真夏の昼の、サクラ夢

2章( 3 / 7 )

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 響く、第三者の声。不機嫌な色のハスキーな女性の声に、ナナシと呼ばれた猫は『はいはーい』と軽く返事。そして、軽快な足取り満開の花を咲かせる桜の木の下へと向かう。

『おっまたせ。はい、お酒♪』

「ったく、勝手に呼び出した分際でよくのうのうとたちばな……」

 女性の言葉が、突如途切れた。

 こちらを見つめる、驚愕の色を宿す桃色の瞳。丈の短い着物に大きく露出した肩。腰まである瞳と同色の髪からは、一対の兎の耳が生えている。そんな、奇抜とも言える容姿の女性に見つめられ、銀弥もただ茫然と、驚愕と困惑の色を顔に浮かべた。

 彼女は、誰なのだろう。浮かんだ疑問は、すぐさま脳裏に響く声で消え去った。

 

 

 

『紅ちゃん――っ!!』

 

 

 

「……くれない、ちゃん……?」

「――っ!?」

 無意識に、紡いでいた名前。女性――紅が、顔を強張らせた。足元に座るナナシが、『あらあら』と楽しげに笑う。だが、一番驚いたのは当の銀弥だった。

「え、えっと……あ、あれ? な、なんで俺……今……」

『きっと夢だからだよー』

 にしゃりと、ナナシが笑う。まるで、真実を霧に隠して翻弄する、物語のあの猫のように。

 そんな彼女を、射殺さんとばかりに紅が睨み付ける。

「お前……知っててわざと呼び出しやがったなっ!!」

『さー、なんの事でしょー?』

「この――ッ!!」

 小動物へと振り上げられる拳。流石にまずいと、慌てて銀弥は止めに入った。

2章( 4 / 7 )

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「わ、ちょ、ちょっと落ち着いてください!!」 

 一人と一匹の間に入れば、チッ、と悔しげな舌打ち。火種たる猫は、嬉しそうにまた笑った。

『にゃふふ、ありがとさん! では、お邪魔猫はそろそろ退散するかね』

「あ、こらおいっ!!」

 銀弥の脇から紅は手を伸ばすも、当の本猫(ほんびょう)はするりと宵闇を抜け、姿を消してしまった。

「あ、いっちゃった……」

「ったく、あいつ……今度会ったらただじゃおかねえからな……」

 ぶつぶつと呟きながら、ナナシが残したひょうたんに手を伸ばす紅。そうして、ふと銀弥の顔を眺めた。

「……そういや、お前の名前をまだ聞いてなかったな。なんていうんだ? まさか『真白』とか言うんじゃねえだろうな?」

「え!? や、俺は銀弥、……雷銀弥、ですけど……」

 真白、の言葉に思わず反応してしまう。真白、紅。真白桜と、紅桜。本に記された、桜と同じ名前……。

 自己紹介を終えれば、「ふーん」と何処かそっけない声。

「そっか、今は『銀弥』、か。ま、どうでも良いがな」

 あたしも、今は『紅』じゃないし。そう意味深な言葉を告げる紅に、疑問符が浮かぶ。

「今は……?」

「ん? 嗚呼、『紅』は一回死んだんだよ。で、さっきの馬鹿猫に叩き起こされて、こうしてまたこんな場所で無意味な時間を貪ってんだ。そうだな……今は『紅』でも『真白』でもねえし、『鴇』(とき)、とでも名乗っておくか」

「とき……さん?」

 ちくり。また胸が痛む。夢を見てから感じる、不可解な感情。

(なんなん……だろう……?)

 首を捻っても、原因はわからず仕舞い。そんな彼を尻目に、鴇、と自らを名乗った女性は、何処からか取り出した巨大な盃で一人酒盛りを始めてしまった。

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「……あの、鴇、さん?」

「ん? なんだよ。お前も酒飲むか?」

 ずい、と盃を差し出されるが、丁重に断りを入れる。一応飲酒は可能な歳だが、正直酒類は苦手な方だった。

 気分を害してしまわないか。一瞬不安が浮かんだが、「あ、そ」の一言で済んでしまい、ほっと一息。

「……そういや、聞きたい事があったんじゃねえのか?」

「え? あ、そ、そうでした!! 鴇さん、貴方は一体……何者なんですか?」

「……」

「さっき、『紅』は一度死んだって。それに、俺の事を『真白』って……。ひょっとして、貴方は……」

「……少し、昔話をしてやるよ」

 遮り、そう一言。そして、盃に注がれていた酒を一気に飲み干すと、憂いを宿した桃色の瞳で虚空を見つめる。その瞳が、あまりにも寂しげで――しかし何処か懐かしそうな色をも宿していて、銀弥は口を開く事を躊躇った。

 鴇は、告げる。

「……昔、この地には『真白様』、『紅桜』って呼ばれた白い桜の精とと紅い桜の精がいたんだ。真白は村の守り神だって崇められて、紅桜は穢れの象徴だとか罵られて。真白の方は、すっげー泣き虫で、ちっこくってよわっちくって。いっつも村の人間に愛されてた、そんな桜の精だった。

 紅桜は、真白とは正反対。真白様の穢れの憑代の分際でって村の奴らから蔑まれて。紅も紅で、手負いの獣みたいにいろんな奴を威嚇して。いっつも斜に構えてたっけ。唯一優しくしてくれた真白の事も、いっつも嫌ってさ。

 けどな、真白はどんなに威嚇しようが傷付けようが、それでも紅の所にやってきたんだよ。自分のせいで、紅ちゃんを傷付けて。ごめんね、ごめんねって」

 空になった盃に、一度酒を注いで一呼吸。一口付けて、また続きを紡ぎ出す。

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「……そんな、真白の謝罪と紅の毒を含む言葉の毎日に、とうとう終止符が打たれる時が来たんだよ。

 あの馬鹿、紅ちゃんにばっかり辛い思いはさせないからとかほざきやがって……。折角紅に移した穢れを、全部自分に戻しやがったんだ。あいつが『紅』になって、紅が『真白』に入れ替わっちまったんだ」

 その光景を思い出しているのか、今までよりも寂しげな瞳が揺れる。

「そしたら、村の奴らみぃんな掌ひっくり返したように真白の奴を責めやがってさ。あろう事か本体にまで火を放ちやがって……。

 その後、あいつらなんて言ったかわかるか? 紅に向かって、「申し訳ねえ真白様」、「無礼者は始末した」、だぜ? ……散々勝手に崇めてた真白を無礼者扱いして、そんで今度は蔑んでた紅を崇めようとしたんだぜ? 馬鹿馬鹿しいにも、程がある……ッ」

 ミシリ。ひびの走る音が、盃から響く。ぽたりぽたりと零れる雫を、鴇は気に留める風もなかった。

 怒りと、そしておそらく悲しみから。細い肩の小さな震えを、ただ銀弥は治まる事を静かに待つ事しか出来なかった。かける言葉も、見つからないまま。

 いったいどれほどの時が流れただろう。長いようで、ひょっとしたら短い時間。いつの間にか詰めていた息をふぅ、と吐き出し、鴇は自嘲の笑みを刻んだ。

「……その後は、怒り狂った紅が村人を皆殺し。それで村は滅びて、いつの間にか紅も枯れちまってたとさ」

 ちゃんちゃん。わざとふざけて締めくくられた、悲しい伝承の側面。語り終えた鴇は、滴り落ちる雫に構う事なく、残った酒を思い切り呷った。

 傍らで静観していた銀弥は、口を開く。

「……紅さんは、その、真白さんが大好きだったんですね」

「………………」

 刹那、呆然とする鴇。だが、すぐに自分を取り戻し、小さく苦笑する。

竜崎飛鳥
作家:竜崎飛鳥
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