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第2章 1985年( 1 / 5 )

1985年

 1985年は、日本の経済成長の最盛期であった。働く人の給料は上がり続け、団塊世代を中心とした大人たちは一億総中流社会を謳歌し、現在の延長線上に未来社会があると信じていた。一方、彼らの子供世代は学生時代を迎えていたが、彼らの現実は、大人たちが経験した学生時代とは異なるものだった。団塊世代の学生時代は、皆が似たような境遇(例えば、貧乏人の子沢山の子)の集団の中で、競争社会を生き抜いていく準備をすることができた。しかし、子供世代の学生時代は、皆が違う境遇や個性を際立たせ、競争社会への準備をする前に、いきなり受験競争、就職競争の中に放り込まれた。そして、団塊世代の学生時代には与えられなかった文明の恩恵(マイルーム、マイテレビ、マイコンピューターなど)が、子供世代に与えられたとは言え、彼らは自力で競争を生き抜くことが求められた。大人たちが経験してきた過去と子供たちが向かい合う現実とが分断されはじめた時代。大人たちが期待する未来と子供たちが迎える未来とが分断されはじめた時代。それが1985年だった。

第2章 1985年( 2 / 5 )

3人の一人っ子

 仁が物心ついた頃、仁のまわりは仁をよく知る優しい人たちばかりだった。何をやっても、「よくできた」と誉められこそ、「こんなこともできないのか」と現在のように責められたりはしなかった。
 仁が小学6年生のときに、先ず愛犬が亡くなった。それからおばあちゃんが亡くなり、続けざまにおじいちゃんも亡くなった。また、幼馴染みの雄一が、祖父母を残し、両親とともに九州に引っ越して行った。それからというもの、仁のまわりは一変してしまった。それ以来、苦手だった友達ばかりが近付いてくると仁は感じた。友達も先生も両親もみんな仁を責める側に回ったと感じた。それは、遊び場でも、学校でも、家でも同じだと仁は感じた。仁はたった1人で自分を守らなくてはならなくなったと感じた。仁が初めて自分を守るために取った行動は黙りこむことだったが、それでもだめなら泣くしかなかった。仁は、責められると泣いてしまう泣き虫っ子になった。

 仁は、中学校に入ると「オジン」という馬鹿にしたようなあだ名で呼ばれるようになった。それは、名前が「じん」ということ、運動神経が悪く動作がスローモーなこと、寡黙なこと、頭が丸坊主なこと、年寄り臭いこと(時代劇、植木、庭石に詳しい)など・・・・・・。要は、おじいさんみたいだったからだ。仁が年寄り臭いのは、おじいちゃんとおばあちゃんの影響があったのかも知れない。雄一が去り、仁の唯一の幼馴染みであるアスナは、それでもオジンとは呼ばずに、以前と同じように「仁くん」と呼んだ。また、アスナは、むやみに仁を責めたりもしなかった。それがせめてもの救いだった。

 仁が中学1年生のときに、仁にとっては思い出したくないソフトボール事件があり、仁は泣き虫っ子を止めて、嘘つきっ子になった。それは、学校行事で親睦のために行われたソフトボールの試合で、運動神経に恵まれなかった仁はエラーを繰り返して、仁が参加したチームの足を大きく引っ張った。チームメイトは、仁こそが敗因の全てであるかのように、仁をみんなで責めたてた。仁は勝敗だけが全てじゃないだろうと言いたかったが言えなかった。そんなときの仁は、今までならば泣き虫っ子になって、みんなに愛想尽かしてもらうか、あるいは、あきらめて許してもらうのが常であった。しかし、泣き虫っ子を演じることは、中学生にもなって自分でも嫌でしょうがなかったから、仁は意を決して、嘘つきっ子になることにした。
「足が痛かったんだ。昨日、多分足を捻挫したんだ」
 とか出まかせを言った。すると、誰かが、
「嘘をつくな、今朝は遅刻しそうになって走ってたじゃないか」
 と言った。
「いや、あの時は痛いのを我慢して必死に走ったんだ」
 と仁はまた嘘をついた。すると、別の誰かが体育教師で担任の中村先生を呼び、仁の足が捻挫らしいから、嘘か本当か調べてくれと言った。この中村という担任がまた仁にとっては鬱陶しくて、仁は完全に苦手としていた。中村先生は、仁を保健室に連れて行き、一応は捻挫かどうか調べた。仁は、中村先生が足を触るたびに、「痛い、痛い」とわめいてみせたが、すぐに嘘だとばれてしまった。中村先生は仁を尋問した。
「なぜ、嘘をつくんだ?」
 仁は、もう泣いて誤魔化すことは止めたんだ。1人で自分を守るためには嘘をつくのはしょうがないんだと考えていた。すると、
「いいか、嘘をつくのが良くないってことは、もう中学生なんだから知っているだろ」
 と中村先生は言った。仁は、中村先生は僕のことを何も分かっちゃいないと思ったが、気持ちとはうらはらに中村先生にうなずいた。
「それじゃ、反省文を明日までに書いてこい」
 と中村先生は言った。
 仁は反省文に、「嘘をつくのは悪かったです。反省して今後は嘘をつきません」と嘘を書いた。
 しかし、仁はたびたび「嘘つき事件」を起こした。その度に、仁は中村先生と同じようなやり取りを繰り返した。すると、中村先生はとうとう諦めたらしく、その後は、
「またか、いい加減にしろよ」
 で尋問は終わった。その代わり、2学期の通知表に、「嘘をつく癖があるから、家庭でのしつけをお願いします」と書いてきた。
 仁の父親も、母親も、通知表を見て、たいそう心配して仁に訳を聞いた。仁は、
「あの担任の先生がおかしい。何か誤解している。先生に説明して3学期の通知表には書かれないようにする」
 とまた嘘を言った。
 仁の両親は、仁の説明に納得はできなかったが、さりとてどう対処すればいいか思い付かなかった。仁の父親が自分の子供時分を思い出してみると、父親がいつも目を光らせていて、嘘をつこうものならこっぴどく叱られたし、父親に運よく見つからなかったとしても兄弟の誰かに見つかって、結局は叱られただろうと思った。しかし、仁の父親も母親も忙しくて、仁に目を光らせることはとてもできなかった。それに仁は一人っ子だから、仁の父親の子供時代のように両親の代わりに目を配る兄弟もいないのだ。
 仁は、次には嘘をつくのを止めて、敢えて1人で閉じこもることにした。人とかかわると、何があろうと結局は嘘をつくはめに陥り、嘘をつきはじめると、嘘が嘘を呼んでとめどがなくなった。それに対して、1人で閉じこもることは、仁にとって苦痛でも何でもなかった。仁には自分の部屋があり、自分のテレビと自分のビデオデッキがあった。自分の本、まんが、そして自由に使える小遣いがあり、何よりも自分の時間があった。果たして、3学期の通知表には、嘘つきとは書かれなかったが、「1人で閉じこもりがちで心配だから、家庭でも閉じこもらないようにしてほしい」とあった。
 仁の両親は、通知表を見て、またもや頭を悩ませてしまった。仁の父親は、自分の子供時代は子沢山の家ばかりで、子供の部屋などなく、閉じこもるのはほぼ不可能だったと思った。仁の両親は、自分たちの子供が向かい合う現実に対処するのに、自分たちの過去の経験が通用しないことに気付いて愕然とした。

 仁が中学2年生のときに、年をとった寿司屋の親方が買出しに行けなくなり、仁の父親が代わりに買出しをすることになって、おじいちゃんとおばあちゃんが丹精込めて手入れした庭の半分が駐車場に作り変えられた。駐車場には「泉寿司」と書いた白い軽のワンボックスカーが停められた。庭の奥にはおじいちゃんとおばあちゃんが、植木や庭石を運ぶのに使った古びたリヤカーが、当時のままに立て掛けられてあった。わずかに残った庭には、駐車場になった場所にあった大きな庭石がいくつか転がっていた。仁は、それを見ると、小学5年生の頃から反抗期になって、おじいちゃんとおばあちゃんにも反抗したことを思い出し、密かに後悔した。
 そして、庭に洗濯物を干す場所が足りなくなったので、駐車場の上に木製の物干し場が作られた。それは2階の東側の仁の部屋とつながっていた。仁の家の物干し場は、アスナの家の敷地のすれすれにまで近付いていて、そこがちょうどアスナの部屋になっていた。アスナが部屋の窓を開けると、約70センチ位のところに仁の家の物干し場がきた。運動神経が抜群のアスナは、易々とアスナの部屋の窓から物干し場の手摺りに飛び移ったり、また逆に物干し場の手摺りからアスナの部屋の窓に飛び移った。仁もアスナにそそのかされてやってみようとしたが、手摺りに立って下を見ると足がすくんで動けなかった。そういうわけで、物干し場ができてから、アスナは時々、仁の家の玄関を通らずに仁の部屋にやってきた。それは多分、仁が閉じこもりがちになったから、アスナが幼馴染みのよしみで心配してくれたからかも知れない。とにかく、アスナがやってくると安普請の物干し場は、ドスン(アスナが手摺りから飛び降りた音)、ミシミシ(アスナが歩いている音)と、大きな音がするので、アスナがやってくるのがすぐに分かるという具合だった。

 仁が中学3年生のある日、幼馴染みの雄一がひょっこりこの町に戻って来て、仁と同じ中学校に通うようになった。実は、雄一の父親だけは戻っては来なかったのだが、雄一はそれを誰にも言わなかった。戻って来た雄一は、いつの間にか仁の味方から、仁を責める側に変わったと仁は思った。しかし、雄一の方は、仁の方こそ情けない奴に変わったと思った。仁はやればできるはずなのに、自分勝手に自分の殻に閉じこもるから。雄一は、仁の自分勝手な閉じこもりを正そうと世話をやいた。雄一は、仁をオジンとは呼ばなかったが、自分から頑張ろうとしない仁を責めた。曰く、
「仁はオレと同じように頑張れるはずだ」と。
 しかし、仁は思った。雄一は僕とは違う。まず、雄一は頭も運動神経がいいから、なかなか失敗しない。もしも失敗したとしても、雄一が謝れば誰も雄一を責められない。なぜなら、雄一ができないならば誰にもできないのだから。しかし、僕が失敗すると誰もが僕を責める。だから、僕は一生懸命言い訳をするしかなくなるのだ。それでもまだ責める奴がいると、僕は止むに止まれず嘘をついたが、嘘をつくのが嫌になったから、僕はバリアーを張って自分の殻に閉じこもることにしたのだ。
 雄一は何でも頑張るし、みんなが嫌がることにも率先して取り組むような優等生だったが、仁には、そういう雄一が鬱陶しくてかなわなかった。放っといてくれと思った。仁は雄一が何より苦手になった。意地悪な奴だと誤解して距離をおいた。
 そして、アスナも雄一と同じように、仁に、閉じこもりからの脱出を勧めたが、仁は脱出する気は毛頭なかった。しかし、仁はアスナに対してだけは、人との係わり合いを避けるための心のバリアーを解くことがたまにあった。それは仁にとってアスナが聖母のように優しいことがたまにあったからだ。
 仁の両親は、閉じこもりがちで成績も芳しくなかった仁に、中学を卒業したら両親のいる寿司屋で働けといった。仁の父親も中学を卒業してすぐに寿司屋で働きだしたのだ。また、同じ店ならば、仁に目を配ることもできると考えたのだ。しかし、仁は、それに逆らい、都立の工業高校を受験し、かろうじて合格した。
 一方、雄一は、祖父母が病気がちで家計が苦しかったため、大学への進学校を受験せず、仁と同じ都立の工業高校を受験して易々と合格した。
 また、アスナは、中学での成績は芳しくはなかったが、スポーツ特待生として私立高校に入った。アスナは母親がやっているライターという仕事に憧れ、高校の新聞部に入り、その後はスポーツよりも近所の催しなどを取材して学校新聞に記事を載せることに励んだ。
 高校生生活が始まっても、仁は相変わらず閉じこもり気味だった。仁は両親のいる寿司屋には決して近寄らなかったが、アスナは記事のネタ探しを兼ねて、ときたま寿司屋を手伝うようになった。アスナは明るい性格で健康的な美人だったから寿司屋の常連さんたちに歓迎された。ある日、アスナが手伝いに行ったとき、仁の両親から、仁をいろいろな場面に連れ出してほしいと頼まれた。
 アスナは、雄一に仁を連れ出す相談をした。雄一も仁が閉じこもりがちなのをなんとかしたいと思っていたから、雄一はアスナに尋ねた。
「あいつは閉じこもって何をしているんだ?」
「庭の手入れと、最近はファミリーコンピューターにハマっていると思う」
「庭の手入れ? オジンだなぁ、それとファミリーコンピューターかぁ、聞いたことがある」
 アスナも雄一もファミリーコンピューターは持ってはいなかった。
「あいつんちは金持ちだなぁ」
「お小遣いを貯めてやっと買ったって言ってたけど」
「そうだ、コンピューターか! それがいい」
 雄一は、当時流行り始めたパーソナルコンピューターを学校に買わせて、コンピュータークラブを作ることを思い付いた。仁が、コンピューターゲームを好きなのだったら、1人で部屋にこもらずに、学校のクラブ活動でみんなとやればいいと思ったのだ。
 アスナも、
「それはいいことを思い付いたわね」
 と大賛成した。そして、
「アタシも何か考えなきゃ」
「おい、まずは、オレの考えでやろうぜ」
「そうだけど、アタシもいいこと思い付きたいの!」
 アスナは一旦言い出したらきかない。雄一が、
「しばらく、アスナは記事でも書いてなって」
 と言うと、
「あっ、そうだ。それそれ。お手柄犬の取材に連れて行こうっと」
「何それ、それもオレのアイディアじゃないか」
「いいえ、お手柄犬を思い付いたのはアタシよ。雄一くん、ありがとう」
 こう言われると雄一は何も言えなかった。

 雄一が、仁にコンピュータークラブを一緒にやろうと誘うと、仁は雄一が鬱陶しいと思ったが、コンピューターでゲームをしていれば気にすることはないと考えて賛成した。そこで雄一が学校に申し入れると、そんな予算はないし、学校でゲーム遊びはダメだと言われてしまった。さらに、仁がやりたくないと言い出した。仁は、また雄一にいいところを見せられて、自分はヘマをするはめになると思ったのだ。雄一も仁も学校の先生も、パーソナルコンピューターの使い道としてゲーム遊びしか思い付かなかったのだ。結局、雄一の名案はボツになった。

 アスナの言うお手柄犬というのは、泥棒を捕まえたということで先日新聞に載った犬のことだった。お手柄犬は堀船町の隣の滝野川にいるから、学校新聞に載せる記事を書くため、仁を連れて取材に行くことにしたのだ。アスナは犬が苦手だから、犬が好きな仁に一緒に来てほしいと頼んだのだ。仁は案の定、嫌だと言ったが、
「あら、アタシが犬に噛みつかれてもいいの」
「そういうわけじゃないけど」
「じゃ、いいのね。仁くん、ありがとう。今度の土曜日よ」
 仁は、アスナに逆らうのは無理だと改めて知るのだった。
 滝野川は、高台の上野台地にある。西から流れてきた石神井川が上野台地を削り、渓谷となって流れ、滝がたくさんあったということからその名がついた。石神井川は、上野台地を下り低地帯の堀船町周辺にくると音無川とも呼ばれ、堀船町で隅田川に合流する。
 アスナと仁は、滝野川に行ってお手柄犬の飼い主の老夫婦に会うことができ、アスナは手作りの名刺を飼い主のご主人に手渡した。お手柄犬は、最近知り合いからもらってきた犬だったが、今はどこかに逃げてしまったと言う。あの犬は外につなぐとうるさく吠えるし、家に入れると吠えなくなるが、ウンチとオシッコが臭くて実は困っていたところだと言う。お手柄犬ということで有名になってしまったから、今更保健所には連れていけないし、と思っていたらちょうど逃げてしまったと言う。仁は、愛情なく犬を飼うなと腹がたった。飼い主は、逃げられて良かった、探さないでくれと言う。お手柄犬の写真も取れず、記事にもならずに2人は帰ってきた。
 ところが数日後、逃げた犬が見つかったと飼い主からアスナに電話があった。アスナは、仁にまた取材に行こうと誘ったが、仁は飼い主が気に入らないとまだ怒っていた。そこで、アスナだけで飼い主に会いに行くと、飼い主は、逃げた犬が帰ってきて、かわいくて仕方ないと思うようになったと言う。だから手放せなくなったとアスナに言った。アスナが仁に取材内容を報告すると、仁は人にかかわるとろくでもないから気をつけろと言った。アスナは、この顛末は美談だから学校新聞の記事になると言った。しかし、仁は、あの飼い主はどうせまたあの犬が嫌になるに違いないと言った。そして、仁の言う通りとなった。
 そして、1985年、3人の一人っ子たちの高校2年の春が来た。

第2章 1985年( 3 / 5 )

町内の人たち

 仁の両親が働いている寿司屋は、梶原商店街の入り口近くにある。本屋と花屋に挟まれた間口6メートル、奥行き10メートルほどの小さめの店である。店に入ると左側に4人掛けのテーブル席が2つあり、右側には4人くらい並んで座れるカウンターがある。カウンターの内側で仁の父親が寿司を握り、母親がお茶を淹れたり、味噌汁を作ったり、お酒をつけたり、レジを扱ったりする。店の奥には部屋が2つあり、左側の部屋は客用の6畳の座敷で、右側の部屋は3畳の板間になっている。板間は、仁の両親が休憩したり、物を置いたりするのに使っている。この板間に沿って2階へ続く階段があり、板間の奥には裏手に出る勝手口がある。2階には寿司屋の親方が1人で住んでいる。親方が寿司屋の持ち主であり、仁の両親は親方に面倒をみてもらっていることになるわけだが、親方は70歳近くの老人で、跡取りも家族もいないので実際は逆に仁の両親が親方の面倒を見ている。板間の部屋の手前に、トイレがあり、トイレの手前に壁で仕切られて、カウンターの内側とつながっている流し台とコンロがある。
 仁の父親はいつも白い半纏(はんてん)を着て、仁と同じ丸坊主の頭に手拭いの鉢巻きをしている。源太という名前なので、通称「源さん」と呼ばれている。仁の母親は雅代という名前なので、「マーちゃん」と呼ばれている。ちなみに寿司屋の箸袋は、折り紙を折って作ったマーちゃんのお手製であり、それが店の唯一の名物になっている。

 毎週金曜日は、寄合と称して商店街の古株さんたちが奥の座敷を占拠するが、お店にとってはありがたいお客様たちであった。さて、今日、4月19日は金曜日で、いつもの通り、座敷には商店街の古株さんたちが集まっていた。時折、
「マーちゃん、ビールもう1本」とかいう声が聞こえる。
「おい、この間の巨人阪神戦を見ただろう」
「あー、見た見た」
「水曜日に阪神がバックスクリーンに3連発をぶち込んだ」
「槙原が、バースと掛布と岡田に打たれた」
「そこでだ、オレは、今年は阪神が優勝すると見た」
「何い、乾物屋は巨人ファンのはずだろ、なあ洋品屋」
「そうだそうだ、阪神が優勝するなんて間違っても口にしちゃぁいけねぇな」
「本屋さん、オレは根っからの巨人ファンだよ、だから阪神が優勝するとは言ってねぇ、優勝するかも知れないと、ちょっと心配になっただけさ」
 そう言って乾物屋と呼ばれた男は満面の笑みを浮かべた。ここで、それまで黙っていた若い男が、
「だけど槙原も気持ちよく打たれ過ぎだよ」
 と言うと、洋品屋と呼ばれた男が口をとがらせながら、
「いや、二代目さんよ、あれは打った方をほめなきゃなぁ」
 と言う。すると、本屋と呼ばれた男が、
「おいおい、洋品屋まで阪神の味方をするのかよ」
 と言う。乾物屋と洋品屋が同時に、
「いや、オレは巨人ファンだ」と言う。
 乾物屋と呼ばれた男は、今は「スーパー武田」の主人だが、娘婿の代になって店を拡張する前は乾物屋だったから、仲間内では未だに乾物屋と呼ばれている。ずんぐりむっくりの体つきで頭が見事に禿げ上がっている。緊張すると満面の笑みを浮かべて誤魔化す癖がある。洋品屋と呼ばれた男は、乾物屋に次ぐ古株で、背がひょろ長い。すぐに口をとんがらせる癖がある。本屋と呼ばれた男は、洋品屋に次ぐ古株で、大柄な体つきをしている。両手を挙げてガッツポーズをする癖がある。二代目と呼ばれた男は、仁の家の隣の町工場の二代目で、体調のすぐれない父親に代わって寄合には欠かさず参加している。
 そこへ、障子を開けて、アスナが入ってきた。ジーンズに白い割烹着という出で立ちだ。お盆にビール瓶が1本載っている。
「さあ、みなさん、お待ちどうさま」
 とにっこり笑って言うと、ビールをテーブルに置いてさっさと出ていく。アスナは、今日は混みそうなので手伝いにきているのだ。
「あれー、マーちゃん、若返っちゃったなぁ」
 と本屋が言うと、
「お前はアホか、マーちゃんと同じ割烹着を着ているけど、あれはアスナちゃんだよ。いつも洋品屋がセクハラなことを言うから、アスナちゃん、さっさと出ていったぞ」
 と乾物屋が言う。
「乾物屋には言われたくないよな」
 と洋品屋が口をとんがらせて乾物屋をにらむが、乾物屋は満面の笑みだった。
 アスナは、今日はライターをしている母親の夏子と一緒に来ていた。母親がここに来るときは、いつもある女性文化人と連れ立って来る。そして、カウンターに座っておしゃべりをする。その女性は、日本語の達者なアメリカ人のおばあさんで、髪の色が白いので一見すると日本人のおばあさんにも見えるが、日本人のおばあさんは着ないような明るい色の服をいつも着ている。今日も普段着のままの常連さんたちの中にあって、オレンジ色の花柄の服は1人だけ垢抜けしている。文化人とは、アスナが付けたあだ名だ。母親がまだ学生の頃、旅行中にその頃は長野に住んでいた女性文化人の家に泊まったことがあったらしい。文化人は元々は画家で、その旦那さんは、やはりアメリカ人で、日本文化を研究する学者だったので夫婦で日本に来ていたらしい。旦那さんは残念なことに、だいぶ前に亡くなったらしいが、文化人は、日本と日本人が好きになって日本に住みついている。しかし、ひとつところには住みつかず、あっちに住んだり、こっちに住んだりしている中で、偶然、アスナの母親と再会したらしい。
 アスナは、母親のライターという仕事に憧れていて、母親が文化人にインタビューしているかのような、2人のおしゃべりを聞くのがお気に入りだった。今日は、曜変天目(ようへんてんもく)茶碗とか言う茶碗の話のようだが、茶碗の話なのに宇宙が出てきたりしている。アスナは、その茶碗を見たことも聞いたこともなかったので、たいへん興味深かったのだが、始終、お座敷からお呼びが掛かって、ところどころしか聞けないでいた。だから、後で母親に聞こうと思っていた。

 午後8時頃になって、新たなお客たちがどやどやと店に入ってきた。いずれも体格のいい大柄な面々だ。それは、道場主をしているアスナの父親の弘と、父親の師匠の渡辺という大先生と、中村という中学の体育教師と、写真屋の4人だった。稽古を終えて、ここに来る途中にある銭湯で、ひとっ風呂浴びてからやってきたようだ。
「おい、アスナ、悪いけど、冷えたビールを頼む」
 とアスナの父親は言いながら、奥のテーブル席に座る。この4人が座ると、テーブルがいかにも小さく見える。
「あなた、今日の夕飯は、ここでね」
 とアスナの母親が父親に言う。
「ああ、そうだと思った」
「源さん、今日も寄合やってる?」
 と写真屋が、奥の座敷を顔で指して仁の父親に尋ねる。
「ああ、いつもと同じさ」
 写真屋は、大先生と、アスナの父親と、体育教師に、
「ちょっと・・・」
 と言いながら、奥の座敷に向かおうとする。そこへ、アスナがビールとコップを4つと漬物の皿を持ってくると、
「やっぱり、ビールが先か」
 とか言いながら、写真屋は大先生とアスナの父親と体育教師のコップにビールを注ぎ、自分のコップにもビールを注ぐ。そして、
「お疲れさまぁ」
 と言って、乾杯した後、コップを飲み干すと、
「それじゃあ、大先生、ちょっと失礼」
 と言って、奥の座敷に向かった。
「中村さんは、やっぱり体育の教師だけあって筋がいいね」
 と大先生が体育教師に言いながら、体育教師のコップと自分のコップにビールを継ぎ足している。
「いやぁ、大先生の指導が厳しいから、一生懸命ですよ」
「引き手をもっと手元に引き寄せる練習をすれば、技に切れ味が出ると思う」
「いやぁ、大先生は何でもお見通しですから・・・」
 アスナの父親は、自分でビールを注ぎ、もくもくと飲んでいる。
「ときに、一昨日の巨人阪神戦は見たか?」
「バース、掛布、岡田の3連発ですか? ええ、プロ野球ニュースで見ました。阪神、すごいじゃないですか、あっ、大先生は巨人ファンでしたっけ」
「阪神ファンだ」
「ああ、じゃいいんだ。ええ、私も阪神ファンでしてね・・・」
「嘘だ。本当は巨人ファンだ」
「ええっ、人が悪いなぁ・・・ じゃあ、今日のところは、私も巨人ファンにしときますよ」
 と言いつつ、体育教師は、大先生とアスナの父親にビールを注ぐ。大先生は笑いながら、
「嘘だよ、本当は大の阪神ファンだ」
 と旨そうにコップをあける。
「それじゃあ、阪神の優勝を祈念して、乾杯」
「アスナ、悪いけど、冷えたビールを頼む。それから、何かつまむもの」
 とアスナの父親が声をあげる。すると、仁の母親が、ビールと刺身の盛り合わせを運んできた。
「大先生、お久しぶりです。先生、アスナちゃんは、ただいまお座敷ですよ。それから、冷えてないビールはお出ししてませんから」
 ときつい口調だが、仁の母親の顔は笑っている。カウンターのアスナの母親が、
「あなたが、声が大き過ぎなのよ」
 とアスナの父親に注意する。カウンターの仁の父親が、
「お前の言い方が失礼だ」
 と仁の母親に注意する。そこへ、戻ってきたアスナが、
「まあまあまあ」
 と皆をなだめに割って入った。

 それから、床屋とやっさんが続いて店に入って来た。床屋は、
「こちとらぁ、古株さんたちみたいな隠居身分じゃなくて現役だからな、お客がいると遅くなっちまうのはしょうがねぇじゃねぇか」
 とぶつぶつ言いつつ、奥の座敷にさっさと入って行った。やっさんは、
「僕も残業で遅くなって。家へ直行しようと思ったんだけれども、そこで床屋さんと一緒になってね、源さん、ビールと、えーと、握りの上をください」
 と言った。やっさんと呼ばれた男は、商店街の近くの実家に住む36歳の独身サラリーマンである。髪を七三に分け、黒っぽいスーツを着て、黒の書類バッグを持っている。やっさんが床屋に続いて座敷へ行こうとすると、カウンターでアスナの母親と話しをしていた女性文化人が、
「やっさーん、お帰りなさい」
 と言った。
「あっ、バーバラさん、こんばんは、奇遇ですね」
 と言って、やっさんはそのままカウンターに座りこんだ。
「アスナちゃんのお母さんもこんばんは」
 とやっさんは言って、店内を見渡すと、
「あっ、道場主さんもこんばんは。大先生、お久しぶりです。あっ、中村先生お疲れ様です」
 と次々に挨拶した。
「やっさーんは、お友達が多いですね」
 と文化人が言うと、アスナの母親が、
「バーバラさんと、やっさんが、仲良しだなんて知らなかった」
 と言った。やっさんは、
「それがね、僕も最近まではバーバラさんのお顔を知ってるくらいだったのですが、この前、バーバラさんのマッキントッシュが調子悪いというので、見させていただいたのです。そうしたら、ここで特上の握りをご馳走になりまして。バーバラさん、どうもご馳走様でした」
「それがね、やっさーんは、マッキントッシュを、パパッと一瞬で治してくださったのよ」
「僕も英語版のマッキントッシュをいじるのは、初めてでしたが、治って良かったです」
「えっ? マッキントッシュって何のこと?」
 文化人は、うふふと静かな微笑を浮かべ、
「じゃあ今度は、マッキントッシュの話題にしましょうか」
 と言い、カウンターでアスナの母親がインタビューする相手は、文化人とやっさんの2人になった。
 夜も更けてきて、アスナ一家と大先生と中村先生は、そろそろ帰り支度に入ろうとした。一方、奥の座敷は、徐々に騒がしくなった。アスナ一家が帰るのなら、文化人とやっさんも帰るということで、順番にレジで精算を始めたときに、奥の座敷からアスナにお呼びがかかった。アスナが座敷に入っていくと、商店街の古株さんたちが、巨人が優勝するか、阪神が優勝するかで言い争っていた。アスナは、古株さんたちの酔いっぷりを見て、これはまずい、こちらを立てればあちらが立たずという非常に難儀な場面に出くわしてしまったと思った。体格のいい写真屋が、
「アスナちゃん、よく来た。アスナちゃんは確か阪神ファンだったよね」
 と言い、アスナが返事をする間もなく、
「おい、アスナちゃんに声をかけるなんてずるいぞ」
 と乾物屋が声を荒げた。すると、
「何を揉めているのか」
 と様子を見に来た大先生が言うと、
「おお、大先生がいらっしゃった。ご無沙汰しております」
「お前たちは、酒を飲む時間はあるが、練習する時間はないと見える」
 商店街の古株さんたちは、一応は道場の門下生であったが、写真屋以外はそれは名ばかりで、実際の練習はずーっとサボっていたのだった。
「で、阪神がどうしたって?」
「いえね、写真屋と床屋が、強硬に今年は阪神が優勝するなんて世迷い言を言うもんで、商店街の平和のために会長としてたしなめているところで・・・」
「いいか、乾物屋さん、阪神の優勝は世迷い言なんぞではないぞ」
「そうですよ。大先生の言うとおりだ」
 と知らないうちに中学の中村先生まで座敷の入り口にきていた。
 アスナは、あー、ますます事態は悪化しつつあると思った。
「じゃあ、こうしよう。今年は巨人が優勝すると思う人は?」
 と乾物屋は自分で言って、自分で手を上げた。続いて洋品屋と本屋と二代目が手を上げた。
「じゃあ、阪神だと思う人は?」
 大先生と中村先生と写真屋と床屋の4人が手をあげた。
「4対4の引き分けだ。ということで、今日はもうおしまいにしようじゃないか」
 と大先生が引き取って論争は終わるかに見えた。しかし、ほろ酔い加減の古株さんたちは引き下がらなかった。
「いや、まだ、アスナちゃんの意見を聞いていない」
 アスナは、ほら来た。だからやばいと思ったんだと我が身の不運を嘆いた。一同の目がアスナに集中し、一触即発の空気が流れた。一瞬をおいてアスナは、
「アタシはどっちが優勝するか、応援するよりも、自分でホームランを打つ方が好きよ」
 とバットを振るまねをしながら言うと、みんなが、
「オレもそうさ」
「オレだってそうだ」
 と口々に言い始めた。
「まてまて、それじゃあ、試合で決めるか」
 と中村先生が言えば、
「おお、それがいい」
「賛成」
「オレたちだって3連続ホームランくらい、わけないさ、なあ洋品屋さんよ」
 と乾物屋が言い、
「そりゃあそうさ、本屋さんもそう思うだろ」
 と洋品屋が続けば、
「当たりめぇよ」
 と本屋が締めくくった。
「では、商店街チーム対道場チームの対戦ってことでいいな」
 と大先生が乾物屋に念を押すと、乾物屋は、
「単なる勝敗だけじゃ面白くねぇ」
 乾物屋は、何事かを大先生の耳元でゴニョゴニョとささやいた。
「そんな大きなことを言うのは、あんたが酔っているからだ」
「じゃあ洋品屋と本屋にも確かめてやる」
 そこで、乾物屋と洋品屋と本屋が何やらゴニョゴニョと相談して、
「大先生、洋品屋と本屋も同意見さ」と言った。
 中村先生が、
「それじゃあ、私が中学校の校庭を借りてソフトボールの試合ができるように準備をしますが、いいですか」と言った。
 床屋は、
「こちとらぁ、お前さんたちと違って現役だからよ、休めないのさ」
 と言って不参加を表明した。同じく、仁の父親も
「店を休むわけにはいかねぇ」と不参加を表明した。
 やっさんが、
「あの~、商店街チームは、メンバーが足りないと思うので、寿司屋チームっていうことにして、常連さんも入れてほしいな」と言うと、文化人も、
「賛成、やっさーんも出てくださいね、応援に行きますから」と言った。
 仁の父親が、
「おい、雅代、親方も応援で、ほら、たまには外に連れ出してやらないとな」と言うと、
 アスナが、
「それなら、仁くんをまず参加させなくっちゃ」と言った。
 仁の父親は、
「うーむ、うーむ」と言うばかりだったが、
 中村先生が、
「私に考えがある」
 と遠くを見つめるような目をして言った。

 翌日の土曜日の昼過ぎのこと、仁の父親は、いつも店で着ている白半纏に手拭いの鉢巻きという姿のまま、自宅の1階の和室でアスナが来るのを落ち着かない様子で待っていた。おじいちゃんとおばあちゃんがいた和室は、2人の遺品を整理するという名目で、いまは父親が使っているが、遺品はほとんどそのままで整理しているようには見えない。仁の母親は、遺品は結局は捨てるしかないと割り切っていたが、仁の父親は、自分の両親のことでもあるので踏ん切りがつかないでいた。遺品の1つに、おばあちゃんの日記があった。日記を読むと、おばあちゃんの孫である仁のことばかりが書いてあった。おばあちゃんが亡くなる直前は、仁は反抗期になっていて、おじいちゃんとおばあちゃんにも、だいぶ反抗していたけれども、おばあちゃんの日記には、そういうことで困ったり、怒ったりした様子は微塵もうかがえなかった。それに対して、仁の父親も母親も仁の扱いに困っていた。今回のソフトボールの試合に、仁は断固として出ないと言い、仁の父親も母親も、仁をどうしても説得できないでいた。
 玄関でチャイムが鳴り、約束のアスナが来たことを告げた。アスナは「仁を説得する秘策」を中村先生から聞いてきて、これから仁を説得することになっていた。仁は呼ばれて、2階から降りてきて、父親とアスナが待つ居間に入った。アスナは、中村先生から預かった仁の中学生時代の反省文を見せた。その反省文に仁の父親は、心当たりがあった。反省文には、
「勝敗にこだわる体育は楽しくない。下手な人でも楽しい体育にしてほしい」
 と左利きの仁らしい四角ばった文字で書いてあった。父親は仁に、
「てめえはあの頃、嘘ばっかりつきやがって・・・」
 と言い掛けたが、仁は父親をさえぎって、
「いや、この反省文は本当に思ったことを書いたんだ・・・」
 と言った。すると、アスナが、
「本当に本当なのね」
 と突っ込みを入れた。ソフトボールの試合には死んでも出ないと固く決めていた仁の心がわずかに動いた。そこへすかさずアスナがさらに切り込んだ。
「仁くん、下手な人でも楽しいソフトボールよ。アタシのために出ると言って」
 仁はアスナのあまりの剣幕に、つい、
「うん」
 と言ってしまい、結局ソフトボールの試合に出るはめになった。しかし、「アスナのために」とはどういう意味でアスナが言ったのか、仁にはよく分からないままであった。

第2章 1985年( 4 / 5 )

4人目の一人っ子

 5月5日の日曜日は、朝から晴れて、絶好のソフトボール日和となったが、仁にとっては、久しぶりの気持ちの重たい朝となった。父親は、とっくに起きて、寿司屋の仕込みと買い出しに出掛けており、既に家にはいなかった。母親は、3人分のお弁当を作った。仁の分と母親の分と親方の分だ。母親と親方は、今日はもちろん応援専門だ。母親は、渋る仁を連れ出すと、親方を迎えに行くために、まず寿司屋に向かった。母親は、歩きながら、
「気持ちのいい天気になって良かったよ」
 と仁に話しかけるが、仁の口は重かった。母親が来るのを待っていた親方は、仁を久しぶりに見たと言い、「大きくなった」「立派になった」とあたかも仁が自分の孫のように喜んだ。そして、たまには顔を見せてほしいと頼むのであった。仁は、やれやれ朝一番から面倒くさいことになった。だから、寿司屋に行くのは面倒くさいと言ったのにと思った。
 それから、3人で中学校に向かった。親方は、足が痛むというので3人はゆっくりと歩いた。すると、途中で初夏らしい水色のワンピース姿の女性文化人と、買ったばかりと思われる真新しい白いジャージを着たやっさんに出会った。仁は、今日は人とかかわらないように、心の中にバリアーを張って黙って過ごそうと決めたのに、朝からその誓いは破られそうであった。果たして、やっさんが仁に話しかけてきた。
「源さんの息子さんだってな。今、高校生かい?」
 仁は、蚊の鳴くような声で、
「高校2年です」と言った。
「僕のことは知ってるかな?」
 仁は、やっさんのことは知らなかったから、知らないと言った。すると、母親と親方と一緒に前を歩いていた文化人のおばあさんが振り向いて、
「私のことは、知っていますか」
 と聞いた。仁は、
「なんて耳のいいおばあさんだ」
 と驚いたが、よく見ると外国人だったので尚更驚いた。母親が、
「仁たら、ほら、バーバラさんだよ、この前話したアスナちゃんのお母さんと仲のいい・・・」
 と横から口を出したが、仁にはまったく記憶がなかった。
「今日はよろしく。頑張ってくださいね」
 と優しく言うので、仁はまたも蚊の鳴くような声で、
「よろしく」と言った。
「僕もよろしく。僕は安崎一郎。通称はやっさんです。だから、君も、やっさんと呼んでくれ」
 とやっさんは言った。
「今日の試合には、僕が勤めている会社の野球部の友達を、寿司屋チームの助っ人として3人も連れてきたんだ。僕は、下手だけど、彼等は上手なんだ」
 仁は、助っ人が来るとは知らなかったし、会社には野球部があるというのも知らなかった。会社の放課後に集まって、社員が校庭で練習するのだろうか? 会社に放課後や校庭があるとは思えないし。仁の想像する会社とは、隣の町工場が精一杯だった。

 仁にとって、中学校の校庭は、2年ぶりだった。校庭と隣の自動車教習所の間に並んでいるイチョウの木々が、青空の下に青々と元気にあふれていた。しかし、仁には、この校庭で元気にあふれたような思い出はなかった。ソフトボールについては尚更だった。しかも今日は、あの中村先生が、再び仁の前に登場する。仁にとって、意外だったのは、仁のことは何も分かっちゃいないと思っていた中村先生が、嘘つき事件ばかり起こした仁の反省文を、大事に取ってあったことだ。仁は、中村先生は一体何を考えているのだろうと不安に思った。
 寿司屋チームは、ばらばらに集まってきたが、道場チームは、一団となってやって来た。道場チームは、今朝は一旦、道場に集合してからやって来たのだ。その一団の中に、赤いジャージ姿のアスナと青いジャージ姿の雄一がいた。アスナの両親と大先生と師範代の大学講師もいた。そして、写真屋と駐在所のお巡りさんもいた。今日は非番らしい。他に、顔の知らない会社員風の人や、OL風の女性がいた。
「さすがに、体育会系は違うな」
 と仁は思ったが、道場チームの所属にならなくて良かったと思った。校庭の隅に白い乗用車が1台停められてあった。仁が近寄ろうとすると、
「仁くん、おはよう。来てくれてありがとう。今日は頑張ろうね」
 と言いながらアスナが近づいてきた。仁が車を見ているので、アスナはつけ加えた。
「この車はね、祥子(さちこ)ちゃん一家の車よ。今日は、祥子ちゃんのお父さんが道場チームに参加するの。祥子ちゃんのお父さんは、アタシのお母さんの弟なの、知ってるわよね」
 と言った。
 仁は、祥子のことを少しだけ覚えていた。確かアスナの従妹で、一人っ子で、生まれつき耳が聞こえなくて、父親が銀行員で、転校の多い子だったと思った。仁が小学6年生のときに、1回だけ会った(というより見ただけだったが)。そのとき、祥子は確か小学3年生で、小さな体に不似合いなくらい大きな眼鏡をかけていた。仁がアスナに、
「すごい眼鏡だな」
 と思わず言って、
「そういうことを言わないの」
 とアスナに坊主頭をピシャリとたたかれたことを覚えている。それから、どっか遠いところへ引っ越して行って、一昨年、また東京に戻ってきたということだ。
「ほら、祥子ちゃんたちがあっちを歩いている」
 とアスナが言う方を見ると、祥子と両親がイチョウの木の下を歩いていた。祥子は中学2年生になったはずだが、相変わらず小柄な体つきで、おかっぱ頭に大ぶりの眼鏡をかけていた。アスナによれば、祥子は見かけによらず、剣道が得意なのだそうだ。祥子は、あんな小さな体で、耳が聞こえないことと、度の強い眼鏡を背負っているのだと気付いて、仁は重たい気分になった。目が悪くて耳が聞こえないならば、1人で過ごすことが多いのに違いない。けっこう可哀想な奴なのだろう。僕みたいに心の中にバリアーを張って、うかつに人とかかわらないように生きているに違いない。目が悪くて耳が聞こえないのだから、責められ方も半端ではないに違いない。僕だったら自殺するかも知れないという境遇だ。そうだ、祥子と出会ってから、しばらくしたらワンコが死んで、おばあちゃんの具合が悪くなった。そして、あっという間に亡くなってしまった。すると、今度はおじいちゃんの具合が悪くなって、おじいちゃんも死んでしまった。思えば、あれから、仁の周りの世界はすっかり様子が変わってしまった。祥子は、それこそ疫病神なのではないか。仁は、祥子のことを思い出すにつれ、縁起の悪い何かむずむずするものを感じた。

 みんなが集まり、試合開始予定の時刻になると、中学の体育教師の中村先生がきりっとした声で、
「集合!」
 と号令をかけた。みんなはなんとなく、ホームベースのまわりに輪のように集まった。すると、また中村先生が、
「大会会長挨拶!」
 と声をはりあげた。商店街で1番の古株の乾物屋が一歩踏み出すと、帽子を取って一礼する。みんなも慌てて、帽子を取って一礼した。乾物屋は、帽子を手に持ったまま中村先生よりも大きな声をはりあげ、
「おはようございます」
 と言った。顔は満面の笑みだ。みんなもつられて、
「おはようございます」
 と大声を張り上げた。
「えー、本日は5月5日、日曜日でこどもの日です。お日柄もよく、これもみなさまの日頃のご精進の賜物と思います。本日はここにおられる中村先生のお陰で中学校の校庭とソフトボールの用具を借りることができました。本当にありがとうございます」
 と一礼する。またもや、みんなはつられて、
「ありがとうございます」
 と一礼した。みんなが乾物屋につられる様子がおかしくて、仁の横にいたアスナがぷっと吹き出した。
「本日はけがのないように頑張りましょう」
 みんなからのパラパラとした拍手の中、アスナは、
「会長も毛がない」
 と仁にささやいて、くっくっくと腹をかかえた。続いて、中村先生が、
「本日のルールを説明します」
 と言った。
「先ほどのキャプテン同士のじゃんけんにより、道場チームが先攻、寿司屋チームが後攻となりました」
「キャプテンって誰だぁ」
 と言う声が飛ぶ。すると、「しっ」と言う声がいくつも飛び交った。
「今日は7回戦で行ないます。それぞれのキャプテンは、今から15分以内に、このメンバー票の打順に合わせて、名前と守備位置を記入して、私に提出してくださぁい」
「選手は各自で準備運動をしてくださぁい」
 と中村先生は叫んだ。
 仁は、中村先生の顔をまともには見られなかった。しかし、中村先生の方も仁を敢えて見ようとはしなかったので、仁はなんとなく胸をなでおろした。

 それぞれのチームは、メンバー票を囲んで円陣になった。仁のいる寿司屋チームは、乾物屋と洋品屋と本屋が3番、4番、5番を誰が打つかで揉めていた。やっさんの連れてきた3人の助っ人がバッテリーとサードを守り、1、2番と6番を打つことになった。仁はライトで9番を希望し、それが認められてややホッとした。すると、やっさんはセンターで8番を希望して、やはり認められた。そして7番は町工場の二代目でファーストを守ることになった。
 道場チームは、アスナがピッチャーになり、雄一がキャッチャーになった。中村先生はアンパイアの場所にすっくと立った。仁は初回の守備につくため、中学校から借りた用具入れからグローブを探した。仁はグローブを持っていなかった。仁は左利きだが、運悪く左利き用のグローブは用具入れにはなかった。寿司屋チームには、仁のほかに左利きはいなかった。道場チームにも左利きはいなかった。仁は、やむなく右利き用のグローブを取って守備位置についた。右利き用のグローブを右手にはめるのは、仁にとっては難しく、やむなく、左手にグローブをはめた。この瞬間から、仁の胸は嫌な予感でざわついた。やっぱり、今日の試合には来ない方がよかったと仁は思った。

 中村先生が五月晴れの空に手を上げて、「プレイボール」を宣言した。やっさんの会社からきた助っ人のピッチャーは、球が素晴らしく速く、しかもコントロールも抜群だった。道場チームの1番打者はアスナだったが、1球目は手が出ずストライク、2球目は空振りでストライク、3球目はゆるい釣り球でボール。あの釣り球に引っかからないのは、さすがにアスナだった。しかし、4球目の低目のゆるい球を打ちそんじて、サードにゴロが飛んだ。やっさんの会社からきた助っ人のサードがまたうまかった。華麗にさばいてワンナウトだ。
 2番打者は雄一だった。1球目、見逃しのストライク、2球目、空振りのストライク、3球目は見逃してボール、4球目を打ってボテボテのゴロと、アスナとまったく同じ道にはまる。違っていたのは、サードゴロではなく、今度は、乾物屋の守るショートへのゴロだったが、サードの助っ人が飛ぶように走ってきて見事にさばいた。その間、乾物屋は一歩も動かず呆然と立っていた。そして、アウトになったのを見て満面の笑みを浮かべた。すると、セカンドの洋品屋が口をとんがらせて、乾物屋をやじった。
「乾物屋さぁんよぉ、ショートの守備は楽そうだね」
 レフトの本屋が両手を上げて曲げたり伸ばしたりを繰り返す得意のガッツポーズをしてみせながら、
「乾物屋さーん、その調子」
 と叫んだ。乾物屋は、満面の笑みのまま、洋品屋、本屋に向かって次々に手を振った。
 3番は道場に通う元高校のソフトボール選手という体格のがっしりしたOLだった。バッターボックスで素振りをする姿が流石と思わせた。しかし、結果はいい当たりのサードライナーで万事休す。仁は、自分のところに球が飛んで来ずにチェンジになったので、やれやれ不幸中の幸いだと思いながらベンチに戻った。

 1回裏の寿司屋チームの攻撃は、1、2番がやっさんの会社からの助っ人だ。仁は、今日は黙っていようと思ってベンチの隅っこに座った。すると、やっさんが隣に座って、
「うちの連中、うまいだろう」
 と自慢気に語りかけるので、仁はやむを得ず、
「ええ、お陰で僕はありがたいです」
 と言って黙った。アスナの立ち上がりは最悪だった。コントロールが定まらず、2人続けてフォアボールを出して、ノーアウト1、2塁のピンチを迎えた。しかし、この場面で乾物屋と洋品屋と本屋の古株クリーンナップトリオがアスナを助けた。
 乾物屋は、
「3番、バース」
 と声高らかに右バッターボックスに入ると、洋品屋がすかさず、
「バースはいつから右打ちになったー」
 とちゃちゃを入れた。乾物屋は慌てて左バッターボックスに移って構えたが、よく見ると右手を上に握ったままだった。アスナの球に全てホームラン狙いの大振りでたちまち三振する。次は、4番掛布の洋品屋だが、またもやホームラン狙いの大振りで三球三振に倒れる。
 その次は、5番岡田の本屋だ。洋品屋が、
「球をよく見ていけ、大振りはするなー」
 と自分を棚に上げて叫ぶ。しかし、本屋は貴重な忠告を無視して大振りをする。すると、たまたまバットのどこかに球が当たってピッチャーとファーストの間に転がった。ファーストの元ソフトボール選手のOLが飛び出して掴み、3塁と2塁を見ると、各ランナーはすでに素早く進塁していた。1塁を見ると誰もベースカバーに入っていなかった。そこでやむなくボールを持って1塁に走ったが、間一髪、本屋が駆け抜けた後だった。本屋は1塁上でガッツポーズを繰り返し、英雄気取りだった。
 ツーアウト満塁で向かえるバッターは6番に入ったやっさんの会社の助っ人だった。アスナの初球を軽々とレフトの頭を越えて運び、余裕たっぷりの3塁打になり3点が入った。7番の二代目は、肩に力が入り過ぎて、1塁ゴロでチェンジになった。

 2回表、道場チームのサードで4番は道場の師範代だった。本業は体育大学の講師でバリバリの現役アスリートだ。助っ人のスピードボールに師範代の振ったバットがかすかに当たり、打球はサードの上にふらふらと上がった。しかし、打球はなかなか落ちて来ずに上昇を続け、レフトの本屋にまで飛んだ。本屋はと見ると、打球を見失ったらしく辺りをうろうろしている。結局、師範代の大飛球を捕球したのはレフトまで走ったサードの助っ人だった。
 5番はセカンドを守る大柄の写真屋だ。しかし、助っ人のスピードボールは手に負えなかった。ファウルで粘ったが結局は三振だった。
 6番はセンターを守る非番のお巡りさんだが、たちまち追い込まれて、ゆるい釣り球に手を出して三振で、またも道場チームは三者凡退に終わった。

 2回裏の寿司屋チームの攻撃はやっさんからだ。バッターボックスでの様子を見ると、やっさんは仁と同じくソフトボールの才能はまったくないようだ。仁はなんとなくやっさんに親近感を覚えた。仁がそんなふうに考えていると、アンパイアの
「三振バッターアウト」
 という声が聞こえて、仁は我に返った。次はついに仁の打順だ。仁は身震いするのをどうにか抑えた。前のやっさんが凡退したので気分はいくらか楽だった。仁がバッターボックスに入ると、仁の母親と寿司屋の親方が大声で声援したので、仁の気持ちは再び地下にもぐっていった。仁の父親は寿司屋の準備のために来ていない。仁は親父が来られなくて不幸中の幸いだと思った。仁はバットを鋭く振ろうとしても振れない。どこに力を入れたらいいのか分からない。アスナの球がきたと思ってバットを振っているのだが、バットが動くのは球が通り過ぎた後だ。それを見て、仁の母親がもっと速く振れと叫ぶと、仁は焦って手が汗でベトベトになった。すると、アンパイアの中村先生がタイムをかけてくれて、
「おい、仁くん、汗を拭け。今日は楽しんでやればいいんだぞ」
 と言った。結局、仁も三振となったが、この様子を見て今度はやっさんが仁に親近感を覚えた。仁は、あの中村先生が何でこんなに優しいのかと思ったが、やはり中村先生の顔はまともに見られないままだった。
 次は1番に戻って助っ人だ。助っ人はセーフティバントでアスナを揺さぶろうとしたが、アスナは見事なフィールディングでアウトにした。寿司屋チームは三者凡退となり、2回を終わって0対3で寿司屋チームのリードとなった。

 3回表の道場チームの先頭バッターは、7番ショートの銀行員で、アスナの母親の実の弟だ。そして、祥子の父親でもあった。日頃の運動不足解消ということだが、父親としていいところも見せたいと思っているふうであった。しかし、助っ人の球はとにかく速過ぎて手が出せない。そこで先ほど助っ人がセーフティバントをしたのを思い出し、バントを仕掛けた。ボールはうまくファーストの二代目の手前に転がった。二代目がよろけながらボールをつかむと、ピッチャーの助っ人はあっという間に1塁に行って、二代目からの送球を待っている。祥子の父親は懸命に走る。二代目が送球する。間一髪でアウトだったが、道場チームのベンチから拍手が起こった。祥子の父親は苦笑いをしながらベンチに迎えられたが、確かに惜しいバントであった。
 8番は会社員だ。会社員も果敢にバントを狙った。しかし、結果はキャッチャーフライだった。
 最後は道場主のアスナの父親だ。父親は柔道6段、それにサンボという柔道に似たロシアの武術の達人でもあった。アスナの父親は、助っ人のスピードボールを強烈に打ち返し、助っ人はこのピッチャーライナーを掴もうととっさに手を出して素手で掴んだ。しかし、助っ人は右手を痛めてしまい、寿司屋チームは次の4回からピッチャーの助っ人とファーストの二代目が入れ替わることになった。

 3回裏の寿司屋チームの攻撃は、2番の助っ人は出塁したが、古株クリーンナップトリオが三者三振に倒れた。寿司屋チームのベンチで応援する文化人の横に、いつの間にかアスナの母親が座り、戦況についておしゃべりを始めた。寿司屋チームはピッチャーが素晴らしかったから完勝かと思ったが、ピッチャーが代わると、攻撃力は道場チームの方がだいぶ上だから、道場チームが追い上げて接戦になるんじゃないかというのが2人の結論だった。果たして、4回、5回、6回と回を追う毎に、アスナ、雄一、師範代、アスナの父親の活躍で、道場チームはじわじわと追い上げた。仁の守るライトには、ゴロの打球ばかりが3回来て、仁は運よくエラーをしないで済んだが、打つ方はさっぱりだった。6回が終わると、3対3の同点になっていた。

 最終回の表の道場チームの攻撃は、2番雄一からの好打順だ。雄一はショートの乾物屋の頭を越えるヒットで1塁に出た。
 続く3番のたくましいOLは、いい当たりを打ったがサード正面のライナーでアウトになった。
 4番の師範代は、ランナーを進め、かつ自分も生きようというセーフティバントだったけれども、サードの助っ人とファーストに回った助っ人のコンビネーションによってアウトになったが、雄一は隙を突いて2塁に進塁した。
 ツーアウト2塁で大柄の写真屋がバッターボックスに入ると、道場チームのベンチからたくさんの声援が巻き起こった。写真屋は一旦、バッターボックスを外し、目を閉じて精神集中しているように見えた。写真屋は二代目の初球を打った。打球はライトの仁とセンターのやっさんの間に上がった。仁もやっさんも打球を懸命に追うが、いかにも2人の走りは遅かった。一方、ランナーの雄一は早くも3塁を回った。打球の落下点で仁はやっさんと衝突してしまった。仁は、痛さをこらえながら、左利きのグローブが見つからなかったときに感じた嫌な予感が的中したと思った。打球を追わなければよかったと悔やんだ。ところが、打球は見事にやっさんのグローブの中に収まっていたから、やっさんと仁の2人は、チームメイトに温かく迎えられてベンチに戻った。それでも仁は、自分がやっさんの守備を妨害してしまったから、それを責められるのではないかと心配したが、みんなもやっさんも責めなかった。むしろ、やっさんは、仁くんはよく走ったと誉めてくれた。
「仁くんが走ったから、僕も走ったんだ。君が走らなかったら、たぶん僕も走らなかったよ。僕は走るのが苦手だからね」
 仁は、それを聞いて、今朝からずっと続いていた緊張感から解き放たれたように感じた。

 最終回の寿司屋チームの攻撃は、5番の本屋からであった。道場チームは、アスナの球速が落ちてきたので、ここで踏ん張って延長戦に持ち込むため、バッテリーを入れ替えた。雄一がピッチャーに、アスナがキャッチャーになって、少しの間、投球練習をした。雄一の球は速かった。コントロールも抜群だった。
 そのとき、ベンチで応援していた祥子がベンチから立って、バットのそばに歩み寄るとバットを手に取った。両手でグリップを持って重さを試すようにバットの先を揺らしてみている。それからバットを頭上に振り上げ降り下ろす。なるほど祥子は剣道が得意なのだ。次は、普通のバッターのようにバットを右の肩にかつぐように構え左下方に振り下ろした。それを2、3度繰り返すとバットを置いてベンチに戻り、隣に座る母親と何事か話し2人で微笑み合った。
 雄一の投球練習が終わり、アンパイアの中村先生が「プレイ」を告げた。本屋は、この期に及んでも、ホームラン狙いの大降りで三球三振に倒れた。
 続く6番は、初回に3点をたたきだした助っ人で、たちまちレフト前にクリーンヒットを打った。
 7番は、二代目で、肩に力が入り過ぎて1塁ゴロに倒れたが、その間にランナーは2塁に進塁した。
 さて、ツーアウト、ランナー2塁で、やっさんの打順となったが、やっさんは、さっきの守備で右手を負傷したのでとてもバッターボックスには立てないと言う。ならば、寿司屋チームは、やっさんの代打を送らなければならないが、さりとて代打のなり手はいなかった。そこで、やっさんは、道場チームのベンチを指して、あの女の子に打たせてあげてほしいと言った。それはさっきバットをいじっていた祥子のことだ。すると、アンパイアの中村先生が寿司屋チームのキャプテンの乾物屋を呼び、一緒に道場チームのベンチに向かった。そして、道場チームのキャプテンの大先生と祥子の母親が集まり、なにやらゴニョゴニョと相談をはじめ、ついに、アンパイアの中村先生はこう言った。
「寿司屋チーム、ピンチヒッター祥子ちゃん」
 寿司屋チームのベンチは一瞬どよめいたが、次にはそれが祥子への声援に変わった。キャッチャーのアスナは、ルールの知らない祥子に、売ったら1塁に走ることだけを丁寧に教えた。
 バッターボックスに立った祥子の構えは、まるで剣道の上段の構えのようで祥子の顔は静かな無表情に見えた。雄一の1球目は、その姿のまま身動きもせず見送って、ワンストライクとなった。次に同じコースに来た球に、祥子の目にもとまらぬ鋭い一撃が襲い、打球はピッチャー雄一のグローブをはじき、センターの前へてんてんと転がった。2塁ランナーの助っ人がホームインして劇的なサヨナラゲームとなった。寿司屋チームのベンチは大歓声となった。

 アンパイアの中村先生が「ゲームセット」を告げ、みんなで道具類を片付け終わると、待ちかねた昼食会が始まった。中村先生は、
「けがをしないようにと言ったのに、寿司屋チームのピッチャーの方が負傷したのと、やっさんが負傷したのは、たいへん残念だ。ひとえに私の責任だ。申し訳ない」
 と言った。しかし、ピッチャーをした助っ人は、
「いやいや、ほんとはまだ投げられたのですけれど、潮時と思い、ちょっと嘘ついて交代しました」
 と遠慮がちに言った。すると、アスナの父親が、
「それは何よりでした。怪我をさせてしまったかと実は気になっていました。しかし、あなたのピッチングはほんとに素晴らしくて、一時はパーフェクト負けかと心配になりました」
 と笑いながら言った。やっさんは、
「僕もほんと大したことないです。実は早くビールを飲みたくて嘘を言いました」
 と負傷したはずの右手をひらいて差し上げた。
「それにしても祥子ちゃんはすごい。ヒロインだ」とやっさんが言った。
「やっさんも殊勲賞ものだよ、よくぞ祥子ちゃんに代わってくれたよ」
「そうだそうだ、やっさんがバッターボックスに立っていたら、道場チームに追い上げられていたし、延長戦で負けていたかも知れない」
「オレは、祥子ちゃんのためなら命はいらねぇってんだ」
 と乾物屋は早くも酔いが回ったのか巻き舌で言った。
 そこに、道場チームのキャプテンを務めた大先生が現れた。寿司屋チームのキャプテンの乾物屋は、大先生と缶ビールで乾杯をすると続けた。
「お陰様で巨人ファンのチームが阪神ファンのチームに勝利できて、めでたしめでたしです」
 これに、阪神ファンの大先生がどう答えるのかと一同が見守る中、大先生は、寿司屋の箸袋を取り出した。
「乾物屋さん、洋品屋さん、そして本屋さん、この箸袋を覚えていますかな」
「おい、なんだっけ」
「乾物屋さんたちは、大先生となんかゴニョゴニョと約束してた気がする」
 と二代目が言った。大先生は、
「その通り」
 と言い、折り紙で作られた箸袋を広げ折り紙の裏を見せた。そこには大先生宛に3名の署名入りでこう書いてあった。
「われらは3連続ホームランを打つことをここに誓う。約束を違えたときは、仰せに従います」
「残念ながら、3連続ホームランは出なかったので、3名には阪神優勝祈願のお参りと懇親会に付き合ってもらう」と勝ち誇ったかのように大先生は言った。
 アスナが、
「あのー、祥子ちゃんたちがお先に失礼しますって」
 と言った。
「オレは祥子ちゃんのためなら命はいらねぇ」
 と乾物屋がまた言った。すると、大先生が別の箸袋の紙に「祥子ちゃんのためなら命はいらない」と書いて乾物屋さんに渡すと、乾物屋は、すぐさまサインをした。洋品屋が、口をとんがらせて
「あー、懲りない奴はやだねぇ」
 と言いながら、自分もサインをした。
 祥子一家は自動車で来ていたのでアルコールは飲めないし、祥子は大勢の中でのおしゃべりが苦手なので、昼食会には参加せず、一同に惜しまれながら先に帰宅した。
 仁は、中学生時代のソフトボールにまつわる自らの嘘を思い出していた。それから、ピッチャーの助っ人さんとやっさんが白状した嘘に心を動かされていた。仁の心の中で結論には至らなかったけれども、少なくとも世の中には、いい嘘もあるんだと仁は思った。仁はやっさんから、今度の日曜に遊びに来いと誘われた。それから、中村先生から、
「おい、仁くん、今日のソフトボールは楽しかったか」
 と聞かれたので、
「やっぱり僕には楽しくなかったです」
 と答えながら、これは嘘だなと気付いて思わず苦笑いになったが、中村先生の目をしっかり見ながら言うことができた。すると、中村先生には、仁の気持ちが正しく伝わったらしく、目を細めて、「そうか、そうか」と笑った。
 仁は、さっきまで中村先生の顔をまともに見られなかったのは、自分が心の中にバリアーを張っていたからだと気付いた。そして、今は知らぬ間に心の中のバリアーが解けていることに我ながら驚いたのだった。

maizumi
作家:志茂井真泉
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