トムと波止場の大砲

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 週末の前には、ぼくは授業についていけるようになった。そうなると、ぼくは自分がたいていの授業で下位にいることに気づいてちょっと恥かしくなり、ひそかに猛勉強を決意したのだった。
 学校は賞賛に値するものだった。やろうと思えば、ぼくは物語のこの部分を、よりおもしろおかしく誇張できる。
 グリムショウ先生を赤い鼻と巨大な指示棒を持った暴君にしたっていい。が、実際のグリムショウ先生は、そのセンセーショナルな目的には似合わない、静かで親切な紳士だった。しつけには厳しい、お堅い人ではあったが、正義感の強い人でもあった。
 つまり、素晴らしい教師であり、少年らはみな彼を尊敬していた。
 学校には他に、週に二度やってくるフランス語の先生と習字の先生もいた。毎週、水曜と土曜は午前中だけの授業で終わり、ぼくたちは正午には解放された。この週二回の半休日は、ぼくの歴史におけるもっとも明るい黄金時代だった。

 ぼくと同程度に、おしとやかには育てられなかった少年たちと毎日つきあうようになって、即座にいくつかの点で、ぼくの性格に改善があった。
 ことわざの中にはナンセンスなものがいくつか見つかるように、ぼくも自分の性格からナンセンスな部分を発見して修正したのだ。
 ぼくは、より男らしく独立独歩になった。世界は甘くはできてないことを発見したのだ。
 ニューオーリンズでは、ぼくは世界がそうであるという確信を持てずにいた。家にはぼくをギブアップさせる兄も姉もおらず、学校ではぼくが一番、年長の生徒だったので、自分の意思が反対されるということはめったになかったからだ。
 だが、リバーマスではそうはいかなかった。変化した情況に適合するのにそれほど長くはかからなかった。もちろん、ぼくは無意識に発せられた厳しい摩擦をたくさんくらった。
 しかし、ぼくには自分がその摩擦によって、ますますうまく適合していけるのだという感覚があった。

 ぼくの新しい学友たちとの交友は、考えうる最高にすばらしいものだった。そこにはいつもエキサイティングな冒険があった。
 徒歩で松林を抜け、デビルズ・パピット(悪魔の演壇)と呼ばれる断崖絶壁や、川の上の秘密の小島を訪れた。小さな島々への探検に行き、そこでテントを張り、何年も前にスペイン人の船乗りたちが難破した場所で遊んだ。町を取り囲む無限の松林は、とりわけぼくたちが何度も遊びに行った場所だった。
 水底になにかが隠されてそうな、すさまじい数のカメが生息している大きな緑色の沼。ハリー・ブレイクはあらゆるものに自分のイニシャルを彫ることに異常な情熱を燃やす少年だった。彼は捕まえたカメというカメの甲羅に自分のイニシャルを掘り込んだ。「H.B」のイニシャル入りのカメは二千匹はいたはずだ。
 ぼくたちはよく、そのカメを「ハリー・ブレイクの羊」と呼んでいた。
 これらのカメは住み慣れた土地に不満でもあるのか、移住性を持っていた。つまり、ぼくたちはカメたちの住む先祖代々の泥から数マイル離れた交差点で何度も放浪中のカメの二匹や三匹に遭遇したのだ。カメの中に「H」と彫られたものがいるのを発見したときのぼくらの喜びようは、言うまでもない。うたがいようもなく、この太った古代のカメはハリー・ブレイクによって手際よく甲羅に彫りつけられたあと、ベタベタした森林地帯からここまでやってきたのが明白だった。

 ナッター・ハウスの納屋をぼくたちの待ち合わせ場所にするのは、すぐにぼくらの習慣となった。ジプシーは自分が魅力的であることを立証した。
 キャプテン・ナッターどのは小さめの荷車をぼくに買ってくれ、ジプシーは上手にそれを引いた。……もっとも、ぼくを蹴り飛ばして車軸を二回か三回、壊したあとで、だ。
 ぼくらはよく、お弁当や釣具箱を座席の下に入れて午後の早い時間に海岸へと出発した。そこには貝や藻や海草といった目を見張る様々なものたちが無数に転がっていた。ジプシーはぼくたちと同じくらい熱心にスポーツを楽しみ、遠くまで行こうとした。
 あるときは海岸を駆け下りて、ぼくたちの泳いでいた海の中に小走りで入ってきたほどだ。
 ジプシーがいっしょにカートを連れてきたことによって、ぼくたちの食料が美味しくなったということはなかった。ぼくは、太西洋風味のかぼちゃパイの味を決して忘れないだろう。塩水に浸されたクラッカーはなかなか悪くなかった。だが、かぼちゃパイ、あれはだめだ。

「今日はなにする?」
と、ある陰気な雨の降る土曜の午後に、ぼくは納屋で開かれた秘密の七者会議でたずねた。
「そうだ!劇をやろう!」
と提案したのはビニー・ウォーレスだった。

 それはいい考えだ!でも……どこでやろう?
 厩舎の二階はジプシーのための干草でいっぱいだったけど、車庫の二階の長い部屋は幸いにして使われていなかった。
 うってつけの場所だ!——ぼくの経営者の目はこの部屋の劇場の資質を即座に見出した。劇なら、ぼくはニューオーリンズにいたとき何度かやっていたから多少ドラマについての知識があった。
 そんなわけで、どうにかこうにか、この車庫の二階の長部屋にぼくが自ら描いた即席の背景絵がかざられた。舞台幕は、ぼくの記憶ではたしか、別の場所でちゃんと使われていたものを劇をやるときだけいつも拝借していた。
 舞台幕はしばしば心優しきオフィーリア(胸元の開いたドレスを着たペッパー・ホイットコム)用の特別なベルトにからまって落ちてしまい、デンマークの王子と王様と墓守りが協力して、これを引き上げたものだった。

 多少のトラブルはあったものの、ぼくたちの劇場は大成功だった。
 ぼくらの「リバーマス劇場」は入場料としてお金の代わりに待ち針二十本を徴収した。ぼくはこのビジネスから手を引かざるをえなくなったときには、この待ち針が一五〇〇本に届く寸前だった。むろん、ぼくらの門番がしばしば「待ち棒」と呼んだ、頭が欠けてたり、折れてたり、曲がったりしたものを除いての数だ。
 リバーマス劇場は誕生から終焉しゆうえんまで、この偽金をすさまじく稼ぎつづけた。俳優としてのぼくは、劇の主役や重要な役を演じることが多かった。他のメンバーにくらべて演技がすぐれていたからではない。舞台の提供者だったので優遇されたというだけのことである。

 十回目の公演での不幸な事故。これがぼくの俳優人生を終了させた。ぼくたちは『ウィリアム・テル——スイスの英雄——』というドラマを演じていた。
 テルをやりたがったのはフレッド・ラングドンだったにも関わらず、主演はぼくだった。主演を外されたフレッドは、ひとつしかなかった小道具の弓を奪って退団してしまった。
 ぼくは一本のクジラのヒゲから即席のクロスボウを作り、舞台はひとまず順調に進んだ。
 舞台はゲスラー(オーストリアの暴君)がテルに向かって、彼の息子の頭の上のりんごを撃てと命令する、例の面白い場面にさしかかった。
 ペッパー・ホイットコム(女性と子供の役はすべて彼が担当した)がぼくの息子だった。
 事故への備えとしてホイットコムの顔の上半分に厚紙をハンカチで固定し、使用する矢のやじりには毛布のきれっぱしが何重にも巻かれた。
 ぼくは優れた射手だった。リンゴはたった2メートルしか離れてなかった。そして、りんごはその赤いほっぺがぼくの方へ向くように公正に置かれた。
 テルに扮したぼくにひるまず、ペッパー・ホイットコムが堂々と待ち構えたので、逆にぼくは笑いがこみあげて正視できなくなってしまった。
 ぎゅう詰めの観客は男子が七人女子が三人、かたを飲んで見守る沈黙の中、ぼくはクロスボウを持ち上げた(キッティー・コリンズはいなかった。キッティーは入場料として洗濯ばさみを支払うと主張したのだが)。
 話を戻そう。ぼくはクロスボウを持ち上げ、矢を放った。
「ビィーンッ!」
ムチのような音が鳴った!
 しかし、悲しいかな、矢はりんごに当たらず、かわりにペッパー・ホイットコムの口に飛び込んでいた。矢を放つ寸前に彼が口を開けたため、ぼくの狙いが狂ったのだ。

 ぼくは、あのひどい瞬間の記憶を決して追放できないだろう。
 ペッパー・ホイットコムが発した驚きと怒りと痛みを同時に表現したうなり声は今でもぼくの耳に鳴り響いている。
 ぼくは自分の任務失敗を集まった観衆とまったく同じようにとらえ、彼を死体のように眺めた。わびしい未来はちらりとも見なかった。

 幸いにも、あわれなペッパーはそれほどひどいケガはせずにすんだ。
 しかしながら、テルの息子の放った叫び声を聞きつけて混乱の中に現れたナッター老は、車庫の二階は閉ざし、以後ここでのすべての素人芝居を禁止してしまったのだった。
 残念ながら、閉鎖にともなって
「ぼくの矢がペッパー・ホイットコムの口にヒットしていなければ、この舞台は我々の人生の最高の瞬間になったでしょうに」
と、ぼくが言い、同意した聴衆(よろこばしいことにペッパーを含めて)が
「ヒア!ヒア!」
と歓声を上げる……そんな別れの挨拶をすることもなかった。
 ぼくは事故の原因はペッパー自身にあったのだと考える。後方にうずを描いて運命の矢がそこへ飛び込んだのは、矢を放つ瞬間、口を開けた彼が悪いのだ。
 ペッパーがうめき、カーテンがなぜかひとりでに落ち、聴衆が悲鳴をあげたとき、ぼくは小さめのうず潮でさえ大きい船を飲み込むことがある事例に例えて、なんとか説明しようとしていた。

 このウイリアム・テル騒動が、その後のあらゆる舞台を含めて、ぼくの最後の演技となった。
 しばらくのち、ぼくが抜けてからのウイリアム・テル・ビジネスが終焉したのをぼくが聞くまで、劇場のチケットを買えずにうらみを持ったガキんちょが通りでぼくに向かって後ろから大声で歌っていた。

だれが殺したこまどりを?
「わたし」と言うはスズメなり
「得物は弓と矢を使い
わたしが殺った
こまどりを」

 このマザー・グースを使った皮肉は、ぼくをへたりこませるのに十分だった。
 また、これ以後、ペッパー・ホイットコムはクックロビン(こまどり)と呼ばれるたびにブチ切れるようになったことを、付け加えておく。

 それからしばらく、たいていの少年が体験するよりもたくさんの陽射しとほんの少しの雲がぼくの運命に降り注いだ。
 コンウェイは確実に雲だった。
 学校の中では、彼はめったに攻撃的にふるまわなかった。しかし、ぼくが町で彼とすれ違ったとき、彼は肩をぶつけるのに失敗しなかった。もしくは帽子のつばを引っ張って目の下まで被らせるとか、ニューオーリンズのぼくの家族のことをわざと聞き、遠まわしな言い方でぼくの両親が身分の高い黒人であるかのようにふれまわり、ぼくをイライラさせたのだった。

 ぼくがコンウェイと戦うまで、コンウェイはぼくに安息を与えないだろうと言っっていたジャック・ハリスは正しかった。
 ぼくは、ぼくたちがこの惑星で出会って戦うのが生まれる前から決まっていた運命のように感じていた。
 運命から逃げないという覚悟から、ぼくは静かに差し迫った闘争のための準備を始めた。そして、体育館がぼくの劇的な勝利のための修行場へと変わった。ケンカのための準備だという事実を指摘する友人たちに対して、ぼくは絶対にそれを認めようとしなかったけど。
 根気強く逆立ちをして頭で支え、ウエイトリフティングをし、腕だけではしごを登り、ぼくの小さな体の筋肉をヒッコリーの樹のこぶのように頑丈で、牛の胃袋と同じくらい柔軟になるまで鍛え上げた。
 また、ぼくはしばしば、正当防衛のためのボクシングの技術を、フィル・アダムズから直々にレッスンしてもらった。

 ぼくはコンウェイとの戦闘という問題を完全に自分の一部になるまで熟考した。授業中もずっと仮想の中で彼と戦った。夜毎、彼と戦う夢を見た。
 ヤツは夢の中で4メートルの巨人になったかと思えば次の瞬間には殴れないほど小さな小人へと縮むのだ。ガリバーが小人国リリパットの人々をそうしたようにコンウェイはぼくをポケットへひょいと入れたり、あるいはリリパット人と化して髪へ隠れてはいずりまわった。
 おおむね、夢の中でのコンウェイはぼくを苦しめる雲だった。

 そのうえ、雲はぼくの家にもあった。
 それはナッター老やアビゲイルさんやキッティー・コリンズによるものではない。
 ぼんやりした陰鬱で形容しがたく、筋力トレーニングではどうしようもないもの……そう、日曜日のことだ。
 もしぼくが自分の息子のために進むべき道を用意できるなら、日曜は息子にとって楽しい日になるよう手を尽くすだろう。
 ナッター・ハウスにおいては、日曜は楽しい日ではなかった。きみも以下を読めば納得すると思う。

「日曜の朝が来る」
土用の夜になるとぼくはそうつぶやいて覚悟を決めて、深い憂鬱のすべてを午前中の霧のように霧散させたものだった。
 そして日曜。朝七時にナッター老はすました顔で階下に現れる。黒い服を着ていて、まるで友人全員に先立たれたかのようだ。
 アビゲイルさんも同じく黒い服に身をつつんでいる。死んだナッター老の友人をすべて埋葬する準備はバッチリで、いやがるどころか式を楽しもうとしているようにすら見える。
 この暗い雰囲気はキッティーにさえ伝染してしまったらしい。ぼくはキッティーがいつも重苦しい彫刻入りのつぼにコーヒ豆を入れて用意しているのに気付いた。しかしそのモニュメントはいつだってアビゲイルさんの前に置かれるのだ。アビゲイルさんはだまって、その壷の中身はコーヒー豆ではなく先祖の灰でも入っているかのように見つめる。
 こうして、日曜の朝の食事は静かに進むのだった。

 ナッター・ハウスの応接室のドアや窓が開きっぱなしになることは決してなかった。応接室の窓が開かれるのは六月の朝か、中央のテーブルから強い匂いがするときだけだった。
 部屋の家具と暖炉のマントルピースの上の小さな中国の装飾は珍妙な印象を抱かせる。
 ナッター老は緑のラシャで覆われた大きな聖書を読んで、マホガニー製の椅子に座っている。アビゲイルさんは、膝の上で手をかたく組んでソファーの端に座っている。
 ぼくは打ちひしがれて、隅に座る。
 『ロビンソン・クルーソー』と『ジル・ブラース』は取り出せる雰囲気ではない。クラッツの要塞からどうにか逃げ出した『バロン・トレンク』も、居間のクローゼットからは脱出できない人生を送っている。リバーマス・バーナクル新聞さえ月曜までは押さえつけられたのだ。
 おしゃべりや、無害な本、ほほえみ、ちょっとしたドキドキはすべて取り除かれた。
 どうしてもなにか読みたければ、リチャード・バクスター(英国の清教徒教会指導者)の『聖人の安息』なら読んでいいとされていた。

 死のう。

 ぼくは座ってかかとを蹴ってニューオーリンズの思い出を思考から追い出し、青色のカナブンが病的な飛行のあげく窓ガラスに激突自殺するのを見つめた。
 ——聞こえる!
 そう、それは庭で歌うコマドリだ。狂ったように歌うコマドリはまるで今日が日曜じゃないかのように楽しげで大胆で、つかのま、ぼくの心は癒されるのだった。

 ぼくが安息日学校へ行く準備ができると、ナッター老は顔を上げて陰気な声で
「行くかね」
と、たずねる。
 そう、行く時間だった。
 ぼくはその安息日学校が好きだった。少なくとも明るい若い顔がそこにあったからだ。
 ナッター・ハウスから出て日光の中に踏み出すとき、ぼくは大きく息を吸っていた。一張羅のズボンをはいていなかったら、お隣のペンハローさんちのペンキぬりたてのフェンスをサマーソルトで飛び越えていたにちがいない。
 それくらいうれしいナッター・ハウスの暗い空気からの脱出だった。
 安息日学校のあいだ、ぼくは講堂でナッター老とアビゲイルさんといっしょに礼拝する。
 この日においてはナッター老は、ぼくの関係者ではないようにふるまった。
 ワイバード・ホーキンス牧師はぼくたちのだれにも、ちょっぴりの希望さえ与えない。そのほかの人類と同様にぼくは自分が迷える創造物クリーチヤーだと確信して、保護者の後ろをゆっくり歩いて家へ戻る。
 そうして冷たく死んだ昼食を食べる。できたてのあたたかい食事は日曜には罪なのだ。ぼくは昨日の晩に用意されたそれが冷めていくのをうらめしげに見つめたものだ。

 この食事から二回目の礼拝まで、長いインターバルがあった。そして礼拝の始まりから終わりまでも非常に長かった。

 二度目の礼拝は改訂聖書の講釈が行われた。ワイバード・ホーキンス牧師の説話はいずれにせよなんでも、短いものは無かった。
 二度目の礼拝のあと、ぼくはナッター老と散歩する。近くの墓地は散歩にはうってつけの場所だ。ぼくは、自分から埋葬されたくなるまでその場所へたたずむ。
 日が暮れて、三度目の礼拝はたいていの場合、なんやかや理由をつけてパスすることができた。そして八時半に就寝。

 これがナッター・ハウスで観察できた日曜の過ごし方であった。
 我が家に限らず二十年前(一八五〇年頃)にはリバーマスのいたるところで観察できた事例だ。
 成功して土曜日には普通に幸福だった人も、明くる半日はもっとも悲痛な人間と化したのだ。
 ぼくはこれ以上の偽善はなかったと思う。それは単に週に一度、実を結ぶ古いピューリタニズムであった。
 街の人々は週の七番目の日以外は純粋なキリスト教徒だった。日曜に限り、人々は陰気のへりに座り、上品かつ厳粛にふるまったのだ。その点だけは誤解しないでほしい。
 もちろん、日曜日は神聖な日だ。だからこそ、ぼくは日曜が暗い日であるべきだとは思わない。
 日曜は主のための日だ。ぼくは陽気な心、陽気な顔が主を不愉快にさせるものではないと信じている。

やったー おやすみの日! きれいだね きもちいいね
こどもも おとしよりも おおよろこび
神様の日!それは世界の悪の休戦日!
神様の日!毎日そうだったらいいのにな!
だけどどうして人々は 明るい光をさえぎって
絶望の牢屋に身をおいて かの人の苦しみを共感したがるの?

 ぼくがリバーマスにやってきて二ヶ月が過ぎた。街の大多数の少年少女を熱狂させる重要なイベントが迫っていた。
 七月四日——独立記念日だ。
 その、独立記念日の前の週、テンプル文法学校は授業が授業にならなかった。ぼくも爆竹やロケット花火やローマ花火、風車や火薬のことで頭と心がいっぱいだった。よくまあ、グリムショウ先生の鼻先でそれが爆発しなかったものだ。ぼくは、足し算すら答えられなくなっていたのだから。
 タラハシー市がテネシーの州都だったか、あるいはフロリダの州都だったか思い出せず、現在完了と過去完了は解決できないほどこんがらがってしまった。形容詞と動詞の区別がつかないときすらあった。
 これはぼくだけに限らず学校中のあらゆる生徒がそうだった。

 グリムショウ先生は、思慮深くぼくたちがうわのそらである原因について考え、来たるイベントを問題に組み込むことでなんとかぼくたちの関心を授業につなぎとめようと努力した。
 たとえば算数では、四十センチの箱に爆竹の箱がいくつ入るか?……といったように。国語では独立宣言がテキストとなり、社会では独立戦争における重要地点についてばかりが問題となった。

「ボストンの人々は英国船の積荷の紅茶をどうしましたか?」
と、悪賢いインストラクターはぼくたちに質問した。
 低学年の生徒たちがいっせいに大きな甲高い声で
「川へ投げ捨て……」
と答えてグリムショウ先生をにっこり微笑ませかけたが、ある悪ノリした生徒が
「シーッ!」
とさえぎってその子らを静まらせて、
しずめました
と言った。結果としてその生徒は廊下で休憩するという特別なごほうびを許された。

 こうした先生の利口な策略も、ぼくたちのだれにたいしても良い成果を出すことはなかった。ぼくらの頭上は安価で危険なヘビ花火のしっぽでおおわれていた。そしてズボンのポケットをギチギチになるまで中国製のかんちゃく玉でふくらませてあちこちを歩き回っていた。だれかがうっかりハンカチをポケットから引き出しては、二個か三個が転がり落ちるという有様だった。
 グリムショウ先生まで、この悪の道におちた全生徒のおもちゃとなった。
 先生は生徒に答えさせるとき、いつもテーブルを重たい定規でトントンとたたくくせがあった。ある少年(名前は伏せておこう)は、緑色のテーブルクロスの下、いつも先生がトントンとやる場所に正確に、とりわけ大きなかんしゃく玉を設置した。
 もちろん結果は大爆発で、グリムショウ先生は飛び上がってうろたえた。
 驚いたのは先生だけではない。チャーリー・マーデンはこのときバケツから水を飲んでいた(教室には飲料水をくんだバケツが用意してあり、喉がかわいた生徒は授業中でもそれを飲むのが許されていた)。マーデンはびっくりして数秒ほど黒板へ向けて細い水をほとばしらせてしまったため、必然的に注目を集めてしまった。

 グリムショウ先生は非難する目でチャーリーをじっと見つめていたものの、何も言わなかった。真犯人(チャーリー・マーデンではなくぼくが名をふせた生徒)は、すぐに自分のイタズラを後悔した。放課後、彼はグリムショウ先生にすべてを白状した。
 先生はこの匿名の少年の頭に火のついた石炭を山ほどのせた……つまり、
「もうすぐ独立記念日だから」
と言って、叱るかわりに5セント硬貨を渡したのだ。
 もし、先生がムチで叩いていたら、バツはこの半分ほども厳しくはならなかっただろう。

 六月の最後の日、キャプテン・ナッターのもとに
「わが息子トムのために」
という言葉とともに包まれた5ドルが入った手紙がぼくのパパから届いた。
 このお金で、その若きジェントルマン、つまりぼくは独立記念日の祝賀にふさわしい準備ができることとなった。
 ぼくはお金の一部、2ドルを大急ぎで花火に投資した。まさかのそなえのために3ドルは残すことにした。
 ところでキャプテン・ナッターはぼくに資金を許可する際に、がっかりさせる一つの条件を付け加えた。
「銃のための黒色火薬を買ってはならない」
と。
 ようするに、ぼくはそうしたければ5ドルすべてをクラッカーやかんしゃく玉に使うことができるけど、黒色火薬はダメだということだった。

 これは、なかなかつらい条件だった。というのは、ぼくの友人達はみな様々なサイズの銃を持っていたからだ。ペッパー・ホイットコムは彼の身長ほどもある馬上銃を持っていた。ジャック・ハリスは、なるほど背の高い彼にふさわしく旧式のフリントロックのマスケット銃を所有していた。
 とはいうものの、この制限はぼくの幸福を台無しにするほどのものではなかった。ぼくはニューオーリンズから持ってきた小さな真鍮ピストルに一発分の火薬を詰めていたからだ。
 それをこの世界で一回打ち鳴らさないかぎり、再び火薬を詰める必要はないのだ。

 七月三日の真夜中、つまり独立記念日の前夜には、町中の少年がスクエアと呼ばれる広場でかがり火をたくという、太古の時代から続く風習があった。
 ぼくはこの式に出ていいかどうか、キャプテン・ナッターにたずねなかった。というのも、キャプテンは許可を与えないだろうという確信があったからだ。
 仮にキャプテンは許可を与えると仮定しよう。それならばだまって参加したって何も問題ない。
 というわけで、キャプテン・ナッターの許可を得ず式に参加するという選択のメリットと、そのことで自分にふりかかる災厄というデメリットを分つラインは、いまやぼくにとって重要な議題だった。

 キャプテン・ナッターの監視体制をゆるめるため、七月三日の夜にぼくは早々にベッドへと退いた。そして一瞬も眠らず、夜十一時を待った。
 オールド・ノース教会の尖塔の鐘をぼくは横たわって九時…十時…と数えていたけど、あまりに間隔が長くて十一時は永久に来ないんじゃないかと思ったくらいだった。
 しかし、ついに十一時の鐘が鳴り始めた。柱時計が鳴っているあいだ、ぼくはベッドからジャンプして着替えはじめた。

 ナッター老とアビゲイルさんの眠りは深い。そのまま発見されずに正面玄関から出て行けたかもしれない。しかし、それじゃあ冒険的じゃなくてつまらない。
 ぼくはキッティーの仕事道具から拝借した数メートルの洗濯ひもの端をベッドの窓に一番近い足にしばると、注意深く二階の窓から玄関の上の屋根へと脱出を計った。
 しかし、ぼくは縄ばしごには結び目が必要であるということを軽視していた。
 想定していた場所に屋根が無くてバランスを崩した瞬間、ぼくの体はイナズマのように落下し手のひらに摩擦熱が走った。
 しかもロープは1メートル半ほど足りなかった。もしぼくが玄関脇のバラのしげみに落ちていなかったら、事態はとても深刻なことになっていただろう。
 落下地点にバラのしげみがあった幸運に感謝しながら立ち上がると、月明かりの下で庭の門へのりかかる何者かがいた。
 祖父ではなかった。夜間パトロール中の警官だった。ぼくの脱出大作戦の一部始終を興味ぶかく観察していたにちがいあるまい。
 逃げられる可能性はなさそうだったので、ぼくはこの危機に対して、堂々としたゴシック体みたいな顔で、彼へとまっすぐ近づいていった。
「空中で何をしていたんだね?」
と、ぼくのジャケットのえりをしっかりつかまえると、その人はたずねた。
「ここの住人なんです。その……」
と、ぼくは答えた。
「かがり火に行くつもりだったんです。おとしより(当時のぼくからすればキッティも含まれる)を起こしたくなくて」
すると、その人は限りなくやさしく目を細めると、ぼくを自由にしてくれた。
「いつの時代も、少年は少年」
そう彼はつぶやいた。そしてぼくが庭の門をさっと通り抜けた後も、止めずに見送ってくれたのだった。

 警官から解放され、スクエア広場に到着すると四十人から五十人ほどの同志がタールを入れていた樽のピラミッドを作る作業に没頭しているのが見えた。ぼくがそのスポーツに参戦できない程度に、てのひらはまだじんじんしていた。しかたなくノーチラス銀行の入り口のそばに立って労働者の様子を見ることにした。
 すぐにぼくは多くの学友を発見した。彼らは薄明かりの中で地獄の建物を築く悪魔のようにも見えた。
 全員が自分以外の全員にあらゆる点で間違った指示を出していた。なんというバベル・ボイスや か ま し さ

 準備がすべて終わると、だれかがこの黒々しい堆積物に火が付いたマッチを投げた。炎の舌が全体へ伸びていき、急に刺激臭とともにパチパチという音が聞こえ全体が美しい炎につつまれた。
 これは、少年たちが踊り出すべき合図となった。
 ぼくたちは狂気のクリーチャーのように叫び、踊った。
 少し火が弱まってくると、新鮮な樽が供給されて火葬でもするかのように積み上げられた。熱狂の渦はぼくのてのひらの痛みを忘れさせた。ぼくはいつのまにか、この、らんちきさわぎの一部になっていた。

 夜をまだ半分も消費しないうちに、ぼくたちの可燃物は燃え尽きてしまった。この落胆は自分たちの手で解決された。少年たちはそれぞれ自分たちのグループで集まって、なにをすべきか相談した。帰ってベッドで眠るというユーモアを選択する者はだれもいなかった。
 ぼくは井戸のそばに立っているグループのひとつに接近し、瀕死のたいまつのかすかな光に照らされた友人の面々を発見した。
 ジャック・ハリスにフィル・アダムズ。ハリー・ブレイクおよびペッパー・ホイットコムの、幾筋もの汗とタールでしましまになった、ニュージーランドの酋長のような顔がそこにあった。

「やあ!来たねトム・ベイリー!」
とペッパー・ホイットコム。
「ぼくらのグループに加わるんだろう?」

 ぼくたちのグループは群集から離れ、近くの裏通りを静かにゆっくり進んで、倒壊寸前の小屋が立ち並んでる場所の入り口に到着した。これらの小屋の一つはエズラ・ウィンゲートという男の所有物だという。
 その小屋はかつて、リバーマス - ボストン間を走った郵便馬車の小屋だった。鉄道が馬に取って代わると、不要になった郵便馬車は小屋の中に放置されてしまった。
 駅馬車の御者は国家の没落を予言すると、悲嘆のあまり卒中を起こして運転席で静かに死んだ。そして馬車も運転手の後を追って、大急ぎで人生を終えたのだった。
 ようするに、この小屋には 「出る」 という噂があったということだ。
 ぼくたちが高い建物の壁に黒い彫像のような影を落としていたこのとき、全員がとても協調していることにぼくは気がついた。そしてジャック・ハリスは作戦を打ち明けた。
 それは、この古代の荷馬車を焼くことだった。

「あんなオンボロ馬車、25セントの価値もないのだ!」
とジャック・ハリス。続けて、
「むしろゴミをタダで処分してやるのであるから、エズラ・ウィンゲートは、我々に感謝しなきゃならんほどである!——ただし、本作戦に関わりたくない者がいたら、今すぐここから走り去って舌を頭の中にしまっておいてほしい」
と言った。

 ジャック・ハリスは鍵やらなにやら、納屋の扉を開けるのに必要なものをだいたい引き抜いた。もちろん、中は真っ暗だった。小屋に入るやいなや四方八方から襲い掛かった無数の鳴き声と物音は、ぼくたちを震えあがらせるのに十分だった。
「ネズミだ!」
と、フィル・アダムズが叫んだ。
「コウモリだ!」
これはハリー・ブレイク。
「ネコだ!だれだ?びびっているのは!」
とジャック・ハリスが制した。
 本当のところ、ぼくたちは全員、ビクビクしていたのだ。もし、馬車の車軸が近くになければ、ぼくは地球に対して垂直を維持できていなかっただろう。
 ぼくたちは馬車についたままの引き綱をつかみ、おおきな問題も無く古馬車を引っ張り出した。前輪はさびていて、車輪として働くことを拒否していた。
 馬車はガイコツ同然だった。クッションはとうになくなっており、仮に革のほろが風化してなかったところで、虫食いのせいでべろべろなのは同じだったろう。
 この馬車に幽霊をのせてオバケの馬が引いていたら、まさしく完璧な走る恐怖と言えた。

 幸運なことに、小屋は非常に険しい丘のてっぺんにあった。馬車を操縦する前の二人と、後ろで押す三人にわかれ、オンボロ馬車の人生最後の旅行はたいした困難もなく、始まった。
そして、丘のてっぺんをこえたところで、さびていた前輪はいきなり自分の仕事を思い出したのだった
 四つの車輪のロックがいきなり解除された。馬車の速度はみるみるうちに増した。猛スピードで坂を下り、スクエア広場へ騎兵隊のように突進し、かがり火に集まった群衆を右へ左へとけちらした。

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桝田道也
作家:トマス・ベイリー・オルドリッチ/桝田道也 訳
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