M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2

五章 : 引越し( 3 / 5 )

67.僕の引っ越しは大変だった!

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 一人で過ごした長い夜が明るい朝になって、お父さんとお母さんが、ボロボロとスバルで戻ってきた。よかった。

 

 お父さん達はペンションで朝ごはんを食べてきた匂いがする。ベーコンエッグだと僕にはわかる。僕もユーカヌバのゴハンを食べてお散歩。

 

 これが伊豆高原での最後のお散歩。お父さんとお母さんの三人で、アンナちゃんちまで行って帰ってきた。

 

 じゃ出かけようとお父さん。頑張って走っても、休憩なんかを入れると370キロは8時間はかかるだろうとお父さん。朝の9時に出発だ。三角屋根の緑と白のおうちともお別れ。

 

 お母さんは高速を走れないから、普通の道はお母さんが運転して東名の沼津インターまで。毎月行っていた大仁のワイン屋さんを過ぎて、スバルはボロボロ走る。そこまでだって2時間弱。

 

 東名に乗ったら、用賀まで1時間半だなとお父さん。沼津インターで運転はお父さんに交代。僕たちのスバルはボロボロと東名を100キロ以上で走る。快適。僕はシートベルトをしてもらって、床との段差を黒い大きな風船で埋めてもらって、広く平らになった後ろのシートでご機嫌。

 

 ところが、横浜に近づくと走っていた車が急にスピードを落とした。前の車にぴったり張り付いて、動くのを待つけれどスバルは走れない。

 

 渋滞だとお父さん。いやだねとお母さん。僕には渋滞って分からない。窓を開けてもらって、のろのろ少しずつ動くスバルの窓から鼻を出す。自動車の臭いにおいが車の中に入りこんできた。気持ちが悪い。

 

 ゆっくりゆっくり、スバルは進む。多摩川の料金所の手前まで、ずっとノロノロ運転。お父さんはイライラ。機嫌が悪い。3車線が1車線になっていて、そこを通過するのに僕たちは待たされたのだ。11月の終わりの頃だけど、車の中は嫌だ。

 

 パトカーが何台もならんで、事故の検証だとか…。2車線はだだっ広く開いているのに走れない。馬鹿なとお父さん。2車線を走らせればいいのにと…。事故を起こした車は、もう高速道の上にはいない。余計お父さんがおこる。首都高の用賀に着くまでのろのろだった。結局、首都高に乗れたのは沼津から3時間以上経っていた。

 

 用賀から、東北道の入り口までは1時間だなとお父さん。

 でもその日は、僕達はついていなかった。

 

 首都高も渋滞して、すいすいとは走れないのだ。東北道に入れたのは2時間後。みんなぐったり。おとうさんは怒ったせいで、一番ぐったり。伊豆高原の家を出て、東北道に入るまでに7時間。もう夕方の3時頃だった。

 

 羽生サービスエリアでやっと、三人は車を降りた。僕は我慢していたおしっこをしに、PAの裏の方にお母さんを引っ張っていく。お父さんは疲れている感じ。お母さんが、普通の道を私が運転しましょうかと聞くけれど、お父さんは道が分からないから、僕が高速を運転すると譲らない。

 

 結局、東北道の那須まで2時間かかったから、那須に下りたのは5時半を過ぎていた。もう道は真っ暗で、どの道をいけばよいのか分からなかった。真っ暗なお店もない道が続く。やっとコンビニの灯りを見つけて、僕達が止まるキャンピングカー・サイトの場所を訊く。すると後戻り。

 

 お父さんは、携帯電話で今夜泊まるキャンピングカーの事務所に連絡して、到着が遅れていますけど待っていてくださいとお願いしている。

 

 僕達がその夜泊まるキャンピングカーのサイトに着いたのは、6時半過ぎ。周りは真っ暗で何も見えない。事務所の若い人が、僕達を待っていてくれてやっとその夜の僕たちのベッドが決まった。お父さん、ご苦労様。

 

 途中のコンビニで買ったお弁当を、お父さんとお母さんは食べて、僕はユーカヌバのご飯を食べて、ちょこっとお父さんのおかずを分けてもらって、一応満足。

 

 トイレも、シャワーも、キッチンもあるキャンピングカーは僕は初めて。興奮して探検したいけど、お父さん達が寝ると言うので探検はお預け。

 

 二つあるベッドのどちらに潜り込もうかと思ったけれど、お母さんが、チェルトは今日は私と寝るの…と僕を連れて行った。お父さんは、大きなベッドで大きないびきをかいて寝始めていた。

 

 僕もつかれた那須までのドライブだった。明日は新しいマンションだねと、僕はお母さんにくっついて眠ってしまった。

五章 : 引越し( 4 / 5 )

68.那須から仙台へ

 

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 僕の引っ越しの二日目。今日は一泊した那須からいよいよ仙台というところにうごきます。

 

 僕が目を覚ましたのは、お母さんのベッドの中。お父さんはでかい方のベッドでまだ寝ている。 ちょっと伊豆高原より涼しいみたいだ。鳥の鳴き声が聞こえてくる。もう朝なのだと思った。

 

 ちょろちょろという音も聞こえる。

 

 早く起きだして、那須って所を探索したいなと思っている僕。でも、お母さんもまだ目が覚めないらしく、僕を抱っこしたまま寝息を立てている。

 

 しょうがないから、もうちょっとと思っていたら、お父さんが起きだしたようだ。僕んちは、伊豆でもそうだったように、お父さんの方が早く起きる。

 

 チェルト、外に行ってみるかと、小声で僕に話しかけてくるのが聞こえる。僕もそっとお母さんのベッドから抜け出す。そうだ、僕達は大きなキャンピングカーを借りて、一泊したんだと思いだす。

 

 お父さんに続いて、高いキャンピングカーからぴょんと飛び降りたら、足がぬれた。

朝露だった。もう11月も終わりの日だから、霧も出ている。僕はぶるぶると身震いをして、ちょろちょろと音を出している小川の方に駈け出してみる。

 

 誰もいない。静か。涼しい。ワンちゃんの匂いはしない。何台もあるキャンピングカーをまわってみるけど、匂わない。きっと夏のシーズンにはワンちゃん連れのお客さんもいたのだろうけれど、今、泊まっていうのは僕達一家族だけみたい。寂しいところだなと見渡すけれど、人も見えない。

 

 お父さんが顔を洗ってきた。水が冷たいよと言っている。もう紅葉が始まっているんだねと僕に言う。寒いはずだ。

 

 お父さん達も、インスタント麺のゴハンを食べて、出発の準備。お父さんの昨日の長いドライブの疲れが残っているらしい。あくびと首をぐるぐる回している。

 

 お母さんが、ここから仙台まで東北道をやめて、一般道で行きましょうかと言っている。そうすれば私も運転できると…。いや大丈夫とお父さん。ほんとは疲れているようだけれど、コーヒーを飲んでなんとか出発。200キロだから、休みを入れても3時間とお父さんは強気。

 

 でも半分も行かない安達太良サービスエリアっていう所に着いた時には、お父さんは疲れて、ちょっと休むと車の中でハンドルにもたれて眠りだした。僕とお母さんは、おしっことウンチのために裏の山の方へ歩いて行った。

 

 しばらくして、帰ってみると、お父さんはコーヒーを飲んでいた。温かくておいしいよと言っている。

 

 もう一息と走り出したけれど、お父さんはいつものようにはスバルをボロボロ、スピードを出しては運転できない。いつも左側の車線を、左の道の端っこの白い線を見ながら、他の車と一緒になってゆっくり100キロくらいで走っている。

 

 お母さんが、大丈夫?と心配しているけれど、走るしかないわけで、僕も後ろで緊張しながら早く仙台につかないかな…と思いながらお父さんと同じ方を向いていた。

 

 やっと、仙台に着いた。よかった。僕の引っ越しは、お父さんには大変だったのだ。

 

 東北道を下りて、マンションへ行く道、僕がその後のお散歩場所になった葛岡公園墓地に入るのに、お父さんは道を間違った。地図を調べていたお父さんだったけど、何度か方向を変えて、葛岡に入ったのはマンションンを引き渡し時間、12時の少し前だった。やっと着いた、とお父さん。

 

 荷物を積んだ0123の大きなトラックは、もうラピュタに着いていた。そう、この日から、僕の家はラピュタというマンションに住む。。「天空の都市」という意味なんだぞとお父さん。お昼ご飯を食べましょうとお母さん。これから引越しなんだから…。

 

 また知らない初めての道を走って、3人はステーキハウスへ。僕はラッキー、大好物。 それから、また大忙しの時間が待っていた。僕は、初めての僕のマンションで面喰っていた。

 

五章 : 引越し( 5 / 5 )

69.僕んちの範囲

 

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 仙台に着いた日の午後、0123の人たちが、伊豆から来たトラックから、荷物を僕の新しい家、ラピュタF106に運び入れることになっていた。

 

 へとへとに疲れたお父さんが運転するスバルは、やっと12時前に着いた。ラピュタでは、マンションの建設会社の人たちが、心配しながら僕たちが着くのを、書類をいっぱい持って待ち受けていたわけ。

 

 お父さんはマンションの残りのお金を払って、鍵をもらう。そうして、やっと僕はF106のワンちゃんになれるわけで、お父さんは大忙し。

 

 F106のFは、下からA,B,C…と数えて、F番目、つまり6番目の建物。お雛様の5段飾りのように、山の斜面に沿って、だんだんになった6段目に立つマンションンだった。普通の形のマンションだったら12階くらいの建物。斜めに山を登っていくわけだから、普通のエレベーターのように、スーッとは上がれない。僕は乗ったことがない山登りのケーブルカーみたいのが、地下のトンネルを斜めにゆっくり登っていく。僕が初めて、ラピュタのエレベーターに乗った時、体が斜め上に進み始めるからびっくりした。

 

 F棟までは、一本のエレベーターでは行けなかった。D棟でH棟まで行くエレベーターに乗り換えるんだ。上と下のエレベーターが同時に着くようにはなっていなかったから、地面のA棟からF棟までは2~3分もかかった。ゆっくりゆっくりだ。

 

 引越し屋さんは、この建物にびっくり。時間がかかってしょうがないとぼやいている。F106は4LDKと、僕んち専用の倉庫が路地の向かいにあるマンションだった。そして、犬の僕のため、お母さんの庭づくりのため、お父さんのビヤガーデンではなくワインガーデンのための広い僕んち専用の庭が付いていた。

 

 その日は午前中からエアコンの取り付け屋さんがやって来て、3台のエアコンを取り付けていたけれど、僕が最初にF106に入った時はまだ工事は終わっていなかった。だから、僕んちには工事の人が3人、0123の引越し屋さんが4~5人、そして僕たち3人がいて、家の中はぐちゃぐちゃの大混雑。そこにトラックから荷物が上がってくるから、家じゅう大混乱。

 

 僕は、本当は、僕の新しい家はどんな家なんだろうと早く探検したかったのだけれど、お父さんにリードを持たれて、自由は許されなかった。お父さんは、引っ越し屋さんに、その家具はここ、こういう向きで…、壁から少し離して…、なんて忙しい。僕も、いやいや、お父さんにくっついて歩く。お母さんはキッチンの係で、僕のことは面倒なんか見てられない。

 

 僕は目の前を、知らない人がどんどん入り込んで、僕んちを荒しているとしか思えなかった。僕は興奮していた。なにがなんだかわからなかったのだ。お父さんとお母さんを守らなくてはと、僕は犬として役目を果たさなくちゃと思っていた。だから目の前を誰かの足が通りかかったら、ワオワオ、吠えて噛みつこうとした。そのたびに、僕は怒られた。お父さんは、ダメって僕をしかる。僕はどうすればいいか分からない。混乱した。でも、やっと一人の踵にかみついた。やったと思ったら、お父さんにこっぴどく怒られた。僕は混乱した。僕んちの中だぞ…と。

 

 僕が新しい僕んちを、自分の目と、鼻と、耳と、肉球でやっと確認できたのは、夕方だった。お父さんが、全ての荷物が届いたことや、倉庫や、一階のタイヤハウス、駐車場、郵便ポストを含めてみんな確認して、マンション会社の人の書類にサインしたあと、やっと僕たち3人は落ち着いたのだ。嵐は終わった。

 

 僕のバリケンは、リビングの隣のお父さんの書斎におかれることになった。伊豆の家のリビングとは違って絨毯も敷いてある落ち着いた部屋。お母さんと、お父さんは、北側の別々の部屋にベッドを入れた。残念、伊豆では僕はどちらのベッドにも潜り込めたのに、今度はどちらかに決めてでないと潜り込めない。

 

 一番、僕がうれしかったのは、ガーデン・デッキ。広くて、芝生もあって、草の匂いがする地べたがあった。ほら、チェルト、あれが仙台の街、お父さんの病院、向こうが太平洋なんて僕に言ってる。でも僕にはちゃんとは見えない。お父さんに抱かれているだけでいい。

 

 お父さんは、ここだったら、チェルトもおしっこやウンチはできるかも…とお母さんと話している。そんなことはしない。そこが僕んちだったら、絶対におしっこだってしないぞと決めているのを、お父さんは知らない。

 

 僕がほんとうに困ったのは、僕んちはどこからどこなんだろうということだった。伊豆の家だったら、庭の方は生垣の内側、玄関の方は、フェンスの内側とはっきりしていたのだけど、マンションって初めてだから、僕んちはどこなのかが分からない。特に、玄関のドアを開けたら、もうそこは路地で、僕んちではないような気がして…。でも、路地の向こう側にある倉庫も僕んちだし…。

 

 大変な引越しの日は終わった。僕は、新しい書斎という静かな部屋のバリケンの中でよく眠った。伊豆高原の猫の友達、ボニーとミーシャの夢を見ていた。それが、仙台の最初の夜だった。

 

六章 : 仙台の僕( 1 / 18 )

70.最初にやること

 

 

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 僕達、お父さんと僕、が最初に仙台のラピュタでやんなくちゃならなかったこと、それは僕のお散歩コースを探すことだった。

 

 ラピュタは、マンションだから、おうちF106の中はよく分かるけれど、玄関のドアを一歩出ると、僕はどこにいるのか分からない。なぜって、僕んちの前の路地には同じようなドアがいつもいくつも並んでいるから、ドアの外に出たら、僕んちだってわからない。

 

 ラピュタは仙台では数少ないワンちゃんも一緒に住めるマンションだった。でも、ワンちゃんのおしっこの匂いは、最初はあまりしなかった。ワンちゃんがいるって感じがしないのだ。匂いがないと、僕くんちと、ほかんちがよく分からない。路地はけっこう、風も強かった。匂いが風に吹き飛ばされていたのかもしれない。

 

 僕達が引っ越してきたのは、11月の末だったから、もう風は寒かった。僕はドアを出ると、ブルブルと身震いする癖がついたのは、そのせいだ。

 

 僕は、家の前の路地ではおしっこはできないなと思った。ウンチなんてとんでもない。

 

 マンションの本当の外に出るには、エレベーター(ほんとは、トンネルの中を走るゆっくりゆっくりのケーブルカー)を使うのが普通なのだけれど、ほかに、階段が3か所作ってあった。真ん中の階段は、エレベーターの上を下りていく道。一番東の端っこと反対側の西の端っこにも階段が作ってあった。この端っこの階段は、本当は、ラピュタをぐるりと取り巻く林に面した階段だった。どんどん登っていくと、I(アイ)棟の前で一緒になる。I棟はラピュタの一番高いところ。

 

 お父さんと僕は、普通はこの東か西の階段を使うことにした。

 

 すぐそばに芝生があっって、段々畑が建物に沿ってできている。ラピュタに住んでいる人が借りて、自分ちの畑や花壇として使っている。僕が本当に我慢できなくなったら、おしっこぐらいは許してもらえそうだと僕は思った。だって、どのマンションからも離れていて、人通りもあまりないから。

 

 真ん中の階段は、人通りが多い。それにいつもみんな急いでいる。さらに、だんだんの幅が狭い。だから、僕達はほとんど使わないことにした。

 

 エレベーターは、人がたくさん乗っているから、僕は嫌。本当はみんなになでてもらいたいんだけど、エレベーターは狭いから、お父さんかお母さんに僕は抱きしめられて、おとなしく息を殺していなければならなかったからだ。

 

 端っこの階段を、F棟から一階まで下りていくのは、たくさんたくさんのだんだんを下りて行かなくてはならない。普通のビルの12階から降りるようなものだ。僕は、のぼりは平気だけれど、下りは苦手。それに、だんだんの一段が狭い。だから、僕の体はいつも斜め横にずれていないとうまく歩けないわけで…。

 

 マンションのエントランスの前の道には、ワンちゃんのおしっこやウンチの匂いがする。ああ、ここだったらまぁいいかと僕は思った。でも、他の人が、そばを通っているすぐ横ではウンチも出てくれない。まぁおしっこくらいはいいかと僕は思った。マンションの前に小さな公園があって、子供がたくさん遊んでいる。

 

 やっとウンチができる場所が見つかった。その小さな公園の道を下りていくと、左に草ぼうぼうの駐車場があった。このやぶの内なら、落ち着いてウンチができると発見した。もっとその坂を下りていくと突き当りが東山荘のグランド。その周りも草の茂みがいっぱいで、ウンチもおしっこも出来そうだ。

 

 道を渡って、反対側に行くと、細い道があって、どんどん歩いていくと、お父さんがカワラの道と呼んでいる砕いたカワラを敷き詰めた広場にでる。ここも、ワンちゃんの匂いに満ちているから、ウンチも大丈夫そう。その広場の先を仙山線の電車が、コトコトコトーンと音を出して走っている。ウンチを終わった僕は、お父さんとそんな電車を見ていた。

 

 やっと、僕が安心してウンチとおしっこができる場所を発見したので、本当に安心。ちょっとF106からは時間がかかるけれど、僕が我慢すればいいわけで…。

 

 イヌって、結構大変なのです。

 

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
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