M.シュナウザー チェルト君のひとりごと  その1

一章 瀬田から伊豆へ( 1 / 3 )

1.プロローグ

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 僕はミニチュア・シュナウザーのチェルト。

 

 1996年12月9日に東京に生まれたオス。一緒に生まれた6匹のなかの一番末っ子。

だから、ABC順に名前がつけられて6番目、Fから始まるフォルスタッフっていうんだ、正式にはね。

 

 でも僕は、おとうさんに、チェルトと名づけられたんだ。毛の色はソルト&ペッペー、つまり胡麻塩色。おとうさんはずっとシュナウザー犬を飼っていて、最初が、アンナ、そして二番目が、べー、そして次が僕だったからABC順に、三番目のCから始まるチェルトってつけたんだって。


 イタリア語で、「たしかに」とか「もちろん」とか「あったりまえ」っていう意味なんだって。アンナは長生きして、19歳近くまで生きたらしい。おとうさんは、それでシュナウザーにはまってシュナウザーだけを飼い続けたんだって。

 

 僕の犬のお父さんは、アメリカ生まれで、アメリカン・ケンネル・クラブのチャンピオンにもなったんだ。お母さん犬もアメリカ生まれ。チャンピオンではなかったけれど、お母さんの両親とも、やはりアメリカのチャンピオン犬だったから立派な血統なんだって。

 

 6匹もの子犬を育てるのに、犬のお母さんは大変だったみたい。でも僕は割を食ってた。お母さんのおっぱいを他の大きな兄弟・姉妹に先に吸われて、僕は入り込めなかった。六匹の中では、やっぱり一番チビで、体が小さく、体力負けしていた。

 

 

 なかなか、おっぱいにありつけなくて、猫のような声で泣いていたんだ。そしたら、お母さんが、時々大きな仔をどけて、僕の入り込む隙間を作ってくれて、何とかおっぱいにしゃぶりつくことができたんだ。そんなこともあって、僕は気の弱い、ちょっと引っ込み思案な感じの子犬だったようだ、ちっちゃい頃は。

 

 僕は、2ヶ月ほどは母さん犬と一緒に暮らしていたんだけれど、お父さんのいる犬屋さんに移された。

 

 環8の瀬田交差点の近くのシュナウザー専門の「ケンネル・エイト」って犬屋さんで、一日中、真夜中だって前の大きな道をひっきりなしに車が走って、音と揺れが来た。初めの頃はおっかなかったけど、兄弟とか、僕のお父さん犬とか、おばさん犬とか、他のお姉さん犬なんかもいて、ちっとも淋しくはなかった。

 

 店にはバリケンという犬小屋が積みあげられて、まるでアパート見たいになったハウスのほかは、店の床、全てに新聞紙が敷きつめられていて、その上を僕たちは自由に動き回っていた。

 

 何か悪いことをすると、おばさん犬に叱られた。駄目だよ、そんなことしちゃってピシッと言われた。兄弟姉妹で取っ組み合いの仕方を学んだ。ガウ、ガウとかみ合って遊んでいた。僕はちっちゃいから、組み伏せられて、悲鳴を上げたこともあった。お父さん犬に、頑張れウォンって言われた。悔しいけど、でもやっぱり一番チビだった。

 

 そんな楽しい日々が続いたのだけれど、僕の兄弟姉妹は、いつの間にか少なくなっていって、結果として僕一匹だけが子犬としてその店にいた。

 

 2月のある寒い日、店に二人連れのお客さんがやってきた。お父さん犬が、ウォン、ウォンってかすれた声で吼えた。僕は、いつものように新聞紙の上をごそごそと何か面白いもの無いかなぁと這い回っていた。

 

 お店のご主人が、お客さんに、両手を組んでくださいと言った。その瞬間、僕はお店の人にすっとすくい上げられて、お客さんの組んだ手のひらに置かれた。僕はびっくりした。

 

 「かわいいな、でもまだまだチビなんですね」って、そのお客さんが笑った。お客さんの奥さんらしい人も優しくなでてくれた。温かくて、びっくりしたのが収まった。僕はその組まれた両手の中にすっぽりはまり込んで、少し安心した。その人は、僕んちには今まで2頭のシュナウザーがいたんですよといっていた。

 

 ウォン、ウォンって吼えてた父さん犬のバリケンにはカーテンが下ろされ、お店の人とお客さんが話していた。僕は下ろされて、新聞紙の床の上を這って自分のハウスに近づいていった。僕の鼻の周りには、放射状に丸く毛が生えていて、自分の足元がいつも良く見えないで歩いていた。お腹が空いたなー、ご飯まだかなー、イヌやさんの小学生のKちゃん、まだ学校から帰ってこないのかなーなんて考えていた。

 

 それが、僕の新しい生活のきっかけだったのを、僕は知らなかった。あとで、僕のおとうさんになるそのお客さんも、僕みたいなチビが自分の所に来るとは考えていなかったようだ。良く、こんなにちっちゃかったんだぞと、手のひらを組んで見せていた。

 

 お店の人が、ミニチュア・シュナウザーは絶対、ダンジをやんなくちゃといっていた。

それにキョセイするほうが、犬にも飼い主にもストレスが少ないと勧めていたようだけれど、僕にはなんのことかわからないでいた。

 

 

一章 瀬田から伊豆へ( 2 / 3 )

2.ケンネルからの旅立ち

 

 それからの一ヶ月、瀬田のハウスで過ごしている間にヤナことが僕に起きた。どうも、あのお客さんがきたのが理由のようだった。

 

 ワクチンとかいうチックンはやられても僕はへいきだった。けれど、ある日、ぼくはじゅういさんのところにつれて行かれて、別のチックンをされて、眠くなってそのまま眠ってしまった。目が覚めてみると、何だか耳がおかしい。いたいような、かゆいような変な感じで、後ろ足でひっかいてみようとしたけどヘンな物が首の周りにくっついていて、それができない。

 

 オチンチンもおかしいぞと、首を回してみようとしても首の周りのものがじゃまして見られない。なにがなんだかわからなくて、かなしくなった。

 

 時間がたつと、耳とオチンチンがだんだん痛くなってきた。ぼくはクィーン、クィーンって泣いてしまった。痛くて、目がなみだでいっぱいになった。ぼくは痛さで体がふるえていた。甘えられるお母さんはもうそこにはいなかった。おばさん犬がガンバッテって、といってくれた。お父さんがウオンウオンと吼えて、大丈夫、大丈夫といった。

 

 生まれてすぐに尻尾は切られていたから、僕はこれで本当に立派なシュナウザーの標準の形になったのだが、でも僕は痛かった。

 

 何日かたって、312日になった。この前のお客さんが二人でやってきた。僕をひきとりにきたのだ。ナンだって? 僕はもうこの瀬田のうちで、お父さん犬やおばさん犬といっしょに楽しくやっていけないんだって、悲しくなった。

 

 お客さんは、お金を払って、店のご主人から僕の飼いかたを色々教わって、勉強していた。えさの種類とか、手入れの仕方とか。M.W.フォックス博士の『イヌのこころがわかる本』という本を買って読みなさいって、お客さんに宿題を出していた。

 

 小学校から、K君がやっと戻ってきた。そして、僕にぬいぐるみの白いふかふかのワニさんを、おみやげだよって僕にくれた。K君は、チビだった僕を可愛がってくれたのに、それがお別れだった。

 

 お客さん、それはお父さんとお母さんになる人だったのだが、バリ・ケンネルと、ドッグフードと、水飲みを買って、もとから僕のハウスにあった大好きなボロ毛布といっしょにバリケンの中に僕をそっと入れた。

 

 車に乗せられて、ぼくは瀬田の店をはなれた。車はすごいスピードで走って、あっという間に、横浜、南万騎が原のちいさなマンションのに着いた。それがぼくの旅立ちだった。僕にはもうワニさんと、ボロ毛布しかなかった。こころぼそかった。

そして、もう二度と瀬田に戻ることはなかった。

一章 瀬田から伊豆へ( 3 / 3 )

3.バリケンの中で

 

 横浜のアパートでは、新しいバリケンの中で一晩眠っただけだった。さみしい気がしたけれど、瀬田のケンネル・エイトを出発して、いろいろあって疲れていたから僕はよく寝た。オミヤゲについてきたドッグ・フードを貰って食べた。ワニさんと、ボロ毛布が僕の味方だった。

 

 でも翌朝、すぐにドタバタが始まった。いろんな人がいっぱい入ってきて、部屋にあったいろんな物をみんな運び出した。あっという間に、そのマンションはからっぽこ。僕とお客さんの二人だけが残った。後はバリケンとリード(引き綱)と、水と、ゴハンだけ。

 

 僕を手のひらに抱き上げた男の人が、どうも僕の新しいおとうさんのようだった。ニコニコ笑って、やさしい感じの女の人が僕のおかあさんのようだ。

 

 おとうさんが、では出かけようっていって、僕はおかあさんに抱かれた。おとうさんはバリケンを持って車に乗った。

 

 

 僕は、車に乗ったらバリケンに入れられた。バリケンの中だから、外の様子はあまりわからない。車の後ろの座席に横置きされたバリケンは、車が走り出したり、止まったりすると横揺れした。それで僕は少し気持ちが悪くなった。ナンだろうって、不安だった。

 

 かなり走って、今まで嗅いだことのない匂いがし始めた。湿気を僕の鼻の周りに放射状に生えた毛に感じた。そして、バリケンのなかの空気がちょっとしょっぱい感じがした。間違いなくしょっぱい。なんだか僕はわからなかった。

 

 おとうさんとおかあさんと僕は、三人で海のそばを走っていた。それが、海だと知ったのはもっと後になってから、砂浜を本当に自分で歩いたときだったので、そのときはまだ僕は海っていうものを知らなかった。車はすごいスピードで走っていた。

 

 その後も何度も走った「真鶴道路」に入ってトンネルを抜けた所で、おとうさんは車を止めて、少し休んでいこうか、おしっこもウンチもたまっているだろうからといった。ほんとのところ、僕は長い間ウンチもおしっこも我慢していた。もといた店みたいに、新聞紙が敷いてあって、どこでもおしっこが出来るような感じではなかったし、バリケンの中なんかには絶対したくなかったのだ。

 

 僕は、初めての場所にリードをつけておろされた。おとうさんがリードを持って、ちょっと引っ張りながら、おしっこやウンチをしてもよさそうな所を探してくれた。ハイ、いいよっていってくれたけど、急におしっこだってウンチだって出来るわけはない。

 

 少し歩いて、だんだんおしっこが近づいてきたから、僕は腰を下げておしっこをした。おとうさんが、なんだ、女の子みたいだと笑った。でもウンチは出なかった。

 

 くねくね道をかなりのスピードで走っていく。おとうさんが、あれが初島だよとか、大島だよって言うのが聞こえたけれど、僕はわからなかった。今度は、お魚のにおいがするようになった。お店でもゴハンに小さな魚が乗っかって出てきていたから、魚のにおいは知っていた。お魚がいる世界なんだなっておもった。もうすぐだぞって、おとうさんが言った。

 

 車は、のぼりに坂に入っていた。途中でひょいと左に曲がって、ガリガリって砂利をふむ音がして、やっと車はとまった。

 

 チェルト、新しい家に着いたよって、おとうさんは僕に話しかけた。バリケンの扉が開いて、僕は玄関の廊下にぽいとおろされた。そこが、僕がこれから暮らす伊豆高原の家だった。大きな三角形の屋根と、白い壁と、破風が緑に塗られた家だった。ひんやりする廊下を少し歩くと、そこは広いフローリングのキチンのついた、リビング・ダイニングという部屋だった。早速、探検だと思ったけれど、なんだか寒くて、僕はそのリビングで、ふるえていたとおもう。

 

 引越しの0123の人たちが、トラックから、どんどん荷物を運び入れてきて、引越しは簡単におわった。おとうさんが、僕を抱き上げて、二階への階段を上って行った。そして、大きな部屋のガラス扉をガラッと開けると、そこはベランダで目の前に海と大きな島が見えた。

 

 ほら、あれが大島だよって、おしえてくれた。でも、イヌの僕は近眼だから、本当はぼんやり海が見えただけだったのだけど。

 

 こうして、おとうさん、おかあさん、そして僕の三人の伊豆高原での生活が始まった。3月だったから、僕は寒かったとしか覚えていない。ストーブっていうものが燃え出した。温かかったので、僕はそこから離れられなくなってしまった。

 

 ゴハンの食べると、我慢していたウンチが出掛かって、おかあさんがあわてて、しんぶん紙を出してきてくれたので、そこで初めてのウンチをした。おしっこもした。これで、このうちにも、環8のハウスと同じにおいがし始めた。僕はやっと安心した。

二章 伊豆の生活・子犬のころ( 1 / 17 )

4.新しいうちとチックン

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 伊豆高原の新しいうちに越してきて、僕が始めたことは先ず家の探検だった。だって、外にはまだ出られなかったから。

 

 仔犬は最低3回のワクチンのチックンをやらないと、それに誕生から3月以上にたたないと免疫ができないから外には出られないとケンネルエイトの偉い人が言っていた。僕のワクチンは瀬田では1回だけだったから、もう2回チックンをやらないと外には出してもらえなかったのだ。

 

 ベテランの優しい先生がいる伊豆高原動物病院を、僕の病院とおとうさんが決めた。伊豆に来て5日目に2回目のチックンを受けた。先生はシュナウザーを自分で飼ってたこともあって、僕に親切だったしシュナウの特性も良く知っていた。そこの患者犬にはシュナウはいなかった。

 

 僕の体重は、まだ2.5kgにもなっていなかった。チビだったのだ。6匹も生まれた兄弟の中の一番のチビだったからしょうがない。

 

 僕はシュナウザーの標準型に断耳して間もなかったから、最初のチックンから1週間後、二度目にいった時に、耳の抜糸をしてもらった。やっとこれで、自由に耳を後ろ足で引っ掛けるようになった。でも、耳が痒いのはそのままだった。

 

 外に出られない僕は、もっぱら家の中の探検に取り掛かった。もともと、シュナウザーの仲間は何にでも興味の塊みたいなものだから、何にでも鼻をつ込んだ。


 面白かったのは、和室の押入れ。ちょっとふすまが開いていると、もぐりこんでみた。暗くて、狭くて、なんだか安心だった。物と物の間を、僕はまだ痩せっぽちだったから、スイスイもぐり込めた。でも、簡単に出てこれなくなったりして泣いたりした。

 

 和室の畳では、前足でガリガリとやると、おとうさんに怒られた。でも、引っかいた跡はもう直らない。僕はし知らないっと。

 

 広いリビングルームが僕の遊び場になった。木でできたフロアーは飛び跳ねて遊ぶのにもってこいだ。全力で走っていると、後ろ足が滑って、なかなか前に進めなかったりもした。

 

 おとうさんが、ペットボトルを斜めに切ってそれを床に転がしてくれた。それを鼻で突っついていると、カラカラと大きな音がして面白かった。それに飛びついて行くと、こんどは何処に飛ぶのか分からなかった。思わぬ方向にそのペットボトルの切れ端は飛んでいく。リビングの隅から隅まで、ペットボトルのオモチャが転がって、それがとっても面白かった。飽きないでおとうさんと遊んだ。

 

 

 歯磨き用のロープでできた骨の形をしたものは、お母さんとの引張りっこで面白かった。噛み付いて、ぐいぐい首を振るのだけど、お母さんのほうが力が強くていつも最後はひっぱられていた。引っ張られると、僕の後ろ足はビローンと平らに後ろに伸びて、おなかでフローリングを滑って遊んだ。シュナウの後ろ足は関節が柔らかくて、体と水平にまで伸びるのだ。


 最初に覚えさせられたのはトイレの場所。トイレ用のシートが部屋の隅においてあって、本当はオシッコもウンチもそこですることになっていたのだけど、僕はまだちゃんとは覚えていなかった。


  オシッコはどこでしてもいいように瀬田ではなっていたから、僕は決められた所まで戻っていって、オシッコをすることは知らなかった。おかあさんがタオルを持って、いろんなところを拭いて回るのを、くっついていって見ていた。ダメでしょうと怒られたけど、僕は平気だった。僕のバリケンは、リビングの隅に場所が決まった。そこからは、いつもお父さんとおかあさんの動きが良く見えて安心だった。

 

 二階への階段は、チビの僕には一段一段がとても高くて登れなかった。おとうさんに抱っこしてもらって二階には登った。二階は広い書斎とベッドルームになっていて、お父さんとおかあさんのベッドが並んでいた。


 フローリングはやはり木でよく滑った。お昼寝は、おとうさんのベッドにおとうさんと直角に寝ていた。温かくて安心だった。そうすると、自然とヨダが出てくる。お父さんのベッドの真ん中の端のほうには、僕のヨダレがたくさんつくことになった。

 

 ある日、二階に上がって、ちょっと下に下りたいなと思いながら、階段の上で下を覗き込んだそのとき、僕は前足がつるりと滑って、あっという間もなくダダダダダァって階段を転げ落ちた。僕は何がおきたのか分からなかった。一階まで僕は階段を転げ落ちたのだ。体のいろんなところが痛かったけれど、それより僕はショックで階段の下でうずくまって泣いていた。

 

 音を聞きつけて、おとうさんとおかあさんが飛び出してきた。おとうさんが、あっ、おっこったんだ。怪我してない、骨折れてないって、体中を撫で回した。骨は折れてはいなかったようだ。お母さんが、なでてくれた。

 

 これが、生まれたから初めてのおっかない出来事だった。それから、僕は階段に近づくのを避けていた。階段は本当に怖かったのだ。

 

 翌日、おとうさんがホームセンターで、階段に貼り付けるゴムの滑り止めのキットを買ってきて貼り付けてくれた。でも、その後も僕は階段が怖くて二階には登れなかった。

 

徳山てつんど
作家:德山てつんど
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