ユーロ圏の南の国の一つとして、スペイン、ポルトガルとひとくくりで、財政状態の悪い国とイタリアは言われている。
確かに、他の先進国と比べると、財政状況を示す債務残高のGDP比を見ると、2009年以降、それが上がり100%を超えることもあったようだ。しかし、2011年の財政改革によって、今は4%未満まで改善された。これでEU内部の規定、7%以下になったのだからたいしたものだ。ちなみに、日本は200%を超えて借金まみれの国家経営が続いている。
ラ スペチアから遅れたインターシティーに乗って、窓の外を見ていたら、なんだか、イタリアがとても豊かに国に見えてきた。
ジェノバから山を越えるとどこまでも続く美しい麦秋の小麦畑。広大な畑の連なり。トスカーナで見た豊かなブドウ畑や、実をたわわにつけるオリーブ畑の風景。ヒツジや、肉牛、乳牛の大きな群れたち。そんなものを見ていると、決定的に日本より豊かだと感じる。
たとえ、EUから締め出されようが、イタリアは高い食料自給率を保つことのできる国土を持っているわけだから、イタリア人は何の困難も感じずにワインを飲みながら、日々の暮らしをやっていけると思った。羨ましい国だ。
考えてみてください。イタリアにはワインがあり、野菜があり、パスタがあり、肉牛がいっぱいいて、漁業も盛んだ。それにパンとチーズとハムがあれば、何の不自由もない。豊かなのだ。
物価は日本にくらべて、食べ物の値段はとても安い。
たとえば、スーパーで、(市場ではない、市場では半分以下)
・生ハム:100gが200円
・トマト:1キロが200円
・ルッコラ:500gで200円
・ゴルゴンゾーラチーズが150gで230円
・サクランボ:1キロで600円
・ワインは安いものでは1リッター200~300円
・パンは日本の3分の1くらいの値段
・パスタは日本の4分の1くらい
・水:1.5リッターで40円以下
・ポルチーニ:1キロが1300円
スーパーで夕食用の買い物をしたら、1日20ユーロくらいで済む。中身は、水:2リッター、ワイン1本、サラダ200g、パン、チーズ、そしてプラス アルファー(気分による)
もし、外で食えば、最低でも40~50ユーロは掛かるだろう。
ミラノの庶民の街、コルソ・ブエノス・アイレスのスーパーや、ドゥオモの近くのスーパーでも、食用品の値段は田舎のスーパーと変わらない。
いいなと思ったのは、野菜や果物の量り売り。好きな量を取って台に乗せ、商品のボタンを押すと、単価と重さが計られて合計金額のラベルが出てくる。ものを紙の袋に入れて、その上にラベルを張れば、1本でも、一個でも、何個でも、好きな量を買うことができる。
日常の市場で買えば、もちろん完全に量り売り。いる量だけ、新鮮な野菜、果物、肉、魚、チーズ、パスタが手に入る。中間マージンも入らないから絶対的に安い。もちろん見てくれは悪い。日本では商品にならない感じのリンゴやサクランボがある。でもおいしい。しかも、週末を除いて毎日開かれる常設の市場だ。
日本では、厳しく品物を選別して、そして前もって、店か、生産者か、中間業者が、決められた規格のものを、決められた量をきちっと計って、プラスチックの入れ物に入れて売っている。これをやめたらどうだろう。曲がっていたって構わないキュウリ、量り売りで十分。プラスチックの量も減って、しかも安くてエコにもなるだろう。
こんな生活を見ていると、日本はみんな外見にこだわり過ぎていて、結果としてものが高くなっているのが見えてくる。そう、日本のスーパーでも量り売りは取り入れたらいいと思う。
イタリアは、ほかの国に依存することなく、生きていける国だと実感した。しかも田舎に若い人がいっぱいいる。羨ましい限りだ。まぁ、エネルギーだけはべつだけど…。
僕は煙突が好きだ。煙突といっても各部屋やアパートからの煙突で、工場のみたいな大きなものではない。
面白いと感じたのは、ウンと昔に、パリのモンマルトルからパリの街を見ていた時、目に入ったのが最初だ。
ご存じのとおり、モンマルトルはサクレクールのそびえ立つパリの高台。ここの石段に座ってぼんやり街を見ていたら、目の前のアパルトマンの屋根に土管の様なえんとつが立ち上がっているのを見つけた。
あぁ、この煙突の下に、一つずつの生活が存在しているんだなぁと思った時、急にレンガ色をした焼き物の円筒形の煙突が素敵に見えてきたのだ。目の下には、パリの街が一見雑然と、でも美しく屋根を並べ、遅い夕陽を浴びていた。紫っぽい灰色の街並みが暗くなって夕日に沈んでいく街に、数えきれれない煙突の林立を見た。
この一本一本の下に、人の営みがあって、怒ったり笑ったりしながら、愛し合ったり、別離のシーンがあったりするんだと感じたのだ。
トスカーナとリグーリアの旅からミラノに戻って、なんだか、急にコモ湖の煙突たちに会いたくなった。
ミラノで車を転がしていた頃、コモは高速で30分。小さな、特に魅力のある町ではなかった。強いて言えば湖の側のゴンドラの終点の山頂から見下ろすコモの街と、大聖堂周りの黒ずんだ石の歩道に響く、コモの人たちのパッセジャータの賑わいくらいしか記憶にない。
でも、いつだったか、コモの屋根に並ぶレンガ積みの煙突の群れに惹かれて、シャッターを切ったことを思い出した。
北鉄道(Trenord)に乗って、コモ経由でベラージオまで行ってみようと思った。
コモ湖は漢字の「人」の字の形をしている。コモは人の字の左の端っこにあり、ベラージオは人の足が左右に分かれる、ちょうど人の大切な場所にある小さな岬。ちなみに、右の足の先端にはレッコがコモ湖の波を受けてひっそりとしている村。
昔、細い曲がりくねった道を時間をかけて、車で走ってベラージオまで行った意味が今は分からない。ベラージオに行くには、水中翼船でほんの30分。楽ちん。コモ湖の有名ないくつもの別荘が眺められるし、まわりの急峻な丘に建つ別荘たちの群れも楽しい。映画のロケ地だったりして、皆がカメラでその風景を切り取る。
フライボードっていう水のジェットに乗っかって、空に浮く遊びをしている人を初めて見た。金がかかりそう。でも楽しそう。
ベラージオまで行ったら、もうその先は無い。
懐かしいホテルのオープンテラスで昼飯をとる。
人なれした雀が、テーブルのすぐそばまで飛んできてパンをねだる。小さくちぎってあげると、スズメは寄ってきて、くわえて飛び去っていく。やはり怖いのだ。そこでは食べようとはしない。
子供たちは岸辺で水鳥たちと遊ぶ。ちょっとした水浴び。ゆったりとした時間が流れる。
観光客の群れに混ざって、小さなショップの続く町をぶらり。
トスカーナの田舎と違って、スイス・アルプスに迫る自然。全く違う自然を感じる事ができる。ジリジリと焼かれるような強烈な日差しから逃れて、北の湖は静かな風と色。
帰りの船の時間を見ながら、子供たちの追う水鳥たちを眺めて、なんていう鳥だっけと自問自答する。帰りの船が桟橋に近づいてきた。
今回の、トスカーナとリグーリアの旅にピリオドを打つにふさわしいアルプスの涼しさにふれた小旅。南北のコントラストを楽しませてくれた旅だった。
ミラノ・カドルナ駅に戻ってきたとき、人々の動きの激しい都会に戻ってきた気がした。もう旅は終わりに近づいてきた。
まぁ、二度とベラージオや、コモを訪れることはないだろうと思いながらホテルに向かってメトロに乗り込む。やはりコモ湖と違って、初夏の熱い空気にさらされる。
<トップの写真、「煙突とパリの空」は、http://www.moriy.net/index.html のオーナー、Moriyさんの了解を得て借用しています>
今回のミラノ里帰りで感じたことは、「変わっていないイタリア、変わっているイタリア」という一見、矛盾する印象だ。
それは、時が止まっているかのように感じるときもあれば、時代は新しくなっていっているんだなと感じることが、対になって現れてくる。
イタリアは今、いたるところレスタウロ(修復、修理、復旧、再興、回復、元に戻す)の真最中だ。だから、見たいものが修復中で見られなかったことはたくさんある。歴史的な建造で言えば、フィレンツエのサンタクローチェ教会の祭壇。工事のやぐらが組まれていて見ることはできなかった。
でもそれは、失いたくないオリジナルの美しさを回復させることだ。これは変わっていくイタリアなのか、変わらないイタリアなのか、分からない。
ミラノの下町、コルソブエノスアイレスの通りの古いアパート群(日本でいうマンション)の外観は古いままだが、人々は300年、200年も前の建物に住んでいる。一見すると、変わっていない町並だ。けれど、実は内装は、いろんな機会に最新の設備に造り直されている。外見と違って生活の中身は変わっていっている。
日本のように、木造建築で40年に一回は建て替えなければならない状況は嘘のよう。
建て替えという概念さえ無駄な訳。日本では建て替えが当たり前。その金を稼ぐために、他に使うカネを貯金して、つましく生きている。ひどいのになると、一世代では返せないで、二世代にわたる39年ローンなんて組んであくせくしている。
イタリアのアパートは、20~30年に一回くらい、500万円くらいかけて手を入れれば、快適に暮らせる。だから金だって日本より楽ちんで、ローンの返済に追い回されることはない。結果として無駄がないのだ。しかも、職住接近の最たるものだ。
さらに、同じ町に、同じ家族が、同じ仕事をしながら住んでいるから、古くからの隣近所の地域社会が、今もちゃんと息づいている。地域社会の崩壊がないのだ。
<写真は1970年代のコルソブエノスアイレス:今とあまり変わらない>
さらに言えば、イタリア人は家族を大切にするから、経営でも家族での経営が多いようだ。だから、昔からのパン屋さん、肉屋さん、日用品の店などが同じ商売をしている。これも古いものを大切にしていて、スローライフの典型かもしれない。
少し角度を変えてみてみると、いろんな面で、同じようなことを感じる。
例えば、車。イタリア車の代表的なアルファロメオは、新しい技術を投入して、1970年代、皆の垂涎の的だったジュリアを作り直して、現在販売している。小気味いいデザインはクラシックと言えばクラシックだ。でも中身は最先端。
同じく、フィアット500.1960年代に作られたイタリアの国民車。500㏄のエンジンンを後ろに積んで、チョコチョコと可愛い愛嬌を振りまいていた人気者。今それを1300ccのボディにリメイクして、フィアット500として売り出している。イタリアの町には、この新しい500が走り回っている。今回運転してみたけど、踏ん張りがあって好印象。
ミラノの便利な足、トラム(路面電車)だって、全くの古い車高の高い1960年代からのモデルも健在だし、最新鋭の静かなLRT、お年寄りにフレンドリーな最新鋭車用が同じ線路を走っている。
東京では荒川線のみが走っているにすぎない。日本では金のかかる地下鉄を選んで、地下5階から時間をかけて、えんやこらと登ってくる。しかし町のどこに出るのかは定かではない。時には反対の方向の出口を選んで、目的の場所にやっとこさと戻ってくる。路面電車の良さは、自分の位置確認ができるところだ。
また視点を変えてみると、イタリアにはつばめや雀が多いのに気がつく。都会も、田舎も、基本的には建物の構造を変えていないからだ。特に、イタリア瓦の乗った屋根は、彼らの定宿。生活に溶け込んだ生物のだ。日本では、戸建ものっぺらぼうの家を作ったから、彼らが巣をかけるところがないらしい。日本野鳥の会がそうした報告を出している。
街の大学生たちもすごい。彼らは、大体、週末にはうちに帰る。両親やおじいちゃんおばあちゃん、兄弟、そして、故郷の友人たちとのつながりを修復する。もちろん、都会住まいからくるストレスから解放されて、自分の精神的な修復にもなる。
こんな風にみてくると、変わっているようで変わっていない基本がちゃんとあるような気がする旅だった。日本はどうだろう?
ミラネーゼの定義をイタリア語の辞書、百科事典で調べてみたけれど、細かい定義はないようだ。大まかには次のような定義がある。
・abitante o nativo di Milano : ミラノの市民 ミラノに住んでる人 ミラノ生まれの人 ミラノっ子
他に、dialetto di Milano(ミラノ方言)とか、ミラノの…、ミラノ風の…などがある。
そういう意味では、「江戸っ子」の方が定義されているようだ。江戸古典落語などでは、次のようになっている。
・「山王権現、神田明神の信者(氏子、檀家)」
・「古町に生まれた者」
・「親子3代にわたって江戸下町に生まれ暮らした町人」
さて、本題。
1970年にミラノに赴任した僕が見たミラネーゼの生活と、今回、接したミラネーゼの生活を比べてみて、基本的に大きな変化はないというのが印象だ。これは、同じく訪れた10年前、20年前にも感じた印象とおなじだ。
インテルとミランのミラノ・ダービーで沸くサンシーロのサッカー場の光景からわかるように、ミラネーゼの最大のスポーツはサッカーだ。
これらの写真は、僕が今回ミラノに泊まったホテルから、野外テレビでのサッカー観戦の模様を取ったものだ。
UEFA Euro2012 サッカー欧州選手権の時のもの。
UEFA Euroとは、4年に1度、ヨーロッパで開かれるナショナルチームによる選手権。だから、イタリー人は、ドイツ人は、フランス人は、スコットランド人は、…人は、国を挙げて大興奮する。
この日、準々決勝でイギリス vs イタリア戦をみていた。試合は、0対0でPK戦に。そしてイタリアは勝利した。(6月24日)
これでかろうじて勝ったわけだが、その試合の状況に従って、ミラネーゼは、ピンチではマンマ・ミーヤとかポルカ・マドンナ(オウー、ノー)と全員で頭を抱え、チャンス、得点では大喝采でイタリア国歌を合唱したりと、大興奮。
これを見ていた僕は、1969年のワールドカップでイタリアが優勝した夜のミラノの大さわぎを思い出した。その時も、口々に「ヴィヴァ・イタリア」とわめきながら、一晩中、警笛とか、ラッパを「トラリラ トラリラ…」と鳴らしながら、ミラノ中を車が走り回っていた。まったく彼らは、サッカーを愛しつづけている。
今回、準決勝ではイタリアは、ドイツに2-1で勝ち(6月28日)、その後、優勝戦でイタリアは、スペインに0-3で敗戦(7月1日)。そこで、やっと興奮は収まったのだと思う。僕は26日にミラノを離れたから、観戦する群衆をその後見ることはできなかったのだが、彼らが、どう、体を使って喜び、悲しんだだろうかが容易に想像できる。
食の文化で高い評価を受けているイタリアは、基本的には自給自足が十分できる食糧生産国だ。町の市場は庶民でごったがえしている。庶民は、生活を楽しんでいる。
しかも、食料品の値段はべらぼうに安い。日本の半分、もしくは三分の一だろう。もちろん外で食べれば、日本のファミレスぐらいの値段で食べることはできるだろう。でも、イタリアでは家族でテーブルを囲んで食事するのが当たり前。
住居に関していえば、日本のように、木造建築で50年に一回は建て替えなければならない状況は嘘のようだ。300年も同じマンション(アパート)に、手入れしながら大切に使っている。無駄な建て替えという概念さえないわけだ。
だから家族は、歴代、同じマンションに同じように、金をかけずに住んでいる。そのために、その地域社会が健全で残り、同じ地域社会が住民たちにはずっと当たり前の存在だ。日本のように、シャッター通りなんか生まれないのだ。
イタリア人は、ウインドーショッピングが当たり前。欲しいものがあれば、あちらこちらと、店のショーウインドーを見て廻る。決して、飛び込みで即、ものを買うということはしない。
おしゃれなミラネーゼは、じっと欲しいものを品定めしておいて、「夏のサルディ」
を待つ。ミラノでは、毎年、7月7日くらいから、60日間くらいが正式の夏のサルディ、つまり、夏のバーゲンセールと決まっている。ミラノでは厳密に守ることもないので、それ以前から個々の判断で始めている店もある。
昨年、2013年の7月1日からの一週間で、ひとり154エウロくらいの買い物を客はしたとか。日本円で2万円くらいだと新聞に載っていた。前年比では、低い傾向とか。これを、たくさんとみるか、少ないとみるかは読者次第。でも、非常に堅実な洋服の買い方だと思った。
イタリアにも日本のお盆休みのような休暇がある。Ferragostoと言って、8月15日からは、ミラノでは2週間すべての店がしまる。ミラノ市は観光客のために、店を開けてくれるようにプロモーションしているが、まだまだ、みんな休んでいるようだ。
やはり、夏はミラノの町はかっらぽになり、捨てられた犬が徘徊する時期になる。
<最初の絵は、flickrからIan Spackman さんの“Monte Napoleone”をお借りしました>
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