M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 26 / 26 )

65.いっぱい、いっぱいとのお別れ

 

遠笠山道路から見た僕んち.jpg

 

 お父さんの病気のことで、僕は僕が育った伊豆高原のおうちからひっこすことになった。ひっこすという意味も最初はわからなかったのだけれど…。

 

 伊豆高原は僕が環八・瀬田のシュナウザー専門の犬屋さん、ケンネルエイトで生まれて、お父さんとお母さんに引き取られて、一泊だけの横浜のマンションからバリケンで連れてこられた最初の家だ。だから僕が3か月のチビから7歳の大人の犬になるまで暮らした家だ。

 

 思いでもいっぱい。犬や猫の友達もいっぱい。お散歩コースもいっぱい。スバルでのお出かけもいっぱい。楽しいことばかりいっぱい。

 

 だのに、お父さんは一人で仙台に行くと決めてきた。僕には相談はなかった。お母さんとは話していたようだけれど、僕は知らなかった。

 

 お父さんが仙台にマンションを見つけたのが9月。僕達の伊豆高原の家が売れたのは10月の末。この二か月の間に、僕達の家は、東京のある家族に安く買われていた。お父さんは困ったようだけれど、仕方が無いようだった。

 

 ひっこすという意味が分かってきたのは、10月になってからだ。お父さんはそそっかしいから、どんどん、僕んちのなかの要らないものを処分し始めた。処分という言葉も知らなかったのだけれど…。

 

 お父さんは、涼しい玄関で、夏、自分が僕とお昼寝するときに使っていた折り畳みベッドを伊東市のリサイクル掲示板にのっけて、池田20世紀美術館のすぐそばに住む人に、ただであげてしまった。

 

 リビングにあった籐でできた、ガラスの重いセンターテーブルも粗大ゴミに出した。ごみの引き取りの日の朝、知らない人が来て、気に入ったのでもらっていってもいいですかと訪ねてきた。お父さんは大喜びで引き取ってもらった。忘れたけれど、いろいろなものが少しずつ家の中から減って行った。今度のマンションは広いけど、この家にくらべたら狭いからと、お父さんは家具を処分し始めたのだ。

 

 それで、僕はひっこすという意味が少しわかってきた。この家からどこかに行くんだなぁって。

 

 僕にもいろいろ降りかかってきた。お母さんと、おもちゃの整理を始めた。お母さんが、このおもちゃは壊れたから捨てて行こうねと言う。僕はまあいいやと言うのと、いやだというのを決めなければならなかった。こんなこと、想像もしていなかった。

 

 これまで話そうと思って、考えていた伊豆の思い出も話す機会がなくなってきた。

 

 たとえば、中伊豆のワイナリーやサイクルセンターでの思い出や、小室山を三人で歩いて登ったこと、そこのつつじがきれいだったことや、天城の高い山、万二郎の上り口の遠笠山の山登りなど、いっぱい、いっぱい話していないことがあるのに…。

 

 それに、お母さんは知らないけれど、お母さんお仕事で留守の間、僕とお父さんは、伊豆高原の近くの小さなお出かけをいっぱいやっていた。イルカが来る川奈の港だとか、伊東の広い競輪場の駐車場とか、ハトヤの前のシェルのスタンドでお父さんと一緒に車に乗ったまま、車が洗車機の中を動いて、ぼくがびっくりしたこととか、いっぱい、いっぱいある。

 

 一番、僕にとって楽しかったところは、やっぱり大室山のふもとの桜の里。ここでは、たくさんのワンちゃんたちに出会って他の犬種の匂いを覚えたし、僕がよく散歩に来た場所で、思い出もいっぱいある。初めての人から、おいしいものをもらったこともたびたびある。もちろん、お母さんかお父さんのOKが出てのこと。

 

 僕が、お父さんが見えなくなっても、スティができるようになったのもここ。桜の里の大室山のふもと、誰も来ない芝生が僕の練習の場所。

 

 広い芝生の一番右の隅に僕は座っている。お父さんは、僕の目を見てスティという。

そして、くるりと僕に背中を見せて芝生を横切って、どんどんどんどん歩いていく。

芝生には、谷があったり丘があったりするから、お父さんの背中が見えたり、頭だけになったり、全く見えなくなったりした。僕は心配になって足が震えてくる。僕は一人置いて行かれるんじゃないかと不安になるのだ。でも頑張って、お父さんの足音を一生懸命聴いている。

 

 遠くで、カム、チェルトと声がする。僕は夢中でお父さんの声のする方に飛んでいく。本当に僕の四足が、空中に浮くほどのスピードで飛んでいく。おとうさんが、遠くの芝生に座って僕を待っている。そこに僕は飛び込む。お父さんは僕の頭を抱いて、グッボーイ、グッボーイと撫でてくれる。

 

 すると、また僕はそこに座らされて、お父さんは逆の方に歩き出し、芝生の起伏に消えていく。不安になるけど、きっと僕を待っていてくれると信じて聞き耳を立ててまっている。長い時間が過ぎて、チェルト、カムと聞こえる。一直線に僕はお父さんの声の聞こえる分すっ飛んでいく。

 

 これのくり返しで、僕はちゃんとスティができるようになったのだ。だから、桜の里は僕の大切な思い出の場所。引っ越すと、ここともお別れ。ちょっとさびしい僕だったのだ。

 

 

五章 : 引越し( 2 / 5 )

66.がらんどうの家

僕んち.jpg

 

 僕んちの引っ越しが決まって、急にみんなが忙しくなったみたい。

 

 僕も、一番古い友達のアンナちゃんや、猫の友達、ミーシャとボニーにお別れを言いに行かなければならなかったし、一緒に庭や松川湖の草原で遊んだセロちゃんとも、おすましのリリーちゃんとも、ゴールデンのミッフィーとブブカなど、いっぱい、いっぱいのお友達にサヨナラを言わなくてはならなかった。

 

 サヨナラの意味が分かっていたかどうかは分からない。サヨナラの意味が僕の心にしみこんできたのは仙台の生活が始まってからだから…。友達がいなくなるのは悲しいことだと後で分かったんだけど、その時は簡単にサヨナラが言えた。でも、もういつ会えるかどうかわからない遠い街に引っ越していく僕には、やはりお別れだった。

 

 そういえば、伊豆高原に来てからお母さんが自分用に買ったホンダのポッシェットともお別れだった。お父さんはチャリだと言っていたけど、このポッシェットにはいろんな思い出がある。桜の里へのお散歩とか、ごみ出しの時のセブンイレブンのアイスだとか…。ハイシャになるって、お父さんが伊東のホンダに連れて行った。バイバイ。

 

 家の中では、全ての物たちが、ラベルを張られていった。お父さんが、引っ越し先のマンションの間取りを画いて、縮尺を図りながら置くもの達の場所を決めていく。家の中は大混乱。

 

 ある日、0123の引越し屋さんがやって来た。

 

 大きな0123のトラックが仙台からやて来た。4人の引越し屋さんたちは、お父さんの立ち会いでどんどん荷物を運び出して、大きなトラックに詰め込んでいく。大きな家具は大変なようだ。

 

 僕はというと、知らない人が僕んちに入り込んできたのだけれど、吠えるとお父さんに怒られるので、我慢しながら、バリケンの中でウロウロ。アッという間に、僕んちはがらんどうになった。

 

 残ったもの、それは、僕のバリケンと食料と食器とリードだけ。暴れまくって遊んでいた家は、荷物がなくなって、急に広くなった。なぜ、僕のバリケンだけが残るの…って聞いたけど、お父さんたちは答えてくれない。

 

 実は、僕の引っ越しはお父さんにとって、とても大変だったのだ。僕の体のサイズは、JRの電車の中に持ち込むには大きすぎた。だから、東京まで電車で行き、そこから東北新幹線に乗って仙台まで行くことはできなかったのだ。

 

 もちろん、生きた僕を「宅急便」で仙台まで送ることはできないと分かっていた。

だから、僕とお母さんと三人で、スバルでボロボロ、東名、首都高、東北道を530キロも走って、僕のバリケンを乗っけて仙台まで辿り着かなければならなかったのだ。

お父さんは、途中で一泊する予定を立てていた。

 

 仙台までの大きなトラックは、夕方、みんなに見送られて出発した。

 

 残ったのは、お父さんとお母さんの荷物と僕のバリケン。おいおい、何にもなくなったぞと僕は不安になってきた。

 

 夕方、お父さんとお母さんは、僕にご飯を食べさせて、簡単なお散歩をさせると、じゃあ後でと言って、僕を一人バリケンの中に閉じ込めて、スバルに乗って、ボロボロと走って行ってしまった。ウオーンって鳴いてみたけど、僕は置いてきぼり。

 

 僕は一人ぼっちで、大きながらんどうの家に取り残されたのだ。僕はなぜ僕だけこのうちに残されるのと淋しくて、久しぶりにクンクン、涙が出てきた。淋しいよう!と叫んで吠えたのだ。泣きながら、広い空っぽの家の居間で、僕はバリケンの中で震えていた。仲間はおもちゃのワニさんだけだった。

 

 夜が来て真っ暗なバリケンの中でだいぶ時間が経ったころ、お父さんとお母さんの声がする。僕は聞き耳を立てた。お父さんとお母さんの足音が聞こえる、僕んちに向かって歩いている。

 

 帰って来たんだと僕はうれしくなった。僕は置いてきぼりではなかったんだ…と。

ガシャガシャ、鍵を開ける音がして電気がついた。

 

 オーイ、チェルトは生きているかとお父さんが玄関で言っている。

 

 あったりまえだいと、ちょっと怒った僕。

 

 二人で入ってきてバリケンの扉を開けてくれた。僕は飛びだして、お父さんに抗議した。僕を一人だけ置いていくなんてって。でもそれで、僕の一人ぼっちは終わったわけではなかったのだ。

 

 僕と三人で広いリビングや、いつもは怒られる畳の部屋なんかで、おもちゃで遊んだら、お父さんとお母さんは、また、じゃあまた明日って言って、僕をまたバリケンに押し込んで帰って行った。

 

 お父さんとお母さんは近くのペンションにその日は泊まったようだ。そこペンションでは、犬はダメだったのだ。

 

 この夜の一人ぼっちの淋しさは決して忘れないし、おとうさんもお母さんも許せないと、僕は今でも思い出すと体が震えるのだ。こんなさびしい、不安な気持ちになったことは、他になかった。

 

五章 : 引越し( 3 / 5 )

67.僕の引っ越しは大変だった!

  那須4.JPG

 

 一人で過ごした長い夜が明るい朝になって、お父さんとお母さんが、ボロボロとスバルで戻ってきた。よかった。

 

 お父さん達はペンションで朝ごはんを食べてきた匂いがする。ベーコンエッグだと僕にはわかる。僕もユーカヌバのゴハンを食べてお散歩。

 

 これが伊豆高原での最後のお散歩。お父さんとお母さんの三人で、アンナちゃんちまで行って帰ってきた。

 

 じゃ出かけようとお父さん。頑張って走っても、休憩なんかを入れると370キロは8時間はかかるだろうとお父さん。朝の9時に出発だ。三角屋根の緑と白のおうちともお別れ。

 

 お母さんは高速を走れないから、普通の道はお母さんが運転して東名の沼津インターまで。毎月行っていた大仁のワイン屋さんを過ぎて、スバルはボロボロ走る。そこまでだって2時間弱。

 

 東名に乗ったら、用賀まで1時間半だなとお父さん。沼津インターで運転はお父さんに交代。僕たちのスバルはボロボロと東名を100キロ以上で走る。快適。僕はシートベルトをしてもらって、床との段差を黒い大きな風船で埋めてもらって、広く平らになった後ろのシートでご機嫌。

 

 ところが、横浜に近づくと走っていた車が急にスピードを落とした。前の車にぴったり張り付いて、動くのを待つけれどスバルは走れない。

 

 渋滞だとお父さん。いやだねとお母さん。僕には渋滞って分からない。窓を開けてもらって、のろのろ少しずつ動くスバルの窓から鼻を出す。自動車の臭いにおいが車の中に入りこんできた。気持ちが悪い。

 

 ゆっくりゆっくり、スバルは進む。多摩川の料金所の手前まで、ずっとノロノロ運転。お父さんはイライラ。機嫌が悪い。3車線が1車線になっていて、そこを通過するのに僕たちは待たされたのだ。11月の終わりの頃だけど、車の中は嫌だ。

 

 パトカーが何台もならんで、事故の検証だとか…。2車線はだだっ広く開いているのに走れない。馬鹿なとお父さん。2車線を走らせればいいのにと…。事故を起こした車は、もう高速道の上にはいない。余計お父さんがおこる。首都高の用賀に着くまでのろのろだった。結局、首都高に乗れたのは沼津から3時間以上経っていた。

 

 用賀から、東北道の入り口までは1時間だなとお父さん。

 でもその日は、僕達はついていなかった。

 

 首都高も渋滞して、すいすいとは走れないのだ。東北道に入れたのは2時間後。みんなぐったり。おとうさんは怒ったせいで、一番ぐったり。伊豆高原の家を出て、東北道に入るまでに7時間。もう夕方の3時頃だった。

 

 羽生サービスエリアでやっと、三人は車を降りた。僕は我慢していたおしっこをしに、PAの裏の方にお母さんを引っ張っていく。お父さんは疲れている感じ。お母さんが、普通の道を私が運転しましょうかと聞くけれど、お父さんは道が分からないから、僕が高速を運転すると譲らない。

 

 結局、東北道の那須まで2時間かかったから、那須に下りたのは5時半を過ぎていた。もう道は真っ暗で、どの道をいけばよいのか分からなかった。真っ暗なお店もない道が続く。やっとコンビニの灯りを見つけて、僕達が止まるキャンピングカー・サイトの場所を訊く。すると後戻り。

 

 お父さんは、携帯電話で今夜泊まるキャンピングカーの事務所に連絡して、到着が遅れていますけど待っていてくださいとお願いしている。

 

 僕達がその夜泊まるキャンピングカーのサイトに着いたのは、6時半過ぎ。周りは真っ暗で何も見えない。事務所の若い人が、僕達を待っていてくれてやっとその夜の僕たちのベッドが決まった。お父さん、ご苦労様。

 

 途中のコンビニで買ったお弁当を、お父さんとお母さんは食べて、僕はユーカヌバのご飯を食べて、ちょこっとお父さんのおかずを分けてもらって、一応満足。

 

 トイレも、シャワーも、キッチンもあるキャンピングカーは僕は初めて。興奮して探検したいけど、お父さん達が寝ると言うので探検はお預け。

 

 二つあるベッドのどちらに潜り込もうかと思ったけれど、お母さんが、チェルトは今日は私と寝るの…と僕を連れて行った。お父さんは、大きなベッドで大きないびきをかいて寝始めていた。

 

 僕もつかれた那須までのドライブだった。明日は新しいマンションだねと、僕はお母さんにくっついて眠ってしまった。

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
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