大学時代を思ってみれば…

1章 新宿界隈( 2 / 14 )

この本を書くきっかけ

忘れないうちにこんな本を書こうとしたきっかけは、古いスケッチブックにFugetsudoで描いた「絵」を見つけたからです。新宿・東口・中央通り。武蔵野館の道をまっすぐ東に向かって歩いて、3本目の道を越えると、右側に「Fugetsudo」がありました。懐かしいです。

 

そう、60年安保のあと、だいたい10年ぐらい、新宿が若い僕の町でした。僕の場合は、大学を6年もかかって卒業しました…

 

東京・谷中生まれですが、おやじに振り回されて、どういう訳か最初の2年は、大阪の左がかった公立大学で60年安保の時代を過ごしました。そこを中退する羽目になって、Wを狙って早稲田の3帖一間の友達Tの下宿に転がり込んだのが新宿との付き合いの始め。

 

その後、東京で4年もかかって大学を出たから、全部で6年。就職しても、新宿通いは止らずに、70年ごろまで過ごしたものです。

 

Tの下宿は、面影橋のすぐそば、窓を開けると神田川。こうせつの「神田川」は決して忘れられない歌になりました。

 

二人とも、金がなくて、アルバイトでチョット金が入ると面影橋のたもとに出ていた、屋台でタンメンを食べて、黄色いアルミの道具で燗をつけた「焼酎」を下地ごしらえに飲んで、高田馬場まで、「トリス」ウイスキーを飲みに出かけたものです。元気があれば、酔いの力を借りて新宿まででも歩いたものです。都電の金ももったいない二人でした。

 

こんな調子で、思い出たちを書いてみたいと思います。

1章 新宿界隈( 3 / 14 )

2 Fugetsudoの店内

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1章 新宿界隈( 4 / 14 )

Fugetsudoの店内

Fugetsudoには、いつもゆっくりした時間が流れていた。僕の頭の中には、「風月堂」という名前はない。Fugetsudoだ。銀座とか、上野の甘ったるいにおいのする店と一緒になってしまうのがいやだ。

 

コーヒー一杯でウン時間。だいたい一人できているやつらが多い。壁際にひとりづつならんでなんてことが多かった。僕は、中央通りに向かって右側のチョット奥が定席。前の文にくっつけたスケッチもそんな場所から、柳の植えられた中央通りのほうをスケッチしたものだ。

 

いつもいい音楽が流れていた。クラシックをここでイッパイ、イッパイ聞いた。バッハとモーツアルトが飛びぬけて多かったと思う…。そんなこんなで、僕の耳は良くなった(?)。今でも狂った音程を聞くと、「チョットおかしいんじゃない…」てなことをいっているのは、キットここで、身についたんじゃないかなと思っている。

 

そう、曲のリクエストもできた。その頃は、LPレコードが主流。演奏中は、重厚なプレイヤーの置いてある部屋の前に、演奏中の曲名を表示してあったものだ。名前を知らない気に入った曲があるとワザワザ見に行く。そんな時間、みんな何をしてたかというと、音楽を聴く、小声で話す、文章を書く、恥ずかしげもなく自分でヴァーチャル演奏して、テンポを取っているやつもいる。僕みたいに、スケッチブックを取り出すやつまでいた。でも誰も文句を言うやつはいない。店の人も無関心だ。

 

高い天井のホールの一部は、二階席になっていて、一階を見下ろしながら、コーヒーを飲んでるやつが、飽きもせずに人の出入りを眺めていた。でも、二階はチョット明るさの足りない席だった。あまり好きではなかった。下がいっぱいだと、よほどのことがない限り他の店へ移った。

 

Fugetsudoには食べ物の記憶がない。トーストくらいは出していたかも…。とにかく、コーヒーの香りと、つぶやきに似た話し声が聞こえていた店だ。ここでは、話しかけてくるやつもいない。時間で追い出すっていう雰囲気もない。Fugetsudoは、「気に入った自分の部屋」の感覚だった。

 

圧倒的に、若い客が多かった。僕もその一人だった。

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
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