真夏の昼の、サクラ夢

2章( 1 / 7 )

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 銀弥が、不思議な本と出会った翌日――。

 

 

 

「えっと……こっち、かな?」

 寂れた、某S県の道の上。インターネットという文明の利器を最大限に利用して探し当てた村への地図を片手に、銀弥は周りを見回した。

 言葉通りの、田舎道。家というと、平屋住宅がぽつり、ぽつりとまばらにあるだけ。後は舗装されていない土の道の両脇に、田んぼや畑が存在するのみ。そんな典型的な田舎の風景に、見慣れない若者という組み合わせが珍しかったのだろう。下車した駅で切符を回収した駅員は、幾度となく銀弥を見返した。

 そんな事を思い出しながら、ギラギラと容赦なく照りつける太陽の下。小さく閉口しながらも大体の方角を再び確認し、銀弥は軽くも重くもない足取りで前へと進む。

(それにしても……桜が一晩で、なぁ……)

 汗をぬぐいながら、文面を思い返す。

 一晩で、小さな苗木が成人の樹へと成長する。昔話ではよくあるパターンだが、実際にはまずありえない。だが不思議な事に、銀弥にはそれがよくある『逸話』の類だとは、どうしても思えなかったのだ。

「なんで、なんだろうなぁ……」

『それは、お主自身が知っておろう』

「っ!?」

 突如、聞こえたしゃがれた声。弾かれたように銀弥は振り返り、そして絶句した。

 

 

 

 墨を流し込んだかのように深い宵闇を背景にした、輝く桜の花弁が舞い散る境内に。

 銀弥は、いつの間にか立っていたのだから。

 

 

 

 

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「えっ!! うえぇっ!?」

『そう驚く事はない。ここは『あやつ』の夢の中じゃ』

 あまりの事に目を白黒させていれば、再びしゃがれた声。目を向けて、意外な声の主に「うひゃぁ!!」と腰を抜かしてしまった。

 声の正体は、己の身程もあるひょうたんを担いだ、一匹の猫だったのだから。

「ね、猫がしゃべった!? え、ちょ、とうとう暑さでやられたとか!?」

 夢!? 嘘だろ!? そう混乱から喚き散らせば、人語を話した猫はむすりと表情をゆがめた。

『だーかーら、さっきも言ったでしょ? ここは夢の中だって』

「へ……あれ……?」

 一変し、今度は少女のような高い声で話す猫。猫がしゃべるという現象、そしてその声音が変わったという出来事に、更に思考がショートする。それを察したのか、猫はにしゃり、と笑った。

『あ、あんま深く考えない方がいいよ。ここは所詮、『彼女』の夢の中なんだから』

「ゆ、夢……?」

『そ、夢。夢だから、夏に桜が咲いてても、猫がしゃべっても、いきなり周りが夜の境内に変わってても、おかしくないでしょ?』

「え、あ……うん……」

 確かに、これが『夢』という現象ならばこんな不可解な事が起きてもおかしくはない。このしゃべる猫に、良いように丸め込まれている気はしなくもないが。

「これは……夢……」

『そ、夢。君と、『彼女』を繋ぐ夢』

「……彼女?」

 そういえば、この猫は先程から『彼女』という単語を連発している。『彼女』とは、いったい誰なのか。その問いかけを口にしようとした矢先――、

「おい、ナナシ。いつまで油売ってんだよ」

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 響く、第三者の声。不機嫌な色のハスキーな女性の声に、ナナシと呼ばれた猫は『はいはーい』と軽く返事。そして、軽快な足取り満開の花を咲かせる桜の木の下へと向かう。

『おっまたせ。はい、お酒♪』

「ったく、勝手に呼び出した分際でよくのうのうとたちばな……」

 女性の言葉が、突如途切れた。

 こちらを見つめる、驚愕の色を宿す桃色の瞳。丈の短い着物に大きく露出した肩。腰まである瞳と同色の髪からは、一対の兎の耳が生えている。そんな、奇抜とも言える容姿の女性に見つめられ、銀弥もただ茫然と、驚愕と困惑の色を顔に浮かべた。

 彼女は、誰なのだろう。浮かんだ疑問は、すぐさま脳裏に響く声で消え去った。

 

 

 

『紅ちゃん――っ!!』

 

 

 

「……くれない、ちゃん……?」

「――っ!?」

 無意識に、紡いでいた名前。女性――紅が、顔を強張らせた。足元に座るナナシが、『あらあら』と楽しげに笑う。だが、一番驚いたのは当の銀弥だった。

「え、えっと……あ、あれ? な、なんで俺……今……」

『きっと夢だからだよー』

 にしゃりと、ナナシが笑う。まるで、真実を霧に隠して翻弄する、物語のあの猫のように。

 そんな彼女を、射殺さんとばかりに紅が睨み付ける。

「お前……知っててわざと呼び出しやがったなっ!!」

『さー、なんの事でしょー?』

「この――ッ!!」

 小動物へと振り上げられる拳。流石にまずいと、慌てて銀弥は止めに入った。

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「わ、ちょ、ちょっと落ち着いてください!!」 

 一人と一匹の間に入れば、チッ、と悔しげな舌打ち。火種たる猫は、嬉しそうにまた笑った。

『にゃふふ、ありがとさん! では、お邪魔猫はそろそろ退散するかね』

「あ、こらおいっ!!」

 銀弥の脇から紅は手を伸ばすも、当の本猫(ほんびょう)はするりと宵闇を抜け、姿を消してしまった。

「あ、いっちゃった……」

「ったく、あいつ……今度会ったらただじゃおかねえからな……」

 ぶつぶつと呟きながら、ナナシが残したひょうたんに手を伸ばす紅。そうして、ふと銀弥の顔を眺めた。

「……そういや、お前の名前をまだ聞いてなかったな。なんていうんだ? まさか『真白』とか言うんじゃねえだろうな?」

「え!? や、俺は銀弥、……雷銀弥、ですけど……」

 真白、の言葉に思わず反応してしまう。真白、紅。真白桜と、紅桜。本に記された、桜と同じ名前……。

 自己紹介を終えれば、「ふーん」と何処かそっけない声。

「そっか、今は『銀弥』、か。ま、どうでも良いがな」

 あたしも、今は『紅』じゃないし。そう意味深な言葉を告げる紅に、疑問符が浮かぶ。

「今は……?」

「ん? 嗚呼、『紅』は一回死んだんだよ。で、さっきの馬鹿猫に叩き起こされて、こうしてまたこんな場所で無意味な時間を貪ってんだ。そうだな……今は『紅』でも『真白』でもねえし、『鴇』(とき)、とでも名乗っておくか」

「とき……さん?」

 ちくり。また胸が痛む。夢を見てから感じる、不可解な感情。

(なんなん……だろう……?)

 首を捻っても、原因はわからず仕舞い。そんな彼を尻目に、鴇、と自らを名乗った女性は、何処からか取り出した巨大な盃で一人酒盛りを始めてしまった。

竜崎飛鳥
作家:竜崎飛鳥
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