M.シュナウザー チェルト君のひとりごと  その1

二章 伊豆の生活・子犬のころ( 15 / 17 )

18.おかあさんのしつけ教育

しつけ教室.jpg

 

 僕は6ヶ月のなると、僕のだいたい好きなように動けるようになっていた。時には、お父さんにだめ出しで、ダメって怒られることもあったけど…。

 

 僕とお母さんは、一日、二回の散歩のうち、朝のほうが多かった。おかあさんと散歩にでると、僕はちゃんと行きたいところを持っていたから、ドンドン、お母さん、早く早くって、僕が先に立って歩いていた。とにかくどこでもいいから、気のむくままに新しい道や、行ってみたいけど、行けなかったとこなど、だいたい自分のうちのある場所は分かっていたから、おもしろそうな所に、お母さんを引っ張って行ってた。

 

 お母さんは、僕のリードに引っ張られるように、僕のうしろを前かがみになって、早足になったり、走ったりして僕についてきた。

 

 そんなある日、フォックスさんの「イヌのこころがわかる本」を読んでいたお父さんが、おかあさん、近くにイヌのしつけ教室があったら行ってみるといいかも知れないと言い出した。こいつはお母さんを引っ張りまわしているようだから…と。

 

 僕は、もっとちっちゃい頃に、警察犬訓練所の訓練士の先生がやっていた訓練に参加したのだけれど、ちびすぎて、まだ自分の運動をうまくやれなくて日東光器のグランドの訓練からは外れていた。

 

 おかあさんは、伊豆高原動物病院の獣医さんと相談したら、ミチル先生とよんでいた先生の奥さんが、セラピードッグを作りたいので、その手始めにしつけ教室をやってるときかされた。お父さんも行ったほうがいいといって、僕が通うことが決まった。ミチル先生には、イヌのしつけと同時に、飼い主さんのしつけが必要だといわれたって。そこで、毎週一回の3ヶ月のコースに僕は通った。

 

 基本は、良いことをしたらほめて、飼い主が喜んでいるって分からせる。ダメなことをしたら、ノーといって、不機嫌さを出して僕に分からせる。どうしてもダメなことをやまなければ、背中の向けて、僕のことを無視するというのだ。

 

 しつけ教室なんて、べんきょうするところかと思ったら、他のワンちゃんたちも5~6匹集まって、楽しいおべんきょうだ。

 

 最初の教えられたのは、SHIT(すわれ)STAY(待て、そのまま)DOWN(伏せ)だった。僕は、瀬田のケンネル・エイトでは名前もないし、「お手」とかの訓練もなく、おとうさん犬や、おばさん犬や、兄弟達とぎゃあぎゃあやっていただけだから、人間とのコミュニケーションはしたことがなかった。お父さんとお母さんがはじめての僕と話をした人間だった。

 

 父さんには、良いことをやったら、グッボウイといわれ、体を撫でてもらってうれしかった。悪いことをするとノーときびしい声をだして、僕に悪いことだと教えてくれていた。

 

 それに瀬田にいたときから、僕たち、犬の世界にはえらい人、中くらいな人、いちばんビケの人がチャンと分かれていることは知っていた。だからお父さん犬に怒られたら怖かった。おばさん犬にはダメだよって、悪いことをすると教えてくれ、いいことをすると、にっこりしていた。瀬田にいるときは僕がビケだった。

 

 そんななかで、伊豆高原での僕たち3人の生活が始まったわけだけど、まぁお父さんはいちばんえらいと思っていたけど、おかあさんはというと、僕とどちらが上なんだろうって思っていた。そんなところに、お父さんがしつけに行ったらと、お母さんに言ったのだ。

 

 僕は、毎回楽しい楽しい仲間と、優しいおかあさんと、時にきびしいミチル先生とこのしつけ教室にルンルンで通っていた。

 

 実は、おあかさんもしつけを受けていたのだ。いいことをしたら、ウンとほめて、体をなでるとか、ダメなことをしたら、はっきりNoということを基本にしつけられていたのだ。僕も、この教室は楽しかったったから、よろこんでおかあさんの言うことを聞けば、それだけ僕も幸せだという気持ちになってきた。

 

 リードをつけてのHEEL(付け)という歩きはなかなかむずかしかった。どうしても僕のほうが先を歩くことになるんだ。そこでは、他の教室では使っているらしいチョウカーという、リードを飼い主さんが引っ張るといぬの首が絞まるという道具は使っていなかった。だから、お母さんの前を僕がドンドン歩いても、おかあさんは、ノーしか言えないから、僕はおかあさんの左側を同じスピードで歩くってことは、なかなかできなかった。

 

 おかあさんと僕と、どちらがえらいかという疑問は、このしつけ教室に行っても分からなかった。

 

 棒高跳びをみんなとしたり、スラロームという歩き方をしたり、ちょっこりだけど、おいしいおやつをもらったりで、うんと楽しかった。ヤッパリ、ワンちゃんたちと一緒に遊ぶのが、いちばん楽しかった。そんな3ヶ月があっというまにたった。

 

 お父さんが満足していたかどうかは分からなかった。でも、僕はお父さんとお母さんのひとり息子として愛さんれていたんだ。

 

 だから、SHITSTAYDOWNはちゃんとできるようになった。うまく人間の言うことが分かり、そのようにすると喜んでもらえると学んだんだ。けれどHEELだけは難しかった。それに、日本では当たり前の「お手」はできなかった。

 

 僕とお母さんのしつけ教室はこれで終わった。後は、毎日の生活の中で覚えていくのだ。

 

 

 

<この写真は、flickrからAndreaardenさんの“Play Group”をお借りしました> 

 

ライセンスはCreative Commonsの“表示”です

二章 伊豆の生活・子犬のころ( 16 / 17 )

19.ヒヒーンと鳴く犬

 シュナウの子犬.jpg

 

 僕は、誰か他のイヌ、イヌに限らず猫でも、友達に会うと、必ず挨拶をしなくっちゃならないって思い込んだのはどうしてだか分からない。

 

 瀬田のケンネル・エイトのイヌのお父さんから、そしておばさんイヌから、他の犬たちにはちゃんと挨拶をするんだよって教えられたのだろうと思うけど、はっきりは覚えてはいない。特に、お父さんイヌにはいろいろ怒られたから、そんな習慣が身についたのだろう。

 

 そんな僕だから、散歩していて他のイヌと出会うと、なからず鼻を合わせて、そしてお尻を嗅いで、挨拶するのが当たり前だった。

 

 でも、危険なことだったこともある。特に和犬は危険なことがあると知った。鼻を近づけて挨拶しようとすると、急に鼻に立皺をよせて、歯をむき出してワウって噛み付いてくる犬がいるんだ。最初は咬まれそうになったけれど、危険な感じはだんだん読めるようになったから噛み付かれることはなかった。

 

 お猫ちゃんにも怖い目にあったことが何度かある。

 セロちゃんのお家の庭で、僕はセロちゃんと追いかけっこをするのが大好きだった。だからお散歩でセロちゃんのお家の前を通る時は、かならず、セロちゃんはいないかなぁと、生垣の下から鼻を突っ込んで探していた。ある日、僕が鼻を突っ込んだ瞬間、何かが僕の鼻先を何かがかすめた。それは、僕が初めて知った猫ちゃんの猫パンチだったのだ。すんでの所で僕は鼻を怪我するところだった。でも大丈夫だった。僕の猫の友達のミーシャとボニーは決してそんなことはしないのに…って思った。

 

 本当に鼻を合わせることができる時には、僕は少し鼻がヒィと鳴るくらいで、静かだった。とにかく挨拶は欠かせないと教わっていたから、僕はそうするのが当たり前だと思っている。たとえ、相手がグレートデンとか、ピレニアンだとか、ボクサーみたいな大型犬でも僕はチットも怖くなかった。だからドンドン挨拶するために、そのイヌに近づく。すると、相手のイヌのお母さんが、リードを引いて、ダメでしょうってそのイヌを僕から遠ざけようとする。僕はドンドン前に出て行く。

 

 直接、挨拶ができるときは、僕はほとんど無言で、吠えもしないでしっぽを振って挨拶する。でも、僕がお父さんのポシェットとか、スバルとか、車に乗っているときは困ってしまう。イヌを見たら、僕は挨拶したいってことをお父さんと相手のイヌに訴えなければならない。

 

 だから、ヒィという鼻を鳴らす音がウンと大きな声になって、ヒッヒーンって声なる。僕の車の窓が開いていたら、僕は首を出して大きな声で、ヒヒーン、ヒヒーンといななくことになる。そうすると、周りにいるイヌや飼い主さんがビックリして僕を見る。そして、チェルト君は、お馬さんだねって笑っている。だから僕のヒヒーンは、僕の周りでは誰でも知っていて、ヒヒーンって声が聞こえると、チェルト君だって直ぐわかるようになった。

 

 ある日、お父さんとお母さんと三人で、望洋台という赤沢よりもっと遠くの、海から高い別荘地まで出かけたときのことだ。

 

 その時、車はお母さんが運転していて、僕は助手席のお父さんの膝に乗って、窓の外を眺めていた。そのとき、おばあちゃんにつれられた僕より小さなシュナウが僕の方に歩いてくるのが遠くに見えた。僕は絶対に挨拶をしなければ…と、思いっきり首を窓の外に出して、挨拶したいよってヒヒーン、ヒヒーンて鳴いた。

 

 お父さんは、僕のリードを掴みながら、お母さん、シュナウの子犬が来るよって、運転しているおかあさんに話しかけた。おかあさんはブレーキをかけながら、ゆっくりそのシュナウに近づいた。

 

 僕はヒンヒンと鳴きながら、近づいてくるシュナウの子犬を待ち構えた。

 

 とそのとき、僕は待ちきれずに、近づいてくる子犬に向かって、スバルの開いている窓から飛び出した。お父さんもお母さんもあわてた。お母さんはスバルを急停車させた。けれども、直ぐには停まれない。僕は、少しの間、お父さんに首をリードで釣られたまま、空中を四つ足をバタバタさせながら泳いでいた。息がつまって声がでなかった。苦しかった。

 

 スバルが止まると、お父さんがあわててドアを開けて、宙吊りの僕を地面に降ろしてくれた。バカヤローってお父さんが怒鳴っていた。僕は自分のしたことが全くわかっていななかった。ちょっと、そのシュナウに近づこうとしただけだったのだけれど…。

 

 お父さんは車から降りて、シュナウの子犬を連れたおばあさんに、ビックリさせてゴメンナサイってあやまっていた。シュナウの子犬も、おばあさんも、クルマからシュナウザーが降ってきたのだから、ほんとにビックリしたに違いない。

 

 僕はヒヒーンとないて、シュナウに近づき、鼻を合わせてお尻の匂いをかいで挨拶した。

 

 でも、僕はお父さんに、チェルトだって、もしリードが長かったら自分のうちの車に引かれちゃうところだったんだぞ、バカって頭をゴツンとされた。

 

 後で、お母さんとお父さんは、あのおばあちゃんは家に帰って、今日、ヒヒーンと鳴くシュナウが、クルマの窓から空中に飛び出してきたたんだよって、家の人に話しているだろうなって言っていた。きっと、ずっとずっと覚えてるに違いないって言っていた。

 

 あ~、一番驚いたのは、あのおばあちゃんとシュナウの子犬だったかもしれない。僕は、挨拶がしたかっただけなのに…。

 

二章 伊豆の生活・子犬のころ( 17 / 17 )

20.海の花火 ビックリしたなー

花火.jpg

 

 僕の怖いものはドンドン減っていった。それだけ立派な犬になってきたんだと思う。

 

 でもやっぱり怖いものはあった。

 

 一番怖いもの、それはお父さんの叱る声でもなければ、ゴツンでも、チックンの注射でも、でかい犬でもなかった。怖かったのは、時々、遠くでゴロゴロいうかみなりってお父さんが言っていたがものだ。そのゴロゴロというでかい音が、空中に広がっていって、僕のよく聞こえる耳では、とてつもない大きな音なのだ。ゴロゴロは、近づいてくると、ドッシャーン、ドッカーンという大きな音と稲妻が近くの空を走る。

 

 怖かった。僕はソファーの下にもぐりこんで、耳を前足でふさいでがたがた振るいえていた。お父さんはそれを見て、バッカダナー、家には落ちやしないいよって言っていた。そんなお父さんだって、近くに雷が落ちて、パソコンと電話をダメにされたときは、イヤーまいったねといっていた。お母さんは、そんなときは全てのエアコンのコンセントを抜いてまわっていた。

 

 そんなある日、お父さんが、おかあさんに、伊東ででかい花火大会があるから、みんなで見に行こうか…っていていた。僕は花火大会って、なんだかわかっていなかった。わあーい、みんなでお出かけだと、オデカケ、オデカケって喜んでいた。

 

 その日、夕方ちょっと前に、僕たちはスバルで伊東の町を越えて、宇佐美というところに向かう途中の海岸に出かけた。食べ物も持っていたし、飲み物もあったから、うれしくなって僕は車の窓から外を見ていた。他にも、沢山の車がその広場をだんだん埋めていった。

 

 僕たちは早く来たから、伊東の湾が良く見える一番海に近い場所で待っていた。僕は、何がはじまるんだろうって思っていた。楽しいことに違いないと持っていた。近くの車には子供たちが、ゆかたといういつもはみんなが着ない姿でうれしそうにしていた。お弁当を食べている家族もいた。

 

 夕暮れになっていくと、だんだん、海の上の船たちがよく見えるようになってきた。僕たちが、ご飯を食べ始めると、ちょうど、伊東湾に大きな船、光の塊が入ってきた。これが僕が初めて船を見た時だ。お父さんが、でかいな、さすが「飛鳥」は、といっていた。その大きな船は伊東の海上花火をお客さんに見せるために、お客さんをいっぱい乗っけて、伊東の海までやってきたのだ。まぶしい光をいっぱい灯けていた。

 

 夕闇が濃くなって、もう夜になった。と突然、ドッカーンと大きな音がして、火花が空に打ちあがっていった。そして、高く上がって、ババババーンと、またとてつもなく大きな音がして、目の前に火の粉が散って大きく開いた。お父さんは、きれいだなと言って、手をたたいていた。周りの人たちも空を見上げて、大きな声でしゃべったり、拍手したりしていた。

 

 これが花火だったのだ。僕は雷を思い出して怖くなった。ドカーン、バリバリっていう音と光が続けざまに何度も起きて、空は明るくなった。これが花火なんだって僕はやっと分かった。

 

 僕には怖いことだった。もぐりこむソファーもないし、狭い車の中では隠れる所もない。ただ、お母さんにしがみついているしかなかったのだ。お父さんとお母さんは、きれいだねぇって言って、花火を見ていた。僕は怖くて、体が震えてきた。お母さんが大丈夫って僕を抱きしめて撫でてくれたけど、僕は怖くてオシッコをもらしそうになった。

 

 お母さんが、この仔、怖がっている見たいって、お父さんに言った。まぁ初めてだからしょうがないかって、笑いながら話している。冗談じゃないって、僕は思った。

 

 そのうちに、ドカーンというのが続くようになった、ドカドカドカドカとひっきりなしにでかい音が続いた。それに一緒になって、バチバチバチバチと休みなしになってきて、くさい匂いも車の中に入ってきた。雷のいなずまを何百倍も明るく大きくした光が空じゅうを駆けまわっていた。僕は泣いていた。怖いよ怖いよ、早くお家に帰ろうよとお父さんに言った。でも分かってくれなかった。

 

 最後のものすごい音と光が消えて、見に来ていた人たちがパチパチと拍手をしていた。海が静かになって、どこかの車の中でだれかがウオーンって吠えているのがやっと聞こえた。その犬も怖かったのだろうと思った。でもその犬にむかって、ヒヒーンと鳴く元気も僕には残っていなかった。

 

 やっと車が通れるようになって、夜遅く、僕たちは静かな伊豆高原のうちに帰ってきた。やっとお家だと僕はほっとした。

 

 この夜、もう絶対に花火というものには、僕は行かないと心に決めた。たとえ、みんなと一緒で、おいしいものがあっても騙されないぞと…。とにかくビックリした夜だった。

 

 こうして、雷より怖いものが、僕に現れたのだ。

 

三章 青年の犬のころ( 1 / 20 )

21. ユニー、買い物、素敵なこと

 Certo庭.jpg 

 

 僕んちは大体、週に二回は買い物の日と決まっていた。

 

 最初の頃は、僕はお留守番だった。僕の役目は、番犬をかねてるんだからしょうがないかと思っていた。でも、一人のお留守番はつまらない。

 

 もうその頃はバリケンから出してもらっていたから、お水も飲めるし、リビングと玄関と廊下と階段(一度おっこったから怖くて登らなかったけれど)は自由に動き回ることが出来た。だからワニさんと一緒に遊んでもいた。でもつまんない。

 

 ある日、お父さんが、一度チェルトを買い物に連れて行ってみるかと言い出した。買い物って言葉は知っていたけど、本当のことは分からないでいた。僕はみんなと一緒が大好きだから、どこへでも連れて行って欲しかった。僕は早速、玄関ホールに出て、お父さんとお母さんが支度するのを待っていた。

 

 買い物用の大きなバッグを2つ持って、僕たちはスバルに乗って出かける。僕んちから、ユニーというショッピング・センターまでは7キロくらい離れていた。スバルでお母さんが運転すると、20分ぐらいの道だ。

 

 最初は、見慣れた「アリスのレストラン」とか、「大室ショッピングセンター」の前を通って、もうせん何度か行った「日東光器の」グランドを過ぎて走る。もうその先は、僕にははじめての道。急な坂を下りていくと、美術館やレストランなんかが建っている一碧湖にでる。この坂が、けっこう怖かった。お父さんにしがみついていた。

 

 一碧湖を過ぎて、道は狭くグニャグニャと曲がっている坂道を走る。そして大きな通りに出て、左に曲がると、もうそこは「デゥオ」というユニーのショッピング・センターだった。

 

 僕はお店には入りたいけど、もちろん入れない。車で一人待っていることになる。僕は、みんなと出かけるのが大好きだけれど、この車の中で、ひとりぼっちの待てが嫌いだった。僕んちのスバルは、他の車のいっぱいいる中に停まってるんだから、周りの車に人が近づいてくる。

 

 そんな時、僕はどうすればいいのかいつも困っていた。僕の家だったら、家を守るために、ワンワンって吠えればよかった。でも、車の中は、僕のうちの中のようだし、でも家とは同じではなく、僕にとっては外かも? 吠えるのがいいのか、吠えないほうが良いのかが分からない。だから僕はヒンヒンと鼻を鳴らすしかなかった。

 

 時には、僕のそんな気持ちに関係なく、ガラス越しに、わぁかわいいって、僕をなでようとしたりする人もいる。僕は誰かになでてもらうのは大好きなんだけれど、車の中に閉じ込められているから、それは出来ない。大好きですと、しっぽを振るのもなんだか変だしなぁ…。

 

 早くお父さんとお母さんが戻ってこないかなぁと、二人が入っていったユニーの入り口のほうを見張るしかなかった。

 

 お父さんたちは、一時間近くもかかって、二つの買いものバッグをいっぱいにして帰ってくる。やっと帰ってきたと、僕はうれしくなる。

 

 時には、うれしいこともある。お父さんとお母さんが、アイスクリームを買ってくるのだ。二人は、車の中で食べ始める。ミルクの良い匂いがして、僕はよだれが出てくる。ちょうだい、ちょうだいと、身をよせて行く。すると車に乗っけてある僕の水飲み用のボールに、お父さんが小さなスプーンで、ポトリとアイスクリームを落としてくれる。

 

 みんなで一緒に食べるのは、うれしい。ガンバッテ、待っていてよかったと思う。

 

 帰りは、スバルをお父さんが運転する。お母さんに較べるとスピードが速い。今度はお母さんにしがみつくことになる。ビュンビュン飛ばして、お家に帰る。

 

 もしその日、お父さんがお肉を買っていたら、僕は最高の気分になる。

 

 1キロの牛肉の塊をお父さんがキッチンで、大きなナイフを使ってステーキ(これも僕の大好きなもの)用にスライスしていく。僕はじっと我慢で、お父さんの足元にくっついている。きっと良いことがあるに違いないと信じている。

 

 お父さんが、ステーキを切り終わると、小さな肉の切れ端がいくつか残っている。僕の食事用のボールをお母さんが持ってくれば、やったあ!!だ。

 

 お父さんは、その肉の塊をポトン、ポトンと僕のボールに落としてくれる。でも直ぐには食べられない。儀式があるのだ。

 

 スティって、僕は待つように命令される。きちんと座ってお父さんを見上げる。お父さんは親指と人差し指をくっつけて、自分の目の前に持っていく。その指を僕は下から目で必死に追う。

 

 OK! が出て、僕は生肉にありつく。おいしい。やはり肉は、生に限るのだ。

だから、僕はユニーが大好きだ。僕が連れて行ってもらえなくても、時々はこの生肉が、僕のボールにポトリと落ちてくることがあるからだ。

 

 

 

徳山てつんど
作家:德山てつんど
M.シュナウザー チェルト君のひとりごと  その1
5
  • 0円
  • ダウンロード

20 / 44