武の歴史の誤りを糺す

英雄の虚像

作られた英雄

 

現在は、ちょっとした歴史ブームかも知れない。

しかし、その実態はどうであろう。

およそ事実とかけ離れた、ありもしない架空の話や、戯作者の荒唐無稽な作り話があたかも史実であるかのようにテレビや映画で放映され、書籍、雑誌で吹聴されている。

では、何故、このようなことになってしまったのだろう。

NHKで「龍馬伝」をやれば、坂本龍馬をテーマにした本が山のように出版され、テレビでは、いい加減な考証の龍馬関係の番組が放映される。

その中で、真に坂本龍馬の人間としての実像に迫ったものは皆無である。

その大半が龍馬人気にあやかってひと儲けをたくらみ、龍馬フアンにご機嫌とりの提灯持ちの記事や番組ばかりが現れる。

これでは国民は、歴史の真実など、知ろうにも、何を信じていいかわからない。

小説家は自分の小説を売ることしか考えないし、マスコミはブームにあやかって、その主人公のヒーローの太鼓持ちの記事しか書かない。

役所は、これを利用して町おこしをたくらむ。

このように、官、民、マスコミをあげて、歴史上の人物をヒーローに祭り上げて、偶像化している為、もし、本当は、そんな偉大な人間でも、天才でも、ヒーローでもなかったことがわかれば、彼らにとってはなはだ具合のわるいことになる。

例えば、坂本龍馬が本当は、英雄でも何でもなく、唯の目端の利く兄ちゃんだったら、たまたま、後世、出世した人間や有名になった人物の近くにいただけだとしたらどうであろう。

剣術などからっきしダメで、それが故、ピストルを持ちあるいていたとしたら。

柔は子供のころから習っていて、あるていど使えたが、それもとりたてて優れているとは言えなかったとしたら。また、いろは丸事件など、大はったりをかませて紀州藩を恐喝したにすぎないことだったとしたらどうか。

残念ながら、実態はそんなものである。

後世、明治になって、地元に英雄がいないことを残念がった土佐の人間が作り上げた英雄像に、後年、司馬遼太郎がさらに権威づけをやったために、すっかり日本史上の英雄となってしまった。

その作られた偶像を、多くの大衆が、真実の坂本龍馬だと信じているのである。

この作られた英雄像にすがって、多くの人たちがお金儲けをしているのだから、この英雄像が、大ウソであるとわかると困る人たちが多いのは当然のことといえよう。

それだからこそ、なかなか本当のことが言えない。

今、坂本龍馬を例にとったが、これは、殆どの日本史の英雄に言えることなのである。

歴史上の人物にあやかり便乗して儲けている人達があまりにも多いので、その人達の損になることはすんなりとは受け入れてもらえない。

これが現実である。

捏造された歴史

歴史の捏造

 

学校で習ったことは、後、大人になっても鮮明に覚えているものである。

だから、50になっても60になっても、子供のころ習ったことはその後の人生に大きな影響を与える。

特に、小、中学の社会科で習った歴史はよく覚えていて、ときどき歴史番組などを見ているときに、あまりに大きく違うので驚くことがある。

その後の30年、40年で大きく歴史は変わってきている。新しい考古学的発見や、新資料の発見が相次ぎ、昔、学校で習ったことはかなり修正しなければならない。

ところが、社会に出て働いているとあまり歴史に興味のない人は、子供のころ学校で習ったままが頭に残っていて、新しい学説を素直に。受け入れることが困難になっている。

特に、昭和30年代から40年代、勿論、地域差も大きいと思うが、歴史教育の面でもイデオロギーの影響が強かった。特に近代、現代史にこの傾向が顕著である。

また、それ以前の日本史に於いても、階級闘争史、支配者と被支配民という観点から語られることが多かった。

このように、歴史を、二極化して単純化してしまうと、どうしても複雑な政治状況や微妙な問題が見過ごされてしまい、その本質を見失う。

戦後昭和世代の殆ど日本人がそういう観点で歴史を見ていたし、当然その人達が読む小説を書く小説家なども同様であった。

司馬遼太郎など、あまりそういう政治的なことを言わない人でも、その思想の片鱗は随所に見受けられるのである。

大東亜戦争後の昭和は、ほとんどの日本人が、左翼とは言わないまでも、いわゆる自虐史観に陥っていた時代である。日本の伝統文化は貶められ、古臭いものとして打ち捨てられてきた。

そういった時代に、一世を風靡したのが、江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」である。
この時代は、殊更、自国の歴史を卑下し、中国や韓国に阿る風潮があった。

このような時代の雰囲気にぴったりあったのが、大陸を起源とする騎馬民族、扶余族の一派が、日本に渡って来て大和朝廷を作り、皇室の祖先となったというこの説である。
この扶余族の一派が建国したのが高句麗と百済であるから、朝鮮人が皇室の祖先であるという論法になるのである。

今で考えれば実に荒唐無稽な話なのだが、その当時は大まじめで議論されていた。

これが、歴史学会の中だけで論議されていただけなら問題はなかったのだが、一般にも出版されていた為に、多くの一般人の頭のなか深く植えつけられることとなってしまった。

このことは、後、民主党政権発足時、小沢一郎氏が韓国へ行って、この様なことを言って、韓国民の歓心を買おうとした。

このとき、彼の頭の中には、この騎馬民族征服王朝説があったことは間違いのないことであろう。
この様な小沢氏の言動は、ただの外交辞令で済ませられる話ではない。

60年前のアホ学者の筆に任せた与太話が、一国の政治問題にまで悪影響を及ぼす格好の一例といえよう。

この例でもわかるように、真実の歴史というものは、それほど重要なものであり、場合によっては一国の外交にも大きな影響を及ぼすものなのである。

江上波夫が東京大学教授という肩書を利用して、この様な大ボラを吹かなければ、小沢一郎も、あのような根も葉もないことを言って国益を損ね、国中のひんしゅくを買うこともなかった筈である。

この様に、歴史学者の責任は重大であり、真実の日本史をしっかり検証して、俗説、珍説、を排し、イデオロギーの入り込む余地のない正確なものを後世に残す必要があるのである。

歴史学者の責任

歴史学者について

 

江上波夫は言うに及ばず、日本史の研究者は、大学の教官や在野の民間の素人学者まで、実に多くの人達が本を書いている。

記憶に残るところでは、邪馬台国論争など、ついこの間のような気がするがもう40年近くなる。

このテーマについても、実に様々な人達が、いろいろな学説を唱え、百花繚乱、実に賑やかであった。

この問題にしても、専門の歴史学者より、在野のアマチュア史家たちの方が、自由な発想で面白かった。

以来、我が国の様々な歴史上のテーマについて、プロ、アマ入り乱れて、いろんな説が飛び交い、一体どれが真実に近いのかまるでわからなくなっている。

本来なら、大学の教官の説が正しいと考えるべきなのだろうが、実はそうではない。
 
先に述べた江上波夫などがその良い例である。

彼は、東大の教授であった。後に名誉教授になっている。文化勲章も受けている。

実は、この男、専門は日本の古代史ではない。匈奴文化や東西交流文化史である。

最も悪かったことは、当時、手塚治虫や松本清張、司馬遼太郎等の文化人、学者などに多くの賛同者がおり、前にも言ったように、小沢一郎も韓国で、この説を吹聴している。

東大の教授であるという信用を利用して、この様な与太話をでっち上げ、日本の古代史学界に、誤った混乱を招いたことは、決して許されることではない。

日本の最高の学問の府である東大の教授がこれである。

他にも、国立大学の名誉教授で、NHKのお抱え学者もいる。

もはやカビの生えたような古い学説をいまだにテレビなどで解説しているが、この男の思考能力の程度を疑わざるを得ないようなお粗末な頭をしている。

最近は、多少自説を修正しているのは、自説の誤りを認めざるを得なかったために渋々変更したようであるが、基本的な部分は何も変わっていない。

それに反し、在野の歴史家の方が、はるかに理論的に優れた説を発表している。

その代表とも言える人が、鈴木眞哉氏で、この人独特の方法で新しい説を主張している。

藤本正行氏とともに、従来の固定観念を突き崩し、全く新しい観点から、歴史を見直す姿勢には大いに賛同する。

専門の学者では、藤木久志氏も、戦国期の雑兵、農村の立場から、画期的な著作を著している。

「雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り」は、今までの、戦国の戦争観をガラリと変えるもので、是非、一読をお勧めする。

真実の歴史を

歴史の英雄、偉人の真実

 

日本人はよほど歴史が好きらしい。

もっとも、好きと言っても、そのほとんどが真実の歴史を伝えたものではなく、江戸時代では講釈や歌舞伎、浄瑠璃など、明治以降は、立川文庫や著名小説家の書いた創作を、実際にあったことと思は思わないまでも、大体において全くの創作とは言えないだろうと考える人も少なくない。

また、小説ならずとも、プロ、アマを通じて、実に多くの研究者が、それぞれが自分の研究や考えを本にして出版していることも、以前書いたとおりである。

特に多いのは、歴史上の、英雄、豪傑、偉人、武将などをテーマにしたものであろう。

しかし、これらの出版物を読んでみると、ほとんどの著者がその人物のフアンか、信奉者である。

勿論、その歴史上の人物に興味を持たなければ、人知を傾けて研究などできるものではない。
本を書くということは、大変な努力と忍耐と根気のいる仕事である。

さまざまな古文書などの資料を調べ、仔細に検討を加え、文章にまとめあげることは、並大抵の作業ではない。

この気の遠くなるような努力をやり遂げることができるのは、その人物が好きであることが、大きな推進力となることは間違いのないことであろう。

問題なのは、その人物を敬慕のあまり、贔屓の引き倒しになりがちであるということである。

歴史的事実は一つしかない。それには好き嫌いを超越した客観的な視点がなければならない。これは極めて大切なことである。

ところが、この基本的なことが守られていない。

まず、資料の選定である。

ところが、その資料となる古文書で信用に足る一級資料は極めて少ない。

江戸時代、様々な歴史上の人物や事件を扱った文書や記録が書かれた。

また、将軍家や各大名家の官製文書、地方に於いては、各村落の物産、歴史、名所などの地誌を大名家に報告した差し出し帳の類もあり、その数は膨大のものとなる。

このうち、官製図書は別として、一般に流布していた書籍のなかで、本当に信用できるものは極めて少ないのである。

特に、先の戦国時代のものについては、どこまで信用して良いかということよくわからない。

それは、戦国時代に書かれた一次資料が少ないことによる。

例えば、現在、さも良くわかったようにテレビで放送されている織田信長や豊臣秀吉の軍隊の詳細など何一つ信用に足る資料が発見されていないのである。

織田信長にしても、大田牛一の信長公記が、唯一のある程度信用できる資料といえる。

一方、これを下敷きにした小瀬甫庵の信長記があるが、これは記録というよりはむしろ小説である。

信長記と紛らわしい表題をつけたためよく混同されるが、信長公記を下敷きにしてそれに創作を加え、尾ひれをつけて話を面白くした。

後世、この創作部分が定説となり、現在の信長像が出来上がったのである。

織田信長は、我が国歴史上、屈指の人気者である。

当然フアンも多く、何を勘違いしたものか、NHKの大河ドラマの俳優を、信長のイメージとダブらせている女性フアンも多かった。

これらのフアンを満足させる。あるいは自身が熱烈なる信長信奉者である場合、もし、資料として、この信長公記と信長記の二種の資料を見せられた場合、どちらを選ぶかは自明の理であろう。

信長の功績をより面白く具体的に書いている小瀬甫庵の信長記を選ぶに違いない。

そして、小説に書く場合、さらにこれを骨組みとして、さらに偉大な人物として1を2にも3にも書くだろう。

そうして、実像とはかけ離れた、神の如き偉大な人物像が出来上がる。

我が国の歴史上の人物は、ほとんどがこの虚像が独り歩きしていて、多くのフアンはこの虚像の部分に心酔しているのである。

もっとも、これは日本に限らず国の東西を問わず同じことをやっている。

しかし、欧米諸国では、学者がきちんとした本物の歴史を国民の前に示し、けっして我が国のように、専門の学者までがテレビでいい加減なことを言ったり、作家や漫画家が大きな顔をして、珍説奇説の類や、歴史雑学とでもいうものをしゃべり散らすことはない。

また、彼らの書いた与太話が書店の売り場で花盛りであるのも、国民大衆に間違った歴史を教えることになる。

まあ、これは、歴史に何の知識もない愚かなテレビ局の担当者や出版社の編集者の知的レベルが低いことの何よりの証明なのだが。

では、なぜこうなってしまったのか。

それは、我が国の歴史というものを、国がちゃんと教えてこなかったことが最大の原因である。

普通、学校の歴史教科書で正しい歴史を教えていればこれほどひどい状態にはならなかった筈だ。

ところが、学校の歴史教科書自体が、旧態依然とした唯物史観、階級闘争の歴史として書かれているため、必ずしも無色透明で真実のみの記述とは言えないのである。

また、最新の学説を素早く採用しているとは言い難い。

これは教育界が、依然として日教組の左翼教育の頸木から逃れることができていないことによる。

そして、何よりも、教科書に書かれている歴史は面白くないのである。
面白くなければ、頭にも残らない。学校を卒業すればみな忘れてしまう。

ところが、本屋を覗けば、面白い本がいっぱいある。

学校で習ったことと違い、こちらは面白い。いろいろなヒーローが、大活躍する。恋愛もあれば、血わき肉躍る大冒険も、肉弾相撃つ戦闘シーンもある。

こういったことは学校では習わない。

しかし、である。

この面白い部分の殆どは、作家が作り出した創作なのである。だから面白い。面白くしているのだから当然であろう。

現実はそんなものではない。実際の歴史というものは、そんな小説に描かれるような、神のような叡智を備えた軍師も、不敗の剣豪も、武田の騎馬隊も、織田信長の鉄砲三千挺の三段撃ちも存在しなかった。

実際の英雄、ヒーロー、剣豪、賢人、佳人といわれている人達は、いずれも決して、神のような叡智、不敗の剣、絶対的な英雄などではなかった。

いずれも、生身の人間、喜怒哀楽を備え、失敗も負けもする一人の人間であったのである。

今、もっとも求められることは、彼らの人間としての真実の歴史である。

そして、それを好き嫌いは抜きにして、完全に客観的に、厳密に事実だけで構築された本当の日本史の登場が待たれるのである。

甲斐 喜三郎
作家:甲斐喜三郎
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