M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2

六章 : 仙台の僕( 2 / 18 )

71.引っ越して感じたこと

 

 

71.ラピュータ国見.jpg

 

 

 お父さんは、紹介状を持って、北大学病院の心臓の先生に見てもらいに行った。車で、10分くらいだと言っている。近いんだ。でも、駐車場に入るまでに、30分もかかるから、チェルトは連れて行けないよと、お父さん。

 

 僕がラピュタで生活し始めて感じたことは、伊豆にいた時のようにはやることがないということだった。庭の前の遊歩道を通る人の足音だとか、ワンちゃんの音はしないし、前の遠笠山道路を走る車の音もしない。静か。ボァ~ンと静か。

 

 僕の遠吠えを引き出してくれる救急車の音もしない。だから、ウオヲ~~ンと遠吠えも出来ない。つまんない。

 

 F106のマンションにいると、全然、外の音が聞こえてこないのだ。なんだか寂しい。やることは、お母さんとお父さんと遊ぶだけになった。

 

 伊豆高原のボニーやミーシャ、アンナちゃん、セロちゃんはどうしているんだろう? 会って、ガウガウ遊びたいけれど、ここには相手がいない。

 

 おしっことウンチの場所は確保したけど、まだ友達はできなかった。

 

 でも、ワンちゃんが住んでいるマンションだから、どこかにワンちゃんは居るはずだ。お父さんがある日、マンションの掲示板に犬の飼い主の会集まりがあると見たようだ。

行ってみようと、お父さん。でも、その会議には、ワンちゃんは参加して良いとは書いてなかった。だから、僕はお母さんとお留守番。

 

 お父さんが帰ってきて、配られた資料の紙の上にお父さんが書き留めてきたワンちゃんのリストを見せてくれた。

 

 ゴールデンの雄太くん、チワワのミルクちゃん、ラブのライムちゃん、ゴールデンのラブちゃんとか書いてある。そのうち、どこかで会えるさと平気なお父さん。僕はつまんない。だから、お散歩のときは、僕はいつもワンちゃんを探していた。

 

 ワンちゃんのおしっことウンチの匂いが、僕のお散歩コースを決めて行った。朝のお散歩はお母さん。夕方のお散歩はお父さんと、伊豆高原とおんなじ。

 

 おおぜいのおじいちゃんやおばあちゃんが、日向ぼっこしている東山荘のグランドには、いっぱいワンちゃんが現れるらしい。だから、マンションを出ると、どんどん坂を下って、グランドの端っこから、匂いの探検だ。いろんな匂いがする。でも、なかなか、本当のワンちゃんにはであえない。

 

 寂しいなぁと、僕は伊豆のお散歩道の友達を思い出していた。仙台より、僕は伊豆高原の方がずっといいなあと思い始めた。

 

 僕達が引っ越したのは11月の末。すぐに12月が来た。

 

 雪が空からこぼれだす。お父さんは、あわてて、スバルのタイヤをスタッドレスに変えた。僕は、このタイヤは嫌いだ。ブレーキがかかって、からだが前のめりになって、助手席から落ちそうになる。止まる時の感じが、グニュとして、気持ちが悪くなりそう。

 

 雪が降り出したのは、12月の初め。仙台の雪は、伊豆高原の雪とは違って、堅い、冷たいさらさら雪。僕んちのガーデンデッキも、雪が降り出すと、みるみる真っ白になる。僕のお散歩も、雪次第。

 

 やっとラピュタでワンちゃんに会えたのは、雄太くん。ゴールデンの少しデブ。僕は遊ぼうよと言ったけど、雄太くんはすたすたおばあちゃんを引っ張って、階段を下りて行ってしまった。ちょっとだけ、匂いを嗅いで鼻を合わせただけだった。つまんない。

 

 友達が欲しいなぁ、ガウガウやりたいなぁと思い始めたのは、仙台についてすぐだった。友達って、こんなに大切なんだって、やっと僕にはわかったのだ。

 

 その後、ライムちゃんに会ったけど、病気のようで元気でガウガウなんて遊べない。ミックスのゴンちゃんは、まだまだ子供。おばあちゃんを引きずり回して、自分の世界を楽しんでいた。ラピュタには、沢山ワンちゃんはいなかったようだ。

 

 そんなわけで、僕は、お母さんとお父さんの一人っ子として、犬の世界を忘れて行ったのかもしれない。ふと気がつくと、ワンちゃんではない、お父さんやお母さんと同じ仲間の自分を感じるようになっていた。

 

 そんなことは、引っ越しと聞いた時には考えもしなかった。また新しい友達ができるから平気さと思っていたのだが…。

 

 

六章 : 仙台の僕( 3 / 18 )

72.伸びてくる手、手、手

 

 

72.伸びてくる手BYshinyai.jpg

 

 ラピュタでの生活が始まって、一番変わったことと言ったら、突然、いっぱい、いっぱい、手が伸びてくることだ。

 

 伊豆高原では、お年寄りが多くて、子供たちに会うことなんてことは、散歩道でも数少なかった。桜の里に行けば、子供たちがいるのだけれど、子供たちのお父さんやお母さんが簡単に犬の僕とは会わせてくれない。子供にとっては、犬というのは、危険な要素を含んだ動物なのだろう。

 

 つまんないなとラピュタの生活を思い始めた時、下のロビーをお父さんと歩いていると、ラピュタのシャトルバスが着いた。小学生がいっぱい下りてくる。がやがやぺちゃくちゃ話しながら、ロビーに入ってくると、女の子は間違いなく、わぁ~かわいいと、僕に向かって、手を伸ばしてくる。何人もいるから、手、手、手、そして手だ。僕は面食らった。こんなにたくさんの子供たちに囲まれたことは伊豆高原ではなかったから。

 

 お父さんがすいてくれたきれいな僕の毛が、ぐちゃぐちゃ。耳だって、目だって、しっぽだって、シュナウのしるしの口髭だって、きれいなふさふさの前足だって、あっという間にぐちゃぐちゃにされちまう。助け~と僕は悲鳴を上げる。でも子供たちには聞こえない。

 

 最初はびっくりしたけれど、僕は撫でられるのが大好きだから、お腹こそ見せなかったけれど本当はうれしかった。乱暴な男の子もいなかった。みんな、犬に優しくしてくれた。お父さんは、僕がよろこんでいるのが分かるから、子供たちにやりたいように触らせていた。しばらくロビー前は僕のファンだらけ。何しろ、シュナウザーという犬は初めてだったらしく、子供たちには珍しいから、見かけたらすっとんでくるわけ。

 

 ラピュタにいた犬は、ゴールデンとか、ラブ、ミックス、和犬なんかがいたから、ふわふわの毛は僕だけなのだ。

 

 でもいつまでも、良いことばかりは続かない。

 

 ある日、なでてもらっていたら、その中の誰か男の子が、なんだかこの犬臭いぞと一言。みんな、撫でてた手をひっこめて、自分の鼻に持って匂いを嗅ぎ始める。くせ~という子もいれば、イヌの匂いがするとクールに言う子もいる。かわいい匂いだという女の子は、イヌになれた子なのだろう。いろんな反応があって、僕は少し自由になる。でも、子供は遠慮なく、ぐさりと本当のことを言うから、僕も少し傷ついたりもする。臭いなんて言われたくない。だって、昨日、いやなシャンプーをやったばかりなのだから…。

 

 大人はどうかというと、一番よく分かるのがゆっくりのエレベーターの中。せまい箱の中に、2~3分は一緒にいるわけだから、しかも、規則で僕は、お母さんかお父さんに抱っこされていなくちゃ、エレベーターに乗れないから、みんなの鼻の高さに僕がいるわけ。毛だとか、体の匂いばかりではなく、僕の散歩帰りのゼイゼイした匂いのする息を吹きかけられるのだから、嫌な顔をする人だっていっぱいいる。

 

 混んだときは、お父さんか、お母さんは、人の波が引くまで、A棟のエレベーターホールで待つことにした。僕も待つ。だいたい街からのシャトルバスと、イオンからの買い物バスが着く時間は、人がいっぱい。だから僕達はバスを見かけたら、人の波に会わないようにゆっくりか、急いでエレベーターホールに行くようになった。

 

 でも本当は、僕は子供たちに撫でられるのが好きなのだ。だから、バスが見えると、僕はロビーで待つようになっていた。優しい子の何人かに、なでてもらえれば、うれしい。

 

 僕のふわふわに慣れて、子供たちは最初のように、みんなで、手を伸ばしてくるのが減って行った。いつも撫でてくれる子は、僕を知っているワンちゃんの居る家の子供たちになっていった。

 

 大人は、自分の犬を連れていると、僕と会うのを避けようと必死。僕は、ガウガウいわないようにしつけられているけれど、他の犬は、犬にはガウガウいうことが癖になっている仔もいるからしかたない。でも、噛みつかれそうになったことはないから、僕はいつも、知らん顔をしていた。

 

 マンションという共同住宅では、一戸建てのようにはいかない、いろんなしきたりがあった。僕は、ゆっくり、それに慣れていくしかなかったのだ。

 

 時々、なでてもらえるだけで満足。これが、ラピュタの僕の喜び、また淋しさでもあったのだ。新しいすみかには、ガマンしながら慣れていくしかないと僕は思った。

 

<この絵はflickrから、shinyaiさんの“伸びてくる手”をお借りしました  ライセンスは表示です>

六章 : 仙台の僕( 4 / 18 )

73.雪が来た!

 

 

73.idleformat by 雪.jpg

 

 僕んちが伊豆高原から仙台に引っ越したのは11月の末。

 

 お父さんは、伊豆でもそうだったんだけれど、12月には毎年、スタッドレスタイヤに履き替えていた。でも仙台では11月の初めが常識みたいでお父さんは焦っていた。

 

 僕のマンション、ラピュタには、イオンの買い物バスが毎日4回くらい来ていたから、このバスに乗れば、イオンには行けたわけだけれど、その他のホームセンターだとか、ケーズ電気などにはやっぱり、僕んちのスバルで出かけるしかなかった。

 

 僕んちは、仙台で一番高いところにあるマンション(海抜130m)だから、山の中腹。つまり周りは坂ばっか。お父さんのスバルは4輪駆動のインプレッサ。でも、スタッドレスは絶対に必要な場所だった。

 

 雪が来たのは12月の初め。お父さんと僕は、僕んちのガーデンデッキに降り始めた雪をじっと見ていた。

 

 僕は、伊豆高原でも雪に何度かあっているから、雪は知っていた。僕のひげや、足のふさふさや、後ろ足のシュナウのふわふわの毛が、毛布のように凍り付いて、寒かったことを思い出していた。「犬は喜び、庭駆けまわり…」って歌があるようだけど、僕には全くのウソ。つめたくて大嫌いだ。

 

 そんなことを思い出しながら、灰色の空からふわりふわりと舞い落ちている雪を見ていた。いやだな~と僕は思った。

 

 お父さんは、きっとたいしたことはないやって、僕を散歩に連れ出した。お父さんは、ポンチョを着て、ショベルの入った袋を持って、僕にボロい方のリードをつけて、二人、エレベーターで1階まで下りて行った。

 

 ラピュタの前はもう真っ白。寒かった。僕はふわふわの毛の下に、下着のアンダーコートを着ているから、上から降りてくる雪はまったく平気。でも、足は冷たいし、おなかに積もった雪がくっついて、嫌な感じ。それに、僕の太い眉毛にも雪が積もって、前がよく見えない。足が滑る。いやな感じ。

 

 お父さんは、チェルト、近くで終わろうぜと言って、僕をせきたてる。でも、僕は、寒さに震えていたから、もう早く帰りたいって気持ちがいっぱい。二人は小公園を過ぎて、最初に見つけたワンちゃんの匂いのするウンチ場まで下りていく。でも、雪は新雪。

 

 誰も歩いた跡がないから、20センチくらいの雪で、僕のおなかは冷たく凍り始めていた。その頃はまだ、僕のブーツも、コートも買ってもらっていなかったから、僕は普通の何も着ない格好で歩いていた。

 

 やっとおしっこは出た。でも、ウンチは、僕がそんな気にならないので、引っ込んでしまう。東山荘のグランドまで下りて、お父さんは、雪の積もった草の土手に僕をひっぱって行く。早くしろよと、冷たい言葉。

 

 でも、僕はそんな気にならない。でも、お父さんは怒っているみたい。自分は長靴で、ポンチョを着ているから平気なのかもしれないけれど、本当はお父さんも早くおうちに帰りたいみたい。

 

 早くしろよと、グランドの周りをぐるぐる。でも、ウンチの匂いはしないところでは、僕のお腹も反応しないみたい。やっと、行き止まりの道の、一軒、ぽつんと立っているお家の前で、誰かがウンチをした跡がある。僕、嗅いでみて、ここなら安全かもと思った。

 

 ウンチをしている時の犬って、知っていますか?

 

 一番、無防備で、中途半端な恰好で、誰かが襲ってきても、すぐには動けない格好なのです。だから、安心できるところでしかウンチはできないのです。

 

 ウロウロ雪の中を歩き回って、やっと腰を下げて、ウンチが出てくるのを待つ。雪は、ずっと降りつづけている。僕の背中も、頭も、もう真っ白。ウンチがやっとでた。お父さんがショベルでボクのウンチを片付けている。

 

 今度は僕が、早くしろよって、お父さんに言いたい。でも、怒られそうだから、様子を見て、リードを引っ張ることはしない。

 

 帰ってくると、お母さんが、僕の足とひげを温かいシャワーで溶かしてくれた。やっぱり気持ちいい。

 

 やはり、雪の日のウンチは大変だと、僕はゴハンを待ちながら考えた。これから冬が来るっていう。ちょっとショック。その雪は次の日にも残っていた。

 

 

<この写真は、flickrからidleformatさんの“snow”をお借りしました>

 

 

六章 : 仙台の僕( 5 / 18 )

74.お散歩の場所・大学と駅

 

 

74.1東北文化学園大学.jpg

 

 なんとか、ラピュタの周りに、お散歩のときに僕がウンチとおしっこをすることができる場所は見つけた。

 

 でも、なんだか、ウンチとおしっこの為だけのお散歩なんてつまらない。

 ラピュタの外周の階段の一周も、伊豆高原のお散歩コースに比べたらつまらない。

 

 お父さん自身も、僕のお散歩がこんなんではつまんないと思い始めたようだ。僕達、お父さんと僕が楽しめるお散歩の場所を探し始めた。

 

 はじめは、歩いてだった。

 

 お父さんとは、ラピュタの入口の向かい側の住宅地、東山住宅地の中や、その先の峠を右に曲がった先の方を二人で探検した。でも、あまり楽しい感じではない。

 

 お母さんとは、東山荘をどんどん下って、仙山線・国見の駅の方まで下りてみた。東山荘の裏手辺りは、林と畑があって静か。車も来ない。表通りは狭い道を車が走るから、嫌な道。

 

 その裏通りを下りていくと、だいがく。東北文化学園大学っていうんだ。国見駅のすぐそばで、朝の時間にはたくさんの学生さんたちが降りてくる。たくさんの女子の学生もいて、僕を見ると、ワーかわいいって足をとめてくれる。

 

 なかには、授業に遅れそうになりながら、僕をなでてくれる人もいた。なんて名前?なんて種類?何歳?なんて、質問がお母さんに向けられる。お母さんも、自分の犬を褒められるのはうれしいから、ていねいに答えている。そのあいだ、僕は誰かに撫でられているわけで、それだけで僕はうれしい。

 

 だから、お母さんとのお散歩では、どんどん坂を下りて大学の方に行くのが僕の楽しみになった。大学のキャンパスの中にも入ってみたけど、中は建て込んでいて、楽しめそうにもないし、犬が入ると怒られそう。

 

 

74.2国見駅.jpg

 

 もう一つの楽しみは国見の駅。この駅は、お父さんが東京に行くときなんかに、一緒に坂を下りてきたのだけれど、電車が着くと、どっと人がたくさんおりてくる。すると、僕は撫でてもらいたいので、そんな目つきで、若い女の人、子供たち、そしておばあさんなんかを見上げる。かなりの確率で、この作戦は成功する。

 

 なでてもらえるのだ。かわいいって言ってもらえるのだ。だから、僕は国見の駅が大好きになってしまった。駅の前は、すぐに大学だし、このあたりは僕の大好きなお散歩コースになって行った。

 

 お母さんとは、どちらかというと、ラピュタから下の方角が、お散歩コースになって行った。

 

 仙山線の陸橋を渡ったところとか、踏切を渡ったところとか、今までの僕の伊豆の世界には無かったお散歩コースができ始めていた。

 

 カンカンカンと聞こえる踏切の遮断機や、コロコロコロ~ンと仙台の方から、元気よく登ってくる電車も、僕には新しい経験だった。

 

 そんなふうに、僕は大学と、国見の駅がお気に入りになってしまった。

 

 でも、これって、僕の犬としての感覚がマヒしていったってことかもしれない。だって、犬社会ではない散歩で、人間とのふれあいばかりがが多くなっていったのだから…。

 

 そういう意味では、僕の人間化(?)は仙台で一気に進んだのかもしれない。僕は、お父さんやお母さんと同じ世界を持つ動物だと、いつのまにか思い始めたようだ。

 

 とにかく、大学と駅が大好きな僕が出来上がっていったのです。

 

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2
0
  • 0円
  • ダウンロード

34 / 53