メンタルジェットコースター

始まりの声( 2 / 2 )

病院にて

 私は元々、パニック障害と鬱を併発していて、16歳の時から精神科に通っていた。「声」の聞こえた日から数日後、私は病院に居た。名前を呼ばれ、診察室に入る。担当の医師から

「変わりはない?」

と訊かれたので「声」の話をした。医師の顔色がさっと変わるのが解った。私は病院に来るまでの数日間も、「声」を聞き、頭の中がざわざわとし、心落ち着かず、ぐったりしながら過ごしていた。あまりにもぐったりとしていたので、病院に来る事が出来なかったのだ。「声」はたまに女になり、「自殺しろ」と囁いた。全てを医師に話し終え、医師が次に何を言うかだいたいは見当がついたが、医師は至って淡々と、

「統合失調症の疑いがあります。これからケースワーカーの所へ行って、専門病院を紹介してもらって下さい。うちには入院施設が無いので」

診察室を出て、ケースワーカーの待機所に向かう途中で親と合流した。私は基本的に、一人で診察を受けるようにしていたからだ。それは、親が極端に精神科医嫌いなのと、第三者が入ると面倒な事になりそうだったからだ。

「どうだった?」

と言う親に、私は、

「統合失調症の疑いだって。ケースワーカーの人に専門病院、紹介してもらうように、って」

と、普通のトーンで答えた。医師の見解に、凄くほっとしていたのだ。なんだか解らない頭の中のざわつきも、「声」も、ちゃんと理由があったからだ。

 そして、親と共にケースワーカーのもとへ行き、入院施設のある専門病院を幾つか紹介してもらった。それから父の車に乗って、病院を見て回り、閉鎖病棟のある、とある病院で改めて診察を受ける事になった。

 そこで、その病院の医師から意外な事を言われた。

「うーん。統合失調症じゃないと思うんだけど」

私は思わず、

「はい?」

と間抜けな返事をしてしまった。医師は、とりあえず療養は必要なようだから2週間くらい入院していくといい、と言い、私は産まれて初めて閉鎖病棟に入院する事になった。

入院( 1 / 2 )

閉鎖病棟

 「声」の出現から数週間後、私は閉鎖病棟に入院した。それまでも精神科への入院経験はあったが、閉鎖は初めてだった。病棟では、半裸の男性が走り回っていた。これはいよいよヤバイ世界にきてしまった、と思ったが、よくよく考えてみると、自分も幻聴があるような人間な訳で、世間的には十分ヤバイのだった。


 看護師さんに案内されて辿り着いた私の住む事になる病室は、比較的ライトな症状の患者さん向けの4人部屋だった。病院は暖房の効きが悪く、非常に寒かった。そこで、ペットボトルでの湯たんぽの作り方を教えてくれたのが、私のお向かいさんのお婆さん。なるべく熱めのお湯をペットボトルに入れるだけだが、この湯たんぽは、かなりの寒さ対策になった。お上品で、どこが悪いのかさっぱりわからないお婆さんを、私は親しみをこめて「お母さん」と呼んだ。面倒見が良くて、物静かで、本当に「お母さん」はどこが悪かったのか、よく解らなかった。

 私は時代に逆行して愛煙家だ。病院には喫煙所があったが、そこはベランダの外だった。狭いベランダに愛煙家が密集し、ああでもない、こうでもないと、延々とオチの無い話をしていた。喫煙所は1箇所しか無かったので、ライトな症状の患者も、ヘヴィーな症状の患者も同じように集まる。そこは一見、和気藹々に見えて、実はその場にいない患者の悪口の垂れ流しの場でもあった。怒りやすい体質の大場さん(仮名)と、脳性まひで、左半身が不自由だった奈々子(仮名)は特に仲が悪く、大場さんは明らかに奈々子を避けていた。それでも喫煙所は1箇所なので、嫌でも2人とも顔を合わせる事があり、ある日、奈々子が自由のきく右手で煙草を持っていた時、大場さんの服に火をつけて焦がしてしまった事があった。ただでさえ怒りやすい体質の大場さんは激怒。奈々子は少し慌てた後、「ユニクロで買って返す」と言ったが、大場さんの服はユニクロのものでも何でもなく、更に運が悪い事に旦那さんとお揃いの服だった。大場さんは声を荒らげて、

「返さなくていい!これユニクロじゃないし!旦那とお揃いなのに!」

そう叫んで喫煙所から去って行った。大場さんの去った後のその場の空気といったら、なんとも居た堪れないものだった。奈々子はと言うと、最初こそ「どうしよう?」という感じだったが、元々の仲が険悪だったので、暫くすると普段通りに振舞っていて、その場に居た人々から反感を買っていたが、まるっきり気付いてないようだった。私は何故、奈々子から咄嗟に「ユニクロ」というワードが出てきたのかさっぱり解らず、なんとなく「これが閉鎖病棟の人の感覚なのか」と思っていた。それからというもの、大場さんは以前に増して奈々子を避け、喫煙所に奈々子が来ると「また火をつけられたら堪らないわ」と一言吐いて、その場を去った。奈々子は奈々子で、必死で自分の味方を作ろうと、時代遅れの歌手のCDを束で持ち歩き、

「良かったら聴いてね。いつでも貸すから」

等と言っていたが、奈々子からCDを借りる人は一人も居なかった。かと言って、皆が皆、大場さんの味方という訳でもなく、元々取り扱い注意人物である大場さんを持て余していて、結局は2人とも孤立していた。

 そんな日々が過ぎてゆき、私も2人とは距離を置き、喫煙所に行く時以外は、なるべく自分の病室で過ごすか、デイルームと言う、所謂、居間のような所で友達に手紙を書いたりしていた。その頃にはもう「声」は聞こえていなかったが、薬が強かったのか、テーブルに便箋を広げても、ただ、それをぼうっと見つめ、一向にペンは進まなかった。それでも何とか手紙を書き終え、比較的ライトな患者だった私は、病棟の重たいドアを「開けてください」と言えば、開けてもらえる状況で、病院の外のポストに手紙を出しに行き、病院の庭を寒さに震えながら散策し、一息ついてから病室に戻った。

 ある晩、月の綺麗な夜。一人で喫煙所に向かうと先客がいた。身だしなみのきちんとした、若くて綺麗な美穂子(仮名)だった。私は美穂子から少し離れた所に座り、ぼうっと月を眺めていた。退院が近かった美穂子は、何を言うでもなく、静かに煙草を吸っていた。そして、吸い終わった煙草をもみ消しながら、一言、

「疲れるよね…人間関係」

それだけ言って、自分の病室に戻って行った。

 私は美穂子と同じ気持ちだった。なんで療養の為に入院しているのに、こんなに疲れなければいけないのだろう?それから胃痛の日々が始まった。
あずみけい
作家:あずみけい
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