少し肌寒くなったころ、いつのまにか玲子の境遇に興味を持った人々が、次第に彼女の演奏会を計画していった。
校長が教職員を自宅に招いたとき、好奇心から玲子にピアノを少し弾いて聞かせてくれ、と頼んだ。
「もう五年間ピアノに触っていないのですったら、とても」
「どうせさあ、われわれはずぶの素人なのだから、まあ気軽に練習のつもりで、みんな聞きたいんだよ」
玲子は、麻子をちらと見た。聞かせて、頑張って、という目差しがわかった。
「じゃあ、短いのをやってみますね」
玲子は譜面も何もないピアノに向かい、指を深くまげたり伸ばしたりした。凍りついた関節をゆるめているようだった。
何の曲ともいわず、いきなり彼女は鍵盤を押した。上半身が前に傾いた、そのとたんに音の洪水があふれだした。
きらきらする水玉が転がりだし、色を変え、大きさを変え、重音になり、和音になり、しかもひとつひとつが際立ってくっきりと聞き分けられた。一本一本の指の動きのとおりに音が無限の色合いで部屋中を充たした。
感動の余り、麻子の目にたちまち涙がたまった。息を弾ませた。他の誰をも見ず、音楽に対峙している玲子を見つめていた。息を呑む気配はもちろん全員にみられたのである。
比較的短い曲で、玲子はショパンです、といい、ああ、久しぶりで汗かいちゃった、と台所へ消えた。
麻子は彼女の顔が泣きそうなのを見逃さなかった。だれがこんなとき悲しみにくれないだろう、拍手と歓声の中、玲子は比較的すばやく立ち直り笑って見せた。
間もないころ日本の大使夫人がピアノを聞かせると言う会があった。
みんな招かれたとき、麻子は音楽大を卒業したと言う夫人の演奏の平板さに辟易していた。
ふと後ろの玲子を見ると、その指が音に合わせて空で踊っていた。音楽が玲子の体に染み付いて居ることを悲しく思った。
こうして年が暮れていき、玲子のクリスマス演奏会が借りている小学校の体育館で行われることになった。
校長がどんな宣伝をしたのか、ほぼ一杯の人々が固い折りたたみ椅子に座って待っていた。
カーテンの奥から不思議な音が聞こえてくる。ピアノの指の練習、あるいは調律であるかのような、聞いたこともない和音や、旋律、不協和音、断裂した音、などである。
正しいメロディは全くなく、玲子が指の動きを思い出させているらしいと麻子には思われた。
隣にはいつのまにか、飯島徹が座っていた。
二人が玲子の一番の理解者であるかのような気がして、麻子は飯島と無言の挨拶を交わした。というのも、一度ならず玲子と飯島が同じ地下鉄に乗り、静かに話し合っているのを目撃したからである。
お互いに心の闇をかかえているのだと麻子は理解した。
玲子は、少しドレス風な服を着て、困惑した感じもありながら輝いて見えた。
最初の一音で、また麻子は感極まってしまった。音楽そのものの優れた演奏が与える感動もさることながら、玲子と一心同体であるかのようで、玲子のかわりに泣いているかのようだった。
ピアノ演奏でこんなに音の一つ一つがその美しさ、その深さが聞き分けられることを麻子は経験したことがなかった。西洋音楽は充分に耳にしていたのであるが。
音の美しさへの感動、それほどの美を引き出す能力をもちながら諦めた運命への悲しみ、玲子という稀有な人物の生活への心配、それらが麻子を圧倒したのだ。
涙は止めどもなく溢れた。曲の間中ほとんど嗚咽していた。飯島徹にはきっとわかっていただろう。わかってほしかったかもしれない。そんな全身全霊からの感動の涙を流したことはなかったのだから。
彼も涙していたのかもしれない。直立して座り、身動きひとつせず、麻子の動揺を気づいた風もみせなかったが。
麻子はほほを素手で拭い続けた。体中の水分が涙になったような気がした。
翌春にはついに飯島徹の妻がやってきた。本当に舞姫を思わせるような女性であり、たしかに夫婦の間に対話が成立せず、ギクシャクした感じを与えたが、恐らく妻はおとなしいひとであるのだろう。
麻子クルトは、飯島と玲子の間に心が通い合っていると信じたがった。情実ではなくても、あるいはそうでないゆえにより深い交流があるとどうしても見えるのだった。
また一年が過ぎるころ、日本学を専攻した麻子の夫がついに日本に職を見つけて一家で渡航するということになった。玲
子は麻子から観葉植物をみんなもらい受けた。トーマスがそんなたくさんどこに置くんだ、といったが玲子はもらうと言って聞かなかった。
五歳だという麻子の子供が特別な雰囲気を持っているのを見たとき、玲子は自分にもこんな子供が授かるかもしれないと思った。
玲子が日本語で話しかけると、その子はしっかりしたドイツ語で答えた。黒い瞳をくるくるさせてたまらなく愛らしかった。
(ここに典型的なわたしらの次元の作用関係の原型がみられますね。
玲子、麻子、新島,その子供達、かれらは将来にわたり、お互いに実際に護られ気にかけられるのです。親族でなくてもね。
彼らはやがてリアルな世界ではばらばらになり、二度と会わないでしょう。
でも思いはつながっているのですから。
玲子 ゲルプホーフは、すぐに子供を生みました。
その写真など麻子クルトは日本で受け取っていましたが、返事を書くことが出来ませんでした。
玲子の夫は、彼らの子供が幼いうちに思いもかけず病死しました。
玲子は彼の牢獄から自由になり、ピアノを教えながら生活を立て直し、それなりの名声を得て暮らしています。
麻子クルトはそのことは知らないで、玲子を心配しているでしょうが、自分のことのほうで大変さがもっと増していくのですね。
麻子自身の罪で巻き起こした強力な恨みの源泉がありその影響によって抗いがたく不幸が次々に襲うのですが、彼女を護る力も強いので、ともかくしっかりと生きていくことは可能でした。
それ以上の実生活上の成功やキャリアを得るにはチャンスが遮られたままでした。
またお喋りになりますが、この宇宙にある物質の極小の材料の数や種類は不変だということをご存知でしたか。
科学者ががんばってここまでは解き明かしていますが、その根源の仕組みはとうてい人間だけの次元では解き明かせないことでしょう。
ここで創造主とかの存在をもってくるつもりではありません、仕組みというしっかりした概念では把握できない種類の、必然と偶然の無限の積み重ねの産物として星や石や生物や人間が次第に現在のこんな形となり、生物は適者生存の基本法則で絶滅あるいは進化していくのだとわたしらは思っています。
それは、理の当然なのです。
わたしらだって、正確無比ではなく、あなたたちを護ろうとしているだけです。確率の問題なのです。
この原子をこう押せば数珠つながりにこんな結果になるだろう、ということはわかります。
しかしその前に、護るってどういう意味でしょうか。一人を護れば、他方にその被害をうける存在があるかもしれません。いつかはみな生を終えるのですから、できるだけ苦痛なくできるだけ幸せに全うして欲しいとは思います。
でもそれも相対的なものですから、本人がバランスよく考えてくれるといいのですが、人間の進化はまだそこまで進んでいません。そこがわたしらの限度でしょうか。このただ今の現在の人々に対する保護の限界です。はらはらして見守っているしかないことも多いのです。
耐え難い死の苦しみを味わって死んだひとの意識が歴代積み重なって大きな不安の塊を作っている、それは事実です。人間の業というべきでしょう。
それが実現するくらいなら、あっという間に意識もなく心臓が止まったほうが楽ですから、わたしらはそちらの道を選ぶよう助力しているつもりです。
大災害で命を失った場合、この例が多いのですが、残された家族はおおきな衝撃に悩むのが普通です。悲しみは悲しみとして、もし身内が余り苦しまずにあの世にいかれたのなら、そのほうを喜んであげて欲しいものです。
人間社会では安楽死、尊厳死という考えにはまだいたっていません。それは悪用されると言う恐れがあるからで、そこには人類としての倫理的進化の要があるわけです。
あるいは社会的に子供を立派に育て上げる環境の整備が必要なわけです。そうすれば、歪んだ脳のために自他ともに苦しむことはなくなり易いでしょう。
つまり、いわゆるトラウマと言う影響で、本人があくまでもたとえば母親を憎んでいると、母親は救いの手をさしのべたくてもそれが届かない、本人はますます悪循環の中にまきこまれるのです。
これは生きている人間の側でなんとか知識を理解し、克服する方法を開発し学んで欲しい部分です。
自然災害、交通事故、殺傷、犯罪、火災、水難、紛争、戦争、飢餓、病気、悪意、いじめ、家庭内暴力、因習、カルト災害、詐欺、破産、解雇、心的障害、受験失敗、就職難、離婚、孤児、自殺、すべての苦のなかでも、地球の及ぼす災害である地震と火山爆発、洪水、竜巻など、あるいは隕石落下という天災については、わたしらにとっても余りに深遠な遠大な因果律の組み合わせが必要なため、たとえばアフリカに生まれたことが往々にしていろいろな苦の原因にぶちあたる、という事実になんらかのおおざっぱな関連を仮定することが出来るというのがせいぜいのことなのであります。
ですから、かなりの度合いでこの種の災害の被害はランダムである、といえるでしょう。
ただ、その結果が重要なのです。生まれたことがランダムであるともいえることからも推測できるように、問題は苦の結果ないしはそれに対する対応なのであります。
ひとつは、生き延びた人は負のスパイラルに巻き込まれない、という知覚をもってほしいし、もうひとつは、死んでしまった人は自由を得て、愛する人を守護する尊い風のひとつになったのであり、そういう自覚をもつことが理想なのです。
地上にある人々の深いところにこの智恵がみつかったとき、地上ですでに極楽になることもあながち不可能ではないと思うのです。
『愛のたとえ』
風が家中を自由に通り抜けるように、四方の窓を開け放つのが保美の日課である。
雨の日には降り込む方向を考えて、それでも少しだけ開けておく。冬もともすればどこか開けておくので、夫の高次は寒がるのだが、彼はパソコン修理の電話依頼の仕事を請け負っているので不在時間が長い。
夜は絶対にシンガーソングライターの本業に時間を割く。彼の歌は流行りに逆らっているので勿論ながらライブをしても持ち出しとなる。
子供はいない。育てる暇と金が無い。保美も横浜有数の高級ブティックの雇われ店長なので、多忙は半端ではないのだ。その割には給料が少ない。
ここで妻として世間的な考えに毒され、夫を責めるような保美ではない。彼女は音楽を食べて生きている夫をこよなく愛しく思っている。得がたい宝物のように。
それゆえに保美は高次に喜んでもらうために最高のプレゼントをする。彼を喜ばせることが保美の本能であるかのようだった。彼女は喜んでプレゼントした。
「じゃ、今夜もこの体をプレゼントするわよ、あまり時間無いけど」
「うれしいな、有難くいただくよ、どんなものかな」
「高次がしたいように吸い尽くして頂戴、保美の体は、これは高次のものよ、あなただけの」
「三十分かな」
「ああ、いそがなくっちゃ」
「いそがなくっちゃ」
最初にこんなことが始まったとき、保美の体は高次を知らないまま、ただ彼に向かって全開して捧げ切られていた。彼も経験があるわけではなく、ただ体の線にそって撫で回し、その柔らかいしっとりした感覚に賛嘆の声をあげた。
「すてきだね、まるで、まるで。ああ、たとえようもない感じだ」
保美は高次が喜んでいるので、満足して微笑んだ。自分の体で喜んでいる高次を見て感じてその近さが幸せだった。保美は高次の体のすべてが好きだった。すると
「僕も保美にあげるよ」
「ナニを?」
「僕のすべてを、好きだって言ったよね」
「ぜんぶ好きよ」
「じゃ、触っていいよ、保美へあげる体に」
保美は肩をさわり、筋肉の付いた腕を撫でた。その硬さは今まで知らない人間の体である。
そのうちに、どうしてそうなったのか、保美に突然、異変が起こった。
すでにオーガズムへ向かう途上にあった。道は確かで、安心して辿っていく。
期待を裏切らない、期待以上の山の頂があった、しかしもう次の峰が待っていて、もう一段高い長い頂上があった。
しかしまだその奥にも山がそびえているのがわかった、息を吸う間もないほどにそこに吸い上げられて登った。
そこは余りに高く長いので、保美の息が続かなくなり、彼女は泣き声をあげた。
高次が動きをゆるめた。長い下り坂だった。
「どうして、どうなったから?」
保美がかすれた囁き声で尋ねた。高次がまだ大きな息をしながらだまっているので、続けて尋ねた。
「プレゼントとてもすごかったわ、私が歓びの贈り物しようと思っていたのに。高次は嬉しかったの、喜んでくれた?」
「うん、素晴らしかった。僕のプレゼントを君も喜んでくれたからなおさらね」
お互いが気に入ったプレゼントを、プレゼントと言う行為や気持ちによって達成したのだ。
それがふたりの日常であった。恋愛と性欲がなんの罪悪感や利己主義も無く、ささげる気持ちで合致していた。
(鹿児島の奥のほうにある、昔、日置とよばれていた地域、ここには歴史上、なかなか傑出した人物が生まれていて、薩摩一国ならず日本全土を視野に入れた志を抱くものがおおく、おたがいの連帯信頼協力関係は、わたしらの次元においても強く残っております。とはいえ、ささやかな影響を与えうるにすぎませんが。
最近よくしられているところでは、徳川末期の十三代将軍家定に嫁いだ天真爛漫、恐れというものを知らぬ女性がおります。
出自は日置なのです。この出来事はまったくうまく行った事例と申せましょう。彼女は精神を病んだといわれている夫をもよく理解し、徳川慶喜にも影響を与え明治維新へできるだけ被害を少ない方法を取ることに寄与したのですが、子供を生むことがありませんでした。
この日置グループの願いはなになのか、それは重要なポストの家系に日置出身の女性を送り込み、彼らの善き意図を彼女を通じてその周囲に実現させようというものであるようです。
その後もおなじ導きを成功させ、ほとんど第二次世界大戦の終結を早めるというところまで影響を与えたこともありましたが、女性なので自ら表舞台で働くことができないのです。
なぜいつも女性なのかについても、その地域特有の男女問題の因縁があったことは確かです。小さな地域のことなので人材に事欠いたこともありましょう。ひとり久しぶりに陸軍の将校になった男がいました。
終戦時に、中国に残ることになる軍人の家族をもろともに殺させるという上層部に対して逆らって反対を表明し、一大隊の家族を生還させました。この中に偶然にも、偶然とはいえないでしょうが、日置出身の女の子がおりました。
わたしらはこの子を育て、教養もつけさせようと図りました。しかし何らかの別の意図が働き、十全の結果とはならず、この日置グループの一致団結にもかかわらず、彼女が嫁いだのは長州の旧藩主の血を引く、落ちぶれた一族でありました。
夫婦共に、育った環境には共通点があり、つまりこの場合、甘やかされたこと、どちらも無口になったという点なのですが、これが結構悪い結果を導きがちなのです。夫の高志は頭が良くまじめなところもあるのはよしとして、何よりも男前なのが仇になりました。妻となった勝子がただの面食いとう性質だけから高志に惚れたのです。
勝子は人間としての夫を理解することができないのに、自分のことは人間として扱って欲しがり、自己中心的でした。
高志は勝子を家事育児の役をする女体とだけしかみなすことができませんでした。そして自分の欲望のみを感じたのです。それ以上のことには思い至りませんでした。勿論チャンスはありました)
『後一歩の愛のたとえ』
高志と勝子の気持ちが最も高まっていたころ、近場の丘でデートすることになった。そこで少しキスしたりして、山すそまで下りてきたときとつぜんの雨になった。
夕闇も急に深くなり、古い寺院の茶室のような裏壁にたどり着いた。中にはいることは出来ないため、屋根の下で雨を避けて、しっかりと抱き合った。はじめての全身での抱擁だった。
耳には雨の軒を叩く音しか聞こえない、暗闇の中でふたりはひしとお互いを感じて立っていた。硬いものが勝子の下腹に触れたがいやな感じはまったくしなかった。これが異性なのだと異なることが嬉しかった。高志の手が柔らかく勝子の股間を押した。
いつのまにか勝子は太いため息をついていた。どこからくるのかわからない快い感動が高志の動かす手のひらから全身にまでひろがる、それは一押しごとに強くなる。どこまで行くのかわからないほどだった。
雨の中に勝子のため息ともつかぬ声が響くようになったとき、高志は勝子の手を導き、自分を握らせようとした、が、勝子にはそれすらできなかったのだ。もう体が崩れ落ちそうだった。
高志はすばやく自分で終えた。そして勝子から手を離した。勝子はすべてが消えるのを感じた。
帰ってから濡れた服を脱いだ勝子は、三箇所丸いしみがスカート下にあるのをみつけた。高志と関係があるのだと思って満足した。
それから数年して、結婚し子供が生まれたとき、性行為ができないときでも勝子は高志に歓びを感じてほしくて、手を尽くして愛撫した。そのことを高志もよく記憶していたが、その意味をお互いにしっかり悟ることに失敗した。
無口な二人は感動してもおたがいに告げなかった。