大学時代を思ってみれば…

3章 一人での時間の過ごし方…( 7 / 36 )

29 スケッチブックを持って:日比谷をぬけて西銀座へ

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3章 一人での時間の過ごし方…( 8 / 36 )

スケッチブックを持って:日比谷をぬけて西銀座へ

 

地雷原には立ち入らないのが鉄則だが、日々の生活で避けて通れない場所もイッパイある。そんな場所は、あえて地雷を爆破しておくほうが安全だ。そんな目的で、いくつかの道を安全にしておくつもりで書いてます。

 

地雷の処理の続き

 

皇居のお堀に、白鳥ならぬ黒鳥がいるときいて二人で出かけたことがある。

 

建て替え前のレンガの警視庁のすぐ前に、桜田門があって、そこにどういう訳か小さな交番があった。建物がオモチャみたいな感じで、絵になりそうだったけれど、スケッチブックには残っていない。警視庁のすぐ前に、なぜ交番が必要だったのだろう? 今もその疑問が残っている。かわりに、この黒鳥が残っていて、そんな時間を思いださせてくれる。

 

日比谷にはいろいろ思い出がある。

 

日比谷公会堂の狭い椅子の席に耐えられず、途中で逃げ出したこととか、日比谷の図書館、少し陰鬱な感じのする半円ドームの野外音楽堂とか、松本楼とかだ。北西のほうからだと、隣接してイイノホールがあって、ヴァイオリンとかピアノの演奏会に出かけたことを思い出す。

 

日比谷の森は結構な種類の植物があって、みどりの散歩道となっていた。当時は珍しかった、パンパス・グラスの白い穂をよく覚えている。公園のなかにテニスコートもあった。明るいのは、やはり小音楽堂とか、大噴水だろう。鳩がいつも餌をねだっていた。その頃OLという言葉があったかどうか忘れているけれど、明るい顔をした制服の若い子がイッパイいたものだ。日比谷通りには、花屋さんが店を出していた。運がよいと、小音楽堂でブラスが演奏していたりもした。

 

通りをわたると帝国ホテルだ。ここのコーヒー・ショップのカレーはとても旨かったと記憶がある。四季の「オンディーヌ」をみた日生劇場や、東宝を過ぎて、ゆっくりガードに向かっていく。ガードの手前からは左手に、その頃みんなの人気スポットになった「有楽町そごう(今のヨドバシカメラ)」が見えた。外国人がお目当ての日本的な土産専門店が、ガード下にたくさん並んでいた。

 

ガードを抜けると、そこはもう銀座。そこにはお気に入りの画材屋さん、GEKKOSOがあって前を通ると必ず立ち寄ったものだ。今も、手元のどこかにGEKKOSOのスケッチブックが使われないまま、残っていると思う。

 

僕は画材屋さんとか文房具屋さんに目がなくて、立ち寄ると時間がドンドン過ぎていってしまったものだ。斜向かいには泰明小学校のグランドがあって、その並びの小さなビルにジェルマニアというドイツ料理屋さんがあった。もうないかもしれないけれど、美味しいドイツ家庭料理を出してくれていた。さらにそのまま行くと、西銀座の数寄屋橋公園だ。目の前にはマリオンになる前の、朝日新聞社と日劇が見えたものだ。

 

ここいらあたりは、もう地雷処理済で安全地帯になっている。

3章 一人での時間の過ごし方…( 9 / 36 )

30 スケッチブックを持って:不忍池の蓮たち

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3章 一人での時間の過ごし方…( 10 / 36 )

スケッチブックを持って:不忍池の蓮たち

 

地雷原には立ち入らないのが鉄則だが、日々の生活で避けて通れない

場所もイッパイある。そんな場所は、あえて地雷を爆破しておくほうが

安全だ。そんな目的で、いくつかの道を安全にしておくつもりで書いてます。

 

地雷の処理が続きます。

 

朝の蓮の花が咲く「音」を描いてみたいとNさんが言い出した。何だか僕も、「ポッツ!」という音を聞いてみたくなって、上野の不忍池まで出かけることになった。僕の頭には、蓮の花が咲く場所としては不忍池しか思いつかなかったのだ。

 

中野からだから、かなり朝早くアパートを出たのに違いない。蓮の花が咲くのは真夏の早朝。その頃Nさんは60号の製作にかかっていたから、きっとそのネタを仕入れたかったのだろうと思う。

 

その頃はまだ都電が池之端七軒町から上野の山の下を、道と池との間に敷かれた専用線路をかなりの速度でから上野公園入り口まで走っていた。そう、水上動物園に下る動物園のモノレールの下をくぐって…。

 

不忍池は水質の問題が起きていて、弁天島にしても、弁天堂にしても、またボート乗り場あたりにしても、なんとなく足が遠のいたものだ。水が臭いっていうか、汚いっていうかそんな感じだった。蓮は水上音楽堂のあたりに群生していた。緑に包まれてしまえば、水質なんて問題はない。しかし、水辺に下りると、なんとなく水は汚れていた。

 

目を蓮に近づけてみると、葉脈の浮く大きな葉の上には、コロコロ転がる水玉がたくさんできていて、薄毛に覆われたような葉の上できれいだった。吹く風に大きな葉が揺れて、水玉たちは危なっかしくその位置を変えていた。花は薄いピンク。蓮の花ときくと、なんとなく地味な感じで思ってしまうが、本当は美しく凛とした花だった。

 

がんばってみたけれど、花が咲くときの「ポッ」という音は聞こえなかった。やはり想像の世界の音だったのだろう。僕はたちまち飽きてしまって、2、3枚のスケッチを乱雑に描いて終わってしまったが、Nさんは真剣そのもの。細密に蓮の茎とか葉っぱ、花を描いていた。もう、いつものやさしさなぞ消えた画家の目だった。

 

かなりの時間、僕は一人で池を廻ったり、上野の山の五重塔のほうに登ってみたり、はたまた春日通りに出たりしていた。本郷への切り通しのほうには、それこそデラックス・マンションのはしりのような建物ができていた。

 

やっと納得したNさんが、道具をしまったのはかなり日中に近い頃だった。上野広小路で、風月堂に入ってお茶を飲んだ。

 

F60号の立派な蓮の絵が完成したのは、かなり経ってからで、それまで狭い一間に蓮が変化していく様子を見ている僕だった。

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
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