ミラノ 里帰り

第三章:リグーリア( 5 / 6 )

26.怒り、その矛先は

 

気が長いほうではないけれど、あまり怒り狂ったことはない。しかし、今回のイタリアの電車の出来事には怒り狂った。

 

 ラスペチアからミラノまで電車で帰ることにしたので、情報を得るため、ホテルから歩いて丘の中腹のラスペチア中央駅まで出かけた。

 

 心臓に病気を持っているので、階段を使って、ホームまで大きな荷物を運ぶのは避けたかった。ホームへのアクセスにエレベーターか平坦な通路はないのかを知りたかった。それに料金はいくらかかるのかを聞いたりしたかった。

 

 幸い、改札から地下通路まではエレベーターはあった。もちろん地下通路からホームへのエレベーターもあった。使い方は分かりにくいものだったけど、これで、でかいスーツケースを持って列車に乗れると確認できて安心。もしダメだったら、タクシードライバーに頼み込んで、ホームまで運んで貰おうとを覚悟していたから、本当によかった。

 

値段も聞いてみた。ミラノ中央駅まで、インターシティ特急のファーストクラスで35ユーロ。まぁ車でミラノの中央駅の近くのハーツまで運転することを考えれば、安心を買ったと思って納得。

 

出発の朝、NHホテルをチックアウトするとき、初めて気がついた。そこは僕が最初に希望していたジョリ・ホテルを居ぬきで買ったホテルだった。レシートにジョリ・ホテルと書いてある。なんだ…、そうだったら、前の時に食ったアクアパッツアを食べるんだったのに…と思ったけれど、もう出発の日。

 

10時40分のインターシティに乗るために、タクシーを飛ばして中央駅へ。そこで、まず変なことが起きた。確認に行った時、ミラノまで35ユーロといっていたのが、25ユーロ。曜日によって、イタリア国鉄は値段が違うらしい。ちょっと不信感。安いのだからいいかって、切符を買ってホームに向かう。

 

しかし、その日、肝心のエレベーターは壊れていた。“Guasta”と書かれた紙切れが悲しい。仕方なく、でかいスーツケースを手で持ち上げて地下への階段を下りる。心臓君との我慢比べだ。幸い地下通路からホームに上るエレベーターは動いていた。助かった。

 

次の試練は、列車に乗り込むことの大変さだった。

 

26.0 段差.jpg

 

フィレンツエで特急・フレッチャ ロッサを下りる時、ちょっとホームが低いなと感じたことは覚えていたけど、今度はもっと大変。ホームがとても低いので、でかいスーツケースを持って、狭い乗り込み口のタラップを4段も運び上げなくてはならない。これにはまいった。ミラノ中央駅は日本と駅と同じようで、全く問題を感じていなかっただけに、この4段は効いた。

 

この経験で、イタリア語でホームがマルチャピエディ(歩道)と呼ばれる本当の意味がわかった。車道=線路。そこからほんのちょっと高いところがお客の歩道=プラットホームなのだ。レールとホームの高さは、20センチもない。歩道から列車まで、ヨイショと登らなくてはならないのだ。皆さんも、ご用心。

 

ちなみに、ミラノでは、ビンナリオ(プラットホーム=番線)と呼ぶ。段差はほとんど無い。

 

26.1マルチャピエディ.jpg

 

でも、問題はこれからだった。指定されたコンパートメントに乗り込んで、待っていても、定刻の10時40分になっても列車は動かない。11時になっても動かない。向かいのホームからは、ローカル列車が同じ方向にどんどん出発していく。しかし、僕たちのインターシティ特急666号は動かない。

 

30分待っても、40分たっても動かない。地元の人はインターシティから下りて、ローカル線でどんどん、ジェノバ方面に出発して行く。でも外国人の僕たちは待つしかない。アナウンスもない。

 

1時間たっても動かないので、機関車でも問題なのかと見に行くが、ちゃんとスタンバイしている。機関手さんも乗っている。

 

機関車から戻る途中、車掌さんらしい人がいたので聞いてみたら、「列車長」が来ないという。なんだと聞くと、列車にはカポ、つまり「頭:かしら」がいて、"Copotreno”がOKを出さないとイタリア国鉄では列車は出発できないのだそうだ。列車長が来るのを、駅長さんも、クルーも待っているという。もちろん、乗り込んだ乗客も。馬鹿な…と思った。

 

しばらくホームで見ていると、立派な制服を着た、恰幅の良い女性がもう一人制服を着た男とやって来た。これが列車長だと思って、状況を訊きはじめたら、今、忙しいから…と言って、僕の問いを全く聞かない。つっけんどん。列車長の遅刻が列車の遅れの原因。

 

僕達のインターシティ666号は、始発駅のラスペチアを80分遅れで出発した。なぜ、列車長が遅れたのかは分からないままで列車は走る。ジェノバ駅の電光掲示板にも、80分遅れと出ている。

 

 ミラノ中央駅には、やはり80分遅れで、13:50の予定が、80分遅れの15:10に着いた。電光掲示板にも80分遅れとでている。まったくの遅れの説明がなかった。途中の駅で列車長は交代して、悠然と巨体をゆすって列車から歩き去っていた。どうして彼女が遅れたのか、分からない。

 

いかにもお役人のイタリア国鉄だと怒りがわいた。

 

帰ってから、Capotorenoを調べてみたら、イタリア国鉄のもうけている役職で、機械とかハード以外の列車のソフトサイドの責任者だった。乗客サービス、車内の清掃、準備、人員点検、車内販売の点検を含めた偉いお役人だったわけ。

 

駅長さんにも出発の命令権はない。列車長にのみ、出発を決める権限があったのだ。やはり、僕たちは待つしかなかったのだ。

 

26.2汚れた窓ガラス.jpg

 

写真でわかるように、特急列車の窓は汚れていて、よく外が見えない。リビエラの美しい風景は、曇りガラスに鈍かった。

 

もちろん、ミラノでの遅延の払い戻しなんかは無かった。がっかり。

 

第三章:リグーリア( 6 / 6 )

27.じつは豊かな国、イタリア

27.1 ポルチーニ.jpg

 

 ユーロ圏の南の国の一つとして、スペイン、ポルトガルとひとくくりで、財政状態の悪い国とイタリアは言われている。

 

確かに、他の先進国と比べると、財政状況を示す債務残高のGDP比を見ると、2009年以降、それが上がり100%を超えることもあったようだ。しかし、201年の財政改革によって、今は4%未満まで改善された。これでEU内部の規定、7%以下になったのだからたいしたものだ。ちなみに、日本は200%を超えて借金まみれの国家経営が続いている。

 

ラ スペチアから遅れたインターシティーに乗って、窓の外を見ていたら、なんだか、イタリアがとても豊かに国に見えてきた。

 

ジェノバから山を越えるとどこまでも続く美しい麦秋の小麦畑。広大な畑の連なり。トスカーナで見た豊かなブドウ畑や、実をたわわにつけるオリーブ畑の風景。ヒツジや、肉牛、乳牛の大きな群れたち。そんなものを見ていると、決定的に日本より豊かだと感じる。

 

27.3ぶどう畑.jpg 

 

たとえ、EUから締め出されようが、イタリアは高い食料自給率を保つことのできる国土を持っているわけだから、イタリア人は何の困難も感じずにワインを飲みながら、日々の暮らしをやっていけると思った。羨ましい国だ。

 

考えてみてください。イタリアにはワインがあり、野菜があり、パスタがあり、肉牛がいっぱいいて、漁業も盛んだ。それにパンとチーズとハムがあれば、何の不自由もない。豊かなのだ。

 

27.4Parmigiano_reggiano_factorywikicc3.0.jpg

 

物価は日本にくらべて、食べ物の値段はとても安い。

 

たとえば、スーパーで、(市場ではない、市場では半分以下)

  ・生ハム:100gが200

  ・トマト:1キロが200

  ・ルッコラ:500g200

  ・ゴルゴンゾーラチーズが150g230

  ・サクランボ:1キロで600

  ・ワインは安いものでは1リッター200300

  ・パンは日本の3分の1くらいの値段

  ・パスタは日本の4分の1くらい

  ・水:1.5リッターで40円以下

  ・ポルチーニ:1キロが1300

 

 

スーパーで夕食用の買い物をしたら、1日20ユーロくらいで済む。中身は、水:2リッター、ワイン1本、サラダ200g、パン、チーズ、そしてプラス アルファー(気分による) 

 

もし、外で食えば、最低でも4050ユーロは掛かるだろう。

 

 ミラノの庶民の街、コルソ・ブエノス・アイレスのスーパーや、ドゥオモの近くのスーパーでも、食用品の値段は田舎のスーパーと変わらない。

 

いいなと思ったのは、野菜や果物の量り売り。好きな量を取って台に乗せ、商品のボタンを押すと、単価と重さが計られて合計金額のラベルが出てくる。ものを紙の袋に入れて、その上にラベルを張れば、1本でも、一個でも、何個でも、好きな量を買うことができる。

 

日常の市場で買えば、もちろん完全に量り売り。いる量だけ、新鮮な野菜、果物、肉、魚、チーズ、パスタが手に入る。中間マージンも入らないから絶対的に安い。もちろん見てくれは悪い。日本では商品にならない感じのリンゴやサクランボがある。でもおいしい。しかも、週末を除いて毎日開かれる常設の市場だ。 

 

日本では、厳しく品物を選別して、そして前もって、店か、生産者か、中間業者が、決められた規格のものを、決められた量をきちっと計って、プラスチックの入れ物に入れて売っている。これをやめたらどうだろう。曲がっていたって構わないキュウリ、量り売りで十分。プラスチックの量も減って、しかも安くてエコにもなるだろう。

 

こんな生活を見ていると、日本はみんな外見にこだわり過ぎていて、結果としてものが高くなっているのが見えてくる。そう、日本のスーパーでも量り売りは取り入れたらいいと思う。

  

イタリアは、ほかの国に依存することなく、生きていける国だと実感した。しかも田舎に若い人がいっぱいいる。羨ましい限りだ。まぁ、エネルギーだけはべつだけど…。

 

第四章:グッバイ ミラノ( 1 / 7 )

28.コモの煙突

28.1.0パリの煙突大軽.jpg

 

僕は煙突が好きだ。煙突といっても各部屋やアパートからの煙突で、工場のみたいな大きなものではない。

 

面白いと感じたのは、ウンと昔に、パリのモンマルトルからパリの街を見ていた時、目に入ったのが最初だ。

 

ご存じのとおり、モンマルトルはサクレクールのそびえ立つパリの高台。ここの石段に座ってぼんやり街を見ていたら、目の前のアパルトマンの屋根に土管の様なえんとつが立ち上がっているのを見つけた。

 

あぁ、この煙突の下に、一つずつの生活が存在しているんだなぁと思った時、急にレンガ色をした焼き物の円筒形の煙突が素敵に見えてきたのだ。目の下には、パリの街が一見雑然と、でも美しく屋根を並べ、遅い夕陽を浴びていた。紫っぽい灰色の街並みが暗くなって夕日に沈んでいく街に、数えきれれない煙突の林立を見た。

 

この一本一本の下に、人の営みがあって、怒ったり笑ったりしながら、愛し合ったり、別離のシーンがあったりするんだと感じたのだ。

 

トスカーナとリグーリアの旅からミラノに戻って、なんだか、急にコモ湖の煙突たちに会いたくなった。

 

ミラノで車を転がしていた頃、コモは高速で30分。小さな、特に魅力のある町ではなかった。強いて言えば湖の側のゴンドラの終点の山頂から見下ろすコモの街と、大聖堂周りの黒ずんだ石の歩道に響く、コモの人たちのパッセジャータの賑わいくらいしか記憶にない。

 

でも、いつだったか、コモの屋根に並ぶレンガ積みの煙突の群れに惹かれて、シャッターを切ったことを思い出した。

 

28.1.1コモ煙突1.JPG

 

北鉄道(Trenord)に乗って、コモ経由でベラージオまで行ってみようと思った。

 

コモ湖は漢字の「人」の字の形をしている。コモは人の字の左の端っこにあり、ベラージオは人の足が左右に分かれる、ちょうど人の大切な場所にある小さな岬。ちなみに、右の足の先端にはレッコがコモ湖の波を受けてひっそりとしている村。

 

昔、細い曲がりくねった道を時間をかけて、車で走ってベラージオまで行った意味が今は分からない。ベラージオに行くには、水中翼船でほんの30分。楽ちん。コモ湖の有名ないくつもの別荘が眺められるし、まわりの急峻な丘に建つ別荘たちの群れも楽しい。映画のロケ地だったりして、皆がカメラでその風景を切り取る。

 

フライボードっていう水のジェットに乗っかって、空に浮く遊びをしている人を初めて見た。金がかかりそう。でも楽しそう。

 

28.2フライボード.jpg

 

ベラージオまで行ったら、もうその先は無い。

 

懐かしいホテルのオープンテラスで昼飯をとる。

 

人なれした雀が、テーブルのすぐそばまで飛んできてパンをねだる。小さくちぎってあげると、スズメは寄ってきて、くわえて飛び去っていく。やはり怖いのだ。そこでは食べようとはしない。

 

子供たちは岸辺で水鳥たちと遊ぶ。ちょっとした水浴び。ゆったりとした時間が流れる。

 

28.3DSC00963.jpg

 

観光客の群れに混ざって、小さなショップの続く町をぶらり。

 

トスカーナの田舎と違って、スイス・アルプスに迫る自然。全く違う自然を感じる事ができる。ジリジリと焼かれるような強烈な日差しから逃れて、北の湖は静かな風と色。

 

帰りの船の時間を見ながら、子供たちの追う水鳥たちを眺めて、なんていう鳥だっけと自問自答する。帰りの船が桟橋に近づいてきた。

 

28.4ベラージオ.jpg

 

 

 

今回の、トスカーナとリグーリアの旅にピリオドを打つにふさわしいアルプスの涼しさにふれた小旅。南北のコントラストを楽しませてくれた旅だった。

 

28.5コモ煙突2.JPG

 

ミラノ・カドルナ駅に戻ってきたとき、人々の動きの激しい都会に戻ってきた気がした。もう旅は終わりに近づいてきた。

 

まぁ、二度とベラージオや、コモを訪れることはないだろうと思いながらホテルに向かってメトロに乗り込む。やはりコモ湖と違って、初夏の熱い空気にさらされる。

 

 

<トップの写真、「煙突とパリの空」は、http://www.moriy.net/index.html のオーナー、Moriyさんの了解を得て借用しています>

 

第四章:グッバイ ミラノ( 2 / 7 )

29.変わっているイタリア、変わっていないイタリア

 

今回のミラノ里帰りで感じたことは、「変わっていないイタリア、変わっているイタリア」という一見、矛盾する印象だ。

 

それは、時が止まっているかのように感じるときもあれば、時代は新しくなっていっているんだなと感じることが、対になって現れてくる。

 

イタリアは今、いたるところレスタウロ(修復、修理、復旧、再興、回復、元に戻す)の真最中だ。だから、見たいものが修復中で見られなかったことはたくさんある。歴史的な建造で言えば、フィレンツエのサンタクローチェ教会の祭壇。工事のやぐらが組まれていて見ることはできなかった。

 

29.1レスタウロ.JPG

 

でもそれは、失いたくないオリジナルの美しさを回復させることだ。これは変わっていくイタリアなのか、変わらないイタリアなのか、分からない。

 

ミラノの下町、コルソブエノスアイレスの通りの古いアパート群(日本でいうマンション)の外観は古いままだが、人々は300年、200年も前の建物に住んでいる。一見すると、変わっていない町並だ。けれど、実は内装は、いろんな機会に最新の設備に造り直されている。外見と違って生活の中身は変わっていっている。

 

29.2コルソブエノスアイレス1.jpg

 

 日本のように、木造建築で40年に一回は建て替えなければならない状況は嘘のよう。
建て替えという概念さえ無駄な訳。日本では建て替えが当たり前。その金を稼ぐために、他に使うカネを貯金して、つましく生きている。ひどいのになると、一世代では返せないで、二世代にわたる39年ローンなんて組んであくせくしている。

 

イタリアのアパートは、20~30年に一回くらい、500万円くらいかけて手を入れれば、快適に暮らせる。だから金だって日本より楽ちんで、ローンの返済に追い回されることはない。結果として無駄がないのだ。しかも、職住接近の最たるものだ。

 

さらに、同じ町に、同じ家族が、同じ仕事をしながら住んでいるから、古くからの隣近所の地域社会が、今もちゃんと息づいている。地域社会の崩壊がないのだ。

 

29.3コルソブエノスアイレス270's.jpg

 

<写真は1970年代のコルソブエノスアイレス:今とあまり変わらない>

 

さらに言えば、イタリア人は家族を大切にするから、経営でも家族での経営が多いようだ。だから、昔からのパン屋さん、肉屋さん、日用品の店などが同じ商売をしている。これも古いものを大切にしていて、スローライフの典型かもしれない。

 

少し角度を変えてみてみると、いろんな面で、同じようなことを感じる。

 

例えば、車。イタリア車の代表的なアルファロメオは、新しい技術を投入して、1970年代、皆の垂涎の的だったジュリアを作り直して、現在販売している。小気味いいデザインはクラシックと言えばクラシックだ。でも中身は最先端。

 

同じく、フィアット500.1960年代に作られたイタリアの国民車。500㏄のエンジンンを後ろに積んで、チョコチョコと可愛い愛嬌を振りまいていた人気者。今それを1300ccのボディにリメイクして、フィアット500として売り出している。イタリアの町には、この新しい500が走り回っている。今回運転してみたけど、踏ん張りがあって好印象。

 

ミラノの便利な足、トラム(路面電車)だって、全くの古い車高の高い1960年代からのモデルも健在だし、最新鋭の静かなLRT、お年寄りにフレンドリーな最新鋭車用が同じ線路を走っている。

 

29.4トラム.jpg

 

東京では荒川線のみが走っているにすぎない。日本では金のかかる地下鉄を選んで、地下5階から時間をかけて、えんやこらと登ってくる。しかし町のどこに出るのかは定かではない。時には反対の方向の出口を選んで、目的の場所にやっとこさと戻ってくる。路面電車の良さは、自分の位置確認ができるところだ。

 

また視点を変えてみると、イタリアにはつばめや雀が多いのに気がつく。都会も、田舎も、基本的には建物の構造を変えていないからだ。特に、イタリア瓦の乗った屋根は、彼らの定宿。生活に溶け込んだ生物のだ。日本では、戸建ものっぺらぼうの家を作ったから、彼らが巣をかけるところがないらしい。日本野鳥の会がそうした報告を出している。

 

街の大学生たちもすごい。彼らは、大体、週末にはうちに帰る。両親やおじいちゃんおばあちゃん、兄弟、そして、故郷の友人たちとのつながりを修復する。もちろん、都会住まいからくるストレスから解放されて、自分の精神的な修復にもなる。

 

こんな風にみてくると、変わっているようで変わっていない基本がちゃんとあるような気がする旅だった。日本はどうだろう?

 

徳山てつんど
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