武の歴史の誤りを糺す

映画の間違い

陳腐極まる時代劇

 

もう35年以上前になる。

ブルース・リーのカンフー映画が大ヒットし、以後、カンフー映画が活劇ドラマの一ジャンルを占めるに至る。

このブームとも相まって、日本でも空手映画が多く作られた。

ただ、そのなかで留まれば問題なかったのだが、はじめは忍者映画の格闘シーンに取り入れられ、忍者が空手やカンフーを使うという不思議な映画ができあがる。

そして、次には、戦国合戦シーンや侍の斬り合いシーンにまで回し蹴りや飛び蹴りが多用され、見る人達に何とも言えない違和感を与えたものだ。

もっとも、所詮B級映画。戦国時代や江戸時代に舞台を借りたカンフー、空手映画と思えば良いのだろうが、どうも一言言いたくなる。

そもそも、飛び蹴り、回し蹴りなどというものは、重い鎧兜を着けた重装備の鎧武者が使える訳がない。鎧武者を蹴っても殴っても、ダメージを一方敵に受けるのは、やった本人である。

ましてや、刀を持った敵を蹴るということは、敵に無防備な下半身を曝すことになり危険きわまりない。

そしてなによりも、重い甲冑を着けてあれほど激しく動き回れば、たちまち疲労困憊して動けなくなってしまう。結果、たやすく敵に首を渡してしまうことになる。

我が国には、柔術、小具足、甲冑組み討ちというものがある。

そして、柔術の古いものでは、この甲冑組み討ちの技法を残すものもある。

例をあげれば、竹内流、柳生心眼流などである。

竹内流は日本最古の柔術で、我が国の柔術の元祖ともいえる。

柳生心眼流は、独特の拳法、振り拳を使う他、実際に鎧を来て、太刀や短刀を使って敵を倒す技も多くあり、古武道の演武会などでよく見かけるものである。

これらの技を見ていると、実に合理的に考えられており、無駄な動きは全くない。
そうであるからこそ、いつ終わるとも知れない合戦の長丁場を堪えることができ、最後まで体力を温存できるのである。

この古くから伝わる古流柔術では、蹴るにしても、回し蹴りや飛びけりは絶対にやらない。
蹴るにしても前蹴りだけで、せいぜい金的蹴りぐらいのものである。

これらの古流は、極めて実践的な技法を数多く残しているが詳しく知る人はほとんど無く、その修行者も極めて少ない為、殆どの日本人はその存在さえ知る人はすくないのではないだろうか。

これからの時代劇を作る人は、意味不明のカンフーなど、戦国武者に使わせるような馬鹿なことをせず、殺陣にはこれら古武道の師範に指導を受け、本物の合戦絵巻を再現すべきであろう。

そのような、本格的な時代劇がひとつぐらいあってもよいのではなかろうか。

英雄の虚像

作られた英雄

 

現在は、ちょっとした歴史ブームかも知れない。

しかし、その実態はどうであろう。

およそ事実とかけ離れた、ありもしない架空の話や、戯作者の荒唐無稽な作り話があたかも史実であるかのようにテレビや映画で放映され、書籍、雑誌で吹聴されている。

では、何故、このようなことになってしまったのだろう。

NHKで「龍馬伝」をやれば、坂本龍馬をテーマにした本が山のように出版され、テレビでは、いい加減な考証の龍馬関係の番組が放映される。

その中で、真に坂本龍馬の人間としての実像に迫ったものは皆無である。

その大半が龍馬人気にあやかってひと儲けをたくらみ、龍馬フアンにご機嫌とりの提灯持ちの記事や番組ばかりが現れる。

これでは国民は、歴史の真実など、知ろうにも、何を信じていいかわからない。

小説家は自分の小説を売ることしか考えないし、マスコミはブームにあやかって、その主人公のヒーローの太鼓持ちの記事しか書かない。

役所は、これを利用して町おこしをたくらむ。

このように、官、民、マスコミをあげて、歴史上の人物をヒーローに祭り上げて、偶像化している為、もし、本当は、そんな偉大な人間でも、天才でも、ヒーローでもなかったことがわかれば、彼らにとってはなはだ具合のわるいことになる。

例えば、坂本龍馬が本当は、英雄でも何でもなく、唯の目端の利く兄ちゃんだったら、たまたま、後世、出世した人間や有名になった人物の近くにいただけだとしたらどうであろう。

剣術などからっきしダメで、それが故、ピストルを持ちあるいていたとしたら。

柔は子供のころから習っていて、あるていど使えたが、それもとりたてて優れているとは言えなかったとしたら。また、いろは丸事件など、大はったりをかませて紀州藩を恐喝したにすぎないことだったとしたらどうか。

残念ながら、実態はそんなものである。

後世、明治になって、地元に英雄がいないことを残念がった土佐の人間が作り上げた英雄像に、後年、司馬遼太郎がさらに権威づけをやったために、すっかり日本史上の英雄となってしまった。

その作られた偶像を、多くの大衆が、真実の坂本龍馬だと信じているのである。

この作られた英雄像にすがって、多くの人たちがお金儲けをしているのだから、この英雄像が、大ウソであるとわかると困る人たちが多いのは当然のことといえよう。

それだからこそ、なかなか本当のことが言えない。

今、坂本龍馬を例にとったが、これは、殆どの日本史の英雄に言えることなのである。

歴史上の人物にあやかり便乗して儲けている人達があまりにも多いので、その人達の損になることはすんなりとは受け入れてもらえない。

これが現実である。

捏造された歴史

歴史の捏造

 

学校で習ったことは、後、大人になっても鮮明に覚えているものである。

だから、50になっても60になっても、子供のころ習ったことはその後の人生に大きな影響を与える。

特に、小、中学の社会科で習った歴史はよく覚えていて、ときどき歴史番組などを見ているときに、あまりに大きく違うので驚くことがある。

その後の30年、40年で大きく歴史は変わってきている。新しい考古学的発見や、新資料の発見が相次ぎ、昔、学校で習ったことはかなり修正しなければならない。

ところが、社会に出て働いているとあまり歴史に興味のない人は、子供のころ学校で習ったままが頭に残っていて、新しい学説を素直に。受け入れることが困難になっている。

特に、昭和30年代から40年代、勿論、地域差も大きいと思うが、歴史教育の面でもイデオロギーの影響が強かった。特に近代、現代史にこの傾向が顕著である。

また、それ以前の日本史に於いても、階級闘争史、支配者と被支配民という観点から語られることが多かった。

このように、歴史を、二極化して単純化してしまうと、どうしても複雑な政治状況や微妙な問題が見過ごされてしまい、その本質を見失う。

戦後昭和世代の殆ど日本人がそういう観点で歴史を見ていたし、当然その人達が読む小説を書く小説家なども同様であった。

司馬遼太郎など、あまりそういう政治的なことを言わない人でも、その思想の片鱗は随所に見受けられるのである。

大東亜戦争後の昭和は、ほとんどの日本人が、左翼とは言わないまでも、いわゆる自虐史観に陥っていた時代である。日本の伝統文化は貶められ、古臭いものとして打ち捨てられてきた。

そういった時代に、一世を風靡したのが、江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」である。
この時代は、殊更、自国の歴史を卑下し、中国や韓国に阿る風潮があった。

このような時代の雰囲気にぴったりあったのが、大陸を起源とする騎馬民族、扶余族の一派が、日本に渡って来て大和朝廷を作り、皇室の祖先となったというこの説である。
この扶余族の一派が建国したのが高句麗と百済であるから、朝鮮人が皇室の祖先であるという論法になるのである。

今で考えれば実に荒唐無稽な話なのだが、その当時は大まじめで議論されていた。

これが、歴史学会の中だけで論議されていただけなら問題はなかったのだが、一般にも出版されていた為に、多くの一般人の頭のなか深く植えつけられることとなってしまった。

このことは、後、民主党政権発足時、小沢一郎氏が韓国へ行って、この様なことを言って、韓国民の歓心を買おうとした。

このとき、彼の頭の中には、この騎馬民族征服王朝説があったことは間違いのないことであろう。
この様な小沢氏の言動は、ただの外交辞令で済ませられる話ではない。

60年前のアホ学者の筆に任せた与太話が、一国の政治問題にまで悪影響を及ぼす格好の一例といえよう。

この例でもわかるように、真実の歴史というものは、それほど重要なものであり、場合によっては一国の外交にも大きな影響を及ぼすものなのである。

江上波夫が東京大学教授という肩書を利用して、この様な大ボラを吹かなければ、小沢一郎も、あのような根も葉もないことを言って国益を損ね、国中のひんしゅくを買うこともなかった筈である。

この様に、歴史学者の責任は重大であり、真実の日本史をしっかり検証して、俗説、珍説、を排し、イデオロギーの入り込む余地のない正確なものを後世に残す必要があるのである。

歴史学者の責任

歴史学者について

 

江上波夫は言うに及ばず、日本史の研究者は、大学の教官や在野の民間の素人学者まで、実に多くの人達が本を書いている。

記憶に残るところでは、邪馬台国論争など、ついこの間のような気がするがもう40年近くなる。

このテーマについても、実に様々な人達が、いろいろな学説を唱え、百花繚乱、実に賑やかであった。

この問題にしても、専門の歴史学者より、在野のアマチュア史家たちの方が、自由な発想で面白かった。

以来、我が国の様々な歴史上のテーマについて、プロ、アマ入り乱れて、いろんな説が飛び交い、一体どれが真実に近いのかまるでわからなくなっている。

本来なら、大学の教官の説が正しいと考えるべきなのだろうが、実はそうではない。
 
先に述べた江上波夫などがその良い例である。

彼は、東大の教授であった。後に名誉教授になっている。文化勲章も受けている。

実は、この男、専門は日本の古代史ではない。匈奴文化や東西交流文化史である。

最も悪かったことは、当時、手塚治虫や松本清張、司馬遼太郎等の文化人、学者などに多くの賛同者がおり、前にも言ったように、小沢一郎も韓国で、この説を吹聴している。

東大の教授であるという信用を利用して、この様な与太話をでっち上げ、日本の古代史学界に、誤った混乱を招いたことは、決して許されることではない。

日本の最高の学問の府である東大の教授がこれである。

他にも、国立大学の名誉教授で、NHKのお抱え学者もいる。

もはやカビの生えたような古い学説をいまだにテレビなどで解説しているが、この男の思考能力の程度を疑わざるを得ないようなお粗末な頭をしている。

最近は、多少自説を修正しているのは、自説の誤りを認めざるを得なかったために渋々変更したようであるが、基本的な部分は何も変わっていない。

それに反し、在野の歴史家の方が、はるかに理論的に優れた説を発表している。

その代表とも言える人が、鈴木眞哉氏で、この人独特の方法で新しい説を主張している。

藤本正行氏とともに、従来の固定観念を突き崩し、全く新しい観点から、歴史を見直す姿勢には大いに賛同する。

専門の学者では、藤木久志氏も、戦国期の雑兵、農村の立場から、画期的な著作を著している。

「雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り」は、今までの、戦国の戦争観をガラリと変えるもので、是非、一読をお勧めする。

甲斐 喜三郎
作家:甲斐喜三郎
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