M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2

六章 : 仙台の僕( 6 / 18 )

75.お散歩コース・葛岡公園墓地

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 僕とお父さんは、相変わらず、お散歩の場所をコースを探していた。

 

 ある日、ラピュタの周りにはもういいところは無いようだから、遠くまで探してみようとお父さんとお母さんが話していた。

 

 お母さんと一緒に見つけた大学と駅の道は、お父さんには無理だった。お父さんは心臓に病気があるから、行は下り坂でヨイヨイだけれど、ラピュタに帰ってくるのはきつい登りになるので、帰りはつらいしコワイわけ。

 

 お父さんが、マンションの中の飼い主さんに、近くに仙台市の葛岡公園墓地があると聞いてきた。そこでは、ワンちゃんも散歩しているみたいだとか…。

 

 じゃあ行ってみようと、お父さん。僕と一緒にラピュタの駐車場まで下りて、スバルに乗り込んだ。

 

 こんなところが、伊豆の家とはうんと違う。伊豆高原だったら、家の前に止めてあるポッシェットでもスバルでも、二人で乗ったら、エンジンをかければいい。だけどラピュタではそう簡単じゃない。ドアの外は一応、お外。お父さんは、一応みられる格好に着替えて、僕を連れて階段かエレベーターをつかって、5分はかかってスバルだ。

 

 とにかくスバルを走らせて、ラピュタを出てすぐ峠の方に右折。まっすぐ行くと、大きな葛岡葬儀場が見える。スバルだと、34分。そこが公園墓地の入口。

 

 右に行ってみようと円周道路を一周してみた。右の方に行くと、葛岡の清掃工場の高い煙突が見える。このあたりは、広々と見晴らしがいい丘の斜面。

 

 このへんもいいなとお父さん。一番高いところに行こうと、公園の中の塔が見えるあたりにやって来た。僕達は、スバルから飛び降りて、塔から西の斜面が見える広い道を行く。すると、その先には、広い、広い緑の芝生の広場が見える。

 

 良いじゃないかとお父さん。行ってみようと僕。

 

 お父さんが車の鍵を閉めている間にも僕の鼻は動く。おや、いっぱい、いっぱい、ワンちゃんの匂いがするぞと、僕は一人で芝生に入り込んだ。後からお父さんがやってくる。

 

 こんなに広い芝生は、伊豆の桜の里以来、初めて。僕はうれしくなって駆け回る。楽しいぜ。お父さんはリードを放して、僕を自由にさせてくれる。お父さんが持ってきたテニスボールを投げてくれる。僕は追っかけて、噛みついて、拾ってくる。こんなに自由なところがあるんだと僕はうれしくなった。

 

 やっとお散歩の楽しみが、駅と大学の他に、もう一つめっかったのだ。やったぜー。

 

 その芝生を抜けて、公園墓地の入口が見下ろせる石段に、二人で並んで風に吹かれていた。

 

 もう冬が来るから、暖かくはないけれど、お日さまが出ていれば、風を避ければ結構、暖かい。二人は、やっといいとこ見つかったねと、気分がいい。僕も、お父さんの手のひらを背中に感じながら、日向ぼっこ。

 

 お父さんが、あそこが、僕達が走って来た東北道だと指差す。僕には見えないけれど、大変な思いをして、やっと那須から仙台にたどり着いた日のことを思い出す。

 

 よかった、こんなところがあって。これだったら、二人でも三人でも遊びに来られるなと思った。ワンちゃんのおしっことウンチの匂いはするけれど、その日は、ワンちゃんには会えなかった。

 

 帰りがけに、もう一周してみようとお父さん。僕んちから墓地公園について、左に曲がった道を行くと、松や高い木に囲まれたお寺さんの公園墓地だ。木に囲まれているから、広がった感じはないけれど、松の木のいい匂いや、僕のあまり好きではないお線香のにおいが残ってる。

 

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 ここも変化があって、面白いかもとお父さん。

 

 こうして、やっと僕のお散歩の場所が確保できました。いつだって来られるところだと思っていたのは、間違いだったことに気がつくのは、もっと後になってから…。

六章 : 仙台の僕( 7 / 18 )

76.すてきなお散歩・みちのく杜の公園

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 仙台の最初の冬は、僕んちにとってつらい経験でした。

 

 お父さんのスバルは、機械式の駐車場で30センチくらいの雪にまみれ、雪をどかさないと買い物にも出かけられなかったのです。

 

 雪は堅くて重い。しかも駐車場の中に除雪すると、重みで機械が壊れる危険と言われて、駐車場から出してからでないと、除雪できないとのこと。30センチもの雪を頭に乗せたスバルを、ちょこっと開けた前面ガラスの雪の隙間から、お父さんは覗きながら動かして少し離れた洗車場まで連れ出してくる。やっとそこで、屋根から、ボンネットから、ガラスから雪を落とす。

 

 雪かきをしないで駐車しておくと、陽がさすと雪がみんな機械式の駐車場に落こってきて、駐車場の前の道で夜の間に凍り付く。僕んちは地上と同じ高さの機械式駐車場だったけれど、僕んちの地下の車を出すには、僕んちの駐車場を車を乗っけたまま持ち上げないと出られない。ほっておくと、下の車が凍った雪の上を走ることになる。つるつる滑る。大ひんしゅくってわけ。

 

 迷惑がかかるから、心臓の悪いお父さんと、力のないお母さんが雪まみれになって、なんとか車の除雪をしている。僕は見ているだけ。僕も、雪でお腹の当りまでスッポリ雪の中。

 

 最初の年の冬は、そんなことの繰り返し。なかなかスバルでお出かけなんてできなかった。僕はしょうがないから、東山荘のグランドだとか、カワラのしいた広場だとかで、おしっことウンチをすることになる。僕は、一日に、2回は雪との格闘。

 

 お父さんとお母さんは、目立つ緑色のレインコートとフードと長靴。そんな恰好で、僕を抱っこしてエレベーターに乗ると、たいていの人がびっくりする。新聞配達とか出前の人しかそんな恰好はしていないから、犬との生活のない人には異様に見えるわけ。でも仕方がない。僕は絶対に、ガーデンデッキでも、路地でもおしっこやウンチはしないと決めているから、ラピュタの外まで出かけるしかないのだ。僕はガマン強いのだ。

 

 仙台は、伊豆高原とは違って寒い冬だった。暗い空から、雪が舞い降りて、家の庭のテラコッタの鉢の上に、かき氷のように積みあがる。鉢が、夜の寒さにがちがちに凍って、テラコッタが割れていく。

 

 ラピュタを出て、すぐ目の前の住宅地、東山住宅地の中にも、ウンチとおしっこ場所を探して徘徊する。ほかのワンちゃんのおしっこの黄色い跡が、雪に残っている。ウンチの為の散歩なんて楽しくもない。終わったら、急いで帰ってシャワーでやっと安心。

 

 そんな冬が過ぎて、遅い春が桜を咲かせる季節になった。

 

 そんなある日、お父さんが、ここは楽しそうだぞと地図を見ている。ここだったら、チェルトも走り回れるかもと言っている。どれどれと僕ものぞきこむ。

 

 お母さんも行ってみましょうと言う。仙台に来てから、みんなで車でお出かけということがなくなっていたから、3人とも、うれしくなった。

 

 お弁当を作って、ある日、川崎町の国立みちのく杜の公園までドライブ。1時間くらい走って、広い公園に着いた。蔵王が見えるとお父さん。広い公園の中はノンリードでは走れなかったけれど、桜の花や、いっぱいの花が咲いていた。

 

 風が強かったけれど、僕達は久しぶりの気持ちいのいいお散歩。いいな、気持ちいいな、お散歩はこうでなくっちゃ…。ルンルン。噴水があったり、いろんな色なパンジーが咲いていたり、とにかく広い。せせこましいラピュタのF106にいるとなんだか縮こまってしまっていたけど、ここに来て初めて、ちじこまっていた僕の背中が伸びた感じがする。

 

 お母さんの作ったお弁当を、風のない丘の斜面で食べて、ゆっくり歩いた。

 

 残念だけど、他のワンちゃんには会えなかった。でも、仙台には、春が一度にやってくるのだと僕は知った。楽しい一日だった。

 

 帰りのスバルの中では、お母さん抱かれて、僕は居眠り。お父さんの着いたぞ、の声でやっと目が覚めた。楽しい、素晴らしいお散歩。忘れられません。また行きたいです。

 

 お散歩って、こうでなくっちゃ。

 

六章 : 仙台の僕( 8 / 18 )

77.杜の都・仙台といいますが…

 

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 仙台の街は、僕は本当は歩るいたことはないのです。例外は、お父さんとお母さんに連れてもらって歩いた、仙台一の繁華街の一番町の通りかな。

 

 スバルに乗っかっては、青葉通りとか、定禅寺通りとかが、本当に大きなケヤキの林が歩道をおおっていて、きれいなのですが…。

 

 一番はやはり定禅寺通り。左右には2車線の車道で、僕達があるく歩道はケヤキに囲まれた美しい歩道。年末になると、イルミネーションがきれいで、みんなが集まってきたし、秋にはジャズフェスティバルがあって、そんな歩道で演奏している。でも、僕は連れて行ってもらったことがない。

 

 一番町は、七夕とかでよくテレビに出てくるもともとの仙台市街地のど真ん中。

 

 お父さんは、月に一回は東北大学病院に通っていたから、帰りに寄り道をして、仙台の古くからのデパート、「藤崎」によって、ラムチョップと、フォションのパンを買ってきてくれる。だから、僕んちには、いつも、伊豆高原の頃からフォションの紙袋は消えたことがない。

 

 お父さんが、病院に行く日は、僕達のごちそうの日でもあったわけで、病院という言葉を聞くと、もうラムチョップとフランスパンの絵が頭に浮かんできて、僕はよだれをがんばってこらえている。運が良ければ、ラムチョップの軟骨なんかをかじっていたし、フォションのパンは必ずもらえた。

 

 僕が大嫌いなバリカンの散髪をしてもらって(幸い、この頃は耳は切られないでいる)、そしてシャンプーを終わって、バオバオとドライヤーをかけてもらっていたら、お父さんが、昔アンナを東京の銀座に連れ出したなぁと話し始めた。もちろん僕は、環八の瀬田から横浜経由で伊豆高原、そして仙台だから、銀座は知らない。

 

 明日にでも、こいつを一番町にでも連れて行ってみるかと話しているのを僕は聞き逃さなかった。くるりと立ち上がると、お父さんの顔に鼻を近づけて、約束を守るって聞いた。お母さんが証人だ。

 

 一番町。藤崎のパーキングに車をとめる前に、お母さんと僕がリードをつけて、スバルから飛び降りた。いろんな匂いと、音と、人たちと、タバコの煙の臭いが流れてくる。僕はタバコの匂いは大嫌い。

 

 お父さんが、車を止めて僕たちのところにやって来た。じゃあ、一番町を三越まで歩いてみようと歩き出した。僕はウキウキ。昨日シャンプーしてもらったばかりだから、ごま塩色のソルト・ペッパーの毛並みはフサフサ。首輪も、お出かけようのベネトンの青と赤のきれいなやつをしている。

 

 仙台にはあまりシュナウザーはいないらしく、みんなが僕のことを見たり、声をかけてくれたりする。なかには、僕を通せんぼして、僕の前に座って僕をなでようとするおじいさんだっている。棒は、みんなになでてもらえて、カワイ~~~~と言ってもらって、大満足。

 

 お父さんも、犬専門店のブランド店にも僕を引き入れて楽しそう。お母さんも楽しそう。こんな街中を3人でお散歩するのは初めてだから。

 

 じゃあ行ってくると、お父さんが僕をお母さんに預けて、自分は藤崎に買い物に行ってしまった。僕と、お母さんは一番町どおりのお店を冷かしたり、子供たちに撫でられたりしながら、お父さんが藤崎から帰るのを待つ。ショウウインドーのピカピカのガラスに映る僕は結構いける。楽しいな、楽しいな…。

 

 待ち合わせた時間になって、お父さんがフォションのパンの匂いのする袋と、ラムチョップの入った藤崎の袋と、RF1の袋に入った何かを持って現れた。これで、今日はごちそうだと、僕はよだれをこらえる。

 

 スバルに乗って、ボロボロ帰り始めたらもう夕暮れ。

 

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 ラピュタのエントランスでお母さんを先に降ろして、僕達は東山荘のグランドにお散歩。やることは決まっていて、早くしろよとお父さん。僕も、今日は早く帰りたいから、がんばってウンチを終えると帰ろうとリードを引っ張る。

 

 やっぱり、その日はラムチョップ。フォションのパンとサラダで、ワインンも開けて、ご馳走だ。

 

 僕は前菜の、ドライフードをあわてて平らげて、お父さんの隣の僕専用のいすに座って、スタンバイ完了。ラムチョップの脂身を切り取った骨が僕のボールに入る。軟骨を食べて幸せ。藤崎にはまた行きたいねとお父さんに言ってみるけど、お父さんには伝わらなかったようだ。

 

 こうして、僕の仙台・一番町デビューは終わった。

六章 : 仙台の僕( 9 / 18 )

78.国際交流パーティーの主役

 

 

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 お父さんは、仙台でも国際交流の活動を始めたようだ。伊豆の伊東でもやっていた活動の延長のよう。

 

 ある日、東北大学とか、宮城教育大のホームページを探して、ブツブツ言っている。 いろいろやっているんだなぁとお父さん。

 

 ある日僕を連れて、宮城教育大学の青葉山キャンパスにスバルで出かけた。東北大の川内キャンパスの道を青葉山に向かって走っていく。クネクネ道であまり僕は得意ではない。気持ちが悪くなりそう。お父さんが気がついて、窓を開けてもらう。

 

 駐車場に着いたら、ちょっと待ってろとお父さんは行ってしまった。僕は一人、スバルの中。大学だから、いっぱい学生がいる。中をのぞきこんで、僕を指さして、見て見て、カワイ~と女子学生。でも僕には触れてもらえない。東北文化大学とはかなり違った感じのキャンンパスだ。森の匂いが強い。

 

 市ノ瀬先生に会って来たぞと、お父さんはご機嫌。イタリアからの留学生が毎年来ているようだと、うれしそう。夏になったら、僕んちにもホームステイしてもらうぞと僕に言う。僕だって、イタリアという言葉には反応する。記憶があるから、誰かがおいしいものを持ってきてくれるのかもしれないと、楽しみになった。

 

 東北大のグランドに連れて行ってもらったのも、国際交流パーティーのおかげ。おいしい煙が立ち込めて、僕も興奮。学生の本田君に紹介されて、僕もグランドを歩く。パキスタンの焼き肉の匂いとかして、ヨダが出る。みんなに撫でられて、気持ちいい。だから、国際交流は僕も大好き。外国の人は特別なにおいがするのを知ったのもここ。

 

 お父さんは、毎月2回ほど仙台国際交流センターで、イタリア語を勉強しているグループと知り合いになった。ここには、これからずっと僕をかわいがってくれる松浦さんというおばさんがいた。イタリア人のオルネッラ先生を囲んで、イタリア語を、みんなで勉強しているとか。そのうちに、僕んちにも遊びに来てもらうよと僕に話している。

 

 夏の終わりには、ペルージアからの交換留学生が宮城教育大学にやって来た。年末までの短い期間だけど、3人の中の、ラウラが僕んちにホームステイすることになった。外国人が僕の家に泊まるのは初めて。女子学生のラウラは日本語を勉強している。だから、少しだけど、僕とも話せる。少しクルミの木の匂いがする、若くて優しいイタリア女性。僕には初めての経験。優しくしてもらって、すぐに仲良しになってしまった。

 

 お父さんと一緒にラウラが、僕のお散歩についてきたことがある。コースは、葛岡の公園墓地。スバルで行って、南の丘と、東の林の中を3人で歩く。お父さんは、イタリア語で話したいらしいけど、ラウラは下手だけど日本語で話す。なんだか、ヘンテコ。

 

 秋、夏からスケジュールされていた、僕んちが開くパーティーの日が近づいてきた。もちろん、ペルージアからの、3人の女子学生と僕んちとは別のホスト・ファミリーの人たち、仙台国際センターでイタリア語を勉強している、松浦さんのグループと先生のオルネッラ。もちろん、宮城教育大学の市ノ瀬先生のご家族。みんなで、30人位のパーティー。ラピュタのI棟のプールラウンジを借り切った。

 

 お父さんは、パーティーのプログラムを考えたり、料理を考えたり、お母さんは自分で作る家庭料理の準備をしたり、僕はカットとシャンプーをしてもらって、美しくなった。

 

 30人もの前菜、メイン、サラダ、甘い物は僕んちでは準備できないから、ケータリングを頼んで、準備は完了。飲み物は、イタリアのワインと、その他の飲み物をお父さんが注文して、I棟に直接運んでもらうことになった。

 

 その日が来た。だんだんと人が増えて、お父さんとお母さんは大忙し。僕は、ちょっと忘れられたのかとF106で心配していた。

 

 パーティーのど真ん中に、僕は登場。みんなが、かわいいと言って、寄ってくる。僕は、うれしくて、うれしくて、誰が誰だかわからなくなるほどだった。分かっていたのはラウラ。匂いでちゃんとと分かる。そして、イタリア人と、オーストラリア人、日本人の匂いが違うと気がついた。イタリア人はチーズの匂い。オーストラリア人は、お肉の匂い。日本人は、おしょう油の匂いがした。

 

 僕は主役。

 

 お父さんかお母さんにくっついて、広いプールラウンジの中を歩く。いつも誰かが、話しかけてくる。分からない言葉だけど、雰囲気で僕をかわいいと思っているのか、犬は嫌いなのかがすぐにわかる。お父さんの友達は、結局、犬好きが多いということが分かった。

 

 パーティーが終って、ぐったりした3人。でも楽しかった。おいしいものもいっぱい食べた。いっぱいなでてもらった。僕は大満足。お父さん、お母さん、ご苦労さま。

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2
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