存在の涯てを物語る

(ここに典型的なわたしらの次元の作用関係の原型がみられますね。

 玲子、麻子、新島,その子供達、かれらは将来にわたり、お互いに実際に護られ気にかけられるのです。親族でなくてもね。

 彼らはやがてリアルな世界ではばらばらになり、二度と会わないでしょう。

 でも思いはつながっているのですから。


玲子 ゲルプホーフは、すぐに子供を生みました。

その写真など麻子クルトは日本で受け取っていましたが、返事を書くことが出来ませんでした。


玲子の夫は、彼らの子供が幼いうちに思いもかけず病死しました。

玲子は彼の牢獄から自由になり、ピアノを教えながら生活を立て直し、それなりの名声を得て暮らしています。

麻子クルトはそのことは知らないで、玲子を心配しているでしょうが、自分のことのほうで大変さがもっと増していくのですね。


麻子自身の罪で巻き起こした強力な恨みの源泉がありその影響によって抗いがたく不幸が次々に襲うのですが、彼女を護る力も強いので、ともかくしっかりと生きていくことは可能でした。


それ以上の実生活上の成功やキャリアを得るにはチャンスが遮られたままでした。


またお喋りになりますが、この宇宙にある物質の極小の材料の数や種類は不変だということをご存知でしたか。


科学者ががんばってここまでは解き明かしていますが、その根源の仕組みはとうてい人間だけの次元では解き明かせないことでしょう。

ここで創造主とかの存在をもってくるつもりではありません、仕組みというしっかりした概念では把握できない種類の、必然と偶然の無限の積み重ねの産物として星や石や生物や人間が次第に現在のこんな形となり、生物は適者生存の基本法則で絶滅あるいは進化していくのだとわたしらは思っています。

それは、理の当然なのです。

 

 わたしらだって、正確無比ではなく、あなたたちを護ろうとしているだけです。確率の問題なのです。

 この原子をこう押せば数珠つながりにこんな結果になるだろう、ということはわかります。

 しかしその前に、護るってどういう意味でしょうか。一人を護れば、他方にその被害をうける存在があるかもしれません。いつかはみな生を終えるのですから、できるだけ苦痛なくできるだけ幸せに全うして欲しいとは思います。


でもそれも相対的なものですから、本人がバランスよく考えてくれるといいのですが、人間の進化はまだそこまで進んでいません。そこがわたしらの限度でしょうか。このただ今の現在の人々に対する保護の限界です。はらはらして見守っているしかないことも多いのです。


耐え難い死の苦しみを味わって死んだひとの意識が歴代積み重なって大きな不安の塊を作っている、それは事実です。人間の業というべきでしょう。


それが実現するくらいなら、あっという間に意識もなく心臓が止まったほうが楽ですから、わたしらはそちらの道を選ぶよう助力しているつもりです。

大災害で命を失った場合、この例が多いのですが、残された家族はおおきな衝撃に悩むのが普通です。悲しみは悲しみとして、もし身内が余り苦しまずにあの世にいかれたのなら、そのほうを喜んであげて欲しいものです。


人間社会では安楽死、尊厳死という考えにはまだいたっていません。それは悪用されると言う恐れがあるからで、そこには人類としての倫理的進化の要があるわけです。

あるいは社会的に子供を立派に育て上げる環境の整備が必要なわけです。そうすれば、歪んだ脳のために自他ともに苦しむことはなくなり易いでしょう。


つまり、いわゆるトラウマと言う影響で、本人があくまでもたとえば母親を憎んでいると、母親は救いの手をさしのべたくてもそれが届かない、本人はますます悪循環の中にまきこまれるのです。


これは生きている人間の側でなんとか知識を理解し、克服する方法を開発し学んで欲しい部分です。



 自然災害、交通事故、殺傷、犯罪、火災、水難、紛争、戦争、飢餓、病気、悪意、いじめ、家庭内暴力、因習、カルト災害、詐欺、破産、解雇、心的障害、受験失敗、就職難、離婚、孤児、自殺、すべての苦のなかでも、地球の及ぼす災害である地震と火山爆発、洪水、竜巻など、あるいは隕石落下という天災については、わたしらにとっても余りに深遠な遠大な因果律の組み合わせが必要なため、たとえばアフリカに生まれたことが往々にしていろいろな苦の原因にぶちあたる、という事実になんらかのおおざっぱな関連を仮定することが出来るというのがせいぜいのことなのであります。


 ですから、かなりの度合いでこの種の災害の被害はランダムである、といえるでしょう。


ただ、その結果が重要なのです。生まれたことがランダムであるともいえることからも推測できるように、問題は苦の結果ないしはそれに対する対応なのであります。


ひとつは、生き延びた人は負のスパイラルに巻き込まれない、という知覚をもってほしいし、もうひとつは、死んでしまった人は自由を得て、愛する人を守護する尊い風のひとつになったのであり、そういう自覚をもつことが理想なのです。

地上にある人々の深いところにこの智恵がみつかったとき、地上ですでに極楽になることもあながち不可能ではないと思うのです。





『愛のたとえ』


風が家中を自由に通り抜けるように、四方の窓を開け放つのが保美の日課である。


雨の日には降り込む方向を考えて、それでも少しだけ開けておく。冬もともすればどこか開けておくので、夫の高次は寒がるのだが、彼はパソコン修理の電話依頼の仕事を請け負っているので不在時間が長い。

夜は絶対にシンガーソングライターの本業に時間を割く。彼の歌は流行りに逆らっているので勿論ながらライブをしても持ち出しとなる。


子供はいない。育てる暇と金が無い。保美も横浜有数の高級ブティックの雇われ店長なので、多忙は半端ではないのだ。その割には給料が少ない。


ここで妻として世間的な考えに毒され、夫を責めるような保美ではない。彼女は音楽を食べて生きている夫をこよなく愛しく思っている。得がたい宝物のように。

それゆえに保美は高次に喜んでもらうために最高のプレゼントをする。彼を喜ばせることが保美の本能であるかのようだった。彼女は喜んでプレゼントした。


「じゃ、今夜もこの体をプレゼントするわよ、あまり時間無いけど」

「うれしいな、有難くいただくよ、どんなものかな」

「高次がしたいように吸い尽くして頂戴、保美の体は、これは高次のものよ、あなただけの」

「三十分かな」

「ああ、いそがなくっちゃ」

「いそがなくっちゃ」



最初にこんなことが始まったとき、保美の体は高次を知らないまま、ただ彼に向かって全開して捧げ切られていた。彼も経験があるわけではなく、ただ体の線にそって撫で回し、その柔らかいしっとりした感覚に賛嘆の声をあげた。


「すてきだね、まるで、まるで。ああ、たとえようもない感じだ」

保美は高次が喜んでいるので、満足して微笑んだ。自分の体で喜んでいる高次を見て感じてその近さが幸せだった。保美は高次の体のすべてが好きだった。すると

「僕も保美にあげるよ」

「ナニを?」

「僕のすべてを、好きだって言ったよね」

「ぜんぶ好きよ」

「じゃ、触っていいよ、保美へあげる体に」

保美は肩をさわり、筋肉の付いた腕を撫でた。その硬さは今まで知らない人間の体である。



そのうちに、どうしてそうなったのか、保美に突然、異変が起こった。

すでにオーガズムへ向かう途上にあった。道は確かで、安心して辿っていく。


期待を裏切らない、期待以上の山の頂があった、しかしもう次の峰が待っていて、もう一段高い長い頂上があった。


しかしまだその奥にも山がそびえているのがわかった、息を吸う間もないほどにそこに吸い上げられて登った。

そこは余りに高く長いので、保美の息が続かなくなり、彼女は泣き声をあげた。

高次が動きをゆるめた。長い下り坂だった。


「どうして、どうなったから?」


保美がかすれた囁き声で尋ねた。高次がまだ大きな息をしながらだまっているので、続けて尋ねた。

「プレゼントとてもすごかったわ、私が歓びの贈り物しようと思っていたのに。高次は嬉しかったの、喜んでくれた?」

「うん、素晴らしかった。僕のプレゼントを君も喜んでくれたからなおさらね」


お互いが気に入ったプレゼントを、プレゼントと言う行為や気持ちによって達成したのだ。

それがふたりの日常であった。恋愛と性欲がなんの罪悪感や利己主義も無く、ささげる気持ちで合致していた。


 (鹿児島の奥のほうにある、昔、日置とよばれていた地域、ここには歴史上、なかなか傑出した人物が生まれていて、薩摩一国ならず日本全土を視野に入れた志を抱くものがおおく、おたがいの連帯信頼協力関係は、わたしらの次元においても強く残っております。とはいえ、ささやかな影響を与えうるにすぎませんが。


最近よくしられているところでは、徳川末期の十三代将軍家定に嫁いだ天真爛漫、恐れというものを知らぬ女性がおります。


出自は日置なのです。この出来事はまったくうまく行った事例と申せましょう。彼女は精神を病んだといわれている夫をもよく理解し、徳川慶喜にも影響を与え明治維新へできるだけ被害を少ない方法を取ることに寄与したのですが、子供を生むことがありませんでした。


この日置グループの願いはなになのか、それは重要なポストの家系に日置出身の女性を送り込み、彼らの善き意図を彼女を通じてその周囲に実現させようというものであるようです。


その後もおなじ導きを成功させ、ほとんど第二次世界大戦の終結を早めるというところまで影響を与えたこともありましたが、女性なので自ら表舞台で働くことができないのです。


なぜいつも女性なのかについても、その地域特有の男女問題の因縁があったことは確かです。小さな地域のことなので人材に事欠いたこともありましょう。ひとり久しぶりに陸軍の将校になった男がいました。


終戦時に、中国に残ることになる軍人の家族をもろともに殺させるという上層部に対して逆らって反対を表明し、一大隊の家族を生還させました。この中に偶然にも、偶然とはいえないでしょうが、日置出身の女の子がおりました。


わたしらはこの子を育て、教養もつけさせようと図りました。しかし何らかの別の意図が働き、十全の結果とはならず、この日置グループの一致団結にもかかわらず、彼女が嫁いだのは長州の旧藩主の血を引く、落ちぶれた一族でありました。


夫婦共に、育った環境には共通点があり、つまりこの場合、甘やかされたこと、どちらも無口になったという点なのですが、これが結構悪い結果を導きがちなのです。夫の高志は頭が良くまじめなところもあるのはよしとして、何よりも男前なのが仇になりました。妻となった勝子がただの面食いとう性質だけから高志に惚れたのです。


勝子は人間としての夫を理解することができないのに、自分のことは人間として扱って欲しがり、自己中心的でした。


高志は勝子を家事育児の役をする女体とだけしかみなすことができませんでした。そして自分の欲望のみを感じたのです。それ以上のことには思い至りませんでした。勿論チャンスはありました)


 


『後一歩の愛のたとえ』


高志と勝子の気持ちが最も高まっていたころ、近場の丘でデートすることになった。そこで少しキスしたりして、山すそまで下りてきたときとつぜんの雨になった。


夕闇も急に深くなり、古い寺院の茶室のような裏壁にたどり着いた。中にはいることは出来ないため、屋根の下で雨を避けて、しっかりと抱き合った。はじめての全身での抱擁だった。


 耳には雨の軒を叩く音しか聞こえない、暗闇の中でふたりはひしとお互いを感じて立っていた。硬いものが勝子の下腹に触れたがいやな感じはまったくしなかった。これが異性なのだと異なることが嬉しかった。高志の手が柔らかく勝子の股間を押した。

 

 いつのまにか勝子は太いため息をついていた。どこからくるのかわからない快い感動が高志の動かす手のひらから全身にまでひろがる、それは一押しごとに強くなる。どこまで行くのかわからないほどだった。


 雨の中に勝子のため息ともつかぬ声が響くようになったとき、高志は勝子の手を導き、自分を握らせようとした、が、勝子にはそれすらできなかったのだ。もう体が崩れ落ちそうだった。

 

高志はすばやく自分で終えた。そして勝子から手を離した。勝子はすべてが消えるのを感じた。


帰ってから濡れた服を脱いだ勝子は、三箇所丸いしみがスカート下にあるのをみつけた。高志と関係があるのだと思って満足した。


それから数年して、結婚し子供が生まれたとき、性行為ができないときでも勝子は高志に歓びを感じてほしくて、手を尽くして愛撫した。そのことを高志もよく記憶していたが、その意味をお互いにしっかり悟ることに失敗した。


無口な二人は感動してもおたがいに告げなかった。


(何か社会に貢献できなくても、個人的な小さな生活の中に完結した人生であれば、わたしらもそれはそれでよし、と幸せな人間が増えて安心するものです。どうしても何かを達成させようと強いるわけではありません。

 それどころか、なにかの拍子に大成功をおさめることにでもなると、羨む心情に影響されて、まるで取引でもあったかのように悲惨な最期を遂げることも多々あります。

 

社会的に成功できたから自身の功績であると思うのは間違いであり、逆に成功しなかったから自分は能力が無いと卑下するのも本当ではありません。


そうそう、少し混同したようです。流れと関係の無いことを喋ってしまいました。本題に戻ると、この高志と勝子夫婦ですが、日本が敗戦から次第に身を起こし、希望をもって日々復興していたころの両親のもとでふたりとも普通に愛を受けて、余り挫折することも無く呑気に善を信じて生きてきた人間でした。

その意味では決して不運を背負ってきたわけではありませんし、まじめな、しかし芯の無い二人なのでした。良くも悪くも、敗戦によって古い文化がじわじわと根底から変化していく中で育った根無し草の一種です。


しかしまだ何かを信じて希望していた時代だったでしょう。それが果たされたかのような経済的大躍進と、その衰退、失望は国全体を覆いました。もう何を信じたらいいのかわからない時代が来たのです。


わたしらが、こうなる未来を知らなかったはずはありませんが、より大きな考慮の元に、その小さな一部として、とりあえずは例の日置グループ担当の小さな後押しで、二人を結びつける手助けをしていました。

勝子が日置出身の上昇気象の強い女であり、せめて足がかりになるようにと選ばれた家柄がこの没落一家だったのです。


そうです。先に登場させた高次はかれらの息子です。およそ人の気性はその親の遺伝子とその後の環境によって形作られるものですが、そこにわたしらが手を加えようとするかといえば、ノウでもありイエスでもあります。


偶然に対し恣意的にはたらきかけることはさすがに特別な次元グループにしかできませんし、またたいていのものは物理や化学、生物学的な法則に則っています。

 性格形成の時期に、そこに関係している両親などの性格、彼らへの影響勢力を加味するとかなりの情報処理能力が要求されます。わたしらはその能力をえていますが、意図の拮抗関係もありますので、結果として現れてくる性格心情は総合的判断のなすもの、というわけです。


しかしわたしらが常にできるかぎりの幸福を子孫に願ってそうするものであることは絶対に信じてもらっていいのです。そして安心して、自分という存在をなだめてやってほしいのです。


悲しみのどん底にあっても、それは意味あるものであり、克服しもっと深い人間になるための善き配慮であると納得してほしい、決して悲運に押し倒されないでほしいのです。

安心し、信じること、それがプラスのスパイラルの根本なのですから)





『早世の愛のたとえ』


愛する人を亡くした悲嘆を考える会、そんな小さな記事をみかけるたびに山野純子は電話番号をじっと見詰める。いつのころからか、そこにインターネットのサイトアドレスが記されるようになっていくのもじっと見詰めていた。


二歳の里美を残して夫が癌でなくなるのに時間はあまりに短かった。前の恋人との辛い関係から救ってくれた、愛して止まない夫孝彦であった。早く別れるからあんなにも愛が強かったのか。


純子は里美の笑顔に救われていたし、力づけられてもいた。里美は孝彦に良く似ていた。孝彦を育てているようだった。それで生きていたと思う。


里美が大学生になったとき、いまさらと思いながらも純子はサイトを開いてみた。里美に相談すると、やってみたら、操作は教えたげるからと孝彦のように言った。


事例によりいくつかの窓ができている。パートナーを亡くした、というところをクリックする。

そこには、最近配偶者を亡くしたという若い人、老いた人らの悲しみが書き連ねてあり、同じ思いの人の言葉や励ましの言葉が、ついている。封じていたわけではないが、涙があらためて溢れた。

純子のようにもう十五年以上もたっているのは稀であった。ある投稿に目が留まった。


 「夫はまだ26歳でした。死にたくない、別れたくないと一日中言い続けました。私も死なないで、別れたくないと一日中言い続けました。そんな日もそれほど長くはなかったかもしれません。それほど癌の進行は早かったのです。

ある日、夫は意識を失いました。半日ほどでまた戻ってきて、その後はそれほど絶望的ではなく、眸がもうこの世に人のようではありませんでした。私だけが死なないで、別れるのはいやと泣いて泣いて息もとまりそうでした。

おまけに妊娠がわかったのでした。夫はそれを知っていたかのように、頷いて、私の頭を撫でてまた頷きました。大丈夫、もう僕は覚悟したよ、仕方ない、君にもう触れることが出来ないけど、いつも君の幸せを祈る存在であるだろうよ。私はいやいやとしがみついて号泣しました。いいわ、私も死ぬからと叫びました。

夜少し遅く彼が帰ってくるだけで、もしこのまま会えなかったらどうしようとパニックになりそうな私だったのです。堪えられるとは思えませんでした。夫はただ私を抱きとめていてくれました。その耳に大丈夫、安心して、護っているから、君も赤ちゃんも、夫は囁きました。

それがとても頭の中に響きました。その翌々日に昏睡が訪れ、一日して次第に息がなくなりました。頭の中で彼の声がずっと響いていました。」


それは純子の経験と重なるものであった。こんなことあるんだわ、と不思議に納得した。



東天
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