「……嗚呼、そうかもしれねえな。あいつの事が好きで、今までの事全部詫びて……こうして、二人で花見酒をしたかったのかもしれないな」
新しく酒を注ぎ、けれど今度は口にせず、盃を揺らす。揺れる水面を悲しげに見つめるその姿に、思わず口を開いていた。
「お酒……」
「ん?」
「お酒、少しいただいてもいいですか?」
「……ああ、構わないぜ?」
ニヤリ。ニヒルに笑い、再び何処からか取り出したちいちゃなお猪口に酒が注がれる。舞い散る桃色の花びらを映すそれを受け取り、くい、と銀弥は呷った。辛口で、焼けるような熱さに思わず噎せてしまう。
そんな無様な姿に、ぷっと噴き出す鴇。
「はっ、見た目と同じで舌もおこちゃまってとこか」
手痛い言葉に、酒のダメージも相俟って苦笑を返すしか出来ない銀弥。そんな彼に、穏やかな笑みを刻む。
「……でも、ま。ありがとな、わざわざ付き合ってくれて」
「気にしないでください。俺じゃ、真白さんの代わりにはなれないですけど……」
「お前こそ気にするな。あたしは紅じゃないし、あんたも真白じゃあない。ただの、鴇と銀弥。今は、それ以外の何者でもないんだしな」
にしゃりと笑い、今度はゆっくりと酒を飲む。そうして、何度目かになる手酌を行おうとしたが、ひょうたんから零れたのはたった一滴。
「……なんだよ、もうねえのか」
ったく、もう少し寄越せよなと今はいない猫に向かって悪態を一つ。そして、何処か名残惜しそうな瞳を銀弥へと向けた。
「……つーわけで、そろそろお開きだ。兄ちゃんも、もう帰んな」
「え……? でも、帰るってどうや……っ!?」
途端、揺らぐ意識。気分が悪くなるほどのそれに、思わず頭を押えた。
霞み始める、視界。その中で、『紅』だった女性は悲しげに笑う。
「じゃあな。今度は、達者で暮らせよ……」
真白サマ――?
刹那、世界が霧散した……。
3.
「え……あれっ!?」
気が付いた時には、黄昏に染まる田舎道の上で。
銀弥は、ただ一人ぼんやりと突っ立っていた。
「え、あれ!? 俺……今まで社にいて……え、えぇっ!?」
まさか、立ったまま寝てたとか!? そう混乱する彼の視界に、ふわりと桃色の花びらが一枚……。
「あ……」
思わず、目で追いかける。しかし、それはすぐに空に溶け、消えてしまった。
「……夢、じゃなかったのかな?」
ぽつりと、一言。そうして、なにげなくきっかけとなった伝承の本を出そうと鞄の中に手を伸ばし――。
「えっ!?」
そこには、桃色に輝く桜の花びらが積もっていた。
ボロボロのあの本は、何処を探しても見当たらない。
「あ――」
小さな、声。まるで銀弥が気付くのを待っていたといわんばかりに、変じた花びら達は黄昏の空に舞っていく。
『……ありがとう――』
舞い散る花びらの中に、小さく、可愛らしい少女の声が聞こえた気がした。
それは、ひょっとしたら夏の暑さが見せ、聞かせた幻だったのかもしれない。しかしそれでも、銀弥は小さく笑い、目に見えぬ少女へ言葉を送った。
「どういたしまして、真白様……」
そう、これは誰も知らない。
真夏の昼が見せた、サクラ色の名残夢……。
了