M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2

五章 : 引越し( 5 / 5 )

69.僕んちの範囲

 

69.ラピュタ3.png

 

 仙台に着いた日の午後、0123の人たちが、伊豆から来たトラックから、荷物を僕の新しい家、ラピュタF106に運び入れることになっていた。

 

 へとへとに疲れたお父さんが運転するスバルは、やっと12時前に着いた。ラピュタでは、マンションの建設会社の人たちが、心配しながら僕たちが着くのを、書類をいっぱい持って待ち受けていたわけ。

 

 お父さんはマンションの残りのお金を払って、鍵をもらう。そうして、やっと僕はF106のワンちゃんになれるわけで、お父さんは大忙し。

 

 F106のFは、下からA,B,C…と数えて、F番目、つまり6番目の建物。お雛様の5段飾りのように、山の斜面に沿って、だんだんになった6段目に立つマンションンだった。普通の形のマンションだったら12階くらいの建物。斜めに山を登っていくわけだから、普通のエレベーターのように、スーッとは上がれない。僕は乗ったことがない山登りのケーブルカーみたいのが、地下のトンネルを斜めにゆっくり登っていく。僕が初めて、ラピュタのエレベーターに乗った時、体が斜め上に進み始めるからびっくりした。

 

 F棟までは、一本のエレベーターでは行けなかった。D棟でH棟まで行くエレベーターに乗り換えるんだ。上と下のエレベーターが同時に着くようにはなっていなかったから、地面のA棟からF棟までは2~3分もかかった。ゆっくりゆっくりだ。

 

 引越し屋さんは、この建物にびっくり。時間がかかってしょうがないとぼやいている。F106は4LDKと、僕んち専用の倉庫が路地の向かいにあるマンションだった。そして、犬の僕のため、お母さんの庭づくりのため、お父さんのビヤガーデンではなくワインガーデンのための広い僕んち専用の庭が付いていた。

 

 その日は午前中からエアコンの取り付け屋さんがやって来て、3台のエアコンを取り付けていたけれど、僕が最初にF106に入った時はまだ工事は終わっていなかった。だから、僕んちには工事の人が3人、0123の引越し屋さんが4~5人、そして僕たち3人がいて、家の中はぐちゃぐちゃの大混雑。そこにトラックから荷物が上がってくるから、家じゅう大混乱。

 

 僕は、本当は、僕の新しい家はどんな家なんだろうと早く探検したかったのだけれど、お父さんにリードを持たれて、自由は許されなかった。お父さんは、引っ越し屋さんに、その家具はここ、こういう向きで…、壁から少し離して…、なんて忙しい。僕も、いやいや、お父さんにくっついて歩く。お母さんはキッチンの係で、僕のことは面倒なんか見てられない。

 

 僕は目の前を、知らない人がどんどん入り込んで、僕んちを荒しているとしか思えなかった。僕は興奮していた。なにがなんだかわからなかったのだ。お父さんとお母さんを守らなくてはと、僕は犬として役目を果たさなくちゃと思っていた。だから目の前を誰かの足が通りかかったら、ワオワオ、吠えて噛みつこうとした。そのたびに、僕は怒られた。お父さんは、ダメって僕をしかる。僕はどうすればいいか分からない。混乱した。でも、やっと一人の踵にかみついた。やったと思ったら、お父さんにこっぴどく怒られた。僕は混乱した。僕んちの中だぞ…と。

 

 僕が新しい僕んちを、自分の目と、鼻と、耳と、肉球でやっと確認できたのは、夕方だった。お父さんが、全ての荷物が届いたことや、倉庫や、一階のタイヤハウス、駐車場、郵便ポストを含めてみんな確認して、マンション会社の人の書類にサインしたあと、やっと僕たち3人は落ち着いたのだ。嵐は終わった。

 

 僕のバリケンは、リビングの隣のお父さんの書斎におかれることになった。伊豆の家のリビングとは違って絨毯も敷いてある落ち着いた部屋。お母さんと、お父さんは、北側の別々の部屋にベッドを入れた。残念、伊豆では僕はどちらのベッドにも潜り込めたのに、今度はどちらかに決めてでないと潜り込めない。

 

 一番、僕がうれしかったのは、ガーデン・デッキ。広くて、芝生もあって、草の匂いがする地べたがあった。ほら、チェルト、あれが仙台の街、お父さんの病院、向こうが太平洋なんて僕に言ってる。でも僕にはちゃんとは見えない。お父さんに抱かれているだけでいい。

 

 お父さんは、ここだったら、チェルトもおしっこやウンチはできるかも…とお母さんと話している。そんなことはしない。そこが僕んちだったら、絶対におしっこだってしないぞと決めているのを、お父さんは知らない。

 

 僕がほんとうに困ったのは、僕んちはどこからどこなんだろうということだった。伊豆の家だったら、庭の方は生垣の内側、玄関の方は、フェンスの内側とはっきりしていたのだけど、マンションって初めてだから、僕んちはどこなのかが分からない。特に、玄関のドアを開けたら、もうそこは路地で、僕んちではないような気がして…。でも、路地の向こう側にある倉庫も僕んちだし…。

 

 大変な引越しの日は終わった。僕は、新しい書斎という静かな部屋のバリケンの中でよく眠った。伊豆高原の猫の友達、ボニーとミーシャの夢を見ていた。それが、仙台の最初の夜だった。

 

六章 : 仙台の僕( 1 / 18 )

70.最初にやること

 

 

70.東山荘.jpg

 

 僕達、お父さんと僕、が最初に仙台のラピュタでやんなくちゃならなかったこと、それは僕のお散歩コースを探すことだった。

 

 ラピュタは、マンションだから、おうちF106の中はよく分かるけれど、玄関のドアを一歩出ると、僕はどこにいるのか分からない。なぜって、僕んちの前の路地には同じようなドアがいつもいくつも並んでいるから、ドアの外に出たら、僕んちだってわからない。

 

 ラピュタは仙台では数少ないワンちゃんも一緒に住めるマンションだった。でも、ワンちゃんのおしっこの匂いは、最初はあまりしなかった。ワンちゃんがいるって感じがしないのだ。匂いがないと、僕くんちと、ほかんちがよく分からない。路地はけっこう、風も強かった。匂いが風に吹き飛ばされていたのかもしれない。

 

 僕達が引っ越してきたのは、11月の末だったから、もう風は寒かった。僕はドアを出ると、ブルブルと身震いする癖がついたのは、そのせいだ。

 

 僕は、家の前の路地ではおしっこはできないなと思った。ウンチなんてとんでもない。

 

 マンションの本当の外に出るには、エレベーター(ほんとは、トンネルの中を走るゆっくりゆっくりのケーブルカー)を使うのが普通なのだけれど、ほかに、階段が3か所作ってあった。真ん中の階段は、エレベーターの上を下りていく道。一番東の端っこと反対側の西の端っこにも階段が作ってあった。この端っこの階段は、本当は、ラピュタをぐるりと取り巻く林に面した階段だった。どんどん登っていくと、I(アイ)棟の前で一緒になる。I棟はラピュタの一番高いところ。

 

 お父さんと僕は、普通はこの東か西の階段を使うことにした。

 

 すぐそばに芝生があっって、段々畑が建物に沿ってできている。ラピュタに住んでいる人が借りて、自分ちの畑や花壇として使っている。僕が本当に我慢できなくなったら、おしっこぐらいは許してもらえそうだと僕は思った。だって、どのマンションからも離れていて、人通りもあまりないから。

 

 真ん中の階段は、人通りが多い。それにいつもみんな急いでいる。さらに、だんだんの幅が狭い。だから、僕達はほとんど使わないことにした。

 

 エレベーターは、人がたくさん乗っているから、僕は嫌。本当はみんなになでてもらいたいんだけど、エレベーターは狭いから、お父さんかお母さんに僕は抱きしめられて、おとなしく息を殺していなければならなかったからだ。

 

 端っこの階段を、F棟から一階まで下りていくのは、たくさんたくさんのだんだんを下りて行かなくてはならない。普通のビルの12階から降りるようなものだ。僕は、のぼりは平気だけれど、下りは苦手。それに、だんだんの一段が狭い。だから、僕の体はいつも斜め横にずれていないとうまく歩けないわけで…。

 

 マンションのエントランスの前の道には、ワンちゃんのおしっこやウンチの匂いがする。ああ、ここだったらまぁいいかと僕は思った。でも、他の人が、そばを通っているすぐ横ではウンチも出てくれない。まぁおしっこくらいはいいかと僕は思った。マンションの前に小さな公園があって、子供がたくさん遊んでいる。

 

 やっとウンチができる場所が見つかった。その小さな公園の道を下りていくと、左に草ぼうぼうの駐車場があった。このやぶの内なら、落ち着いてウンチができると発見した。もっとその坂を下りていくと突き当りが東山荘のグランド。その周りも草の茂みがいっぱいで、ウンチもおしっこも出来そうだ。

 

 道を渡って、反対側に行くと、細い道があって、どんどん歩いていくと、お父さんがカワラの道と呼んでいる砕いたカワラを敷き詰めた広場にでる。ここも、ワンちゃんの匂いに満ちているから、ウンチも大丈夫そう。その広場の先を仙山線の電車が、コトコトコトーンと音を出して走っている。ウンチを終わった僕は、お父さんとそんな電車を見ていた。

 

 やっと、僕が安心してウンチとおしっこができる場所を発見したので、本当に安心。ちょっとF106からは時間がかかるけれど、僕が我慢すればいいわけで…。

 

 イヌって、結構大変なのです。

 

六章 : 仙台の僕( 2 / 18 )

71.引っ越して感じたこと

 

 

71.ラピュータ国見.jpg

 

 

 お父さんは、紹介状を持って、北大学病院の心臓の先生に見てもらいに行った。車で、10分くらいだと言っている。近いんだ。でも、駐車場に入るまでに、30分もかかるから、チェルトは連れて行けないよと、お父さん。

 

 僕がラピュタで生活し始めて感じたことは、伊豆にいた時のようにはやることがないということだった。庭の前の遊歩道を通る人の足音だとか、ワンちゃんの音はしないし、前の遠笠山道路を走る車の音もしない。静か。ボァ~ンと静か。

 

 僕の遠吠えを引き出してくれる救急車の音もしない。だから、ウオヲ~~ンと遠吠えも出来ない。つまんない。

 

 F106のマンションにいると、全然、外の音が聞こえてこないのだ。なんだか寂しい。やることは、お母さんとお父さんと遊ぶだけになった。

 

 伊豆高原のボニーやミーシャ、アンナちゃん、セロちゃんはどうしているんだろう? 会って、ガウガウ遊びたいけれど、ここには相手がいない。

 

 おしっことウンチの場所は確保したけど、まだ友達はできなかった。

 

 でも、ワンちゃんが住んでいるマンションだから、どこかにワンちゃんは居るはずだ。お父さんがある日、マンションの掲示板に犬の飼い主の会集まりがあると見たようだ。

行ってみようと、お父さん。でも、その会議には、ワンちゃんは参加して良いとは書いてなかった。だから、僕はお母さんとお留守番。

 

 お父さんが帰ってきて、配られた資料の紙の上にお父さんが書き留めてきたワンちゃんのリストを見せてくれた。

 

 ゴールデンの雄太くん、チワワのミルクちゃん、ラブのライムちゃん、ゴールデンのラブちゃんとか書いてある。そのうち、どこかで会えるさと平気なお父さん。僕はつまんない。だから、お散歩のときは、僕はいつもワンちゃんを探していた。

 

 ワンちゃんのおしっことウンチの匂いが、僕のお散歩コースを決めて行った。朝のお散歩はお母さん。夕方のお散歩はお父さんと、伊豆高原とおんなじ。

 

 おおぜいのおじいちゃんやおばあちゃんが、日向ぼっこしている東山荘のグランドには、いっぱいワンちゃんが現れるらしい。だから、マンションを出ると、どんどん坂を下って、グランドの端っこから、匂いの探検だ。いろんな匂いがする。でも、なかなか、本当のワンちゃんにはであえない。

 

 寂しいなぁと、僕は伊豆のお散歩道の友達を思い出していた。仙台より、僕は伊豆高原の方がずっといいなあと思い始めた。

 

 僕達が引っ越したのは11月の末。すぐに12月が来た。

 

 雪が空からこぼれだす。お父さんは、あわてて、スバルのタイヤをスタッドレスに変えた。僕は、このタイヤは嫌いだ。ブレーキがかかって、からだが前のめりになって、助手席から落ちそうになる。止まる時の感じが、グニュとして、気持ちが悪くなりそう。

 

 雪が降り出したのは、12月の初め。仙台の雪は、伊豆高原の雪とは違って、堅い、冷たいさらさら雪。僕んちのガーデンデッキも、雪が降り出すと、みるみる真っ白になる。僕のお散歩も、雪次第。

 

 やっとラピュタでワンちゃんに会えたのは、雄太くん。ゴールデンの少しデブ。僕は遊ぼうよと言ったけど、雄太くんはすたすたおばあちゃんを引っ張って、階段を下りて行ってしまった。ちょっとだけ、匂いを嗅いで鼻を合わせただけだった。つまんない。

 

 友達が欲しいなぁ、ガウガウやりたいなぁと思い始めたのは、仙台についてすぐだった。友達って、こんなに大切なんだって、やっと僕にはわかったのだ。

 

 その後、ライムちゃんに会ったけど、病気のようで元気でガウガウなんて遊べない。ミックスのゴンちゃんは、まだまだ子供。おばあちゃんを引きずり回して、自分の世界を楽しんでいた。ラピュタには、沢山ワンちゃんはいなかったようだ。

 

 そんなわけで、僕は、お母さんとお父さんの一人っ子として、犬の世界を忘れて行ったのかもしれない。ふと気がつくと、ワンちゃんではない、お父さんやお母さんと同じ仲間の自分を感じるようになっていた。

 

 そんなことは、引っ越しと聞いた時には考えもしなかった。また新しい友達ができるから平気さと思っていたのだが…。

 

 

六章 : 仙台の僕( 3 / 18 )

72.伸びてくる手、手、手

 

 

72.伸びてくる手BYshinyai.jpg

 

 ラピュタでの生活が始まって、一番変わったことと言ったら、突然、いっぱい、いっぱい、手が伸びてくることだ。

 

 伊豆高原では、お年寄りが多くて、子供たちに会うことなんてことは、散歩道でも数少なかった。桜の里に行けば、子供たちがいるのだけれど、子供たちのお父さんやお母さんが簡単に犬の僕とは会わせてくれない。子供にとっては、犬というのは、危険な要素を含んだ動物なのだろう。

 

 つまんないなとラピュタの生活を思い始めた時、下のロビーをお父さんと歩いていると、ラピュタのシャトルバスが着いた。小学生がいっぱい下りてくる。がやがやぺちゃくちゃ話しながら、ロビーに入ってくると、女の子は間違いなく、わぁ~かわいいと、僕に向かって、手を伸ばしてくる。何人もいるから、手、手、手、そして手だ。僕は面食らった。こんなにたくさんの子供たちに囲まれたことは伊豆高原ではなかったから。

 

 お父さんがすいてくれたきれいな僕の毛が、ぐちゃぐちゃ。耳だって、目だって、しっぽだって、シュナウのしるしの口髭だって、きれいなふさふさの前足だって、あっという間にぐちゃぐちゃにされちまう。助け~と僕は悲鳴を上げる。でも子供たちには聞こえない。

 

 最初はびっくりしたけれど、僕は撫でられるのが大好きだから、お腹こそ見せなかったけれど本当はうれしかった。乱暴な男の子もいなかった。みんな、犬に優しくしてくれた。お父さんは、僕がよろこんでいるのが分かるから、子供たちにやりたいように触らせていた。しばらくロビー前は僕のファンだらけ。何しろ、シュナウザーという犬は初めてだったらしく、子供たちには珍しいから、見かけたらすっとんでくるわけ。

 

 ラピュタにいた犬は、ゴールデンとか、ラブ、ミックス、和犬なんかがいたから、ふわふわの毛は僕だけなのだ。

 

 でもいつまでも、良いことばかりは続かない。

 

 ある日、なでてもらっていたら、その中の誰か男の子が、なんだかこの犬臭いぞと一言。みんな、撫でてた手をひっこめて、自分の鼻に持って匂いを嗅ぎ始める。くせ~という子もいれば、イヌの匂いがするとクールに言う子もいる。かわいい匂いだという女の子は、イヌになれた子なのだろう。いろんな反応があって、僕は少し自由になる。でも、子供は遠慮なく、ぐさりと本当のことを言うから、僕も少し傷ついたりもする。臭いなんて言われたくない。だって、昨日、いやなシャンプーをやったばかりなのだから…。

 

 大人はどうかというと、一番よく分かるのがゆっくりのエレベーターの中。せまい箱の中に、2~3分は一緒にいるわけだから、しかも、規則で僕は、お母さんかお父さんに抱っこされていなくちゃ、エレベーターに乗れないから、みんなの鼻の高さに僕がいるわけ。毛だとか、体の匂いばかりではなく、僕の散歩帰りのゼイゼイした匂いのする息を吹きかけられるのだから、嫌な顔をする人だっていっぱいいる。

 

 混んだときは、お父さんか、お母さんは、人の波が引くまで、A棟のエレベーターホールで待つことにした。僕も待つ。だいたい街からのシャトルバスと、イオンからの買い物バスが着く時間は、人がいっぱい。だから僕達はバスを見かけたら、人の波に会わないようにゆっくりか、急いでエレベーターホールに行くようになった。

 

 でも本当は、僕は子供たちに撫でられるのが好きなのだ。だから、バスが見えると、僕はロビーで待つようになっていた。優しい子の何人かに、なでてもらえれば、うれしい。

 

 僕のふわふわに慣れて、子供たちは最初のように、みんなで、手を伸ばしてくるのが減って行った。いつも撫でてくれる子は、僕を知っているワンちゃんの居る家の子供たちになっていった。

 

 大人は、自分の犬を連れていると、僕と会うのを避けようと必死。僕は、ガウガウいわないようにしつけられているけれど、他の犬は、犬にはガウガウいうことが癖になっている仔もいるからしかたない。でも、噛みつかれそうになったことはないから、僕はいつも、知らん顔をしていた。

 

 マンションという共同住宅では、一戸建てのようにはいかない、いろんなしきたりがあった。僕は、ゆっくり、それに慣れていくしかなかったのだ。

 

 時々、なでてもらえるだけで満足。これが、ラピュタの僕の喜び、また淋しさでもあったのだ。新しいすみかには、ガマンしながら慣れていくしかないと僕は思った。

 

<この絵はflickrから、shinyaiさんの“伸びてくる手”をお借りしました  ライセンスは表示です>

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
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