武の歴史の誤りを糺す

日本刀について(続)

日本刀の切れ味(続)

 

日本刀は確かによく切れる。

しかし、ここで考えなければならないことは、何を切るかということである。

素面素小手の生身の人間を切るのと、鎖の着込みを着た人間とでは違う。

又、戦場で鎧武者を相手に戦う場合には、切れ味よりも頑丈でなければならない。

さらに、切る人間の技量によっても大きな差がある。

いくら名刀といえど、ずぶの素人、特に女性が切る場合と、据もの切りの名人が切るのとではその切れ味に大きな差が出てくることは誰が考えてもわかることであろう。

この場合、多少のなまくら刀であっても、強力の男が力一杯切れば、人の首などわけなく切れるはずだ。
これは、ろくな刃も付いていない青竜刀のような鈍刀で、重みで人の首を切るのとおなじである。

前に書いた、日本刀で木の枝を試し切りにしたときも、先生の持ち出してきた刀はろくに研いでなくて、切れ味の点では落第であった。
それでも木の枝ぐらいたやすく切れたのである。

刀は、刀鍛冶による手作業で作られる。当然、その職人の技量の差によって、できあがりが大きく左右される。
頭蓋を割り、骨を断ちきっても、刃こぼれひとつしない刀があるかと思えば、折れ曲がり、刃はぼろぼろといったお粗末な刀もあっただろう。
また、例え名人と言えども、その打つ刀全てが名刀であるわけはない。当然駄作もある。
これが手作りの欠点でもある。
現代の工業製品なら全ての製品が均一であるが、手作業で作られる日本刀はそうではない。
これが日本刀の宿命であろう。

つまり、素肌の人間を斬り殺すにはそれほど鋭利な刃は必要ないのである。

それよりもそれを使う人間の技量のほうが大切だ。

日本刀の柄

日本刀の柄について

 

日本刀について、その刀身や鍔、拵え等について語られることが多い。

しかし、柄については、余り詳しくは語られることはなかったと思う。

この柄の形について感心させられたことがある。

毛抜太刀や鎌倉期までの大刀は柄の部分から湾曲している。

ところが、時代が下るにつれ、反りは刀身の部分のみとなり、柄は真っ直ぐとなり、長くなった。

このことは、何を意味するかというと、刀の持ち方が片手から両手に変化したことである。

これは、この頃戦闘のやり方に大きな変化があった事と期を一にする。

平安、鎌倉期を通じて、騎馬弓箭の戦闘が主体であった。ところが、南北朝から室町にかけて、徒歩打ち物による戦闘が増加してくる。

大刀も長大となり、それを扱うには両手を使わなければならなくなった。それとともに柄の長さも長くなる。
長く重い刀はとても片手で扱えるような代物ではない。そしてそれを思うように振り回す為には、長い柄が必要となってくる。

太刀を両手で持つようになれば、ただ、片手で打ち下ろすだけの単純な使い方ではなく、様々な技法が生み出され、重い刀も自在に操れるようになる。

この技法がもっとも良く残されているのが天真正伝香取神道流である。

この柄の形状について恐らく殆どの人が気がついていないことがある。

日本刀の柄の形をよく見ると、中央部が僅かに細くなり鼓形をしている。実は、このことは、極めて重要な意味を持っているのである。

説明は少し長くなるので、次ページに詳しく説明することとする。

日本刀の柄(続)

日本刀の柄について(続)

 

前の続き。

日本刀の柄の形はよく見ると両端が太くなり、真ん中が僅かに細くなっている。

いままで、私はこの形の意味を深く考えたことはなかった。

しかし、このことは、刀を両手で持って切るという動作には極めて重大な意味をもつ。


もう十年以上前のことである。

私の習っていた古流の柔術に、外物(とのもの)として、大太刀術がある。

これを一対、二本、道具屋に頼むと一本数万円もする。

あるとき、妻の友人から、白樫の角材が二本、手に入った。

これはいい。これで大太刀を作ってやろう。そう思って削り始めた。寸法はわかっている。

長さは110センチ、通常の木刀より十センチ前後長いだけだ。しかし、その太さが尋常ではない。

最初は電動鋸で大まかな形をとり、あとは、手鉋で成形することとした。

ところがこの白樫という木はすこぶる堅い。手鉋だけでは全くはかがいかない。

仕方がないので、電動鉋を使うことにした。しかし、電動鉋を使うと削り過ぎるのでよほど注意してかからなければならない。

苦労して荒削りしたのち、手鉋で細かい仕上げをして、ほぼ荒削りながら形ができた。

重量2.5キロkg余り。構えて見ると実に重い。本物の日本刀が重さ1kg余りであるから倍以上の重量がある。

問題は柄の太さだ。直径が5cmほどもあるのだ。

これでは、構えることはできても自由に振り回すことはできない。この寸法は間違いではないのか。
それとも昔の人は、こんな柄の太い重いものを軽々と振り回していたとでもいうのだろうか。

試しの振って見る。確かに振ることはできるのだが、手の内が心許ない。二本をお互いに打ち合わせてみても、鈍い音がするだけで、重い刀身に負けている。これでは駄目だ。

折角苦労して、五月の連休を返上してこの二本の木刀を削りあげてきたのだ。これでは使えない。

ただ、これはまだ荒削りのままだ。柄の成形もやっていない。そこで兎に角最後まで作ってみることにした。

柄の部分は柄頭から鍔にかけて全体が円筒形のままだ。これを、中央部で1cmほど削り、鼓状に成形し、全体にサンドペーパーをかけて仕上げた。

仕上がった木刀。重さは余りかわっていない。手に取り、構えてみた。

これはなんということか。手にしっくりとなじみ、些かも無理なところや違和感がない。

振ってみる。打ち下ろして中段で止めてみるが、手の内がぐっとしまり、刀身の重さに負けるところがない。

思い切って二本を打ち合わせてみる。冴えた音がする。力一杯打ち合わせても全く不安が無い。ぷんと焦げ臭い匂いがした。

とくに大したことはやっていない。重さも殆ど変わらない。ただ、柄の中央部で一センチほど鼓型に成形しただけだ。

しかし、これほど結果に顕著な差が出てきている。

新ためて先人の知恵の偉大さを思い知らされた思いがした。

日本刀の柄の形状が、僅かに中央部が細くなった鼓型の形状をしているのは、こういった訳だったのだ。

僅かに柄の中央部を細くすることにより、格段に手の内がよく締まり、斬撃力が向上する。刀の操作性の向上は瞠目すべきものがあるのである。

 

日本刀の「りうご柄」のこと

 

「りうご柄」とは。

 

これまで、刀の柄について、ほとんどその重要さを検証されることがなかった。

しかし、前にも書いたところであるが、その形は中央が少しくびれた鼓の形が最良であることを私の体験を通して述べたところである。

 

最近、同じ記述を成瀬関次氏の著作「随筆日本刀」のなかに見つけた。

成瀬氏は、この私の云う「鼓形の柄」のことを、「龍鼓形の柄」、古来「りうご柄」と云われているものだと書いている。

 

以下に簡単に提示して見よう。

 

「刀の切れ味は刀柄からも出る」これは昭和十三年の秋、北支従軍から帰ってきた成瀬氏が第一に発表した日本刀に対する感想である。

 

「刀柄の分担する刀の切れ味だが、刀身それ自体の切れ味が少々悪くても、柄の握り具合がよく出来ていれば、刀身の欠点を充分に補うものである。柄が悪いとその反対の結果になってしまう。これも戦場で、今更の如くに気のついた事の一つだ。

実際、敵を何人も斬撃して、その切れ味殊の他優秀であったというような血刀を何十刀も手にして仔細に検分した結果の印象ともいうべきものは、刀身はどちらかと云えば(例外もあるが)精々細めのもの、反りは尋常、刀柄は短くなく、ねっちりと締まって、一分のそつもゆるみもない、刀全体に一脈の弾力のあるもの、ということになる。」

 

注目すべきは次の一節である。

 

「切れ味の出る刀柄はといったら、著者は躊躇なく{龍鼓形の柄}と答える。

古来{りうご柄}の名で通って来ている。

鼓のように、中の浅くくびれたもので、これであれば前に述べた濡れ手拭を絞るように扱うにはもってこいであり、片手斬りには、云い知れぬ力を伴う。

刃にそりはあっても、刀柄にそりがあってはいけない。

馬上の片手斬りならよいが、今日の如く、徒歩立ちの両手づかいには、そりのないこのりうご形にかぎる。

刀身も長く、従って刀柄も長くつくるには、りうご形の柄の背の方を心持ち平らにしたものがよく、刀の中心に反りはあっても、それに柄を順応させることは禁物と思われる。」

 

 

甲斐 喜三郎
作家:甲斐喜三郎
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