真夏の昼の、サクラ夢

2章( 2 / 7 )

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「えっ!! うえぇっ!?」

『そう驚く事はない。ここは『あやつ』の夢の中じゃ』

 あまりの事に目を白黒させていれば、再びしゃがれた声。目を向けて、意外な声の主に「うひゃぁ!!」と腰を抜かしてしまった。

 声の正体は、己の身程もあるひょうたんを担いだ、一匹の猫だったのだから。

「ね、猫がしゃべった!? え、ちょ、とうとう暑さでやられたとか!?」

 夢!? 嘘だろ!? そう混乱から喚き散らせば、人語を話した猫はむすりと表情をゆがめた。

『だーかーら、さっきも言ったでしょ? ここは夢の中だって』

「へ……あれ……?」

 一変し、今度は少女のような高い声で話す猫。猫がしゃべるという現象、そしてその声音が変わったという出来事に、更に思考がショートする。それを察したのか、猫はにしゃり、と笑った。

『あ、あんま深く考えない方がいいよ。ここは所詮、『彼女』の夢の中なんだから』

「ゆ、夢……?」

『そ、夢。夢だから、夏に桜が咲いてても、猫がしゃべっても、いきなり周りが夜の境内に変わってても、おかしくないでしょ?』

「え、あ……うん……」

 確かに、これが『夢』という現象ならばこんな不可解な事が起きてもおかしくはない。このしゃべる猫に、良いように丸め込まれている気はしなくもないが。

「これは……夢……」

『そ、夢。君と、『彼女』を繋ぐ夢』

「……彼女?」

 そういえば、この猫は先程から『彼女』という単語を連発している。『彼女』とは、いったい誰なのか。その問いかけを口にしようとした矢先――、

「おい、ナナシ。いつまで油売ってんだよ」

2章( 3 / 7 )

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 響く、第三者の声。不機嫌な色のハスキーな女性の声に、ナナシと呼ばれた猫は『はいはーい』と軽く返事。そして、軽快な足取り満開の花を咲かせる桜の木の下へと向かう。

『おっまたせ。はい、お酒♪』

「ったく、勝手に呼び出した分際でよくのうのうとたちばな……」

 女性の言葉が、突如途切れた。

 こちらを見つめる、驚愕の色を宿す桃色の瞳。丈の短い着物に大きく露出した肩。腰まである瞳と同色の髪からは、一対の兎の耳が生えている。そんな、奇抜とも言える容姿の女性に見つめられ、銀弥もただ茫然と、驚愕と困惑の色を顔に浮かべた。

 彼女は、誰なのだろう。浮かんだ疑問は、すぐさま脳裏に響く声で消え去った。

 

 

 

『紅ちゃん――っ!!』

 

 

 

「……くれない、ちゃん……?」

「――っ!?」

 無意識に、紡いでいた名前。女性――紅が、顔を強張らせた。足元に座るナナシが、『あらあら』と楽しげに笑う。だが、一番驚いたのは当の銀弥だった。

「え、えっと……あ、あれ? な、なんで俺……今……」

『きっと夢だからだよー』

 にしゃりと、ナナシが笑う。まるで、真実を霧に隠して翻弄する、物語のあの猫のように。

 そんな彼女を、射殺さんとばかりに紅が睨み付ける。

「お前……知っててわざと呼び出しやがったなっ!!」

『さー、なんの事でしょー?』

「この――ッ!!」

 小動物へと振り上げられる拳。流石にまずいと、慌てて銀弥は止めに入った。

2章( 4 / 7 )

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「わ、ちょ、ちょっと落ち着いてください!!」 

 一人と一匹の間に入れば、チッ、と悔しげな舌打ち。火種たる猫は、嬉しそうにまた笑った。

『にゃふふ、ありがとさん! では、お邪魔猫はそろそろ退散するかね』

「あ、こらおいっ!!」

 銀弥の脇から紅は手を伸ばすも、当の本猫(ほんびょう)はするりと宵闇を抜け、姿を消してしまった。

「あ、いっちゃった……」

「ったく、あいつ……今度会ったらただじゃおかねえからな……」

 ぶつぶつと呟きながら、ナナシが残したひょうたんに手を伸ばす紅。そうして、ふと銀弥の顔を眺めた。

「……そういや、お前の名前をまだ聞いてなかったな。なんていうんだ? まさか『真白』とか言うんじゃねえだろうな?」

「え!? や、俺は銀弥、……雷銀弥、ですけど……」

 真白、の言葉に思わず反応してしまう。真白、紅。真白桜と、紅桜。本に記された、桜と同じ名前……。

 自己紹介を終えれば、「ふーん」と何処かそっけない声。

「そっか、今は『銀弥』、か。ま、どうでも良いがな」

 あたしも、今は『紅』じゃないし。そう意味深な言葉を告げる紅に、疑問符が浮かぶ。

「今は……?」

「ん? 嗚呼、『紅』は一回死んだんだよ。で、さっきの馬鹿猫に叩き起こされて、こうしてまたこんな場所で無意味な時間を貪ってんだ。そうだな……今は『紅』でも『真白』でもねえし、『鴇』(とき)、とでも名乗っておくか」

「とき……さん?」

 ちくり。また胸が痛む。夢を見てから感じる、不可解な感情。

(なんなん……だろう……?)

 首を捻っても、原因はわからず仕舞い。そんな彼を尻目に、鴇、と自らを名乗った女性は、何処からか取り出した巨大な盃で一人酒盛りを始めてしまった。

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「……あの、鴇、さん?」

「ん? なんだよ。お前も酒飲むか?」

 ずい、と盃を差し出されるが、丁重に断りを入れる。一応飲酒は可能な歳だが、正直酒類は苦手な方だった。

 気分を害してしまわないか。一瞬不安が浮かんだが、「あ、そ」の一言で済んでしまい、ほっと一息。

「……そういや、聞きたい事があったんじゃねえのか?」

「え? あ、そ、そうでした!! 鴇さん、貴方は一体……何者なんですか?」

「……」

「さっき、『紅』は一度死んだって。それに、俺の事を『真白』って……。ひょっとして、貴方は……」

「……少し、昔話をしてやるよ」

 遮り、そう一言。そして、盃に注がれていた酒を一気に飲み干すと、憂いを宿した桃色の瞳で虚空を見つめる。その瞳が、あまりにも寂しげで――しかし何処か懐かしそうな色をも宿していて、銀弥は口を開く事を躊躇った。

 鴇は、告げる。

「……昔、この地には『真白様』、『紅桜』って呼ばれた白い桜の精とと紅い桜の精がいたんだ。真白は村の守り神だって崇められて、紅桜は穢れの象徴だとか罵られて。真白の方は、すっげー泣き虫で、ちっこくってよわっちくって。いっつも村の人間に愛されてた、そんな桜の精だった。

 紅桜は、真白とは正反対。真白様の穢れの憑代の分際でって村の奴らから蔑まれて。紅も紅で、手負いの獣みたいにいろんな奴を威嚇して。いっつも斜に構えてたっけ。唯一優しくしてくれた真白の事も、いっつも嫌ってさ。

 けどな、真白はどんなに威嚇しようが傷付けようが、それでも紅の所にやってきたんだよ。自分のせいで、紅ちゃんを傷付けて。ごめんね、ごめんねって」

 空になった盃に、一度酒を注いで一呼吸。一口付けて、また続きを紡ぎ出す。

竜崎飛鳥
作家:竜崎飛鳥
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