武の歴史の誤りを糺す

日本刀の「りうご柄」のこと

 

「りうご柄」とは。

 

これまで、刀の柄について、ほとんどその重要さを検証されることがなかった。

しかし、前にも書いたところであるが、その形は中央が少しくびれた鼓の形が最良であることを私の体験を通して述べたところである。

 

最近、同じ記述を成瀬関次氏の著作「随筆日本刀」のなかに見つけた。

成瀬氏は、この私の云う「鼓形の柄」のことを、「龍鼓形の柄」、古来「りうご柄」と云われているものだと書いている。

 

以下に簡単に提示して見よう。

 

「刀の切れ味は刀柄からも出る」これは昭和十三年の秋、北支従軍から帰ってきた成瀬氏が第一に発表した日本刀に対する感想である。

 

「刀柄の分担する刀の切れ味だが、刀身それ自体の切れ味が少々悪くても、柄の握り具合がよく出来ていれば、刀身の欠点を充分に補うものである。柄が悪いとその反対の結果になってしまう。これも戦場で、今更の如くに気のついた事の一つだ。

実際、敵を何人も斬撃して、その切れ味殊の他優秀であったというような血刀を何十刀も手にして仔細に検分した結果の印象ともいうべきものは、刀身はどちらかと云えば(例外もあるが)精々細めのもの、反りは尋常、刀柄は短くなく、ねっちりと締まって、一分のそつもゆるみもない、刀全体に一脈の弾力のあるもの、ということになる。」

 

注目すべきは次の一節である。

 

「切れ味の出る刀柄はといったら、著者は躊躇なく{龍鼓形の柄}と答える。

古来{りうご柄}の名で通って来ている。

鼓のように、中の浅くくびれたもので、これであれば前に述べた濡れ手拭を絞るように扱うにはもってこいであり、片手斬りには、云い知れぬ力を伴う。

刃にそりはあっても、刀柄にそりがあってはいけない。

馬上の片手斬りならよいが、今日の如く、徒歩立ちの両手づかいには、そりのないこのりうご形にかぎる。

刀身も長く、従って刀柄も長くつくるには、りうご形の柄の背の方を心持ち平らにしたものがよく、刀の中心に反りはあっても、それに柄を順応させることは禁物と思われる。」

 

 

日本刀の柄についての補足

 

 

日本刀について、いろいろ書いてきた。

現在に於いて、実際に日本刀で人を斬るわけにはいかない。

また、美術工芸品として完成された姿を持つが故に、専ら美術工芸品としてのみその価値が論ぜられてきた。

 

日本刀、特に打刀が完成され、その使用法が研究され、実際に戦場で使われていた時代からはや、400年以上経過した。

江戸時代は島原の乱が一度あったきりで、その他は概ね平和であった為、刀の本来の使い方は忘れられ、美術工芸品としてのみ、その価値が云々されるようになった。

つぎの明治新以後は、武家階級の消滅により、日本刀はなおさら一般の日本人から縁遠い存在となり、今現在、その価値は美術品としての評価であり、実用品としての性能は全く考慮されていない。

 こうして、日本刀の実用性については、そのほとんどが忘れ去られ、その真実を知る人物は、もはやどこにも存在しない。

 

私がここにくどくどと説明しているのは、我が国固有の武器であり、独特の使い方をする日本刀の実用品としての姿を、すこしでも多くの人達に理解していただきたいからである。

 

日本刀は、実際に人を斬って試すことができないために、過去、多くの文筆家たちが筆の勢いに任せて多くの珍説奇説を創造してきたため、多くの誤解がある。

それらの誤りについて簡単に訂正したいと思う。

 

刀の柄の形状については、先に説明したとおりであるが、その他、柄について大切なことを補足説明させていただこう。

 

1.刀の柄の材質 

 

現在、ほとんどの刀の柄は朴の木が使われている。

朴の木は材質が均一で細工がしやすい。

刀の柄は、刀身の中心(なかご・・・刀身が柄に収まるところ)とぴったり合わさり、いささかもこの部分にガタがあってはならない重要なところであるので、比較的柔らかく、工作しやすいということで現在はこの朴が多く用いられている。

しかし、工作しやすいことの反面、割れやすいということも懸念されていたようであり、このことをもって、日本刀は実用性において欧米諸国の剣に劣るというような説をどこかで読んだ記憶がある。

しかし、これは、その論者の無知や思考能力の低さを吹聴しているようなもので、大きな間違いである。

 

外国の剣は、そのほとんどが片手で扱う。

つまり、左手で楯を持って敵の攻撃を防ぎ、右手で剣を振るう。主に斬るというより突きのほうに重点が置かれていたのである。

例外として両手で使う長大な剣もあったが、その大部分が直剣であり、片手で操作したため、その柄の部分にはあまり過剰な力がかからなかった。

 

これとは対照的に、日本の武士は、平安期の草創期から、鎌倉から南北朝、室町時代を経て戦国期には、刀を両手に持って、主に斬ることに特化した彎刀を使っていた。

 

楯を使わず、両手で柄を持ち、敵の太刀や大太刀、長巻、長刀などと渡り合う。

これは片手で主に突きを多用する西洋の剣に比べて、比較にならぬほどの衝撃を手に与えることになる。

 

このことは他のだれも言及していないようだが、実は極めて大切なことなのではなかろうか。

木刀や棒で思い切り堅いものを叩くと、手の内がよほど締まりしっかりしていないかぎりは、逆に手は痺れ、最悪、手や手首関節を痛めることとなる。

この握りの部分、つまり柄が、何の緩衝もない鉄や金属で出来ていれば、その結果はあきらかであろう。

 

日本刀は、この過大な衝撃力を少しでも吸収し緩和するために、長めの木製の柄を使ったものと考えられる。

朴の木は比較的柔らかく適度な弾力性がある為、江戸以降は大いに多用され、今ではほとんどの柄は朴の木が使われている。

もっとも、強度に不安がなきよう、これには朴の良材を厳選し、最新の注意を払って工作しなければならぬことは云うまでもない。

 

しかし、朴が、実用刀にもっとも適していたかというと実はそうではない。

 

朴は実用をはなれ、実戦で使うことがなくなり、従って柄に大きな衝撃が加わることがなくなった江戸期以降多用されていた。

つまり、単なる美術工芸品として、または武士の権威の象徴としての刀なら、柔らかく加工のしやすい朴で柄を造ることは何の問題もなかったと思われる。

しかし、実用刀の柄の材質としてはその選択は最良とはいえなかった。

 

成瀬関次氏によれば、「ごつと堅い樫よりも、堅いうちにもどことなくしなやかさがあって、それでいて決して折れぬ柚、梓、檀などが尤物とされている。」とある。

つまり、柄の材料は、堅く丈夫ではあるが、あまり柔軟性がなく、衝撃を吸収することの少ない樫よりも、しなやかで柔軟性があるため、衝撃吸収力に優れた、柚、梓、檀などの方がより適していたというのである。

おそらく、戦乱に明け暮れた戦国期の実用刀の柄は、柚、梓、檀等の丈夫な木が使われていたのであろう。

 

 2.その他の用法

 

柄の長さについては、居合術の祖、林崎甚助に(神伝柄八寸の徳)という語がある。柄は三握りとも言われているが計ってみると大体八寸であると成瀬氏は言っている。

 

日本刀の特徴は、他国の剣に比べて、この柄の部分が長いことであろう。

古い居合や柔術、剣術の流派では、この柄を利用して、柄頭で当て身を入れたり、掴んでくる相手の手を抑えたりという技法を残しているものがある。

 

又、極めて古い柔術の流派の外のもの(これは、主たる剣術や柔術の技法の他に、心得として知っておくべき、棒術、居合、薙刀、十手などの簡単な技法が付随している。これらのいわゆる教養科目のことを外のものという)に、八本ばかりの簡単な居合術が残されている。

その中に、敵を切り倒し、血振るいの後、刀を一回転させ、その柄元を右拳でトンと叩く動作が入っている。

これは、血振るいと説明されているが、実は、人を切ったあとの柄のゆるみやガタを調べるたものではないかと思う。

 

 

 

 

実戦刀について・・・・樋の効用

実戦刀について

 

日本刀について、最後に観賞用や美術工芸品としての刀ではなく、実際に合戦や斬り合いに使う実用刀について成瀬関次氏の著作から引用してみよう。

 

1.刀の樋の効用

 

刀身についている樋は俗に血流しともいわれ、敵を斬ったとき、血がこの溝を伝って流れるためのものであると言われている。

 

また、この樋は刀の棟の方から見て右側に掻いてあるものが多い。

左ぎっちょ以外の人が人体を斬ると、多くの場合、刀の中央部から先が左へ曲がるが、右側に樋が掻いてあればその曲がりを幾分抑えることができるということである。

 

このように、昔の実戦刀は、命の取り合いである斬り合いに際し、敵に後れを取らぬ為に極限までの工夫が凝らされ、何一つ無駄なことはないというということがわかる。

 

最近の居合の演武を見ていると、刀を振るごとにヒュッと音がする。

実際の刀はかなり重いものである。

この重い刀を振って風切り音を出すとは相当早く刀を振らなければならない。

不思議に思ってその刀を良く見ると、刀身の両側に溝が切ってある。

なるほど、そういうことか。この刀の両側に切ってある溝により刀を振ると風切り音がでていたのだ。

しかし、刀の両脇に溝を掘ったのであれば、上記の刀身が曲がるのを防ぐことはできない。

この場合の樋の役割は、血流しとこの風切り音による威嚇効果だけということになる。

 

この実用上の目的、刀の曲がりを防ぐという最重要の役割がないとすれば、この刀身の両側の樋は、単に風切り音を発生するだけの目的で彫り込まれているにすぎない。

 

最近の話である。

武道場でいつも一緒になる居合の先生がいた。

広島県内では相当高位の人らしいが、自然に話すようになり、稽古に使っている刀を見せてもらった。

ずしりと重い。

聞けば1kgもないという。しかし、私が昔作った2.5kgの大太刀の木刀と変わらぬように感じられる。

しかも、先端が遥かに重く、バランスが全然違うのである。

 

ショックであった。

木刀や竹刀と全く違う。別物である。

これではいくら木刀や竹刀をうまく使えても、必ずしも真剣を上手につかえるとは限らないし、木刀や竹刀の技法も再検討しなければならない。

真剣では役に立たない技もかなりある。

これは是非とも錆刀でも良いから一本手に入れて実際に使ってみる必要がある。

この場合、却って刃がついていると危険なので刃引きをしなければならないだろう。

 

そう思って、ふと気が付いた。

実は昔、日本刀を使って生木を試し切りしたことがある。

私の若い頃、新年の稽古始めには師匠が錆刀を持ちだして、弟子全員に生木の枝を斬らせるのが通例であった。

しかし、その時は何にも感じなかった。

何故だろうと考えた。それは、当時、師匠も若く元気であった為、全て師匠にお任せで、何一つ自分で考えることはなかった。そして、その時は、使いなれぬ真剣を振りまわす緊張感と、皆の手前、巧く切らなければということが頭一杯で、その他のことに気を回す余裕がなかった。そういうことだったのだろう。

 

ここではたと困った。本物の日本刀など到底買えるしろものではない。

件の居合いの先生に聞いたところ、その人の刀は400万円もしたという。

40年ほど前、入門当時、師匠は新たに新刀を造らせると50万円ほどかかると言っていたっけ。

現役で働いていた当時でさえ当時の50万円は大金であった。ましてや、年金生活でぎりぎりの生活をしている者にとって、これは考えることもできない大金である。

 

何とか、ボロ刀でもないかと思って骨董屋を数件当たって見たが何所にも置いていないという。

しかし、古い居合用の模擬刀ならあるとのこと。

頼んで見せてもらった。

店主は、奥から二振りの模擬刀を持ち出してきた。

そのうちに一振りは重い。計ってみると刀身だけで1kgある。これはちょうどよい。素振りにはもってこいだ。但し、材質は何でできているかわからない。

かなり古い。しかし、多分、アルミダイキャスト製であろうからそんな昔ではない筈だ。

安かったので買って帰った。

帰って、振って見ると実に重い。片手で抜き打つのがやっとである。

両手で振って見る。

小さな風切り音がするが、居合いの演武で見られるようなはっきりした音ではない。

 

この模擬刀には樋は掻いていない。樋がない場合、よほど早く振らないとあの風切り音はでないものらしい。

しばらく使っているうちに少し柄にガタがきたような気がした。

模擬刀といえどこれは危険である。

 

意を決して新しい模擬刀を買うことにした。

注文してひと月余り、新しい模擬刀が届いた。

これには刀身の両側に樋が掻いてある。

重さは1kgに足らぬぐらい。

 

振ってみると、片手で抜き打ってもはっきり聞こえるほどの風切り音がする。

やはり、現代の居合刀の刀身の両側の溝は、この風切り音を出す為ものであった。

 

ここで一つの疑問。

この風切り音、威嚇の効果が果たしてあるものだろうか。これは相手によって様々であろう。敵の10人が十人、恐怖を感じるものであるならばこの樋の効果はあるといえるだろうが、人によって効果のない者がいるとすればこの樋を掻いてまで刀の強度を落とす意味はなかろう。

現代の居合刀は、この刀身の両側に樋を掻くことによって派手な風切り音を発し、演武時のかっこよさ、つまり舞台効果を狙ったもののように思える。

つまり、この樋を彫った部分だけの重量軽減効果はあるであろうが、実用上の有効性はないと思われる。

 

 

 

2.刀の切先と鍔元

 

刀の切先は、日本刀の部位で最も大切なところである。

 

物打ちというは、通常横手筋から3、4寸ほど柄の方によった個所をいうが、この部位でもって敵を切るのがもっとも良いとされている最重要部位である。

そのため、この切先から物打にかけては、その鍛錬や焼き入れは細心の注意を払って行わなければならない。

 

また、その作りは、小鎬と三つ頭のあたりを特に厚く頑丈にし、棟のほうから見ると丁度小蛇の首のように見えるという。

それから、横手筋角、即ち刃の三つ角をかっきり鋭く尖り気味に研ぎ合わせる。

 

この上記二つの条件を満たした切っ先なら、折れもせず、また引き切りに敵を切ったとき、この三つ角の鋭い尖り角が作用して、一段と切れの冴を見せるのであると成瀬氏は言っている。

 

また、切っ先とは反対側、鍔元から3~4寸までは刃を引いておくということがある。

なぜならば、誤って自分自身が怪我をするのは、多くの場合この場所であるから。

 

また、よく誤解される言葉に、鍔元三寸で敵を切るようにせよというものがある。

この場合、この鍔元3~4寸に刃はついていなければ、この部分で敵を斬ることができないではないかという理屈になろう。

 

しかし、これは、実際に刀の鍔元で敵を斬るという意味ではない。

 

いざ、斬り合いとなり目前に敵の剣尖を突きつけられれば、恐怖のあまりその間合いを見誤り勝ちである。心理的に相手の姿が大きく見え、恐怖のあまり腕は縮こまり踏み込みも浅くなる。

その様な状態で切りおろしても、剣尖は敵に届きもしない。

そこで、云われていることは、敵の股ぐらに足をふみこみ、刀の鍔先三寸で敵を斬るぐらいの心持で懸らねば、敵に致命傷を与えることができないということなのである。

 

つまり、古来云われている刀の鍔で敵の頭を割るつもりで懸れとか、鍔元三寸で敵を切れということは、それくらい思い切って接近して切れという意味で、実際に鍔元三寸で敵を斬るということではない。つまり言葉のあやであり、心得なのである。

 

 

 

甲斐 喜三郎
作家:甲斐喜三郎
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