私は時代に逆行して愛煙家だ。病院には喫煙所があったが、そこはベランダの外だった。狭いベランダに愛煙家が密集し、ああでもない、こうでもないと、延々とオチの無い話をしていた。喫煙所は1箇所しか無かったので、ライトな症状の患者も、ヘヴィーな症状の患者も同じように集まる。そこは一見、和気藹々に見えて、実はその場にいない患者の悪口の垂れ流しの場でもあった。怒りやすい体質の大場さん(仮名)と、脳性まひで、左半身が不自由だった奈々子(仮名)は特に仲が悪く、大場さんは明らかに奈々子を避けていた。それでも喫煙所は1箇所なので、嫌でも2人とも顔を合わせる事があり、ある日、奈々子が自由のきく右手で煙草を持っていた時、大場さんの服に火をつけて焦がしてしまった事があった。ただでさえ怒りやすい体質の大場さんは激怒。奈々子は少し慌てた後、「ユニクロで買って返す」と言ったが、大場さんの服はユニクロのものでも何でもなく、更に運が悪い事に旦那さんとお揃いの服だった。大場さんは声を荒らげて、
「返さなくていい!これユニクロじゃないし!旦那とお揃いなのに!」
そう叫んで喫煙所から去って行った。大場さんの去った後のその場の空気といったら、なんとも居た堪れないものだった。奈々子はと言うと、最初こそ「どうしよう?」という感じだったが、元々の仲が険悪だったので、暫くすると普段通りに振舞っていて、その場に居た人々から反感を買っていたが、まるっきり気付いてないようだった。私は何故、奈々子から咄嗟に「ユニクロ」というワードが出てきたのかさっぱり解らず、なんとなく「これが閉鎖病棟の人の感覚なのか」と思っていた。それからというもの、大場さんは以前に増して奈々子を避け、喫煙所に奈々子が来ると「また火をつけられたら堪らないわ」と一言吐いて、その場を去った。奈々子は奈々子で、必死で自分の味方を作ろうと、時代遅れの歌手のCDを束で持ち歩き、
「良かったら聴いてね。いつでも貸すから」
等と言っていたが、奈々子からCDを借りる人は一人も居なかった。かと言って、皆が皆、大場さんの味方という訳でもなく、元々取り扱い注意人物である大場さんを持て余していて、結局は2人とも孤立していた。
そんな日々が過ぎてゆき、私も2人とは距離を置き、喫煙所に行く時以外は、なるべく自分の病室で過ごすか、デイルームと言う、所謂、居間のような所で友達に手紙を書いたりしていた。その頃にはもう「声」は聞こえていなかったが、薬が強かったのか、テーブルに便箋を広げても、ただ、それをぼうっと見つめ、一向にペンは進まなかった。それでも何とか手紙を書き終え、比較的ライトな患者だった私は、病棟の重たいドアを「開けてください」と言えば、開けてもらえる状況で、病院の外のポストに手紙を出しに行き、病院の庭を寒さに震えながら散策し、一息ついてから病室に戻った。
ある晩、月の綺麗な夜。一人で喫煙所に向かうと先客がいた。身だしなみのきちんとした、若くて綺麗な美穂子(仮名)だった。私は美穂子から少し離れた所に座り、ぼうっと月を眺めていた。退院が近かった美穂子は、何を言うでもなく、静かに煙草を吸っていた。そして、吸い終わった煙草をもみ消しながら、一言、
「疲れるよね…人間関係」
それだけ言って、自分の病室に戻って行った。
私は美穂子と同じ気持ちだった。なんで療養の為に入院しているのに、こんなに疲れなければいけないのだろう?それから胃痛の日々が始まった。