人生手帳

2011年9月( 10 / 19 )

今後無料化するデジタル経済でどう生き残るか

限界費用(財・サービスを生産するとき、ある生産量からさらに一単位多く生産するのに伴う追加的な費用。)が限りなく0に近づくデジタル経済で、今後どのように戦っていくか。 フリー(無料) クリス・アンダーソン 著

 

潤沢と稀少


qualcosa di più grande / AleBonvini

資源の原則として、稀少な場合、価格高騰と共に危機感と理解度があがり、やがて代替となりうる潤沢を探し出す。、潤沢となると理解度が下がり、稀少な資源の需要が減っていく。

経済は潤沢を求めて動く。特に現代では情報が潤沢となり、発信・受信が容易となった。そうすると当然、情報コストは下がっていく。そして

デジタルコスト


Digital Flow / Enkhtuvshin's 5DmkII

デシタルなものは、遅かれ早かれ無料になる。

人々は「無料」という魅力に惹かれていく。昔は「タダほど高いものはない」といったように無料に対する警戒心は強かったし、どこかでお金は回収されるという考えが根強かった。しかし、現在では悲通貨的な価値に目を向け、ほんとうにタダというコンテンツが増えてきたという。

フリー無料と付き合おう

潤沢な情報はフリーになりたがる。稀少な情報は高価になりたがる。

情報の流れは速く、寿命も短い。まさに潤沢と稀少の繰り返しである中で、どのような情報に目を向けていくかが課題となりそうだ。それらのヒントがこの本では多く書かれている。

遅かれ早かれフリー(無料)と競いあうことになる。そうすると同じく商品を無料にして別のものを売るか、価格の違いを埋め合わせられるだけの差別化を図るかだ。

フリー(無料)は別のものの価値を高める。潤沢さは新たな稀少さを生み出す。100年前には娯楽は稀少で、時間帯が潤沢だったが、今はその逆。

Webアプリケーションは(中略)あなたのサービスに注目しているユーザーさえいればその注目を利用しようと企業や個人がお金を払ってくれる。

ビバ!無料!

2011年9月( 11 / 19 )

ひとつのことを突き詰めるとひとつの形になる

我が家への久々のゲストが、思いもよらずいろんな事を教えてくれた。
 
Guest 1 / donger

どんな、道、仕事、遊び、分野であれ、ひとつのことを突き詰めると一つの形になる

ゲストによれば、全く今まで本を読まなかったのが、突如として読めるようになったという。それからゲストの今ままでの体験や本の内容、周りで起こっていることは全て1つの形に通じているという。わたしも三十路を過ぎてから読書のペースが数倍上ってから、なんとなく1つの形に向かっているような感覚はそれだったのかとちょっと寒気がした。 1つの形というのは陽明学の教えの1つだという。陽明学を調べてみると、いろいろと小難しく説明してあるが、大まかに言えば『心』の学問で言えそうだ。1つの形とは『心』に通ずるものであるという。 ゲストは、フランス革命から始まって現在に至る民主主義の歴史や、日本では明治維新を栄えに劇的に変わっていた時代の流れをわかりやすく説明してくれた。いわゆる階層構造がひっくり返った時代である。 富士山.jpg 

それらの教えは、私のここ数年の何気ない疑問である「このままの経済活動を続けていってよいものか」(とんでもなく何気ない疑問だが)に対する解決のヒントをくれた。 それはキリストが誕生してから始まった紀元2000年もの間に人はどう歩んできたかに集約されるという。 それらの教えを、ニーチェや三島由紀夫が説いているというので早速図書館に借りに行った。

その本のレビューは後ほど。

2011年9月( 12 / 19 )

人数が多きするぎると上手くいかない話

何にもいてもそうだが、人数が多いと事を上手く進めることは難しい。
Many many people / TheBigTouffe
 

国しかり、大企業しかりである。一番の要因は人数が多ければ多いほど、コミュニケーションが発する側も受け取る側も軽薄で無機的になるからであろう。この問題をクリアにできる人物がトップに立つべき人だが、最近はこのトップに立つリーダー像が大きく崩れている。 ピーターの法則を謳っているとおり、トップの地位で力を発揮することは難しいのだろうか。また、このトップに頼りきりの組織構造もいろんな危険を孕んでいるようでならない。


また実は問題はトップではなく、大多数側に問題があるのではなかろうか。数の理論で右に倣えの民主主義に問題があるのか。多数だから正しいとは限らない。実は正しいことは多数によって捻じ曲げられているケースもよくある。


大多数向けの保険などお金の制度もここ数年で崩壊しているのをみると、この問題はずっと付き合っていかなければならない問題かもしれない。

人数の学問はもっと調べてみると面白いかもしれない。

2011年9月( 13 / 19 )

うんと速い世界とうんと小さい世界

うんと速い世界とうんと小さい世界でなにがおこっているのか。物理はここから難しくなる。
Lasers / dmuth

一応、大学は物理学科だったので多少物理には興味があった。今でも多少その興味の余韻が残っているのか最近になって物理系の本を読んでいる。 物理での最初の壁が、相対性理論と量子力学である。かなりうる覚えだが、簡単に言うと、前者がうんと速い世界、後者がうんと小さい世界のお話しで、この世界では通常私たちが普段生活で見たり体感したりしている物理法則が通じなくなる。時間はゆっくりながれ、真っ直ぐ飛ぶはずの物体がまっすぐ飛ばなかったり。
 
Only Time Machine at REALTOR Expo / John Hall & Associates
 

そういった世界の現象は実際に見たり体感したりできないので、通常世界での現象(ニュートン力学)のように頭でイメージできなくなって、大学では挫折した。 しかし大学では学ばなかった物理の歴史的背景や概念的な本を読んでみるとなかなかおもしろい。学生の頃はこの導入の部分をすっ飛ばしていきなり法則や数式、計算うんぬんからはいるので、数字が苦手な人にとっては苦痛でしかたがなかっただろう。私は幸いにして数字に抵抗はなかったのでよかったが。

 
Math Class / attercop311
 

昔の科学者たちの実験は、今ほど優れた実験機器がない時代だったので、アナログチックでシンプルでわかりやすい。今の機器はほとんどがブラックボックス化しているため結果だけを意図も簡単に抽出してくれるが、昔はそうはいかなかったようである。膨大なスペースや時間が必要なため根気との闘いである。 それらの科学者の生涯を掛けた実験が、本でスラッっと読めしまうのはほんとうにありがたい。なぜまた物理に戻っていたがのか自分でのわからないが、一度数字や数式から離れて学んでみると興味は一層増した。そして数字や数式に対するありがたみも一層増す。学校でもこんな教え方をしたらよいのに。
浦 祐介
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