M.シュナウザー チェルト君のひとりごと  その1

三章 青年の犬のころ( 2 / 20 )

22.伊豆高原テディベア美術館の近くに…

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 僕は瀬田のケンネル・エイトで、おとうさん犬や、おばさん犬のシュナウに別れてから、その後一度もシュナウに会ったことがなかった。

 

 伊豆高原には、いっぱいワンちゃんや猫ちゃんたちがいるけど、シュナウはいなかったかった。

 

 例えば、お散歩のとき、おっかない顔のおばさんに抱っこされていたシーズーだとか、リリーちゃんのお母さんと一緒に毎日、散歩していたおばあちゃんの連れていたシーズーやトイ・プードル、そして猫たちだとか。

 

 そういえば、1億円以上の値段が付くといわれていた別荘に時々来て、僕と鼻を合わせてくれたのはでかいスタンダード・プードルのパブロフ君。

 

 彼の庭には、プールと大きなハンモックがあった。僕んちと較べるとと、すごくデカくて立派だった。パブロフ君も、トイ・プードルしか知らなかった僕は、ぼくの体高の3倍もあるでかいプードルが、トイ・プードルと全く同じように刈り込まれていてビックリしたんだ。スタンダードも、プードルは同じカットだったのだ。でもちょっと似合わなかった。

 

 他には、アンナちゃんの家の隣の家に来ていたデカイ真っ白なピレニアンのマリリン。彼女は意志が強くて、動かないときめたら、マリリンのお母さんが力いっぱいひっぱても、地べたに座ってびくともしない。

 

 本名はイチゴちゃんなんだけど、お父さんがミルクちゃんと呼んでいた、よく吠える白い犬はマルチーズだったし、後になって現れた、僕を見つけるとよろこんで走って飛び出してきていた後輩のコロちゃんはミックス。それにロールスロイスがあるペンションには、大きなイングリッシュ・シープドッグがいた。さらに後なって姿を見せたアリスちゃんはヨークシャーだし、みんなシュナウではなかった。

 

 大室山のほうに登っていく散歩の帰り道に通る、ジャーマン・アイリスがいっぱい咲いたうちの犬は、ラブラドール。僕が通るのを、お留守番をしながら毎回、二階の窓から羨ましそうに見下ろしていたのは、ラブちゃんという名前のゴールデンだったり…。

 

 だから、僕はシュナウザーの臭いを忘れかけていたんだ。

 

 ある日、お父さんとお母さんの3人で、伊豆高原で有名なテディベア美術館に行った。でも、僕は入れなかったから、スバルの中でつまんないお留守番。

 

 美術館のお客さんは、若い女の子達が多いから、僕がスバルの中に座っているのを見つけると、いつもの「キャー、カワイイ、ヌイグルミミタイ」が始まる。なでられるのは大好きだから、少しだけ開けてある窓の隙間から、僕は鼻を出して臭いを嗅ぐ。

 

 美術館はそれほど面白くはなかったらしく、お父さんとお母さんは、あまり僕を待たせずにスバルに返ってきた。

 

 

 

 つまんないから、ちょっといろいろ見て行こうかって、お父さんが言った。美術館の近くに、何だか、いろんなものをいっぱい売っている、素敵な木造のお店があった。これが、ローズテラス。ここにでも入ってみるかって、お父さんが言った。でもヤッパリ、僕はスバルで留守番だった。つまんなぁと思いながら、うとうとしかけた。

 

 そのとき、お父さんが、早足で戻ってきた。なんだろうと思って窓の外に鼻を出したら、いきなりドアが開いた。僕は、お父さんに抱かれて、その店に入った。バラの香がするところだった。お父さんが、降ろしてもいいですかとお店の人に訊いていた。いいですよ、ってその女の人は僕が床を歩くのを許してくれた。

 

 そのときだ、美人のシュナウザーが僕の目の前に現れたのだ。僕はビックリした。そして、懐かしいシュナウの臭いをかいだのだ。それがアミちゃんだった。

 

 アミちゃんのほうが、すこし僕よりお姉さんだったと思う。僕はうれしくなって、アミちゃんが店の中をどんどん走るのにくっついて追いかけた。お店の人も笑いながら、二匹のかけっこを見ていた。僕は伊豆で初めて会ったアミちゃんが大好きになった。シュナウは、まだここでは珍しくて、なかなかとお友達には会えないんですよといっていた。

 

 大体、店の中の様子がわかったところで、いろいろな外国の小物達とか、ジャムだとかの他に、もっと魅力的なものを僕は見つけた。それは、バラの香りのするアイスクリームだった。大好きなアイスクリームだから、匂いで僕には直ぐアイスクリームだとわかった。

 

 テラスでだったら、犬も一緒に食べられるんですよとお店の人が言った。本当は、犬はお店の中は歩いてはいけなかったんだけど、アミちゃんがシュナウだったから、僕は特別に許されて店の中を歩くことができたのだと、そのときやっと気がついた。

 

 お父さんは、ばらの香りのするアイスクリームを買ってくれた。そして、店の前の木陰のテラスで、僕たち3人はそれを食べ始めた。楽しかった。

 

 そんな時、僕は、もうアミちゃんのことを忘れていた。そうと知ったら、アミちゃんには怒られそう。お父さんと店の人は何だか親しく話していた。

 

 その店の二階に、「土火天」という陶芸家の作品が展示してあって、ヨーロッパにいらしたことがない方がお造りになったんですよと、店の人が説明していたミニチュアのヨーロッパの町がお父さんのお気に入りになった。素朴だけど、人がよく捕らえられている作品だとお父さんが言っていた。。

 

 その後、ローズテラスは、僕達、みんなのお気に入りのお店になった。僕は、美人のシュナウザーのアミちゃんに会えるし、バラの香のアイスリームは食べられるし、みんなと一緒だったし、僕に楽しい店になったのだった。

 

 伊豆急の線路を越えて、南に行くときには、何度かこのお店には連れて行ってもらった。

 

 先日、お父さんが電話したら、心臓が悪かったアミちゃんは天国に行ってしまっていた。僕の初恋は、実ることなく空に消えた。

 

P.S.

ローズテラスのURLは http://www.roseterrace.co.jp/ です。よかったらのぞいて見てください。

 

三章 青年の犬のころ( 3 / 20 )

23.松川湖

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 僕のお気に入りの遊び場をいくつか紹介します。

 

 伊豆高原の僕んちの近くには、「さくらの里」があって、何度もお散歩に行きました。この「さくらの里」話は、これからの僕のひとりごとの中にも、何度も出てくると思います。

 

 今日は、僕がかなり気に入っていた場所のお話。ちょっと家から離れていて、スバルで20分ぐらいかかるところで、トンネルを通っていくのです。僕がトンネルっていうことろを通ったのは、ここが初めてではないのだけど、明るい陽ざしの中から、急に真っ暗なトンネルに入ると僕はビックリした。いつもは聞こえないスバルのゴウゴウっていう音も大きくなった。

 

 みなさんは、犬用のシートベルトって知ってます? お父さんが僕のためにシートベルトを買ってくれたんだ。胴輪のような、僕の首と背中と前足を平らなベルトで覆ってくれる。僕の両方の前足がすっぽり入って、カチッとワンタッチで体に付けられる。

 

 その首の所に、大きな布の取っ手と、リングがあって、そこにリードをつければ、そのままハーネスになってお散歩が出来る。僕が駆け出しても、リードが体全体にブレーキをかけるので、首輪の時のように首がしまって苦しくならないすぐれものだった。

 

 このシートベルトを僕がつけて、スバルの本物のシートベルトを、そのリングに通して固定すれば、僕はちゃんとしたシートベルトをつけたことになる。急ブレーキを踏まれても、助手席の前の空間にドンと投げ出されることはなくなった。僕は本当は助手席が大好きなのだけど、このブレーキで落っこちるのがイヤで、お母さんに譲ったりしていたんだ。

 

 このシートベルトのおかげで、僕も遠出ができるようになった。

 

 最初に僕にこのシートベルトをつけて、お父さんが連れて行ってくれたのが、松川湖っていう湖だった。伊東を流れる松川の上のほうの谷に、奥野ダムっていう石を積み重ねたロックフィル・ダムがあった。このダムに溜まった水が作り出したのが松川湖だった。そこは公園になっていて、広い草原が広がっていた。

 

 僕たちがスバルを止めて、大きなログハウスの所から見下ろすと、湖と周りの公園は、とても広い。そして、下まで降りる階段も急そうで、僕はしり込みをしていた。お父さんは、僕用のシートベルトにリードをつけて、さあ行くぞって、その急な階段を降りだした。僕は急に怖くなって、止まってしまった。だって、ちっちゃい時にうちの階段の上から下までおっこった嫌な思い出があるから、体が動かなくなった。階段は嫌いだったのだ。特に下りは怖い。

 

 お父さんは僕をひっぱていた。しょうがないから、一歩ずつ僕は降りていった。降りるとそこは広い野原と、広い湖が広がっていた。

 

 僕は早速、広場の草原にオシッコをして、匂いをつけて、回りを嗅ぎまわった。いっぱいワンちゃんのにおいがしている。友達に会えるぞと、僕は元気が出た。誰もいなかったから、僕のリードをお父さんは離してくれて、自由にその草原を走り回れた。とても広くて、気持ちよくて、お父さんとお母さんをほったらかにに、草原を夢中で駆け出していた。そして、湖まで行ってみた。静かな水のうえを風が渡ってきて、気持ちいい。近くには魚釣りの人がいて、長いさおを、湖に向けて静かに待ったいた。

 

 僕は、近くの草原をみんな走ってしまったので、どこかに行こうよって、お父さんたちに近づいた。お父さんは、じゃあ探検してみようって言って、広い公園をダムの方に歩いたり、つり橋を渡ったりした。でも、ワンちゃんは見つからなかった。あのオシッコの匂いからすると、きっといっぱいワンちゃんたちが来ているに違いないと僕は思ったのだけれど。

 

 僕は、ドンドン、さっきオシッコの匂いがしたほうに、みんなを引っ張っていった。それは、ダムに流れこんでいる川の上のほうに向かっていく道だった。

 

 ザワザワザワと音がする。歩いていったら、その先にはもう道がなかった。川は勢いよく、湖に流れていた。そして、その川の中には、三つほどの大きな石がおいてあった。お父さんが、飛び石だって言った。僕は何だか分からなかった。

 

 お父さんが、ホラって言いながら、岸からはじめの石に飛び移った。さらに、お父さんは跳んで向こう岸まで行ってしまった。お母さんと僕は、こちらでお父さんが向こうの岸を登っていくのを見ていた。

 

 僕は父さんみたいに川を飛びたかった。ザワザワザワと勢いよく水は流れているし、僕には最初の石にだって飛べなかった。怖かった。でも行きたい、お父さんのほうに。隣のお母さんを見上げた。目に力を込めて、僕も行きたいようって言った。

 

 向こうの岸から、お父さんが石を飛んで帰ってきた。そうか、まだチェルトには無理かなって言った。それで、ハーネスをつけた僕を抱いて、その川を石を飛んでわったった。お母さんも飛んできた。これでやっとみんな一緒になれた。

 

 その道を登るとそこは、広い草原になっていて、ワンちゃんたちが何匹もいたのた。ヤッターと僕は叫んでワンちゃんたちのほうに走っていった。みんな初めてのお友達だ。みんなが僕の周りに集まってきて、ご挨拶。僕は大きな犬でも怖くなかったから、ドンドン、挨拶をしてまわった。ゴールデン、ラブ、シェパード、ミックス、セロちゃんに似たセッターなんかもいた。僕はうれしくなった。

 

 お父さんが、ここはドッグランになっているんですかって、他の人に聞いていた。ここは犬が逃げられないから、天然のドッグランになってるんですって、その人が答えた。みんなが追いかけっこをしながら、走り回っている。僕もみんなと走りたい。みんなと一緒に走り始めたけど、まだチビだった僕はみんなにはかなわない。

 

 その中にジャック・ラッセル・テリアがいた。体の大きさも、そんなにシュナウと違わない。このワンちゃんと、僕は友達になろうって追っかけた。でも、その仔はとても早くて、おおきなワンちゃんたちもかなわない。だから僕の周りを、その仔はビュンビュン、走り始めた。目が回ると思った。早かった。

 

 僕の初めてのドッグランは、こうして松川湖で始まった。あそこに行けば、いっぱいワンちゃんに会えるし、リードもはずしてもらって自由に走れるから、大好きなところになった。

 

 でも、僕には問題があった。あの飛び石は僕は飛べなかった。その日の帰りも、みんなと、また会おうねっていって別れてから、僕はスバルのあるほうには渡れなかった。お父さんに抱いてもらって、やっと川を渡ってきた。本当に楽しかった。

 

 こんなきっかけで、松川湖には何度も出かけることになった。そんな中に、大変なことも起きたのだけど、そのことはまた話します。

 

 

 

三章 青年の犬のころ( 4 / 20 )

24.僕もだいぶ大きくなりました

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 僕もだいぶ大人になってきて、少し遊びが変わってきたと思う。

 

 もうせんは、斜めに切ったペットボトルのでかいのをお父さんがポンと転がしくれると、それがガラガラいうのがおもしろかった。僕が前足をかけると、その切ったペットボトルは簡単に宙に浮いて、またカラカラいいながらリビングのフローリングの上を転がる。どこに転がるかは決まっていないから、追いかけて、また前足をかけて遊んでいた。

 

 ちっちゃい時は、こんな簡単なオモチャでも、楽しかった。でも、だんだん面白くなくなってきて、お父さんが転がしたら、一度は走っていってあげなくては…と楽しんで見せたりしたけど、だんだん飽きてきた。

 

 僕の遊びも変わってきた。一番面白くて止まらないのが、「ウオーン、ウオオ~~ン」という吠え声だった。僕は遠吠だとは自分では知らなかったけど、お父さんが僕のまねをして、「ウオオオ~~~ン」て鳴きはじめた。なんだ、どこかで聞いたことがあるぞと思ったら、僕の声だった。

 

 僕の最初の鳴き声は、「ヒッヒーン」だったけど、それに「ウオオオオ~~ン」が、加わって、僕の居場所がみんなに分かるようになってしまった。

 

 それは、僕んちの前を走る遠笠山道路を走る救急車がきっかけだった。ピーポ、ピーポという音が遠くから近づいてきて、ちょうど僕んちの前を通りすぎると、急に音が低くなって、いつまでも聞こえるのだ。

 

 これを聞いていたら、いつの間にか僕はそれを真似していた。それが「ウオ~~~ン」だった。のどを伸ばして、首を斜め前に上げて、声が大きく、遠くまで聞こえるように、そして、長く続くようにと、僕は努力してまねをしていた。

 

 何故だか分からないけれど、この音を聞くと、黙っていられないので、いつの間にか、どこにいても、散歩中でも、友達と遊んでしても、僕はその場に座って、斜め45度角度で首を伸ばして、「ウオオオ~~~~ン」と始める。それをお父さんがまねをして、「ウオオンオン」とまねするんだから、二人で立ち止まって吠えていたんだ。

 

 そのうち、救急車のピーポ、ピーポだけではなく、どういうわけか警察の車のピポピポにも、消防車のウオーンカンカンにも、僕はつられて吠えるようになっていた。だから、僕んちのまえは道路だったから、しょっちゅう吠えていなくてはならなかった。他のことはそっちのけで、首を伸ばして大きな声で吠えていた。

 

 しまいには、お父さんが僕をからかって真似する遠吠のウオオオ~~~ンにも、僕は知らず知らずのうちに反応して、一緒に吠えていた。お父さんもお母さんも、それを面白そうにながめて笑っていた。お父さんが、バカだなあ、こいつって、笑っていた。

そんなわけで、僕の遠吠は、僕の散歩道ではみんなが知ってしまって、ああチェルト君が吠えているってみんなが笑っていたらしい。何故だか僕はそれをやめられなくて、いつもつられて遠吠えしていた。

 

 でもある日、僕がウオオオ~~ンってやっていたら、ちかくの犬も、同じように、ウオーーーンってやっているのを聞いた。なあんだ、僕だけの変なくせじゃないんだと分かって、チョッと安心したんだ。

 

 特に夜になると、何匹もの誰かが、ピーポ、ピーポにあわせて、ウオ~~~~ンをやっているのが聞こえた。僕もさらに首を伸ばして、より長く、遠くに届くようにウオオオ~~ンとやっていた。

 

 ある日、庭の芝生を歩いていたとき、お父さんが、あっ、モグラだって騒ぎだした。僕はモグラって知らなかったから、お父さんの指差すところを見ると、くろいやわらかい土が、モクモクと盛り上がってきている。なんだ、なんだぁと、僕は鼻で匂いをかいで見た。でも、土の匂いしかしない。でも動いている。

 

 もう前足で、穴を掘ってみるしかないと思って、僕はそのモクモクと持ち上がっているあたりの土を掘りかえし始めた。鼻の穴に泥が入ってきて、シュナウの立派なひげも、前足のふさふさの毛も泥んこになった。

 

 そんな時、ピーポ、ピーポが遠くから近づいてくるのが聞えた。モグラに会いたいし、ピーポ、ピーポにも付き合わなくてはならなかったし、僕は困った。

 

 僕はたまらなくなって、モグラを追っかけることを忘れて、そこにきちんと座り、斜め前方にのどを長く伸ばして、ウオオオオ~~~~ンとやっていた。何度も何度も、そのピーポが聞こえなくなるまでやっていた。

 

 ふと、われに返ったら、もうモグラのモクモクは止まっていて、モグラがどこにいるのか分からなくなっていた。

 

 ウオ~~~ンに夢中になっていたので、モグラを見失ったのだ。

 その後、二度と、モグラのモクモと動くのを見たことがない。あれは、数少ないチャンスだったのだと思う。ウオオオ~~~~ンはいつでも出来たのに…。

 

 

 

三章 青年の犬のころ( 5 / 20 )

25.遠出で大仁へ

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 僕のお父さんは、酒飲みと言っても怒られることはない。だって、お酒が大好きだから。若いときに、体にお酒が残っているのに車を運転して、ひとりで事故をおこして腕の骨を折って入院したことがあるくらいだから…。

 

 横浜にいたときには、近くにお酒の安売りの店があったから、そこに買いに行っていたらしい。でも、伊豆高原にはそんな店はないわけで…。

 

 お父さんが飲むお酒は、ウイスキーとか、焼酎とか、日本酒ではなくて、だいたいはワインだった。だから、伊豆高原の近くの店には種類もないし、値段も高いから困っていたようだ。でも、お酒好きだからワインの安い店をいっしょうけんめい探したらしい。

 

 そういえば、月に一回くらい、お父さんとお母さんが、朝10時ごろ出かけて、早くても2時過ぎに帰ってくることがあった。そんな時、スバルのトランクには、ゴミダシの日にガチャガチャ言って僕をいじめるワインのビンたちが、大きなダンボールの箱にいっぱい入っていた。もちろん、僕は番犬としてお留守番だった。つまんなかったのだ。

 

 でも犬用のシートベルトをお父さんが買ってくれてから、始めてワインの買出しに僕も連れて行ってもらえるようになった。僕は助手席の誰かの膝の上に、シートベルトをして一緒に連れて行ってもらえるようになったのだ。うれしかった。

 

 お父さんたちは、伊豆高原からスバルで1時間以上もかかる大仁という町にある「良酒倉庫」という店まで、安いワインを求めて出かけていたのだ、それまでは。僕をおいてけぼりにしててさ。

 

 伊豆高原から、大仁に行くには、三つの道があった。

 

 一つは、前にドッグランに行った松川湖のそばを通って、有料道路で冷川まで走る道。でもこの道路は値段が高かった。僕には快適だったのだけど…。

 

 もう一つは、その有料道路が出来る前に使われていた道で、天城山をかなり登って、それから、細い、車のすれ違いも難しいようなくねくね道を時間をかけて、冷川まで降りていく道だった。

 

 僕は、はじめはなんだか分からなかったけれど、助手席の上で、よだれがいっぱい出てきて、気持ちが悪くなった。たいていは、行きはお母さんが運転するんだけど、なんだか、ブレーキとか回転とかがやさしくなくて、僕は、お父さんの膝の上でウエウエ言いながら、よだれをたらしていた。僕はこのくねくね道が大嫌いだった。

 

 三つ目の道は、遠回りの道だけど、カーブもそんなになくて、スバルは早いスピードで走れた。でも、この道を使うためには、伊豆高原から伊東を過ぎて、さらに宇佐美という町までいって、伊豆半島を横ぎる伊豆スカイラインの箱根峠越えの道で、登りと下りの道だった。道はいい道だった。何時だったか、お父さんが調子に乗ってスピードを出しすぎて、待ち構えたおまわりさんに捕まって、高い罰金を払わされたこともあった。

 

 大仁行きで一番多かったのは、二番目の細いくねくね道で、僕は必ずよだれが出て嫌だった。行きは、お母さんが運転して、僕は助手席のお父さんお膝の上にいた。

 

 あるとき、酔っ払っているよ、この犬は、とお父さんが気がついた。

 

 お父さんはスバルの窓を大きく開けて、新しい空気を入れてくれた。さらに、お父さんは僕を両手で支えて、僕を前向きにして、前足を伸ばした姿勢をとらせた。僕は、車の運転をしているような感じになった。嫌なカーブが来るなと、前もって分かるようになった。僕もなれてきて、カーブに入ると内側に体を傾けると、気持ちが悪くなるのが少なくなると分かってきた。

 

 そんな嫌な思いをしても、僕はみんなといっしょに大仁まで行くのが楽しみだった。ワインやさんでは、僕は車の中で二人が買物をすませるのを、まだかなぁまだかなぁと思いながら待たされた。あまり楽しくなかった。

 

 でも、その後が楽しい時間だった。

 

 二人はちょうど昼になるので、どこかで昼ごはんを食べていた。例えば、大仁のラーメン屋さんとか、修善寺の中華料理屋さんだとか、和食レストランだとかで昼ご飯を食べていた。

 

 僕は、暑いときはスバルの前のガラスに日よけを入れてもらって、窓から涼しい風が入ってくる車の中で、二人がラーメンを食べ終わるのを待っていた。

 

 僕の楽しみは、お父さんが割り箸が入っていた小さなビニール袋の中に、小さな焼豚だとか、もやしだとか、ラメーンだとかを入れて、ティッシューで隠しながら、必ず僕のために持って帰ってくれることだった。僕は、お父さんが車に帰ってくると、すぐ匂いで分かった。焼豚はとてもおいしかった。ラーメンはのびていておいしくなかった。でも食べ残したことはないよ。

 

 お待ちどうと言いながら、お父さんが僕に持って帰ってくれた小さなドギーバッグを僕の鼻の先に突き出して、におわせた。僕は、本当のよだれが出て、チョッコリのラーメンを楽しんだ。僕は、二人が何をを食べたか全て分かっていた。同じもので、おいしかった。

 

 大仁のラーメン屋さんでなくても、修善寺の和食レストランでも、中華レストランでも、何かがきっと食べられると僕は知ってしまった。だから、大仁行きは大好きになった。うまくすると、帰り道のセブン・イレブンやミニストップで、お父さんが僕の大好きなアイスクリームを買ってきて、三人で食べる事だってあったのだから。

 

 何時だったかは、修善寺の狩野川の土手の上で、買ってきたお弁当をみんなで一緒に食べた。あれは本当にみんな一緒みたいでうれしかった。

 

 こんなふうに、月一の大仁への遠出は僕の楽しみになったのだ。

 

徳山てつんど
作家:德山てつんど
M.シュナウザー チェルト君のひとりごと  その1
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