武の歴史の誤りを糺す

日本刀の柄

日本刀の柄について

 

日本刀について、その刀身や鍔、拵え等について語られることが多い。

しかし、柄については、余り詳しくは語られることはなかったと思う。

この柄の形について感心させられたことがある。

毛抜太刀や鎌倉期までの大刀は柄の部分から湾曲している。

ところが、時代が下るにつれ、反りは刀身の部分のみとなり、柄は真っ直ぐとなり、長くなった。

このことは、何を意味するかというと、刀の持ち方が片手から両手に変化したことである。

これは、この頃戦闘のやり方に大きな変化があった事と期を一にする。

平安、鎌倉期を通じて、騎馬弓箭の戦闘が主体であった。ところが、南北朝から室町にかけて、徒歩打ち物による戦闘が増加してくる。

大刀も長大となり、それを扱うには両手を使わなければならなくなった。それとともに柄の長さも長くなる。
長く重い刀はとても片手で扱えるような代物ではない。そしてそれを思うように振り回す為には、長い柄が必要となってくる。

太刀を両手で持つようになれば、ただ、片手で打ち下ろすだけの単純な使い方ではなく、様々な技法が生み出され、重い刀も自在に操れるようになる。

この技法がもっとも良く残されているのが天真正伝香取神道流である。

この柄の形状について恐らく殆どの人が気がついていないことがある。

日本刀の柄の形をよく見ると、中央部が僅かに細くなり鼓形をしている。実は、このことは、極めて重要な意味を持っているのである。

説明は少し長くなるので、次ページに詳しく説明することとする。

日本刀の柄(続)

日本刀の柄について(続)

 

前の続き。

日本刀の柄の形はよく見ると両端が太くなり、真ん中が僅かに細くなっている。

いままで、私はこの形の意味を深く考えたことはなかった。

しかし、このことは、刀を両手で持って切るという動作には極めて重大な意味をもつ。


もう十年以上前のことである。

私の習っていた古流の柔術に、外物(とのもの)として、大太刀術がある。

これを一対、二本、道具屋に頼むと一本数万円もする。

あるとき、妻の友人から、白樫の角材が二本、手に入った。

これはいい。これで大太刀を作ってやろう。そう思って削り始めた。寸法はわかっている。

長さは110センチ、通常の木刀より十センチ前後長いだけだ。しかし、その太さが尋常ではない。

最初は電動鋸で大まかな形をとり、あとは、手鉋で成形することとした。

ところがこの白樫という木はすこぶる堅い。手鉋だけでは全くはかがいかない。

仕方がないので、電動鉋を使うことにした。しかし、電動鉋を使うと削り過ぎるのでよほど注意してかからなければならない。

苦労して荒削りしたのち、手鉋で細かい仕上げをして、ほぼ荒削りながら形ができた。

重量2.5キロkg余り。構えて見ると実に重い。本物の日本刀が重さ1kg余りであるから倍以上の重量がある。

問題は柄の太さだ。直径が5cmほどもあるのだ。

これでは、構えることはできても自由に振り回すことはできない。この寸法は間違いではないのか。
それとも昔の人は、こんな柄の太い重いものを軽々と振り回していたとでもいうのだろうか。

試しの振って見る。確かに振ることはできるのだが、手の内が心許ない。二本をお互いに打ち合わせてみても、鈍い音がするだけで、重い刀身に負けている。これでは駄目だ。

折角苦労して、五月の連休を返上してこの二本の木刀を削りあげてきたのだ。これでは使えない。

ただ、これはまだ荒削りのままだ。柄の成形もやっていない。そこで兎に角最後まで作ってみることにした。

柄の部分は柄頭から鍔にかけて全体が円筒形のままだ。これを、中央部で1cmほど削り、鼓状に成形し、全体にサンドペーパーをかけて仕上げた。

仕上がった木刀。重さは余りかわっていない。手に取り、構えてみた。

これはなんということか。手にしっくりとなじみ、些かも無理なところや違和感がない。

振ってみる。打ち下ろして中段で止めてみるが、手の内がぐっとしまり、刀身の重さに負けるところがない。

思い切って二本を打ち合わせてみる。冴えた音がする。力一杯打ち合わせても全く不安が無い。ぷんと焦げ臭い匂いがした。

とくに大したことはやっていない。重さも殆ど変わらない。ただ、柄の中央部で一センチほど鼓型に成形しただけだ。

しかし、これほど結果に顕著な差が出てきている。

新ためて先人の知恵の偉大さを思い知らされた思いがした。

日本刀の柄の形状が、僅かに中央部が細くなった鼓型の形状をしているのは、こういった訳だったのだ。

僅かに柄の中央部を細くすることにより、格段に手の内がよく締まり、斬撃力が向上する。刀の操作性の向上は瞠目すべきものがあるのである。

 

日本刀の「りうご柄」のこと

 

「りうご柄」とは。

 

これまで、刀の柄について、ほとんどその重要さを検証されることがなかった。

しかし、前にも書いたところであるが、その形は中央が少しくびれた鼓の形が最良であることを私の体験を通して述べたところである。

 

最近、同じ記述を成瀬関次氏の著作「随筆日本刀」のなかに見つけた。

成瀬氏は、この私の云う「鼓形の柄」のことを、「龍鼓形の柄」、古来「りうご柄」と云われているものだと書いている。

 

以下に簡単に提示して見よう。

 

「刀の切れ味は刀柄からも出る」これは昭和十三年の秋、北支従軍から帰ってきた成瀬氏が第一に発表した日本刀に対する感想である。

 

「刀柄の分担する刀の切れ味だが、刀身それ自体の切れ味が少々悪くても、柄の握り具合がよく出来ていれば、刀身の欠点を充分に補うものである。柄が悪いとその反対の結果になってしまう。これも戦場で、今更の如くに気のついた事の一つだ。

実際、敵を何人も斬撃して、その切れ味殊の他優秀であったというような血刀を何十刀も手にして仔細に検分した結果の印象ともいうべきものは、刀身はどちらかと云えば(例外もあるが)精々細めのもの、反りは尋常、刀柄は短くなく、ねっちりと締まって、一分のそつもゆるみもない、刀全体に一脈の弾力のあるもの、ということになる。」

 

注目すべきは次の一節である。

 

「切れ味の出る刀柄はといったら、著者は躊躇なく{龍鼓形の柄}と答える。

古来{りうご柄}の名で通って来ている。

鼓のように、中の浅くくびれたもので、これであれば前に述べた濡れ手拭を絞るように扱うにはもってこいであり、片手斬りには、云い知れぬ力を伴う。

刃にそりはあっても、刀柄にそりがあってはいけない。

馬上の片手斬りならよいが、今日の如く、徒歩立ちの両手づかいには、そりのないこのりうご形にかぎる。

刀身も長く、従って刀柄も長くつくるには、りうご形の柄の背の方を心持ち平らにしたものがよく、刀の中心に反りはあっても、それに柄を順応させることは禁物と思われる。」

 

 

日本刀の柄についての補足

 

 

日本刀について、いろいろ書いてきた。

現在に於いて、実際に日本刀で人を斬るわけにはいかない。

また、美術工芸品として完成された姿を持つが故に、専ら美術工芸品としてのみその価値が論ぜられてきた。

 

日本刀、特に打刀が完成され、その使用法が研究され、実際に戦場で使われていた時代からはや、400年以上経過した。

江戸時代は島原の乱が一度あったきりで、その他は概ね平和であった為、刀の本来の使い方は忘れられ、美術工芸品としてのみ、その価値が云々されるようになった。

つぎの明治新以後は、武家階級の消滅により、日本刀はなおさら一般の日本人から縁遠い存在となり、今現在、その価値は美術品としての評価であり、実用品としての性能は全く考慮されていない。

 こうして、日本刀の実用性については、そのほとんどが忘れ去られ、その真実を知る人物は、もはやどこにも存在しない。

 

私がここにくどくどと説明しているのは、我が国固有の武器であり、独特の使い方をする日本刀の実用品としての姿を、すこしでも多くの人達に理解していただきたいからである。

 

日本刀は、実際に人を斬って試すことができないために、過去、多くの文筆家たちが筆の勢いに任せて多くの珍説奇説を創造してきたため、多くの誤解がある。

それらの誤りについて簡単に訂正したいと思う。

 

刀の柄の形状については、先に説明したとおりであるが、その他、柄について大切なことを補足説明させていただこう。

 

1.刀の柄の材質 

 

現在、ほとんどの刀の柄は朴の木が使われている。

朴の木は材質が均一で細工がしやすい。

刀の柄は、刀身の中心(なかご・・・刀身が柄に収まるところ)とぴったり合わさり、いささかもこの部分にガタがあってはならない重要なところであるので、比較的柔らかく、工作しやすいということで現在はこの朴が多く用いられている。

しかし、工作しやすいことの反面、割れやすいということも懸念されていたようであり、このことをもって、日本刀は実用性において欧米諸国の剣に劣るというような説をどこかで読んだ記憶がある。

しかし、これは、その論者の無知や思考能力の低さを吹聴しているようなもので、大きな間違いである。

 

外国の剣は、そのほとんどが片手で扱う。

つまり、左手で楯を持って敵の攻撃を防ぎ、右手で剣を振るう。主に斬るというより突きのほうに重点が置かれていたのである。

例外として両手で使う長大な剣もあったが、その大部分が直剣であり、片手で操作したため、その柄の部分にはあまり過剰な力がかからなかった。

 

これとは対照的に、日本の武士は、平安期の草創期から、鎌倉から南北朝、室町時代を経て戦国期には、刀を両手に持って、主に斬ることに特化した彎刀を使っていた。

 

楯を使わず、両手で柄を持ち、敵の太刀や大太刀、長巻、長刀などと渡り合う。

これは片手で主に突きを多用する西洋の剣に比べて、比較にならぬほどの衝撃を手に与えることになる。

 

このことは他のだれも言及していないようだが、実は極めて大切なことなのではなかろうか。

木刀や棒で思い切り堅いものを叩くと、手の内がよほど締まりしっかりしていないかぎりは、逆に手は痺れ、最悪、手や手首関節を痛めることとなる。

この握りの部分、つまり柄が、何の緩衝もない鉄や金属で出来ていれば、その結果はあきらかであろう。

 

日本刀は、この過大な衝撃力を少しでも吸収し緩和するために、長めの木製の柄を使ったものと考えられる。

朴の木は比較的柔らかく適度な弾力性がある為、江戸以降は大いに多用され、今ではほとんどの柄は朴の木が使われている。

もっとも、強度に不安がなきよう、これには朴の良材を厳選し、最新の注意を払って工作しなければならぬことは云うまでもない。

 

しかし、朴が、実用刀にもっとも適していたかというと実はそうではない。

 

朴は実用をはなれ、実戦で使うことがなくなり、従って柄に大きな衝撃が加わることがなくなった江戸期以降多用されていた。

つまり、単なる美術工芸品として、または武士の権威の象徴としての刀なら、柔らかく加工のしやすい朴で柄を造ることは何の問題もなかったと思われる。

しかし、実用刀の柄の材質としてはその選択は最良とはいえなかった。

 

成瀬関次氏によれば、「ごつと堅い樫よりも、堅いうちにもどことなくしなやかさがあって、それでいて決して折れぬ柚、梓、檀などが尤物とされている。」とある。

つまり、柄の材料は、堅く丈夫ではあるが、あまり柔軟性がなく、衝撃を吸収することの少ない樫よりも、しなやかで柔軟性があるため、衝撃吸収力に優れた、柚、梓、檀などの方がより適していたというのである。

おそらく、戦乱に明け暮れた戦国期の実用刀の柄は、柚、梓、檀等の丈夫な木が使われていたのであろう。

 

 2.その他の用法

 

柄の長さについては、居合術の祖、林崎甚助に(神伝柄八寸の徳)という語がある。柄は三握りとも言われているが計ってみると大体八寸であると成瀬氏は言っている。

 

日本刀の特徴は、他国の剣に比べて、この柄の部分が長いことであろう。

古い居合や柔術、剣術の流派では、この柄を利用して、柄頭で当て身を入れたり、掴んでくる相手の手を抑えたりという技法を残しているものがある。

 

又、極めて古い柔術の流派の外のもの(これは、主たる剣術や柔術の技法の他に、心得として知っておくべき、棒術、居合、薙刀、十手などの簡単な技法が付随している。これらのいわゆる教養科目のことを外のものという)に、八本ばかりの簡単な居合術が残されている。

その中に、敵を切り倒し、血振るいの後、刀を一回転させ、その柄元を右拳でトンと叩く動作が入っている。

これは、血振るいと説明されているが、実は、人を切ったあとの柄のゆるみやガタを調べるたものではないかと思う。

 

 

 

 

甲斐 喜三郎
作家:甲斐喜三郎
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