我ハ、しゃくじん(石神)デアル無料版

第2章 1985年( 5 / 5 )

石神

 5月11日は、雨の土曜日だった。仁の家の庭の片隅で咲き始めた皐月つつじに、雨の雫が溜まったりこぼれたりした。夜になって、仁は部屋のベッドで目をつぶり、外の雨音を聞いていた。
 ベッドに横になって目はつぶっているが、
 意識は起きているという夢。
 ベッドに横になって目はつぶっているが、
 外の物音はちゃんと聞こえているという夢。
 これは眠っているのか、いないのか、
 金縛りにあっているのかも知れない。
 体外離脱しかかっているのかも知れない。
 夢と夢の間で覚醒していたのかも知れない。
 しかし、そういう夢を見ていただけなのかも知れない。

 仁の意識は、体から半ば強引に引き離され、厚い雲におおわれた夜空に上がっていった。雨は既に止んでいた。屋根を通り抜けたはずだが、どうやって通り抜けたか細部は思い出せなかった。思い出せるのは、夜の町が下に広がっていたという実感だ。それから徐々に高度が下がってゆき、新幹線の高架を越え高台にある大木の並ぶ神社の境内に降りて行った。走ろうとして足を懸命に動かすと、少しだけ前に加速する。曲がろうとすると、ゆっくりと方向が変わる。息を止めて上に伸び上がろうとすると、少しずつ高度は上がる。しゃがみこむようにすると、少しずつ高度が下がる。限りなくもどかしく、じれったい動きだった。足を動かし過ぎたのか、筋肉に尿酸が溜まったかのように、足がたまらなく重くなった。しかし、足を動かさずにはいられなかった。体中から脂汗が出てくるのが分かった。境内に着くと、自分の体の中から自分とは別の声がした。
「我ハ、石神(しゃくじん)デアル」
 と仁の中の仁ではない声がそう告げた。仁は訳が分からずパニックになりそうになったが、そうか、これは夢に違いないと気付いて落ち着きを取り戻した。そう言えば、手を広げて足をばたばたさせると空が飛べる夢を見たことがあったのを思い出した。得体の知れない声は続けて、
「我ハ、森羅万象ノ盛衰ヲ1000年ニ渡リ見定メテキタ八百万(やおよろず)ノ神ノ一族デアリ、天ニ帰還スルタメ、オ前ヲ見出シタ。帰還ノ儀式ヲ執リ行ウベク、オ前ノ村ノ長(おさ)ニ告ゲヨ」
 と言った。仁は、何の意味か全く分からなかったが、おかしな夢を見るものだなあと思った。仁は、かなり落ち着きを取り戻せたので、成り行きを見守ることにした。すると、
「返事ヲセヌノハ何故カ? 言葉ノ意味ガ分カラヌノカ?」
 と声は尋ねた。仁は、ますますおかしいなと思ったが、思い切って、
「なんだか分からない、僕には関係ないと思う」
 と思うままを言ってみた。すると、声は同じ言葉を今度はゆっくりと繰り返した。
「我ハ、森羅万象ノ盛衰ヲ、1000年ニ渡リ見定メテキタ、八百万ノ神ノ一族デアリ、天ニ帰還スルタメ、オ前ヲ見出シタ。帰還ノ儀式ヲ、執リ行ウベク、オ前ノ村ノ長ニ告ゲヨ」
 仁は、言葉の意味が少しはわかったが、口をあんぐりと開ける以外のことはできなかった。すると、また、
「我ハ、森羅万象ノ、盛衰ヲ、1000年ニ渡リ、見定メテキタ、八百万ノ神ノ、一族デアリ、天ニ、帰還スルタメ、お前ヲ、見出シタ。帰還ノ儀式ヲ、執リ行ウベク、オ前ノ村ノ長ニ、告ゲヨ」
 と繰り返した。仁は、言葉の意味がわかるにつれ、頭には疑問が次々にわいてきた。こいつはいったい何者だ。言葉は日本語には違いないが人間離れした話し方だ。何でこいつは僕を狙い打ちにするのか。森羅万象の盛衰とは何か。帰還の儀式とは何か。そして、とにかく巻き込まれたらたいへんそうだ、知らぬ存ぜぬを貫こうと心に決めた。それから、石神という奴が何を言おうが、仁はダンマリを貫いた。やがて、石神は、
「今夜ハ、コレマデトスル」
 と告げた。すると、体が急に楽になった。寝汗をかいていたことに気付いた。そっと目を開けて見ると、仁は自分のベッドに横になっていた。仁は、まったく何て不気味な夢を見たものだ。もう一度寝て忘れようと思って寝返りを打った。さっきはあんなに重くなっていた手足が、軽く動くので気持ちも軽くなった。

 *

 明くる日曜日の朝、仁は気持ちよく起きて、昨夜の不気味な夢のことはすっかり忘れていた。そうだ、今日は、やっさんの家に行くんだと、ソフトボールの後にやっさんとした約束を思い出した。やっさんは、やっさんのコンピューターを見せてくれると言ったのだ。仁は、やっさんが自分専用のアーケードゲーム機でも持っているのかと思ったが、どうもそうではなさそうだ。しかし、仁は、コンピューターが何なのか、実はよくは知らなかった。
 やっさんの家は寿司屋の裏手にある一軒家で、お袋さんと一緒に住んでいた。庭に花水木があり、きれいに剪定されていて、ほどよく花が咲いていた。仁は、手入れのいい庭が気に入った。やっさんには2つ年下の弟がいるが、千葉県の小学校の先生になっていて、千葉県に住んでいるとのことだった。
 やっさんは2階の2部屋を自分の部屋にしていて、たくさんの本とコンピューターに囲まれていた。やっさんはコンピューターのことをパソコンと呼んでいた。PC8801、PC9801、マッキントッシュというパソコンが2台ずつあった。ほかにもプリンタやイメージスキャナーやワープロがいくつかあった。
 仁は、四角い箱のようなマッキントッシュに親近感を覚え、近寄って触ろうとすると、やっさんはこれが自慢だとばかりにマッキントッシュを起動させると、
「ほれほれ、漢字が使えるんだ」
 と言うが、仁にはよく分からない。
「ほかのパソコンは、漢字が使えないの」
 と尋ねると、使えると言う。つまり漢字が使えるマッキントッシュは、まだ発売されてはいないが、やっさんはそれを持っているところが自慢らしい。しかも、やっさんは、1人で自作したかのように言う。
「ときどき来いよ。いろいろ教えてやる」
 とやっさんは言った。こんなにパソコンを持つとは、やっさんは金持ちなのかと尋ねると、やっさんは、コンピューターエンジニアで昨年課長職に昇格し、冬のボーナスをたんまりもらったのだと言う。来月にはまたボーナスをもらうから、仁がパソコンをやりたいなら、買ってあげると言った。
 次に、やっさんは頭が良かったのかと尋ねると、仁の工業高校の先輩だと言う。仁は、将来は寿司職人になるか、職工になるかと思っていたけど、やっさんのようなコンピューターエンジニアになるのもいいと思った。
 そして、仁は、やっさんに、パソコンをやりたいから是非パソコンを買ってくださいと言ってしまった。後で両親に怒られると思ったが、意外にも両親は喜んだ。父親は、やっさんに会いに行き、お金は父親が払うから、仁にパソコンを教えてやってほしいとお願いした。

 仁は、やっさんの家で、パソコンの使い道がゲームばかりではないことに驚いた。ワープロソフトを使えば、パソコンがワープロの代わりになることが分かったが、同じようにソフトを入れ替えると、仁が想像もしなかったことがパソコンでできることを、やっさんは仁に見せてくれた。スプレッドシートソフトで表計算がたちどころにできることに驚いたが、仁にはワープロソフトもスプレッドシートソフトも魅力的ではなかった。やっさんが、近いうちに、会社では1人1台のパソコンが与えられ、事務書類の作成などは手書きではなく、みんなパソコンを使うようになると言われても、仁には全く実感が湧かなかった。それよりも、仁にはペイントソフトでお絵描きができる方が面白かった。やっさんの家には、BYTE(バイト)という名前のコンピューター雑誌があって、いろんなプログラムの例題が掲載されていた。例えば、数式と与えるパラメータに応じてフラクタル図形を描くプログラムがあり、中でもマンデルブローと呼ばれる図形を自動的に描くプログラムに仁は魅了された。仁は、いろんな役目のプログラムが集まって、みんなが使うソフトができあがっていることがなんとなく分かったような気がした。それから、パソコンが音楽を演奏するのにも魅了されたが、生憎と仁は音楽的な才能を持ち合わせておらず、魅了されはしたけれども、自分には手は出せないなと思った。

 *

 仁が不気味な夢を忘れてパソコンに熱中しはじめてから1ヶ月ほど経ち、紫陽花が咲き始めた6月のある日の夜、仁は再び石神の夢を見た。夢の中で、石神はまたもや、仁に向かって、
「我ハ、石神(しゃくじん)デアル。我ハ、森羅万象ノ盛衰ヲ1000年ニ渡リ見定メテキタ八百万ノ神ノ一族デアリ、天ニ帰還スルタメ、オ前ヲ見出シタ。帰還ノ儀式ヲ執リ行ウベク、オ前ノ村ノ長ニ告ゲヨ」
 と告げた。仁は、「また、この変な夢か」と気持ち悪く思い、再びダンマリを決め込むことにした。すると、石神は同じ言葉を繰り返し繰り返し仁に伝え続けた。仁は、ついに我慢しきれなくなって、前にこの夢を見たときに湧いた疑問をぶつけることにした。
「しゃくじんとはなんだ。お前はいったい何者だ」
「石神(しゃくじん)トハ、石ニ宿ス神デアル。我ハ、1000年前ニ降臨シ、コノ石ニ宿ス八百万ノ神ノ一族デアル」
 あたりを見ても何も見えなかったが、不思議なことに、地面に埋まっている大きくて青い色をした四角い石を身近に感じることができた。
「この青い四角い石のことか」
 と尋ねると、
「ソウデアル」
 と答えた。
「なぜ、僕を狙い打ちにするのか」
「我ハ、我ノ魂ノ一部ヲ石カラ離脱サセル。次ニ、我ハ、近クニイル人間ノ細胞ト交信スル。次ニ、ソノ人間ガ魂ノ一部ヲ体カラ離脱サセル能力ヲ秘メタ人間カドウカヲ見定メル。次ニ、ソノ人間ノ魂ノ一部ヲ強制的ニ体カラ離脱サセ、コノ青イ石ノ近クニ連レテクル。次ニ、我ノ魂ハ、ソノ人間ノ魂ト交信スル。オ前ハ魂ノ一部ヲ離脱サセル能力ヲ秘メタ人間デアル。我ノ魂ハ、離脱サセル能力ヲ持タナイ人間ノ魂トハ交信デキナイノデアル」
 仁は石神の回りくどい言い方に驚いたが、質問を続けた。
「森羅万象の盛衰を見定めるとは何のことか」
「我ハ、森羅万象ニ宿ス小サナ魂タチト交信スル。次ニ、我ハ、大地ノ動キト天変地異ヲ知ルノデアル」
「森羅万象に宿す小さな魂たちとは、お前の仲間なのか」
「ソウデアル。オ前ニ分カリ易ク伝エルナラバ、我ラノ飼イ犬ノヨウナモノデアル。彼ラハ、主ニ大小サマザマナ小石ニ宿スコトヲ好ムノデアル」
「帰還の儀式とは何か」
「帰還ノ儀式トハ、我ノ魂ガコノ青イ石カラ完全ニ離脱スル儀式デアル。我ノ魂ガ青イ石カラ完全ニ離脱スルト我ノ魂ハ天ニ帰還スルノデアル」
「お前が魂を離脱させて勝手にどこへでも帰還すればいいじゃないか」
「我ノ魂ノ力ハ、コノ青イ石カラ完全ニ離脱スルニ足リズ、幾バクカノ人間ノ魂ノ助ケガ必要ナノデアル」
「人間の魂の力の助けだって?」
「人間モ自力デハソノ魂ヲ体カラ完全ニ離脱スルコトハデキナイノデアル。人間ハ体ガ死スト、体ニ宿ス魂ハ完全ニ離脱シ、天ニ帰還スルノデアル。我ノ魂ハ、帰還スル亡者ノ魂ヲ捕マエテ、石カラ完全ニ離脱スルコトガデキル」
「つまり、生け贄を捧げろという意味だとしたら、帰還の儀式なんてもってのほかだぞ」
「カツテ、我ガ兄弟ハ、生ケ贄ノ儀式ニヨッテ帰還シタノデアル。次ニ、人間ノ魂ガ強ク念ジルト我ノ魂ノ離脱ニ必要ナアル作用ガ発サレル。大勢ノ人間ノ魂ガ一斉ニ念ジルナラバ、我ノ魂ハ石カラ完全ニ離脱スルコトガデキル」
「つまり、大勢の人間が集まってお前のために祈りを捧げろということか」
「ソウデアル」
「そうか、人間の手助けをお願いしたいのだな。その割には態度がでかいな」
「ソウデアル」
「何が、そうであるだ。それで、お前はどこへ帰還するというのか」
「ココニ降臨スル前ニ、我ガ生マレ育ッタトコロデアル。亡クナッタ人間ニ宿シテイタ魂ガ帰還スルトコロト同ジデアル」
「つまり、あの世か」
「ソウデアル」
「僕にはまったく関係ないから、面倒なことに巻き込まないでほしい」
「帰還ノ儀式ヲ執リ行ウノハ、オ前ノ役目デハナイ。我ガ知ルトコロニヨレバ村ノ長ノ役目デアル。次ニ、オ前ハ村ノ長ニ告ゲルダケデイイノデアル」
「村長はいないぞ。北区の区長はいるけど、言っても無駄だと思うけどな。だいたい夢の話なんか相手にされっこないに決まっている」
「コレハ断ジテ夢ノ話デハナイノデアル」
 仁は、念のために頬をつねってみたが、別に少しも痛くはなかった。ところが、不思議なことに、石神のビリビリとした怒りを身近に感じた次の瞬間、全身がしびれ、手足が石のように重く固くなり動かなくなった。
「我ハ、オ前ノ細胞ト交信スルノデアル。我ハ、夢デナイ証トシテ、オ前ニ告ゲルノデアル。7月、長野地方ニテ、地滑リガ起コルノデアル。オ前ガ村ノ長ニ告ゲナケレバ、大勢ノ人間ガ死スノデアル。我ガ告ゲルコトヲ重ク受ケ止メヨ。今夜ハ、コレマデトスル」
 と石神は告げた。すると、急に体が軽くなった。そっと目を開けて見ると、仁は自分のベッドに横になっていた。仁は、何て不気味な夢が続くんだろうと気が重くなった。寝返りを打つとさっきのしびれがまだ残っているように感じた。
 明くる朝、仁は石神の夢も地滑りの予告も覚えていた。何かむずむずするような気味悪さを感じてはいたが、誰かに話すと面倒なことになるような気がして誰にも話さなかった。そして、それを忘れようとするかのように、パソコンについての勉強を猛然とはじめた。

 仁は、雑誌に載っているプログラムの意味を、やっさんに解説してもらうにつれて、プログラム作りにのめりこんでいった。やっさんから雑誌とプログラミングの本を借りて、夜遅くまで読むようになった。そして、ついに仁のパソコンが仁の部屋にやってきた。それは、残念ながら仁が最初にお気に入りになったマッキントッシュではなく、やっさんに選んでもらったPC9801というパソコンであった。パソコンがきたので、仁は早速、実際にプログラムを動かしてみた。しかし、仁の作ったプログラムは、なかなか仁の意図したようには動いてくれなかった。すると、仁は諦めるどころか、逆にさらにのめりこんでいく始末だった。

 百日紅(さるすべり)の赤い花が咲き始め、学校が夏休みに入ると、アスナが頻繁に仁の部屋を訪れるようになった。それもこれも、仁が閉じこもるのを心配してのことだったが、仁のパソコン操作の腕前を認めて、
「仁くん、すごい!」
 と言ってくれた。

 やっさんはプログラミングもいいけれど、次はパソコン同士をむすぶパソコン通信をやってみようと言い出した。そして、パソコンを2台つないだ「パソコン通信セット」を自作する計画を一緒に立ててくれた。仁はやっさんに連れられて、自作パソコンのメッカであった秋葉原電気街に行くようになった。

 *

 場面は変わって、ここは1964年8月に戸隠バードラインが完成した長野県地附山(ぢづきやま)付近である。7月20日頃から戸隠バードラインに亀裂が入りはじめ、山の斜面のところどころで崩落がはじまった。地元行政は監視体制を急いで作り、地滑りの警戒をはじめたところ、7月26日午後5時頃、大轟音とともに大規模な地滑りが発生した。地附山の南東側斜面が幅約450メートル、長さ約350メートルに渡って崩れ落ちた。戸隠バードラインは寸断され、付近の老人ホームの一部が押しつぶされて26名の死者を出した。仁の夢の中で石神が予知した地滑りが現実のものとなったのだ。

 *

 仁は、夏休みに入ったこともあり、やっさんが立ててくれた「パソコン通信セット」の自作計画にまい進していた。計画が遅れているわけではなかったが、仁は昼も夜も熱中していて、テレビも新聞も目に入らなかったから、長野県で石神の予言した地滑りが起こったことに全く気付かなかった。そんな7月の終わりのある日、仁は三度目の石神の夢を見た。夢の中で、石神は仁をいきなり責めたてた。
「我ガ予言通リニ地滑リハ起コッタノデアル。予言ヲ知ラサレヌ人間ハ犠牲トナッタノデアル。次ニ、我ガ告ゲルコトヲ、オ前ハ村ノ長ニ告ゲテイナイ。災イハ繰リ返サレルノデアル。我ガ告ゲルコトヲ重ク受ケ止メヨ。我ガ帰還ノ儀式ヲ執リ行ワセシメヨ」
 仁の心の中は、半信半疑であった。心の一方では、ついに面倒なことに巻き込まれたと嘆き、心のもう一方では、これはまだ夢の一部に違いないとタカをくくっていた。しかし、石神との時間がたつにつれ、夢の中での仁の立場はどんどん悪くなった。仁は小さい頃のように泣いて誤魔化すことはできず、嘘をつくにも事態を逃れる嘘は考えられず、ダンマリを決め込むことに意味はなかった。しかし、仁は責められ続けても、以前よりも冷静に論理的に考えることができた。それはここ1ヶ月の間プログラミングに粘り強く励んだからではないかと仁は思った。そして、仁は石神が長野県の地滑りを予知した秘密に興味を覚えた。
「お前はどうやって長野の地滑りを予知したのか」
「我ガ地滑リヲ予知スルノハ、長野ノ多クノ小石ニ宿ス小サナ魂タチガ感ジル大地ノ動キヲ交信ニヨッテ知ルノデアル」
「そんな遠くの小石にも小さな魂とやらが住み着いているのか」
「ソウデアル」
「それでお前は、そんなに遠くの小石たちともいつも交信しているのか」
「ソレハ間違イデアル。小石ニ宿ス小サナ魂ハ、近クニイル魂タチトダケシカ交信デキナイノデアル。大地ノ動キハ、ヒトツノ小サナ魂カラ次ノ小サナ魂ヘト次々ニ伝エラレテクルカラ、ヤガテ我ニ伝ワルノデアル」
 仁は、それを聞いて「伝言ゲーム」を思い浮かべた。
「小石たちが感じる大地の動きとは何か」
「オ前ニ分カリ易ク伝エルナラバ、ソレハ重力場ノ変動、電磁場ノ変動、放射線ノ変動、圧力ノ変動、温度ノ変動、湿度ノ変動、成分ノ変動・・・」
 仁は石神をさえぎって、
「もういい、分かった」
 と言った。
「我ハ、オ前ニ、我ガ告ゲルコトヲ、オ前ノ村ノ長ニ告ゲヨト二度伝エタノデアル。次ニ、オ前ハ二度裏切ッタノデアル。我ガ一族ガ初メテコノ石ニ降臨シテカラ数エテ6000年ガ過ギル間、二度裏切ッタ人間ハイナカッタノデアル。今夜ハ三度目デアル。我ガ告ゲルコトヲ重ク受ケ止メヨ。我ガ帰還ノ儀式ヲ執リ行ワセシメヨ。サモナクバ災イガ繰リ返サレルト知レ。今夜ハ、コレマデトスル」
「ま、待ってくれ。お前と交信できる人間は世界中で僕だけなのか」
「ソレハ間違イデアル」
「そ、そうだろ。ならば、僕以外の誰かにも頼むべきだと僕は考えるが」
「ソウデアル」
「じゃ、もう頼んだのか」
「ソウデアル」
 仁は、突破口を見つけたと思った。プログラムのデバッグでバグを見つけた時と同じような快感が湧いた。
「誰に頼んだんだ」
「何ヲ答エレバイイカ分カラナイ。細胞ノ数ヲ答エレバイイカ?」
「そんなもの教えてもらってもしょうがない。それじゃ特徴を教えてくれ」
「我ト交信デキル人間同士ハ、接触スルコトニヨリ互イニ交信デキルノデアル」
「何だって、それじゃ、僕と接触して交信できる奴を探せということか、そんな奴に出会ったことはないぞ」
「一生ノ間ニワタッテ交信デキルモノデハナイノデアル。我ト交信スルト、ソノ後1ヶ月クライノ期間ダケハ、細胞ガアル作用ニヨリ活性化スルノデ交信デキルノデアル」
「と、とにかく誰かに頼んだことは確かなんだな」
「ソウデアル」
「それじゃ、僕はもうお前の手伝いをしなくてもいいんだな」
「ソレハ間違イデアル。オ前ハ裏切ッテハナラヌ。今夜ハ、コレマデトスル」

 仁は、目が覚めて、昨夜の石神とのやりとりを思い出した。そして、あの石神は夢ではなく現実のことなのだろうかと分からなくなった。しかし、例え、あの石神が現実のことであったとしても、最大のピンチは逃れたと思った。少なくとも仁の責任は半分に減ったと思った。
 仁は、家に残っていた2日前の新聞に長野県の地滑りの記事を見つけた。しかし、仁は、この記事が、石神の存在が夢ではないことの証拠になるとはどうしても思えなかった。あの石神が現実に存在するなんて、どう考えてみても現実的とは思えなかった。
 石神は、石神のことを、たぶん北区長に言えと言った。そして、仁が北区長に言わなかったことを裏切りだと責めた。しかし、石神のことを北区長に言いに行くのは全くばかげていると思った。北区長が、そうかと言って、大勢を集め石神の帰還のために祈りの儀式を開くはずないじゃないかと思った。では、仁の両親に相談してみるか? 学校の先生に相談してみるか? やっさんやアスナや雄一に相談してみるか? いやいや、それもばかげていると仁は思った。それでは、また石神に責められたらどうするか? 僕には無理だから別の奴に頼めというしかない。その別の奴にはすまないが、やはりそれしかないと仁は思った。仁は、自分の心が決まって少し安心した。

 8月に入り、町のあちこちで朝顔を見掛けるようになった頃、パソコン通信セットが仁の部屋でついに完成した。パソコン通信セットは、仁のPC9801とやっさんのマッキントッシュを細いケーブルで接続したもので、両方のパソコンともに仁の部屋に置いてある。原理的には、仁の部屋のPC9801とやっさんの部屋のマッキントッシュを電話網を経由して接続してもいいのだが、そうすると通信料金がかかるので、このパソコン通信セットでは、やっさんのマッキントッシュを仁の部屋に持ち込み、ケーブルで接続することにしたのだ。
 日曜日にやっさんが仁の部屋に来て、パソコン通信セットのテストを行なった。一方のパソコンのキーボードから文字を入力すると、パソコン画面に入力した文字が表示される。文章を完成させて、画面の下部に表示された「送信」に対応するファンクションキーを押すか、「送信」という表示をマウスでクリックすると、完成した文章が相手のパソコン画面に表示されるという仕掛けである。テストは難なく成功した。仁は1人で何度も何度もテストしていたのだから、うまくいって当然なのだけれども、やっさんが、
「素晴らしい、よくやった」
 と言うと、仁は嬉しくて興奮した。
「やっさん、みんながパソコン通信をするようになったら、物凄く便利になりますね」
 と言った。しかし、やっさんは、
「今のパソコン通信には、言わなかったけれども、実は大問題があるんだよ」
 と言った。
「なぜだか分かるか」
 仁にはやっさんの言いたいことがさっぱり分からなかった。
「例えば、日本中にコンピューターが100台あって、どのコンピューターでも残りの全てのコンピューターと交信できるようにしようとするとどうなる?」
 仁が黙っていると、
「答えは全てのコンピューターに99本の通信線を引かなきゃならないわけだ。じゃあ、コンピューターが1人に1台ずつ与えられて全部で1億台になったらどうなる?」
「全てのコンピューターに9999万9999本の通信線を引くなんてできないよね」
 仁は石神と小石との交信の話を思い出した。そこで、
「コンピューターは近くのコンピューターとだけ交信するようにして、その代わりにコンピューターからコンピューターへ次々に交信内容が伝わるようにしたらいいんじゃないですか」
 と言った。すると、やっさんは目を丸くして驚いた。
「そ、そうなんだよ、よく分かったな、驚いた」
 と言った。
「実は、そういう仕組みの未来のコンピューターネットワークをアメリカの国防省とたくさんの大学が協力して作ろうとしているんだよ。僕は去年、会社の仕事でアメリカの大学に行って、この目で見てきたんだよ。君はすごい。才能あるよ。いつの間にコンピューターサイエンスの最新テクノロジーを勉強したんだろう」
 と仁を誉めちぎった。仁は内心、
「夢で石神に聞いたのさ」
 と思ったがそれは言わなかった。しかし、仁はパソコン通信に、がぜん興味が湧いて、なんとか自作したパソコン通信セットを利用できないものかと考えた。

 仁の家に物干し場ができ、アスナが玄関を通らずに仁の部屋に来られるようになってから初めての大事件が起きた。それは、仁がアスナにマスターべーションを見られてしまったという大事件だ。アスナにとって、男性の性器が勃起している様を目撃したのは生まれて初めてではあったけれど、アスナは何事もなかったかのように動じないふりを一生懸命に演じ、仁は仁でアスナが知らんぷりをしてくれたお陰で、説明に窮することもなく助かったのだった。
 仁は、アスナが突然部屋に入って来ないようにする案を考えている内にパソコン通信が使えるんじゃないかと思い付いた。つまり、アスナの部屋と仁の部屋の間にパソコン通信セットを設置して、アスナが仁に用がある時は、いきなり部屋に行くのではなく、パソコン通信で相手に知らせるというアイディアだった。そうと決まれば早速とばかりに、仁はアスナに申し入れをした。それは今までの閉じこもりの仁にあるまじき積極姿勢であったから、アスナは密かに、
「アレをアタシに見られたのが仁には余程こたえたに違いない」
 と思い、賛成してあげないと悪いかなと思って承諾した。

 仁は、次の日にアスナの部屋にマッキントッシュを持ち込んだ。何年かぶりでアスナの部屋に入った仁は、アスナの部屋がずいぶん女の子っぽくなったと思った。子供の頃のアスナの部屋は、仁の部屋と大して変わらず、おもちゃの種類が違うくらいのものだった。しかし、今では女の子らしい持ち物が増えて、何やら仁が触ってはいけないものばかりになったような気がした。しかも、アスナはいつもと違ってタンクトップに異常に短い短パンという姿で、胸のふくらみや下半身のふくよかさを強調していたが、何よりもいつもに比べて肌の露出が多かった。
 アスナが窓際の机の上を片付けて、ここに置いてというので、仁はマッキントッシュを机に置き、窓からケーブルを通してマッキントッシュと接続した。
 一方、アスナはマッキントッシュよりも、仁がアスナのセクシーさについてなんて言うのか興味深々だった。しかし、仁はもくもくと作業するばかりで、今日のアスナのセクシーさについては何も言わなかった。そこでアスナはやむなく、
「どう、このスタイルは?」
 と雑誌のモデルのようなポーズをしながら仁に近寄っていくと、
「アスナって地黒だね」
 と仁はぶっきらぼう言った。アスナは心の中で、
「お前は絶対に一生モテないぞ」
 とつぶやいた。
 アスナは、パソコン通信セットができることについて、仁から説明を受けると、パソコン通信は祥子のような耳の聞こえない人にとっての電話になると気付いた。そこで、アスナは、祥子をアスナの家に呼んで、パソコン通信セットを見せることにした。

(つづく)

maizumi
作家:志茂井真泉
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