伏せされたことがある。僕は怖かった。二匹でうなっているんだもん。

 

 お父さんはぼくを抱き上げて、途中の横道に入った。二匹はその道までは追っかけてこなかった。きっとなわばりがあるんだとお父さん。なわばりってなんだか分からないけれど、近づいちゃいけない場所になった。いやな奴らだった。

 

 

 楽しかったのは、伊豆高原で最初にドッグ・ホテルをはじめた「プチホテル・サンロード」に来ていたお客さんのワンちゃんたちだ。僕の定番のお散歩道の途中だから、いつもワンちゃんの声がすると、僕はホテルのプールのところまでお父さんを引っ張っていく。そこからだと、いろんな種類のワンちゃんたちが飼い主さんに見守られながら、ドボンドボンとプールに飛び込んで遊んでいるのが見える。プールのまわりは芝生だから、ブルブルをして、舌を出して、寝そべっているワンちゃんたちがいる。

 

 僕はフェンスの外から、ワンちゃんたちを見ている。気がついたワンちゃんたちが、フェンスのところに鼻をつけて僕の匂いを嗅ぐ。僕もいろんな種類の犬の匂いを嗅いだ。でもちゃんとした挨拶はできなかった。一番よく覚えているのは、まっしろでとてもでっかい毛のふさふさしたピレニアン。僕をフェンスの内側から追っかけて、遊ぼうよと言っていた。でも遊べなかった。残念。

 

 こんな風に、僕の犬社会とのつながりは、広くなって行った。でも、みんな今どうしているのだろうと時々思う。

 

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 12 / 26 )

51.抹茶アイス 大好き! 天城高原

天城高原.jpg

 

 

 いつもワインを買いに大仁に出かけるときに通る道を、ろくろ場のところを曲がらないで、そのまま遠笠山道路を上っていくと左にI〇M会社の天城ロッジ。

 

 僕のお父さんが、昔はたらいていた会社のお客様向けのセミナーロッジだとお父さんは言っていた。お父さんは、なんどもここでお客様といっしょに食事をしたり、お酒を飲んだり、ミニゴルフをしたり、こうえんやデモをやったりしたそうだ。うらやましいなぁ…。そんなの、本当にお仕事なのかなぁ…。

 

 このロッジに来ていたのが、僕たちの新しい家を伊豆高原に選んだわけの一つだったと父さんとお母さんが話していた。

 

 このロッジを過ぎて、どんどん登っていくと、とうきゅうの高原ホテルというところに着く。ボロボロとスバルはきついのぼりを登ってきて、ごくろうさま。ここには何度も連れてきてもらった。

 

 僕の目的はまっちゃアイス。

 

 ここでしか食べられないアイスクリーム。だから、「あまぎこうげん」って聞くと、僕の頭の中には抹茶アイスが浮かんでくる。そして、ヨダが出てきてしまう。

 

 このあまぎこうげんには、ホテルだとか、ベコニア・ガーデンという、花のいっぱいさいたところもあるんだ。このベコニア・ガーデンには、ベコニアだけではなくて、バラだとか、木の実をつける木だとかもあって、ワンちゃんたちも入れるのだ。でも、僕には花はどうでもよくて、その前の売店で売っている抹茶アイスが大好き。ちょっとにがいけど、おいしいよ。

 

 うまくすると、お父さんやお母さんだけでなく、ちょうだいな光線を出して見ていると、知らない女の人がそのアイスをちょぴりくれたりする。うれしい。

 

 高原ホテルからは、天気が良ければ、富士山が大きく見えるようだ。お父さんたちは、楽しんでいたようだけれど、近視の僕にはそんな遠くは見えやしない。それに山なんか見てもつまらない。それに、楽しみにしている知らないワンちゃんたちにも、あまり会えない。だから、ワンちゃんのおしっこの匂いもあんまりしない。つまんない。

 

 楽しかったのは、ホテルのひろ~~~い駐車場。僕は、ボールを転がしてもらって、それを追っかけた。時にはお父さんが、ボールを高く投げ上げる。でも僕は高い所を見るのはどういうわけかニガテ。ボールが全く見えないから、追っかけられない。

 

 面白かったのは、呼ばれて走ること。

 お父さんとお母さんとが遠く離れて立って、片方がぼくにカムとめいれいを出す。僕は全速力で、4本の足、全てを空中に浮かせて、呼ばれた方にとんでいく。するとなでてもらえる。

 

 ステイって言われて、座っていると、今度は遠くでお母さんが、カム、チェルトと声をかけてくる。僕はまた全速力で、車のいない広い駐車場を走る。するとやさしくなでてもらえて気持ちいい。何度か走っていると、息がぜいぜい。そこでお水をもらってお休み。

 

 お父さんは、アスファルトやコンクリートのかたい地面をけって僕が走ると、僕のつめが、うまく丸くなって、短くなるんだという。そういえば、ぼくが走ると爪がカシカシカシカシと鳴った。お父さんの怖い、血の出る爪切りよりよっぽどいい!

 

 3時過ぎると、僕たちはうちにかえるのでスバルに乗り込む。

 

 途中に、お父さんが「お化けの出そうな別荘地」と呼んでいたところがある。沢山、別荘が立っているのだけど、いつも人がいない。細い道をくねくねスバルが走って行っても、誰にも出会わない。静かなところで、いろんな形の別荘や、マンションみたいな別荘(お父さんはコンドといっていた)もあるけど、ひとにもクルマにもワンちゃんにも出会わない。

 

 お父さんが言うには、天城は海からすぐ山になっているから、きりが出やすいんだって。スバルで、きりの中をゆっくり走ったことがある。きりが出ると大島も見えないなぁ、とお父さん。夕やみの別荘地は本当におばけが出そうだった。

 

 フォグランプをつけてスバルはボロボロとゆっくり坂を下りていく。伊豆スカイラインの入り口まで下りれば、もう霧はない。スバルは急に元気になって、大室山を目指しておりていく。

 

 やはり、あまぎ高原は抹茶アイスが僕をひきつけるところだった。

 

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2
0
  • 0円
  • ダウンロード

10 / 53