コースターが急カーブを切ったのは、PバンドにNさんというサポートメンバーが入った頃だった。私はNさんに夢中になった。物凄く魅力的な人であり、彼の演奏する楽器の音色もまた素晴らしかった。その頃Nさんは下北沢で定期的に個人のライブを行っていた。キャパシティ40のライブバーに、私は毎月通った。NさんがPのサポートに入った事で、ライブの観客数は増え、私のようにPから流れてきたファンは、元々のNさんのファンに煙たがられた。この頃の私はまたしても完全にハイで、乗れなかった電車にも乗れ、びっくりするくらい活動的だった。私の髪は金色で、気分によっていきなり黒く染めたり、長い髪を突然ベリーショートにしたり、正常な判断がまるっきり出来ていなかった。
そんな最中に出逢ったのが友美(仮名)だった。友美はうつ病だったが、互いの病気の事は最初は伏せていた。次第に仲良くなり、仲良くなる過程で互いの病気の事を伝え合った。友美はうつ期以外は前向きで、
「病気を治して、彼と結婚するんだ」
と、口癖のように言っていた。私はルイと友美には何でも話せた。
その頃、私は正気とは思えない日誌をつけていた。オーバードーズ日誌だ。毎日、寝る前に何をどのくらい飲んだか、オフラインならまだしも、オンラインで書いていた。その場所を知っていたのはルイと友美だけだったが、その頃、完全ハイな私は「どうだ、凄いだろう」くらいの勢いで日誌をつけていたが、最初はコメントを寄せていた友美が、急にコメントを残さなくなり、どうしたの?と訊ねると、実にまっとうな答えが返ってきた。
「けいは病気を治す気があると思えない」
その言葉ではっと我に返った私は、日誌のページを消した。そして友美とも疎遠になっていった。
友美はその後、医師から寛解の太鼓判をもらい、めでたく恋人と結婚したが、皮肉な事に、私を批判したオーバードーズが原因で離婚する事になった。