遺伝子分布論 22K

「転」( 5 / 11 )

ディエゴの話5

  立ち上がりは、そんなに緊張する必要はなさ
 そうだ。客の入りは3割ほど、それもほとんどが
 遠目に見ているだけ。
 
 ステージの前のほうには2千人ほど、配信などで
 アラハントのことはあらかじめ知ってそうだ。
 それも、ウインが登場したあたりからステージ
 前の人が増える。
 
 そして、マルーシャが登場するころには5割の
 入り、そして、かなりステージ前に集まって、
 盛り上がっている。
 
 エマドは、観客の中に、何かこう、いつもと違う
 音楽に飢えている、そういった雰囲気を感じて
 いた。
 
 そして、やっぱり来た、ステージの遠くのほうで
 手を振っている金髪の男。人込みをかき分けて、
 途中からダイブして運ばれてくる。
 
 そして、マルーシャのMCの途中でちゃんと
 ステージに到着する。ライブ前に出てくる時間を
 ちゃんと計算しているようだ。
 
 アミから見ても、ライブ自体にだいぶ慣れてきた
 ように見えた。そしてアラハントからボッビ
 ボッビにバトンタッチされる。
 
 ここらへんで客の入りは、7割ほど、今回の
 ボッビボッビは、先住民や少数民族の迫害の歴史
 よりも、過去の戦争の、特に世界大戦の悲惨さ
 をメインに歌う。
 
 特に反戦を叫ぶ、という感じではなく、ただ
 事実を淡々と歌いあげ、その先は聴いている
 人たちに考えさせる、というスタイルだ。
 
 MCも長めに話す。今回は、事前にケイト・レイ
 とライブの内容を綿密に打ち合わせていた
 ようだ。そして最後はダンス調の曲で盛り上げて
 終わる。
 
 そしてマッハパンチがやるころには、ほぼ10
 割の入り、かなり盛り上がっている。
 マッハパンチ自体のパフォーマンスも良いのは
 あるが、やはり、何か鬱屈したものを発散
 したい、そういう勢いがあった。
 
 一方楽屋では、演奏の終わったアラハントの
 メンバーが、酒盛りを始めている。差し入れの
 酒がたくさん並んでいる。
 
 ボッビボッビの3人がそれを眺めながらお茶と
 お菓子だ。いや、テルオもそこに加わっている。
 
 控室のモニターからは、マッハパンチの4人が
 ウィッグを取る場面が映し出され、会場は
 とんでもない興奮に包まれている。
 
 この後のライブのシナリオとしては、ネハンが
 演奏したあとに3バンドがもう一度ステージに
 登場、といったことはしない。
 

「転」( 6 / 11 )

ディエゴの話6

  マッハパンチが終了して、ネハンが始まって
 から1時間ほどで、3バンドが撤収する
 という手筈だ。
 
 アラハントのメンバーが、音楽の方向性に
 ついて口論を始めている。若さゆえの
 熱さだ。
 
 そして、ステージを終えたマッハパンチが
 帰ってきて、その口論に加わっていく。
 客席側にいたサキも戻ってくる。
 
 時間が来た。裏の通用口に皆で向かう。
 会場の歓声が聞こえてくる。まだ口論が
 続いていた。
 
 通用門に来ると、彼らが乗るはずであろう
 大型ホバーが停車している。そして、別の
 大型ホバーがスルスルと来て、扉が開き、
 大人数が降りてくる。
 
「さあ出待ちが来たよ」
 
 門出口を取り囲むかたちで、偽装アンドロイドが
 情報の通りであれば100人前後。全員、
 コンビニの店員の制服を着ている。
 
 状況を数秒で一通り確認できたのち、彼らは
 再び口論を再開する。そして、ついに殴り合いの
 喧嘩に発展する。
 
 予想していない状況に、アンドロイドたちが少し
 困惑した感じだったが、当初の予定を思い出し、
 端から襲い掛かる。
 
 いや、速い動きで襲いかかったのはアミの
 ほうだ。襲い掛かるというか、酔って
 アンドロイドの群れに飛び込んだかたちだ。
 
 他のメンバーも、もみ合いながらアンドロイドの
 むれに混ざっていく。そして、アミは酔って
 訳がわからなくなった体で、アンドロイドたちに
 頭突きや肩、背を使った打撃を与えていく。
 
 そのたびに、手に持った酒瓶からひと口飲む。
 
 アラハントの残りの4人とマッハパンチの
 メンバーは、巧妙に乱闘を演じている。
 マルーシャのハイキックがエマドに決まる。
 演技に見えない。
 
 ボッビボッビの3人は、うまくそのもみ合いと
 距離を取っており、さらにその後ろにいるのは
 テルオだ。そして、お互い喧嘩している風に見せ
 ながら、マルーシャがアンドロイドにハイキック
 を決める。
 
 サキは物陰から見ているが、軍事特殊型などは
 いないようだ。5分とかからずに、アンドロイド
 たちだけが動かなくなった。
 
 そして、少し離れた場所にネハンのTシャツを
 着た怪しげな男性二人。ユタカ・サトーと
 ドン・ゴードンだ。今回は、彼らのバックアップ
 も必要なさそうだ。
 
 そして、ネハンもライブを終えて深夜、ネハンが
 泊まるホテルで、会って話し合うことになった。
 

「転」( 7 / 11 )

ディエゴの話7

 「マッハパンチのキング、いえ、ディエゴ・セナ、
 入ります」
 マッハパンチのメンバーがいちいち名乗って
 一礼しながらネハンのホテルの部屋に入っていく。
 
 シルバーのフォーマルな服装、彼らが言う正装を
 して、ウィッグもつけていない。偽装は失礼に
 あたる、という考えからだ。
 
 アラハントやボッビボッビのメンバーも続く。
 
 ネハンのメンバーは、最初入ってきたマッハ
 パンチの姿に少しひるんだ様子もあったが、
 全員を暖かく迎えた。
 
「今日はみんな、おつかれさん、期待はして
 いたけど、すごく良かったよ」
 ネハンのボーカル、マット・コバーンだ。
 
 そばに寄ると、逆に不気味なくらいに、全く
 スターというオーラを感じさせない。相当な
 美男子であるにも関わらず。他の3人もそうだ。
 
 いえいえ、そんなことはありません、とマッハ
 パンチのクインが整った顔立ちで答える。キング
 が何か言いたそうにしているが、ドリンクと軽食
 をすすめられて、みな部屋に思い思いにくつろぐ。
 
 ネハンが泊まる、超高級ホテルの最上階だ。
 
 エマドが、昔なにかの打ち上げでサキがいて、
 語っていたのを思い出す。武術で本当に強いひと
 は、逆に強そうに見えないらしい。そういう場所
 では、オーラが出ていない相手ほど気をつけた
 ほうがいい。
 
 そもそもそういう場所に行かないよな、と思った
 が、今がまさにそういう場所なのかもしれない。
 
 マット・コバーンが、一人ひとりの名前をあげて、
 どこが良かったかを一つ一つ挙げていく。
 これだけのアーティストに褒められて、悪い気分
 ではなかった。
 
 しかし、ついに、キングが話し出した。
「わ、私はですね、その、納得いってないんですよ、
 確かにネハンは太陽系で最高のアーティストだと
 思っとるんです」
 
「しかしですね、なんかもっとこう、我々が思いも
 しない表現がもっと出来るんではないか、小生は
 そう思っているわけであります!」
 
 マット・コバーンは表情を変えず立ち上がり、
 窓へ歩み寄って、外を見る。
「君の言いたいことはよくわかる、セナ君」
 
「しかしね、われわれも、苦労しているんだよ」
 そういって、両手を頭にやった。
 
 そのコンマ何秒で、エマドが回想する、この場面、
 前にもなかったっけ。
 

「転」( 8 / 11 )

ディエゴの話8

  エマドの回想が行きついたとき、現実も倣った。
 
 マットがウィッグをとり、その下にピカピカの
 頭頂部が。「私たちは常に、弱者の味方だ」
 
 一同、声も出ずに、口が開いたままだ。
 そして、一同は、ギターのサージ・オダジアンの
 ほうを向く。サージは、おれは違う、と手を横に
 ふる。
 
 そして一同は、ドラムスのカール・スミスのほう
 を向く。カールも、おれは大丈夫だと手を横に
 ふる。そして最後に一同はベースの、スキン
 ヘッドの、エディ・ローランズのほうを向く。
 
 エディは、親指を立てて、しっかりと大きく
 頷いた。
 
 マット・コバーンが続ける。
「私もやりたい音楽が実はいっぱいある」
 
「そのほとんどは私の責任だろうな」
 一人の男性が部屋に入ってきた。それに続くのは、
 ケイト・レイ、コウエンジ連邦国務長官と、
 サキ・キムラだ。別室で話していたようだ。
 
 入ってきた男は、ネハンのプロデューサー、
 エリオット・カポーンだった。
 
「この国で、自由に音楽をやるということは、
 実は非常に危険なことなのだ」
 エリオットは語る。人と異なることをやる、それ
 だけで危険思想と捉えられる風潮がこの国に
 あるらしい。
 
 ケイトが話し出す。
「クリルタイ国、外務次官リアン・フューミナリ氏
 の案があります」小声になる。エリオット・
 カポーンは、盗聴等の部屋のセキュリティに関し
 ては、自信があった。
 
 この日のアンドロイドの件は、事件として伝え
 られた。第3エリアから来たバンドメンバーの
 うち数名が負傷したこととなっていた。
 
 そして、それ以降、ネハンのバンドの方向性が
 急速に右傾化する。誰の目にも、その事件により、
 何者かから圧力がかけられたように見えた。
 
  数か月後、
 
 バレンシア共和国の世の中は右傾化がさらに加速
 し、それに便乗してネオ社会労働党を名乗る、
 中身は超極右政党なども誕生した。そして、極右
 政党と超極右政党による連立政権が誕生した。
 
 ネオ社会労働党の党首は、アグリッピナ・
 アグリコラという、若く体格のよい女性、派手な
 赤いスーツと赤い縁の眼鏡がよく似合っていた。
 
 時代はこのまま、どういった方向に進んで
 いくのだろうか。
 
Josui
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