遺伝子分布論 22K

「転」( 11 / 11 )

マルーシャの憂鬱3

  マルーシャの父、ステパーン・マフノは、
 自身の会社の仕事中も冷たくはあるが、
 それは態度だけである。
 
 社内も社長以下はみなのびのびやっている。
 
 家の中では、ふつうの人だ。ペットと
 のんびりしたり、プロの球技の試合を
 眺めたり。休みの日はよく釣りにいく。
 会社以外の人間関係がある。
 
 父は言う。
 自分は今の立場に合っていない。ただ、
 非人間的な者が、技術や権力を握ったときの
 ことを考えると、自分がやっていたほうが
 よいのでは、と。
 
 産業団体連合会の会合でも、基本は外に
 対する印象を大事にするように決定していく。
 一見冷たいような決定も、最終的によい
 方向へいくようにする。
 
 それを、冷たい人間というイメージをたもち
 つつ行う。なので時には犠牲も伴う。
 
 そういった立場を、悪意の人間が手に入れれば、
 おそらく様々なことが可能だ。それは、過去の
 悲しい歴史たちが証明している。
 
 そんなこともあって、マルーシャは、自分
 もふつうの人間の感覚をしっかり身につけた
 うえで、そのような立場を継いだほうが
 よいかもしれない、そう思うようになってきた。
 
 もう少し時が経てば、彼女のまわりの同年代たち
 とも、彼女の境遇について相談できるように
 なるはずだ。
 
 実際、同年代ではないが、コンサルタントの
 ナミカ・キムラとはかなりのことが話せるように
 なっていた。父も経営の相談をしている。
 
 父は言う。
 軍事企業は、本来は営利企業として経営しては
 いけないのかもしれないと。もう少し人類が
 賢くなって、仕組み自体を見直せればいい、と。
 
 第3エリアの軍事企業に関しては、情報開示は
 かなり綿密に行われている。父もそれに対して
 積極的だ。
 
 それが為されなかった場合、歴史が示すように、
 企業の利益のかなりの部分が、戦争を誘導
 するための工作に使われる。
 
 そのやり方は、まずターゲットとなる国の
 メディアを押えるのだ。公共放送がある
 ことが望ましい。
 
 おそろしい話だ、とマルーシャは思う。
 しかし、友がいる限り、自分は間違った道を
 選ぶことはないとも思う。
 
 おそらく今後、遠くない将来に、結婚相手を
 見つけ、経営にも深く関わっていくだろうが、
 今のメンバーで活動も続けていきたい、
 そう思うマルーシャだった。
 

「決」( 1 / 28 )

ピエールの話

  ピエール・ネスポリは、身長もそれほど低いと
 いうわけではなく、どちらかというとハンサムの
 部類に入るだろうか。
 
 しかし、どことなくニセモノ感が漂う、宇宙世紀
 前の言い方をするなら、売れないホストを思わ
 せる外見、という言葉がぴったりかもしれない。
 
 しかし彼は、意識が高かった。今日も、仕事を
 休んで、外交に関するシンポジウムに参加して
 いる。そして、これから発表を行う予定だった。
 
 タイトルは、知的生命体外交。
 
 その発表の様子を見ていく前に、彼の仕事に
 ついて少し触れておこう。時は宇宙世紀
 22012年、25歳になった彼は、コンサル
 タント事務所に勤務していた。
 
 大学もフルコースで出ており、生物学を専攻して
 いたが、月のラグランジュ点第3エリアの
 マイナーな大学だった。
 
 しかも配属された研究室が人気がなく、教授が
 退官直前ということもあって、生徒はピエール
 一人だった。その教授も、最近亡くなったと
 風の噂に聞いている。
 
 それでは彼の発表を見ていこう。
 
 その日は、シンポジウムの最終日ということも
 あってか、会場全体も雑談が飛び交い、出席者も
 リラックスした雰囲気であった。
 
 ピエールは、他の意識が高い同年代の仲間にこの
 様子を見せようと、自分の発表の動画撮影の
 許可も取っている。
 
 意気揚々と入ってくるピエール。しかし、会場内
 に何かを見つけ一気に挙動不審になる。
 
 彼は、コンサルタント事務所の所長の姿を
 会場内に見つけた。少し発表の場所から遠いが、
 あれはキムラ所長だ。なぜこんなところに
 いるのか?
 
 ピエールは、事務所に採用される際、直接の上司
 セルジオ・イグチとしか面接していない。
 キムラ所長もあまり事務所に姿を見せないので、
 2回ほど元気に挨拶したのみだ。
 
 今日の件はセルジオには説明しているつもりだが、
 キムラ所長にはそれが届いているのだろうか。
 仕事を休んでこういう場に出席していることに、
 どういった印象を持たれてしまうのか。
 良い印象を持たれればいいのだが。
 
 おふっ、こっちをめっちゃ睨んでるぞ、でも
 この様子を今まさに配信してるんだ、
 ひるんだ様子を見せてはいけない・・・。
 
 一方こちらは、もちろんナミカ・キムラである。
 タイトルが気になったので、この発表にだけ
 参加していた。
 

「決」( 2 / 28 )

ピエールの話2

  発表者の声が開始から全て裏返る。
 
 しかしこの発表者、どこかで見た顔だ、遠間で
 よく見えないが、うちの事務所にいた若いやつに
 そっくりだ。しかし、声が違う。あんな
 常に裏返ったような声ではなかったはず。
 
 発表の内容は、
 外部の知的生命体とは、恒星系を分ける、つまり
 棲み分けを行う。その際、恒星系の中間地点に
 必ず中間都市を設置し、そこで外交を行う。
 
 文明の発展度合いに関わらず、お互いを
 尊重しあう、といったものだった。
 ナミカが質問する。
 
「今後、遠い将来か近い未来かわかりませんが、
 人類が進化する、ということが考えられます。
 その際の取り扱いはどうなりますか?」
 
 その場合も、外部の知的生命体と同じで、
 まだ文明が発達していない恒星系に進化した
 人類が住み、旧人類は太陽系に住む、中間都市
 を設けて外交を行うのが適切だ、
 といったことをピエールが回答した。
 
 ピエールは、とりあえず発表を終え、ほっと
 した様子だ。最後のほうはキムラ所長本人から
 質問を受け、何か回答した気がするが、
 テンパっていたためあまり覚えていない。
 
 そしてピエールは、その翌週、直接の上司、
 セルジオから、武術のトレーニングジムへ
 通うように指示を受ける。
 
 次のクライアントは、コンサルタントを
 行いながら、身辺警護も必要らしい。
 まかせてください、と言って、仕事終わりや
 休日にジムへ通う。
 
 彼のトレーナーは、ユタカ・サトーだ。
 
 サトーは思った。これはかなり厳しい。
 本人は一生懸命やっているし、おそらく言動
 から察するに、武術の才能があると思っている。
 
 しかし、体格がまだ追いついていないことも
 あるが、そのセンス、スパーリングを
 やらせても、そのカマキリのような構えで、
 とても上達しそうな雰囲気がない。
 
 それでも一か月ほどのメニューをこなし、あとは
 自己鍛錬の方法をしっかり教わる。
 
 バレンシア共和国への駐在が決まったのだ。
 
 親に引っ越しの準備を手伝ってもらい、
 さっそくバレンシア共和国へ向かう。そして、
 クライアントの名は、アグリッピナ・アグリコラ。
 政党の党首だ。
 
 アグリッピナの事務所に訪れた彼の前に現れたの
 は、絶世の美女だった。さっそく自己紹介する。
 アキカゼ・ホウリュウイン、という偽名を使う
 ように指示されていた。
 

「決」( 3 / 28 )

ピエールの話3

  派手な赤いスーツに金髪の美女の演説が始まる。
 
「有権者諸君、
 私がアグリッピナ・アグリコラである!」
 
「政権多数派は、第3エリアおよび太陽系外縁に、
 関税引き下げの要求を行っていくことを決定した」
 
「しかし!」
 
「もはやそんな悠長なことをやっている段階では
 ない!」
 
「われわれネオ社会労働党は、この度の連立により、
 防衛省の、防衛大臣の座を手に入れ、副党首で
 ある、ムフ・ブハーリンがその座に就いた」
 
「私はその状況に安住しない、私はそんなものに
 一切興味がない!」
 
「前政権の失策のひとつは、景気悪化である、
 そこに所得格差も広がっている、労働者たちは
 苦しんでいるのだ」
 
「しかし!」
 
「企業の内部留保は過去最高となり、環境汚染も
 進んでいるにも関わらず、前政権は企業に対して
 無策であった、とくに食品の汚染が深刻であった」
 
「だが、それはいい!」
 
「医療保険は年々上がるにもかかわらず、医療の
 環境はいっこうによくならない、国民の健康状態
 は年々悪化している!」
 
「軍事費が年々上昇して国の生産能力に対して
 かなりの比率になっているにも関わらず、平和
 主義を貫く、その矛盾を誰が説明するのか!」
 
「軍事基地を減らし、軍を少数精鋭化すべきである、
 有権者諸君、いかがであろうか!」
 
「わがバレンシア共和国、不景気の最大の原因は、
 閉鎖された市場である。第3エリアおよび
 クリルタイ国は、市場を自由化すべきだ」
 
「そしてそれを実現するために、もはや軍事的
 圧力しかない! 外交努力など、もはや多数派の
 お遊びでしかないのだ!」
 
「過去の世界大戦の原因が、市場の閉鎖性である
 ことは明白である! 少数精鋭による決戦により
 勝敗を決し、大戦の悲劇を避けるべきである! 
 そしてわれわれは市場の自由化を永続化し、
 永久の平和を得る! 国々は、助け合うべき
 なのだ!」
 
「労働者諸君、いざ、立ち上がろう! 農民の諸君、
 鍬を武器に持ち替えよう! 技術者の諸君、兵器
 を発明しよう! 学生の諸君、ペンを剣に持ち
 替えよう!」
 
「ともに労働者の国を実現し、そして私は
 天に召されるであろう!」
 
 アグリッピナ党首の演説に数十万の大歓声が
 あがる。そして周囲を警戒するのは、
 アキカゼ・ホウリュウインと名を変えた、
 ピエールであった。
 
Josui
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