武の歴史の誤りを糺す

歴史学者の責任

歴史学者について

 

江上波夫は言うに及ばず、日本史の研究者は、大学の教官や在野の民間の素人学者まで、実に多くの人達が本を書いている。

記憶に残るところでは、邪馬台国論争など、ついこの間のような気がするがもう40年近くなる。

このテーマについても、実に様々な人達が、いろいろな学説を唱え、百花繚乱、実に賑やかであった。

この問題にしても、専門の歴史学者より、在野のアマチュア史家たちの方が、自由な発想で面白かった。

以来、我が国の様々な歴史上のテーマについて、プロ、アマ入り乱れて、いろんな説が飛び交い、一体どれが真実に近いのかまるでわからなくなっている。

本来なら、大学の教官の説が正しいと考えるべきなのだろうが、実はそうではない。
 
先に述べた江上波夫などがその良い例である。

彼は、東大の教授であった。後に名誉教授になっている。文化勲章も受けている。

実は、この男、専門は日本の古代史ではない。匈奴文化や東西交流文化史である。

最も悪かったことは、当時、手塚治虫や松本清張、司馬遼太郎等の文化人、学者などに多くの賛同者がおり、前にも言ったように、小沢一郎も韓国で、この説を吹聴している。

東大の教授であるという信用を利用して、この様な与太話をでっち上げ、日本の古代史学界に、誤った混乱を招いたことは、決して許されることではない。

日本の最高の学問の府である東大の教授がこれである。

他にも、国立大学の名誉教授で、NHKのお抱え学者もいる。

もはやカビの生えたような古い学説をいまだにテレビなどで解説しているが、この男の思考能力の程度を疑わざるを得ないようなお粗末な頭をしている。

最近は、多少自説を修正しているのは、自説の誤りを認めざるを得なかったために渋々変更したようであるが、基本的な部分は何も変わっていない。

それに反し、在野の歴史家の方が、はるかに理論的に優れた説を発表している。

その代表とも言える人が、鈴木眞哉氏で、この人独特の方法で新しい説を主張している。

藤本正行氏とともに、従来の固定観念を突き崩し、全く新しい観点から、歴史を見直す姿勢には大いに賛同する。

専門の学者では、藤木久志氏も、戦国期の雑兵、農村の立場から、画期的な著作を著している。

「雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り」は、今までの、戦国の戦争観をガラリと変えるもので、是非、一読をお勧めする。

真実の歴史を

歴史の英雄、偉人の真実

 

日本人はよほど歴史が好きらしい。

もっとも、好きと言っても、そのほとんどが真実の歴史を伝えたものではなく、江戸時代では講釈や歌舞伎、浄瑠璃など、明治以降は、立川文庫や著名小説家の書いた創作を、実際にあったことと思は思わないまでも、大体において全くの創作とは言えないだろうと考える人も少なくない。

また、小説ならずとも、プロ、アマを通じて、実に多くの研究者が、それぞれが自分の研究や考えを本にして出版していることも、以前書いたとおりである。

特に多いのは、歴史上の、英雄、豪傑、偉人、武将などをテーマにしたものであろう。

しかし、これらの出版物を読んでみると、ほとんどの著者がその人物のフアンか、信奉者である。

勿論、その歴史上の人物に興味を持たなければ、人知を傾けて研究などできるものではない。
本を書くということは、大変な努力と忍耐と根気のいる仕事である。

さまざまな古文書などの資料を調べ、仔細に検討を加え、文章にまとめあげることは、並大抵の作業ではない。

この気の遠くなるような努力をやり遂げることができるのは、その人物が好きであることが、大きな推進力となることは間違いのないことであろう。

問題なのは、その人物を敬慕のあまり、贔屓の引き倒しになりがちであるということである。

歴史的事実は一つしかない。それには好き嫌いを超越した客観的な視点がなければならない。これは極めて大切なことである。

ところが、この基本的なことが守られていない。

まず、資料の選定である。

ところが、その資料となる古文書で信用に足る一級資料は極めて少ない。

江戸時代、様々な歴史上の人物や事件を扱った文書や記録が書かれた。

また、将軍家や各大名家の官製文書、地方に於いては、各村落の物産、歴史、名所などの地誌を大名家に報告した差し出し帳の類もあり、その数は膨大のものとなる。

このうち、官製図書は別として、一般に流布していた書籍のなかで、本当に信用できるものは極めて少ないのである。

特に、先の戦国時代のものについては、どこまで信用して良いかということよくわからない。

それは、戦国時代に書かれた一次資料が少ないことによる。

例えば、現在、さも良くわかったようにテレビで放送されている織田信長や豊臣秀吉の軍隊の詳細など何一つ信用に足る資料が発見されていないのである。

織田信長にしても、大田牛一の信長公記が、唯一のある程度信用できる資料といえる。

一方、これを下敷きにした小瀬甫庵の信長記があるが、これは記録というよりはむしろ小説である。

信長記と紛らわしい表題をつけたためよく混同されるが、信長公記を下敷きにしてそれに創作を加え、尾ひれをつけて話を面白くした。

後世、この創作部分が定説となり、現在の信長像が出来上がったのである。

織田信長は、我が国歴史上、屈指の人気者である。

当然フアンも多く、何を勘違いしたものか、NHKの大河ドラマの俳優を、信長のイメージとダブらせている女性フアンも多かった。

これらのフアンを満足させる。あるいは自身が熱烈なる信長信奉者である場合、もし、資料として、この信長公記と信長記の二種の資料を見せられた場合、どちらを選ぶかは自明の理であろう。

信長の功績をより面白く具体的に書いている小瀬甫庵の信長記を選ぶに違いない。

そして、小説に書く場合、さらにこれを骨組みとして、さらに偉大な人物として1を2にも3にも書くだろう。

そうして、実像とはかけ離れた、神の如き偉大な人物像が出来上がる。

我が国の歴史上の人物は、ほとんどがこの虚像が独り歩きしていて、多くのフアンはこの虚像の部分に心酔しているのである。

もっとも、これは日本に限らず国の東西を問わず同じことをやっている。

しかし、欧米諸国では、学者がきちんとした本物の歴史を国民の前に示し、けっして我が国のように、専門の学者までがテレビでいい加減なことを言ったり、作家や漫画家が大きな顔をして、珍説奇説の類や、歴史雑学とでもいうものをしゃべり散らすことはない。

また、彼らの書いた与太話が書店の売り場で花盛りであるのも、国民大衆に間違った歴史を教えることになる。

まあ、これは、歴史に何の知識もない愚かなテレビ局の担当者や出版社の編集者の知的レベルが低いことの何よりの証明なのだが。

では、なぜこうなってしまったのか。

それは、我が国の歴史というものを、国がちゃんと教えてこなかったことが最大の原因である。

普通、学校の歴史教科書で正しい歴史を教えていればこれほどひどい状態にはならなかった筈だ。

ところが、学校の歴史教科書自体が、旧態依然とした唯物史観、階級闘争の歴史として書かれているため、必ずしも無色透明で真実のみの記述とは言えないのである。

また、最新の学説を素早く採用しているとは言い難い。

これは教育界が、依然として日教組の左翼教育の頸木から逃れることができていないことによる。

そして、何よりも、教科書に書かれている歴史は面白くないのである。
面白くなければ、頭にも残らない。学校を卒業すればみな忘れてしまう。

ところが、本屋を覗けば、面白い本がいっぱいある。

学校で習ったことと違い、こちらは面白い。いろいろなヒーローが、大活躍する。恋愛もあれば、血わき肉躍る大冒険も、肉弾相撃つ戦闘シーンもある。

こういったことは学校では習わない。

しかし、である。

この面白い部分の殆どは、作家が作り出した創作なのである。だから面白い。面白くしているのだから当然であろう。

現実はそんなものではない。実際の歴史というものは、そんな小説に描かれるような、神のような叡智を備えた軍師も、不敗の剣豪も、武田の騎馬隊も、織田信長の鉄砲三千挺の三段撃ちも存在しなかった。

実際の英雄、ヒーロー、剣豪、賢人、佳人といわれている人達は、いずれも決して、神のような叡智、不敗の剣、絶対的な英雄などではなかった。

いずれも、生身の人間、喜怒哀楽を備え、失敗も負けもする一人の人間であったのである。

今、もっとも求められることは、彼らの人間としての真実の歴史である。

そして、それを好き嫌いは抜きにして、完全に客観的に、厳密に事実だけで構築された本当の日本史の登場が待たれるのである。

騎馬民族征服王朝説

江上波夫

 

我が国の歴史は、過去のイデオロギーにより、歪められ、貶められてきた。

では、専門家である学者はどうなのか。

実は、真実を追求すべき学者そのものが社会主義思想に汚染されていて、戦前の歴史を唯物史観で解釈し、階級闘争の歴史として位置づけていたのである。

戦後、そのような左翼的風潮のなかで、天皇や皇室を貶めることがむしろ歓迎される風潮があった。

そういった風潮のなかで、大ブームを起こしたのが江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」である。

当時、東大教授であったので、その社会的信頼性は確固たるものがある。その、東大の教授が書いた新学説ということで実に多くの人達がこの説を信じこんだ。

今現在でも、政界、財界の要人に多くこの信奉者がいる。

民主党の小沢一郎が韓国でこの説に基づいて、日本の皇室の祖先は朝鮮半島から来たと言って物議を醸したことは記憶に新しい。

私も若いころ、これを読んだことがある。これが東大教授、大先生が書いたものか。なんじゃいこりゃあ。奇想天外なおとぎ話ではないか。こんなとんでもない説を信じる奴はよほど馬鹿に違いない。

政治家なぞという輩は、ろくな知性も持たない俗物ばかりだから、自分の政治的主義主張のためには、俗説珍説の類からも都合の良いところだけをかじり取って利用する。

この説は、まず、天皇家は朝鮮半島からやってきたという結論が先にあり、それにそって論理を組み立てている。これは、学問ではない。八切止夫ばりの奇説珍説の類だ。

学者らしく、古事記、日本書紀などの記紀、他の文献資料や当時発掘されていた考古学資料を駆使しての論理の展開は、如何にも本当らしく見える。

しかし、如何にいってもこの説は古い。その始まりはもう60年以上の前のことだから。

その後、多くの考古学的発見や新学説が相次ぎ、多くの学者による反論によりこの説はほぼ否定されている。

江上波夫は一体どういうつもりでこの論文を書いたのだろうか。

ただ、単に戦前の皇国史観への反動だけではない筈だ。

そう思ってWikipedia を見ていると以下の文言が目に止まった。

「この説が言い出されたのは終戦間もない1948年、東京・お茶の水駅近くの喫茶店に江上と岡正雄、八幡一郎、石田英一郎の学究仲間3氏が集った座談会で披露され、「日本民族=文化の源流と日本国家の形成」という特集記事で発表された。かかわりの深かった研究誌『民族学研究』の出版元が経済的に困っているので売れる論文を書いて助けようと座談会が企画されたという。」

これで疑問が解けた。

この論文の目的は、崇高な真理の探究などではなかったのだ。この新学説でひと儲けを企んだ。それだけのことである。
それなら、金儲けのために創作した疑似論文に口角泡を飛ばして論争することもなかった筈であるが、予想以上の反響に、江上自身が引くに引けなくなり、反論に反論を重ねてきたものと思われる。

この例のように、専門家の学者といえども信用はできない。

特に日本最高の大学である東京大学の後に名誉教授にまでなった人物でさえこれである。

分野は違うが、この前大震災の折の地震学者や原発事故のときの専門家と称する学者どものいい加減さを見てもわかるであろう。

如何に彼らが権力に面ね、単なる御用学者と化して自己の利益のみを図り、真理の探究などに真摯に取り組んでいない連中がこの学問の世界で重きをなしていることか。

歴史の分野では、国立大学の教授でありながら、NHKの御用学者と化して他の歴史ワイドショーに出演して、もはや古くなった学説を相も変わらず喋りつづけている人物もいる。

このように、大学教授だからと言って頭から信用してかかるわけにはいかないことは、真実の歴史を求める人たちにとって一体何を信じて良いかわからないといった困った状況なのである。

 

イデオロギーと歴史

イデオロギーの介在

 

これまで私が述べてきたことは、如何に我が国の歴史が歪められ、変形されて伝えられえてきたかという事であった。

これは、過去の時代の国や政府などの権力により規制され、あるいは誇張され利用されたという面もあったが、そればかりではない。

最も大きく変えたものは、イデオロギーと人間の欲望であろう。

我々日本国民は、大東亜戦争までは皇国史観に基づいた歴史を学ばされたし、戦後はその逆で、社会主義のイデオロギーの強い影響下にあった。

特に、戦後の昭和30年代以降の学校教育の場において、その影響は強かった。

子供の頃にこのような偏った教育受けると、当然のことながら、戦前のものはみな悪であるという固定観念をその純真な心に植えつけられることになる。

特に江戸時代以前の封建社会は、すべて支配者と被支配者とに大別され、支配者たる武士が一方的に被支配者である百姓、町人を搾取し抑圧するといった暗黒の時代のように教えられてきた。

それゆえ、この時代の教育を受けた人たちは、どうしてもその先入観が抜けきらず、江戸以前の我が国の歴史を異常なほど貶めて見がちである。

また、この時代に発表された小説や映画、テレビドラマは、こういった視点から書かれたものや制作されたものが多い。

例えば、黒沢明の「七人の侍」はどうであろう。

これは、戦国時代の百姓が無力で弱い存在であることが大前提となっている。たとえ、山賊に奪略され、危害加えられ、命を奪われても何も抵抗できない弱い存在として描かれている。

しかし、実際は大いにちがう。

各村々には土豪がおり、その下に組織化された武力を持つ集団がいて、その地方を支配する国人領主や、戦国大名の下知に従っていたことは、私が以前書いたとおりである。

1991年のソ連崩壊ののち、社会主義の世界的後退から、我が国もやっと社会主義の階級闘争史観から抜け出すことができ、はじめてイデオロギー抜きで歴史の真実の探求にに向き合うことができるようになったのである。

甲斐 喜三郎
作家:甲斐喜三郎
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