M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2

五章 : 引越し( 2 / 5 )

66.がらんどうの家

僕んち.jpg

 

 僕んちの引っ越しが決まって、急にみんなが忙しくなったみたい。

 

 僕も、一番古い友達のアンナちゃんや、猫の友達、ミーシャとボニーにお別れを言いに行かなければならなかったし、一緒に庭や松川湖の草原で遊んだセロちゃんとも、おすましのリリーちゃんとも、ゴールデンのミッフィーとブブカなど、いっぱい、いっぱいのお友達にサヨナラを言わなくてはならなかった。

 

 サヨナラの意味が分かっていたかどうかは分からない。サヨナラの意味が僕の心にしみこんできたのは仙台の生活が始まってからだから…。友達がいなくなるのは悲しいことだと後で分かったんだけど、その時は簡単にサヨナラが言えた。でも、もういつ会えるかどうかわからない遠い街に引っ越していく僕には、やはりお別れだった。

 

 そういえば、伊豆高原に来てからお母さんが自分用に買ったホンダのポッシェットともお別れだった。お父さんはチャリだと言っていたけど、このポッシェットにはいろんな思い出がある。桜の里へのお散歩とか、ごみ出しの時のセブンイレブンのアイスだとか…。ハイシャになるって、お父さんが伊東のホンダに連れて行った。バイバイ。

 

 家の中では、全ての物たちが、ラベルを張られていった。お父さんが、引っ越し先のマンションの間取りを画いて、縮尺を図りながら置くもの達の場所を決めていく。家の中は大混乱。

 

 ある日、0123の引越し屋さんがやって来た。

 

 大きな0123のトラックが仙台からやて来た。4人の引越し屋さんたちは、お父さんの立ち会いでどんどん荷物を運び出して、大きなトラックに詰め込んでいく。大きな家具は大変なようだ。

 

 僕はというと、知らない人が僕んちに入り込んできたのだけれど、吠えるとお父さんに怒られるので、我慢しながら、バリケンの中でウロウロ。アッという間に、僕んちはがらんどうになった。

 

 残ったもの、それは、僕のバリケンと食料と食器とリードだけ。暴れまくって遊んでいた家は、荷物がなくなって、急に広くなった。なぜ、僕のバリケンだけが残るの…って聞いたけど、お父さんたちは答えてくれない。

 

 実は、僕の引っ越しはお父さんにとって、とても大変だったのだ。僕の体のサイズは、JRの電車の中に持ち込むには大きすぎた。だから、東京まで電車で行き、そこから東北新幹線に乗って仙台まで行くことはできなかったのだ。

 

 もちろん、生きた僕を「宅急便」で仙台まで送ることはできないと分かっていた。

だから、僕とお母さんと三人で、スバルでボロボロ、東名、首都高、東北道を530キロも走って、僕のバリケンを乗っけて仙台まで辿り着かなければならなかったのだ。

お父さんは、途中で一泊する予定を立てていた。

 

 仙台までの大きなトラックは、夕方、みんなに見送られて出発した。

 

 残ったのは、お父さんとお母さんの荷物と僕のバリケン。おいおい、何にもなくなったぞと僕は不安になってきた。

 

 夕方、お父さんとお母さんは、僕にご飯を食べさせて、簡単なお散歩をさせると、じゃあ後でと言って、僕を一人バリケンの中に閉じ込めて、スバルに乗って、ボロボロと走って行ってしまった。ウオーンって鳴いてみたけど、僕は置いてきぼり。

 

 僕は一人ぼっちで、大きながらんどうの家に取り残されたのだ。僕はなぜ僕だけこのうちに残されるのと淋しくて、久しぶりにクンクン、涙が出てきた。淋しいよう!と叫んで吠えたのだ。泣きながら、広い空っぽの家の居間で、僕はバリケンの中で震えていた。仲間はおもちゃのワニさんだけだった。

 

 夜が来て真っ暗なバリケンの中でだいぶ時間が経ったころ、お父さんとお母さんの声がする。僕は聞き耳を立てた。お父さんとお母さんの足音が聞こえる、僕んちに向かって歩いている。

 

 帰って来たんだと僕はうれしくなった。僕は置いてきぼりではなかったんだ…と。

ガシャガシャ、鍵を開ける音がして電気がついた。

 

 オーイ、チェルトは生きているかとお父さんが玄関で言っている。

 

 あったりまえだいと、ちょっと怒った僕。

 

 二人で入ってきてバリケンの扉を開けてくれた。僕は飛びだして、お父さんに抗議した。僕を一人だけ置いていくなんてって。でもそれで、僕の一人ぼっちは終わったわけではなかったのだ。

 

 僕と三人で広いリビングや、いつもは怒られる畳の部屋なんかで、おもちゃで遊んだら、お父さんとお母さんは、また、じゃあまた明日って言って、僕をまたバリケンに押し込んで帰って行った。

 

 お父さんとお母さんは近くのペンションにその日は泊まったようだ。そこペンションでは、犬はダメだったのだ。

 

 この夜の一人ぼっちの淋しさは決して忘れないし、おとうさんもお母さんも許せないと、僕は今でも思い出すと体が震えるのだ。こんなさびしい、不安な気持ちになったことは、他になかった。

 

五章 : 引越し( 3 / 5 )

67.僕の引っ越しは大変だった!

  那須4.JPG

 

 一人で過ごした長い夜が明るい朝になって、お父さんとお母さんが、ボロボロとスバルで戻ってきた。よかった。

 

 お父さん達はペンションで朝ごはんを食べてきた匂いがする。ベーコンエッグだと僕にはわかる。僕もユーカヌバのゴハンを食べてお散歩。

 

 これが伊豆高原での最後のお散歩。お父さんとお母さんの三人で、アンナちゃんちまで行って帰ってきた。

 

 じゃ出かけようとお父さん。頑張って走っても、休憩なんかを入れると370キロは8時間はかかるだろうとお父さん。朝の9時に出発だ。三角屋根の緑と白のおうちともお別れ。

 

 お母さんは高速を走れないから、普通の道はお母さんが運転して東名の沼津インターまで。毎月行っていた大仁のワイン屋さんを過ぎて、スバルはボロボロ走る。そこまでだって2時間弱。

 

 東名に乗ったら、用賀まで1時間半だなとお父さん。沼津インターで運転はお父さんに交代。僕たちのスバルはボロボロと東名を100キロ以上で走る。快適。僕はシートベルトをしてもらって、床との段差を黒い大きな風船で埋めてもらって、広く平らになった後ろのシートでご機嫌。

 

 ところが、横浜に近づくと走っていた車が急にスピードを落とした。前の車にぴったり張り付いて、動くのを待つけれどスバルは走れない。

 

 渋滞だとお父さん。いやだねとお母さん。僕には渋滞って分からない。窓を開けてもらって、のろのろ少しずつ動くスバルの窓から鼻を出す。自動車の臭いにおいが車の中に入りこんできた。気持ちが悪い。

 

 ゆっくりゆっくり、スバルは進む。多摩川の料金所の手前まで、ずっとノロノロ運転。お父さんはイライラ。機嫌が悪い。3車線が1車線になっていて、そこを通過するのに僕たちは待たされたのだ。11月の終わりの頃だけど、車の中は嫌だ。

 

 パトカーが何台もならんで、事故の検証だとか…。2車線はだだっ広く開いているのに走れない。馬鹿なとお父さん。2車線を走らせればいいのにと…。事故を起こした車は、もう高速道の上にはいない。余計お父さんがおこる。首都高の用賀に着くまでのろのろだった。結局、首都高に乗れたのは沼津から3時間以上経っていた。

 

 用賀から、東北道の入り口までは1時間だなとお父さん。

 でもその日は、僕達はついていなかった。

 

 首都高も渋滞して、すいすいとは走れないのだ。東北道に入れたのは2時間後。みんなぐったり。おとうさんは怒ったせいで、一番ぐったり。伊豆高原の家を出て、東北道に入るまでに7時間。もう夕方の3時頃だった。

 

 羽生サービスエリアでやっと、三人は車を降りた。僕は我慢していたおしっこをしに、PAの裏の方にお母さんを引っ張っていく。お父さんは疲れている感じ。お母さんが、普通の道を私が運転しましょうかと聞くけれど、お父さんは道が分からないから、僕が高速を運転すると譲らない。

 

 結局、東北道の那須まで2時間かかったから、那須に下りたのは5時半を過ぎていた。もう道は真っ暗で、どの道をいけばよいのか分からなかった。真っ暗なお店もない道が続く。やっとコンビニの灯りを見つけて、僕達が止まるキャンピングカー・サイトの場所を訊く。すると後戻り。

 

 お父さんは、携帯電話で今夜泊まるキャンピングカーの事務所に連絡して、到着が遅れていますけど待っていてくださいとお願いしている。

 

 僕達がその夜泊まるキャンピングカーのサイトに着いたのは、6時半過ぎ。周りは真っ暗で何も見えない。事務所の若い人が、僕達を待っていてくれてやっとその夜の僕たちのベッドが決まった。お父さん、ご苦労様。

 

 途中のコンビニで買ったお弁当を、お父さんとお母さんは食べて、僕はユーカヌバのご飯を食べて、ちょこっとお父さんのおかずを分けてもらって、一応満足。

 

 トイレも、シャワーも、キッチンもあるキャンピングカーは僕は初めて。興奮して探検したいけど、お父さん達が寝ると言うので探検はお預け。

 

 二つあるベッドのどちらに潜り込もうかと思ったけれど、お母さんが、チェルトは今日は私と寝るの…と僕を連れて行った。お父さんは、大きなベッドで大きないびきをかいて寝始めていた。

 

 僕もつかれた那須までのドライブだった。明日は新しいマンションだねと、僕はお母さんにくっついて眠ってしまった。

五章 : 引越し( 4 / 5 )

68.那須から仙台へ

 

那須3.JPG

 

 

 僕の引っ越しの二日目。今日は一泊した那須からいよいよ仙台というところにうごきます。

 

 僕が目を覚ましたのは、お母さんのベッドの中。お父さんはでかい方のベッドでまだ寝ている。 ちょっと伊豆高原より涼しいみたいだ。鳥の鳴き声が聞こえてくる。もう朝なのだと思った。

 

 ちょろちょろという音も聞こえる。

 

 早く起きだして、那須って所を探索したいなと思っている僕。でも、お母さんもまだ目が覚めないらしく、僕を抱っこしたまま寝息を立てている。

 

 しょうがないから、もうちょっとと思っていたら、お父さんが起きだしたようだ。僕んちは、伊豆でもそうだったように、お父さんの方が早く起きる。

 

 チェルト、外に行ってみるかと、小声で僕に話しかけてくるのが聞こえる。僕もそっとお母さんのベッドから抜け出す。そうだ、僕達は大きなキャンピングカーを借りて、一泊したんだと思いだす。

 

 お父さんに続いて、高いキャンピングカーからぴょんと飛び降りたら、足がぬれた。

朝露だった。もう11月も終わりの日だから、霧も出ている。僕はぶるぶると身震いをして、ちょろちょろと音を出している小川の方に駈け出してみる。

 

 誰もいない。静か。涼しい。ワンちゃんの匂いはしない。何台もあるキャンピングカーをまわってみるけど、匂わない。きっと夏のシーズンにはワンちゃん連れのお客さんもいたのだろうけれど、今、泊まっていうのは僕達一家族だけみたい。寂しいところだなと見渡すけれど、人も見えない。

 

 お父さんが顔を洗ってきた。水が冷たいよと言っている。もう紅葉が始まっているんだねと僕に言う。寒いはずだ。

 

 お父さん達も、インスタント麺のゴハンを食べて、出発の準備。お父さんの昨日の長いドライブの疲れが残っているらしい。あくびと首をぐるぐる回している。

 

 お母さんが、ここから仙台まで東北道をやめて、一般道で行きましょうかと言っている。そうすれば私も運転できると…。いや大丈夫とお父さん。ほんとは疲れているようだけれど、コーヒーを飲んでなんとか出発。200キロだから、休みを入れても3時間とお父さんは強気。

 

 でも半分も行かない安達太良サービスエリアっていう所に着いた時には、お父さんは疲れて、ちょっと休むと車の中でハンドルにもたれて眠りだした。僕とお母さんは、おしっことウンチのために裏の山の方へ歩いて行った。

 

 しばらくして、帰ってみると、お父さんはコーヒーを飲んでいた。温かくておいしいよと言っている。

 

 もう一息と走り出したけれど、お父さんはいつものようにはスバルをボロボロ、スピードを出しては運転できない。いつも左側の車線を、左の道の端っこの白い線を見ながら、他の車と一緒になってゆっくり100キロくらいで走っている。

 

 お母さんが、大丈夫?と心配しているけれど、走るしかないわけで、僕も後ろで緊張しながら早く仙台につかないかな…と思いながらお父さんと同じ方を向いていた。

 

 やっと、仙台に着いた。よかった。僕の引っ越しは、お父さんには大変だったのだ。

 

 東北道を下りて、マンションへ行く道、僕がその後のお散歩場所になった葛岡公園墓地に入るのに、お父さんは道を間違った。地図を調べていたお父さんだったけど、何度か方向を変えて、葛岡に入ったのはマンションンを引き渡し時間、12時の少し前だった。やっと着いた、とお父さん。

 

 荷物を積んだ0123の大きなトラックは、もうラピュタに着いていた。そう、この日から、僕の家はラピュタというマンションに住む。。「天空の都市」という意味なんだぞとお父さん。お昼ご飯を食べましょうとお母さん。これから引越しなんだから…。

 

 また知らない初めての道を走って、3人はステーキハウスへ。僕はラッキー、大好物。 それから、また大忙しの時間が待っていた。僕は、初めての僕のマンションで面喰っていた。

 

五章 : 引越し( 5 / 5 )

69.僕んちの範囲

 

69.ラピュタ3.png

 

 仙台に着いた日の午後、0123の人たちが、伊豆から来たトラックから、荷物を僕の新しい家、ラピュタF106に運び入れることになっていた。

 

 へとへとに疲れたお父さんが運転するスバルは、やっと12時前に着いた。ラピュタでは、マンションの建設会社の人たちが、心配しながら僕たちが着くのを、書類をいっぱい持って待ち受けていたわけ。

 

 お父さんはマンションの残りのお金を払って、鍵をもらう。そうして、やっと僕はF106のワンちゃんになれるわけで、お父さんは大忙し。

 

 F106のFは、下からA,B,C…と数えて、F番目、つまり6番目の建物。お雛様の5段飾りのように、山の斜面に沿って、だんだんになった6段目に立つマンションンだった。普通の形のマンションだったら12階くらいの建物。斜めに山を登っていくわけだから、普通のエレベーターのように、スーッとは上がれない。僕は乗ったことがない山登りのケーブルカーみたいのが、地下のトンネルを斜めにゆっくり登っていく。僕が初めて、ラピュタのエレベーターに乗った時、体が斜め上に進み始めるからびっくりした。

 

 F棟までは、一本のエレベーターでは行けなかった。D棟でH棟まで行くエレベーターに乗り換えるんだ。上と下のエレベーターが同時に着くようにはなっていなかったから、地面のA棟からF棟までは2~3分もかかった。ゆっくりゆっくりだ。

 

 引越し屋さんは、この建物にびっくり。時間がかかってしょうがないとぼやいている。F106は4LDKと、僕んち専用の倉庫が路地の向かいにあるマンションだった。そして、犬の僕のため、お母さんの庭づくりのため、お父さんのビヤガーデンではなくワインガーデンのための広い僕んち専用の庭が付いていた。

 

 その日は午前中からエアコンの取り付け屋さんがやって来て、3台のエアコンを取り付けていたけれど、僕が最初にF106に入った時はまだ工事は終わっていなかった。だから、僕んちには工事の人が3人、0123の引越し屋さんが4~5人、そして僕たち3人がいて、家の中はぐちゃぐちゃの大混雑。そこにトラックから荷物が上がってくるから、家じゅう大混乱。

 

 僕は、本当は、僕の新しい家はどんな家なんだろうと早く探検したかったのだけれど、お父さんにリードを持たれて、自由は許されなかった。お父さんは、引っ越し屋さんに、その家具はここ、こういう向きで…、壁から少し離して…、なんて忙しい。僕も、いやいや、お父さんにくっついて歩く。お母さんはキッチンの係で、僕のことは面倒なんか見てられない。

 

 僕は目の前を、知らない人がどんどん入り込んで、僕んちを荒しているとしか思えなかった。僕は興奮していた。なにがなんだかわからなかったのだ。お父さんとお母さんを守らなくてはと、僕は犬として役目を果たさなくちゃと思っていた。だから目の前を誰かの足が通りかかったら、ワオワオ、吠えて噛みつこうとした。そのたびに、僕は怒られた。お父さんは、ダメって僕をしかる。僕はどうすればいいか分からない。混乱した。でも、やっと一人の踵にかみついた。やったと思ったら、お父さんにこっぴどく怒られた。僕は混乱した。僕んちの中だぞ…と。

 

 僕が新しい僕んちを、自分の目と、鼻と、耳と、肉球でやっと確認できたのは、夕方だった。お父さんが、全ての荷物が届いたことや、倉庫や、一階のタイヤハウス、駐車場、郵便ポストを含めてみんな確認して、マンション会社の人の書類にサインしたあと、やっと僕たち3人は落ち着いたのだ。嵐は終わった。

 

 僕のバリケンは、リビングの隣のお父さんの書斎におかれることになった。伊豆の家のリビングとは違って絨毯も敷いてある落ち着いた部屋。お母さんと、お父さんは、北側の別々の部屋にベッドを入れた。残念、伊豆では僕はどちらのベッドにも潜り込めたのに、今度はどちらかに決めてでないと潜り込めない。

 

 一番、僕がうれしかったのは、ガーデン・デッキ。広くて、芝生もあって、草の匂いがする地べたがあった。ほら、チェルト、あれが仙台の街、お父さんの病院、向こうが太平洋なんて僕に言ってる。でも僕にはちゃんとは見えない。お父さんに抱かれているだけでいい。

 

 お父さんは、ここだったら、チェルトもおしっこやウンチはできるかも…とお母さんと話している。そんなことはしない。そこが僕んちだったら、絶対におしっこだってしないぞと決めているのを、お父さんは知らない。

 

 僕がほんとうに困ったのは、僕んちはどこからどこなんだろうということだった。伊豆の家だったら、庭の方は生垣の内側、玄関の方は、フェンスの内側とはっきりしていたのだけど、マンションって初めてだから、僕んちはどこなのかが分からない。特に、玄関のドアを開けたら、もうそこは路地で、僕んちではないような気がして…。でも、路地の向こう側にある倉庫も僕んちだし…。

 

 大変な引越しの日は終わった。僕は、新しい書斎という静かな部屋のバリケンの中でよく眠った。伊豆高原の猫の友達、ボニーとミーシャの夢を見ていた。それが、仙台の最初の夜だった。

 

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2
0
  • 0円
  • ダウンロード

29 / 53