遺伝子分布論 22K

「転」( 7 / 11 )

ディエゴの話7

 「マッハパンチのキング、いえ、ディエゴ・セナ、
 入ります」
 マッハパンチのメンバーがいちいち名乗って
 一礼しながらネハンのホテルの部屋に入っていく。
 
 シルバーのフォーマルな服装、彼らが言う正装を
 して、ウィッグもつけていない。偽装は失礼に
 あたる、という考えからだ。
 
 アラハントやボッビボッビのメンバーも続く。
 
 ネハンのメンバーは、最初入ってきたマッハ
 パンチの姿に少しひるんだ様子もあったが、
 全員を暖かく迎えた。
 
「今日はみんな、おつかれさん、期待はして
 いたけど、すごく良かったよ」
 ネハンのボーカル、マット・コバーンだ。
 
 そばに寄ると、逆に不気味なくらいに、全く
 スターというオーラを感じさせない。相当な
 美男子であるにも関わらず。他の3人もそうだ。
 
 いえいえ、そんなことはありません、とマッハ
 パンチのクインが整った顔立ちで答える。キング
 が何か言いたそうにしているが、ドリンクと軽食
 をすすめられて、みな部屋に思い思いにくつろぐ。
 
 ネハンが泊まる、超高級ホテルの最上階だ。
 
 エマドが、昔なにかの打ち上げでサキがいて、
 語っていたのを思い出す。武術で本当に強いひと
 は、逆に強そうに見えないらしい。そういう場所
 では、オーラが出ていない相手ほど気をつけた
 ほうがいい。
 
 そもそもそういう場所に行かないよな、と思った
 が、今がまさにそういう場所なのかもしれない。
 
 マット・コバーンが、一人ひとりの名前をあげて、
 どこが良かったかを一つ一つ挙げていく。
 これだけのアーティストに褒められて、悪い気分
 ではなかった。
 
 しかし、ついに、キングが話し出した。
「わ、私はですね、その、納得いってないんですよ、
 確かにネハンは太陽系で最高のアーティストだと
 思っとるんです」
 
「しかしですね、なんかもっとこう、我々が思いも
 しない表現がもっと出来るんではないか、小生は
 そう思っているわけであります!」
 
 マット・コバーンは表情を変えず立ち上がり、
 窓へ歩み寄って、外を見る。
「君の言いたいことはよくわかる、セナ君」
 
「しかしね、われわれも、苦労しているんだよ」
 そういって、両手を頭にやった。
 
 そのコンマ何秒で、エマドが回想する、この場面、
 前にもなかったっけ。
 

「転」( 8 / 11 )

ディエゴの話8

  エマドの回想が行きついたとき、現実も倣った。
 
 マットがウィッグをとり、その下にピカピカの
 頭頂部が。「私たちは常に、弱者の味方だ」
 
 一同、声も出ずに、口が開いたままだ。
 そして、一同は、ギターのサージ・オダジアンの
 ほうを向く。サージは、おれは違う、と手を横に
 ふる。
 
 そして一同は、ドラムスのカール・スミスのほう
 を向く。カールも、おれは大丈夫だと手を横に
 ふる。そして最後に一同はベースの、スキン
 ヘッドの、エディ・ローランズのほうを向く。
 
 エディは、親指を立てて、しっかりと大きく
 頷いた。
 
 マット・コバーンが続ける。
「私もやりたい音楽が実はいっぱいある」
 
「そのほとんどは私の責任だろうな」
 一人の男性が部屋に入ってきた。それに続くのは、
 ケイト・レイ、コウエンジ連邦国務長官と、
 サキ・キムラだ。別室で話していたようだ。
 
 入ってきた男は、ネハンのプロデューサー、
 エリオット・カポーンだった。
 
「この国で、自由に音楽をやるということは、
 実は非常に危険なことなのだ」
 エリオットは語る。人と異なることをやる、それ
 だけで危険思想と捉えられる風潮がこの国に
 あるらしい。
 
 ケイトが話し出す。
「クリルタイ国、外務次官リアン・フューミナリ氏
 の案があります」小声になる。エリオット・
 カポーンは、盗聴等の部屋のセキュリティに関し
 ては、自信があった。
 
 この日のアンドロイドの件は、事件として伝え
 られた。第3エリアから来たバンドメンバーの
 うち数名が負傷したこととなっていた。
 
 そして、それ以降、ネハンのバンドの方向性が
 急速に右傾化する。誰の目にも、その事件により、
 何者かから圧力がかけられたように見えた。
 
  数か月後、
 
 バレンシア共和国の世の中は右傾化がさらに加速
 し、それに便乗してネオ社会労働党を名乗る、
 中身は超極右政党なども誕生した。そして、極右
 政党と超極右政党による連立政権が誕生した。
 
 ネオ社会労働党の党首は、アグリッピナ・
 アグリコラという、若く体格のよい女性、派手な
 赤いスーツと赤い縁の眼鏡がよく似合っていた。
 
 時代はこのまま、どういった方向に進んで
 いくのだろうか。
 

「転」( 9 / 11 )

マルーシャの憂鬱

  彼女が憂鬱となる原因は何であろうか。
 
 マルーシャ・マフノは、比較的裕福な家庭に
 生まれた。この際、比較的、という言葉は
 あまりふさわしくないかもしれない。
 
 不動産や有価証券などの資産を多く抱えながら、
 マルーシャの父は会社も経営していた。
 月のラグランジュ点第3エリアにおける、
 最も規模の大きい軍事企業である。
 
 マルーシャの父、ステパーン・マフノは、
 普通の人間である。この場合の普通というのは、
 会社の業績に対してそれほど熱心でもなかった
 し、兵器が好きでもなかったし、お金に
 執心しているわけでもないという意味だ。
 
 しかし、それが却って経営にプラスになって
 いるのか、業績自体は非常によい。元々、
 第3エリア自体に兵器に詳しい人間も
 多く集まっていること、
 
 業績にうるさくないことが、のんびりした
 落ち着いた社風を作り、それが多様な人材を
 集める結果となっていること。
 
 民間人視点が入ることで、多種の兵器が
 考案されつつも、うまく取捨選択がなされ、
 それが実際の市場で、主に戦場であるが、
 成功を収めていた。
 
 マルーシャは、そういったことを、小さいころ
 から理解し、学んでいた。父も、とくに隠す
 ところなく、事実と現実を学ばせた。
 
 それと同時に、小さいころから、やりたい
 習い事はなんでもやらせた。それは、父
 自身が小さいころからやってきたことでも
 あった。
 
 それもあって、バンドで音楽活動をやる、
 という話になったときも、特に反対はされ
 なかった。
 
 父ステパーン・マフノが経営するマフノ重工は、
 その名の通り、世襲制でマフノ家が常に経営
 を握っている。
 
 そして、マフノ家には、代々受け継がれている
 記録がある。マフノ家の歴史、と言っても
 よいだろうか。
 
 その歴史を初めて読んだとき、マルーシャは
 マフノ家に生まれたことを後悔したものだ。
 それから父とそのことについて話したり、
 父の家業に対する姿勢を知るうちに、その
 後悔は次第に薄れていった。
 
 その歴史とは、如何に世の中に、戦争を
 増やしていくか、その手法と実践の記録だった。
 それは、歴史書などでその実態を明らかに
 されたものもあれば、そうでないものもある。
 
 民衆をいかに操作して戦争に向かわせるかの
 記録だった。
 

「転」( 10 / 11 )

マルーシャの憂鬱2

  マルーシャは、憂鬱になるほど、何か他の
 ことに打ち込んだ。
 
 最初はピアノだった、友達と一緒にやるゲーム、
 バンドの音楽活動、そしてその延長のジムでの
 トレーニング。
 
 とくに、限界まで体を追い込んで、呼吸が気を
 失いそうなレベルまで達したあと、すべてが
 すっきりする感触がした。
 
 父は家で経営を見ることも多かった。かなり
 小さなうちから、父のリモート会議に参加して
 いた。参加というよりは、その場にいた、と
 いったほうがいいかもしれないが。
 
 しかし、そうやって経営の空気を学んでいく。
 
 特につらかったのが、軍事企業が集まって行わ
 れる会合だった。
 
 産業団体連合会と呼ばれるその会合で、マフノ家
 は何代か前から会長を務めている。太陽系内の
 すべての軍事企業はもちろん、一般企業の軍事
 部門からも人が集まる。
 
 というと膨大な人数になるため、下位団体が地域
 ごとに組織されていて、そこから代表が来るので
 ある。それでも数千人規模になるのだが。
 
 会合では、父はとても冷たい人間になる。その
 理由も徐々にわかってきた。ああいう場でトップ
 を保ち続けるためには、まずトップであるとの
 イメージをまわりに植え付けなければならない。
 
 マルーシャの思い込みなのかもしれないが、
 とても特殊な人間が集まるのである。会合で
 会っていろいろと話し込むうちに、様々な特殊な
 趣味が顔をのぞかせるのである。
 
 そういうのに立ち向かうためには、非情の人間に
 なりきるしかない。父は、それ用の化粧までして、
 髪型を決めて、会合に臨む。そして、夕食では、
 血の滴るほとんど焼けていないステーキを、
 旨そうに食す。
 
 そんな父を見ているうちに、マルーシャのほうも
 少し楽しくなってきた。ハロウィンパーティに
 参加していると思えば良いのである。
 
 マルーシャも、冷酷そうに見える化粧をして、
 ドレスを着て、血の滴るステーキを食べる演技を
 見て、思わず吹き出してしまうのであるが、これ
 が周りから見ると、血も凍る景色となる。いつ
 しか氷の美少女とまで呼ばれるようになった。
 
 今では、母とも相談しながら、様々な演出を
 考える。特に、会合が第3エリアの都市マヌカ
 で開催されるときは、地元ということもあって、
 シェフやその他スタッフも巻き込める。
 
Josui
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