M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 25 / 26 )

64.仙台!?

 仙台市街[1].jpg

 

 お父さんとお母さんの会話に、あるころから、せんだい、びょういん、きゅうきゅうしゃ、まんしょん、なんて言葉が増えているのに僕は気が付いた。

 

 僕が知っている言葉は、救急車。パッツホー、パオー、パッホーって大きな声で裏の道を走っていたからだ。僕は何時もつられて、ある音の高さまで来ると同じようにウヲオ~~オンって遠吠えしていたから知っていた。

 

 このころ、なんだかお父さんは元気がなくて、時々お父さんは、僕の散歩をすっぽかして、お母さんに家の周りでチョコチョコってお散歩させて、お終い…なんってことも起きるようになっていた。

 

 そういえば、下のお散歩のコースの途中にある「はばクリニック」にお父さんが、何時間も行って帰ってこないことも増えていった。なんだか、いやな感じだった。

 

お 父さんはある日、僕もお母さんもお留守番にして、一人でワインを買いに行く大仁より遠い、伊豆長岡まで車で出かけた。そして、夕方疲れて帰ってきた。元気がなかった。

 

 伊東にはお父さんの心臓の病気、不整脈をちゃんと取り扱う病院がなくて、「はばクリニック」の先生のいる伊豆長岡まで、まさかの時は救急車で出かけなくてはならないって分かったみたい。お父さんが、「救急車で峠越えをして、1時間半もかけて順天堂・長岡病院まで、まさかの時は行かなくてはならないんだ」って、とお母さんに話している。今更、横浜にこの家を売って戻るってのいうのも、だんだん夏の気温が上がっているから嫌だしなぁ…とも言っている。東京はもっと高いし、暑いしとも。

 

 そこで父さんは、肥大型心筋症から起きる悪い性質の不整脈をちゃんと治療してもらえる病院を探し始めたようだ。

 

 お父さんは昔、仕事で何度かせんだいって所に行っていたようだ。そこで、せんだい、仙台って言葉が出るようになったわけ。とうほくだいがくの病院もあるしな。マンションンもありそうと、お父さんはお母さんと話している。僕は、まんしょんという言葉は、横浜・金沢八景のひいおばあちゃんの家がマンションっていってたなぁと気がついた。

 

 僕んちに、ふどうさんやさんという見たこともない人たちが入り込んできたのは、その頃からだった。僕んちの上から下まで、庭の隅から隅まで、建物の外装や屋根の様子まで見ている。大分傷んでいる所がありますね…とか言っている。お父さんがむずかしい、僕のわからない言葉で話している。お父さんの顔もきびしいよう。

 

 買った時の7割くらいにしかならないとお父さん。困った顔のお母さん。

 

 お父さんはそれから、1週間も、ひと月もパソコンの前からはなれないで、何かを一生懸命やっていた。僕とも前ほどは遊んでくれなくなった。やだなぁ…と思っていた。

 

 9月のある日、お父さんはしたみにといって、僕とお母さんを置いて仙台って所に一人で出かけた。僕とお母さんはお留守番。

 

 こんな時は、僕がお母さんを守ってあげなくてはと思って、夜になると僕は周りの様子に注意深くなった。変な音がしたら、ウオン、ウオンと吠えた。

 

 お母さんとの電話で、お父さんは仙台に二つほど気に入ったマンションが見つかったと話しているようだ。明日、下見してくるって…とお母さんが僕に話してくれた。チェルトにも住みやすいマンションだといいねとなぐさめてくれる。でも、なんだか僕にはよく分からない感じだった。何が起きるのか僕には分かっていなかった。

 

 お父さんが帰ってきた。お土産を持って。

 

 チェルトもよろこぶいいマンションが見つかったんだ。自然もいっぱいあるし、何しろぼくんち専用のガーデン・デッキがあって、土のある庭もついているんだとお父さん。間取り図を見て、お母さんも良さそうって言ってる。仙台駅から電車で15分、車で20分、一番近い駅まで歩いて7分、仙台で一番高いところにある仙台市街が見渡せるマンション。宮崎駿の天空都市のラピュタ。南向きの斜面で日当たりはとてもいいとか。シャトルバスが、小学校と最寄りの駅まで無料。イーオンの無料ショッピングバスも出ているそうだ。

 

 一番大切なお父さんの病気の東北大学病院まで、車で10分だった。

 

 お父さんは、伊豆高原の家が売れたらそのマンションを購入しますと言う契約をして、9月、僕が7歳の秋、仙台に僕たちのこれから住むマンションを決めてきた。それが、どんなところか、どんな生活が待っているのか、僕には全く分からなかったし、想像も出来なかった。伊豆高原の家が売れたら引越しだとお父さん。こうして僕の家の仙台への引っ越しが突然決まった。

 

 ただ、僕にも伊豆高原とお別れなんだとぼんやり分かっていた。僕は、環八・瀬田のM.シュナウザーだけうっているケンネルエイトから引き取られて、翌日には伊豆高原の新しい家に居た。だから、僕は伊豆高原しか僕んちだとは思っていなかったのだ。

 

 僕の友達たちともお別れかなぁとちょっと寂しくなった。

 

四章 : 一人前のワンちゃんのころ( 26 / 26 )

65.いっぱい、いっぱいとのお別れ

 

遠笠山道路から見た僕んち.jpg

 

 お父さんの病気のことで、僕は僕が育った伊豆高原のおうちからひっこすことになった。ひっこすという意味も最初はわからなかったのだけれど…。

 

 伊豆高原は僕が環八・瀬田のシュナウザー専門の犬屋さん、ケンネルエイトで生まれて、お父さんとお母さんに引き取られて、一泊だけの横浜のマンションからバリケンで連れてこられた最初の家だ。だから僕が3か月のチビから7歳の大人の犬になるまで暮らした家だ。

 

 思いでもいっぱい。犬や猫の友達もいっぱい。お散歩コースもいっぱい。スバルでのお出かけもいっぱい。楽しいことばかりいっぱい。

 

 だのに、お父さんは一人で仙台に行くと決めてきた。僕には相談はなかった。お母さんとは話していたようだけれど、僕は知らなかった。

 

 お父さんが仙台にマンションを見つけたのが9月。僕達の伊豆高原の家が売れたのは10月の末。この二か月の間に、僕達の家は、東京のある家族に安く買われていた。お父さんは困ったようだけれど、仕方が無いようだった。

 

 ひっこすという意味が分かってきたのは、10月になってからだ。お父さんはそそっかしいから、どんどん、僕んちのなかの要らないものを処分し始めた。処分という言葉も知らなかったのだけれど…。

 

 お父さんは、涼しい玄関で、夏、自分が僕とお昼寝するときに使っていた折り畳みベッドを伊東市のリサイクル掲示板にのっけて、池田20世紀美術館のすぐそばに住む人に、ただであげてしまった。

 

 リビングにあった籐でできた、ガラスの重いセンターテーブルも粗大ゴミに出した。ごみの引き取りの日の朝、知らない人が来て、気に入ったのでもらっていってもいいですかと訪ねてきた。お父さんは大喜びで引き取ってもらった。忘れたけれど、いろいろなものが少しずつ家の中から減って行った。今度のマンションは広いけど、この家にくらべたら狭いからと、お父さんは家具を処分し始めたのだ。

 

 それで、僕はひっこすという意味が少しわかってきた。この家からどこかに行くんだなぁって。

 

 僕にもいろいろ降りかかってきた。お母さんと、おもちゃの整理を始めた。お母さんが、このおもちゃは壊れたから捨てて行こうねと言う。僕はまあいいやと言うのと、いやだというのを決めなければならなかった。こんなこと、想像もしていなかった。

 

 これまで話そうと思って、考えていた伊豆の思い出も話す機会がなくなってきた。

 

 たとえば、中伊豆のワイナリーやサイクルセンターでの思い出や、小室山を三人で歩いて登ったこと、そこのつつじがきれいだったことや、天城の高い山、万二郎の上り口の遠笠山の山登りなど、いっぱい、いっぱい話していないことがあるのに…。

 

 それに、お母さんは知らないけれど、お母さんお仕事で留守の間、僕とお父さんは、伊豆高原の近くの小さなお出かけをいっぱいやっていた。イルカが来る川奈の港だとか、伊東の広い競輪場の駐車場とか、ハトヤの前のシェルのスタンドでお父さんと一緒に車に乗ったまま、車が洗車機の中を動いて、ぼくがびっくりしたこととか、いっぱい、いっぱいある。

 

 一番、僕にとって楽しかったところは、やっぱり大室山のふもとの桜の里。ここでは、たくさんのワンちゃんたちに出会って他の犬種の匂いを覚えたし、僕がよく散歩に来た場所で、思い出もいっぱいある。初めての人から、おいしいものをもらったこともたびたびある。もちろん、お母さんかお父さんのOKが出てのこと。

 

 僕が、お父さんが見えなくなっても、スティができるようになったのもここ。桜の里の大室山のふもと、誰も来ない芝生が僕の練習の場所。

 

 広い芝生の一番右の隅に僕は座っている。お父さんは、僕の目を見てスティという。

そして、くるりと僕に背中を見せて芝生を横切って、どんどんどんどん歩いていく。

芝生には、谷があったり丘があったりするから、お父さんの背中が見えたり、頭だけになったり、全く見えなくなったりした。僕は心配になって足が震えてくる。僕は一人置いて行かれるんじゃないかと不安になるのだ。でも頑張って、お父さんの足音を一生懸命聴いている。

 

 遠くで、カム、チェルトと声がする。僕は夢中でお父さんの声のする方に飛んでいく。本当に僕の四足が、空中に浮くほどのスピードで飛んでいく。おとうさんが、遠くの芝生に座って僕を待っている。そこに僕は飛び込む。お父さんは僕の頭を抱いて、グッボーイ、グッボーイと撫でてくれる。

 

 すると、また僕はそこに座らされて、お父さんは逆の方に歩き出し、芝生の起伏に消えていく。不安になるけど、きっと僕を待っていてくれると信じて聞き耳を立ててまっている。長い時間が過ぎて、チェルト、カムと聞こえる。一直線に僕はお父さんの声の聞こえる分すっ飛んでいく。

 

 これのくり返しで、僕はちゃんとスティができるようになったのだ。だから、桜の里は僕の大切な思い出の場所。引っ越すと、ここともお別れ。ちょっとさびしい僕だったのだ。

 

 

五章 : 引越し( 2 / 5 )

66.がらんどうの家

僕んち.jpg

 

 僕んちの引っ越しが決まって、急にみんなが忙しくなったみたい。

 

 僕も、一番古い友達のアンナちゃんや、猫の友達、ミーシャとボニーにお別れを言いに行かなければならなかったし、一緒に庭や松川湖の草原で遊んだセロちゃんとも、おすましのリリーちゃんとも、ゴールデンのミッフィーとブブカなど、いっぱい、いっぱいのお友達にサヨナラを言わなくてはならなかった。

 

 サヨナラの意味が分かっていたかどうかは分からない。サヨナラの意味が僕の心にしみこんできたのは仙台の生活が始まってからだから…。友達がいなくなるのは悲しいことだと後で分かったんだけど、その時は簡単にサヨナラが言えた。でも、もういつ会えるかどうかわからない遠い街に引っ越していく僕には、やはりお別れだった。

 

 そういえば、伊豆高原に来てからお母さんが自分用に買ったホンダのポッシェットともお別れだった。お父さんはチャリだと言っていたけど、このポッシェットにはいろんな思い出がある。桜の里へのお散歩とか、ごみ出しの時のセブンイレブンのアイスだとか…。ハイシャになるって、お父さんが伊東のホンダに連れて行った。バイバイ。

 

 家の中では、全ての物たちが、ラベルを張られていった。お父さんが、引っ越し先のマンションの間取りを画いて、縮尺を図りながら置くもの達の場所を決めていく。家の中は大混乱。

 

 ある日、0123の引越し屋さんがやって来た。

 

 大きな0123のトラックが仙台からやて来た。4人の引越し屋さんたちは、お父さんの立ち会いでどんどん荷物を運び出して、大きなトラックに詰め込んでいく。大きな家具は大変なようだ。

 

 僕はというと、知らない人が僕んちに入り込んできたのだけれど、吠えるとお父さんに怒られるので、我慢しながら、バリケンの中でウロウロ。アッという間に、僕んちはがらんどうになった。

 

 残ったもの、それは、僕のバリケンと食料と食器とリードだけ。暴れまくって遊んでいた家は、荷物がなくなって、急に広くなった。なぜ、僕のバリケンだけが残るの…って聞いたけど、お父さんたちは答えてくれない。

 

 実は、僕の引っ越しはお父さんにとって、とても大変だったのだ。僕の体のサイズは、JRの電車の中に持ち込むには大きすぎた。だから、東京まで電車で行き、そこから東北新幹線に乗って仙台まで行くことはできなかったのだ。

 

 もちろん、生きた僕を「宅急便」で仙台まで送ることはできないと分かっていた。

だから、僕とお母さんと三人で、スバルでボロボロ、東名、首都高、東北道を530キロも走って、僕のバリケンを乗っけて仙台まで辿り着かなければならなかったのだ。

お父さんは、途中で一泊する予定を立てていた。

 

 仙台までの大きなトラックは、夕方、みんなに見送られて出発した。

 

 残ったのは、お父さんとお母さんの荷物と僕のバリケン。おいおい、何にもなくなったぞと僕は不安になってきた。

 

 夕方、お父さんとお母さんは、僕にご飯を食べさせて、簡単なお散歩をさせると、じゃあ後でと言って、僕を一人バリケンの中に閉じ込めて、スバルに乗って、ボロボロと走って行ってしまった。ウオーンって鳴いてみたけど、僕は置いてきぼり。

 

 僕は一人ぼっちで、大きながらんどうの家に取り残されたのだ。僕はなぜ僕だけこのうちに残されるのと淋しくて、久しぶりにクンクン、涙が出てきた。淋しいよう!と叫んで吠えたのだ。泣きながら、広い空っぽの家の居間で、僕はバリケンの中で震えていた。仲間はおもちゃのワニさんだけだった。

 

 夜が来て真っ暗なバリケンの中でだいぶ時間が経ったころ、お父さんとお母さんの声がする。僕は聞き耳を立てた。お父さんとお母さんの足音が聞こえる、僕んちに向かって歩いている。

 

 帰って来たんだと僕はうれしくなった。僕は置いてきぼりではなかったんだ…と。

ガシャガシャ、鍵を開ける音がして電気がついた。

 

 オーイ、チェルトは生きているかとお父さんが玄関で言っている。

 

 あったりまえだいと、ちょっと怒った僕。

 

 二人で入ってきてバリケンの扉を開けてくれた。僕は飛びだして、お父さんに抗議した。僕を一人だけ置いていくなんてって。でもそれで、僕の一人ぼっちは終わったわけではなかったのだ。

 

 僕と三人で広いリビングや、いつもは怒られる畳の部屋なんかで、おもちゃで遊んだら、お父さんとお母さんは、また、じゃあまた明日って言って、僕をまたバリケンに押し込んで帰って行った。

 

 お父さんとお母さんは近くのペンションにその日は泊まったようだ。そこペンションでは、犬はダメだったのだ。

 

 この夜の一人ぼっちの淋しさは決して忘れないし、おとうさんもお母さんも許せないと、僕は今でも思い出すと体が震えるのだ。こんなさびしい、不安な気持ちになったことは、他になかった。

 

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2
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