M.シュナウザー チェルト君のひとりごと  その1

二章 伊豆の生活・子犬のころ( 1 / 17 )

4.新しいうちとチックン

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 伊豆高原の新しいうちに越してきて、僕が始めたことは先ず家の探検だった。だって、外にはまだ出られなかったから。

 

 仔犬は最低3回のワクチンのチックンをやらないと、それに誕生から3月以上にたたないと免疫ができないから外には出られないとケンネルエイトの偉い人が言っていた。僕のワクチンは瀬田では1回だけだったから、もう2回チックンをやらないと外には出してもらえなかったのだ。

 

 ベテランの優しい先生がいる伊豆高原動物病院を、僕の病院とおとうさんが決めた。伊豆に来て5日目に2回目のチックンを受けた。先生はシュナウザーを自分で飼ってたこともあって、僕に親切だったしシュナウの特性も良く知っていた。そこの患者犬にはシュナウはいなかった。

 

 僕の体重は、まだ2.5kgにもなっていなかった。チビだったのだ。6匹も生まれた兄弟の中の一番のチビだったからしょうがない。

 

 僕はシュナウザーの標準型に断耳して間もなかったから、最初のチックンから1週間後、二度目にいった時に、耳の抜糸をしてもらった。やっとこれで、自由に耳を後ろ足で引っ掛けるようになった。でも、耳が痒いのはそのままだった。

 

 外に出られない僕は、もっぱら家の中の探検に取り掛かった。もともと、シュナウザーの仲間は何にでも興味の塊みたいなものだから、何にでも鼻をつ込んだ。


 面白かったのは、和室の押入れ。ちょっとふすまが開いていると、もぐりこんでみた。暗くて、狭くて、なんだか安心だった。物と物の間を、僕はまだ痩せっぽちだったから、スイスイもぐり込めた。でも、簡単に出てこれなくなったりして泣いたりした。

 

 和室の畳では、前足でガリガリとやると、おとうさんに怒られた。でも、引っかいた跡はもう直らない。僕はし知らないっと。

 

 広いリビングルームが僕の遊び場になった。木でできたフロアーは飛び跳ねて遊ぶのにもってこいだ。全力で走っていると、後ろ足が滑って、なかなか前に進めなかったりもした。

 

 おとうさんが、ペットボトルを斜めに切ってそれを床に転がしてくれた。それを鼻で突っついていると、カラカラと大きな音がして面白かった。それに飛びついて行くと、こんどは何処に飛ぶのか分からなかった。思わぬ方向にそのペットボトルの切れ端は飛んでいく。リビングの隅から隅まで、ペットボトルのオモチャが転がって、それがとっても面白かった。飽きないでおとうさんと遊んだ。

 

 

 歯磨き用のロープでできた骨の形をしたものは、お母さんとの引張りっこで面白かった。噛み付いて、ぐいぐい首を振るのだけど、お母さんのほうが力が強くていつも最後はひっぱられていた。引っ張られると、僕の後ろ足はビローンと平らに後ろに伸びて、おなかでフローリングを滑って遊んだ。シュナウの後ろ足は関節が柔らかくて、体と水平にまで伸びるのだ。


 最初に覚えさせられたのはトイレの場所。トイレ用のシートが部屋の隅においてあって、本当はオシッコもウンチもそこですることになっていたのだけど、僕はまだちゃんとは覚えていなかった。


  オシッコはどこでしてもいいように瀬田ではなっていたから、僕は決められた所まで戻っていって、オシッコをすることは知らなかった。おかあさんがタオルを持って、いろんなところを拭いて回るのを、くっついていって見ていた。ダメでしょうと怒られたけど、僕は平気だった。僕のバリケンは、リビングの隅に場所が決まった。そこからは、いつもお父さんとおかあさんの動きが良く見えて安心だった。

 

 二階への階段は、チビの僕には一段一段がとても高くて登れなかった。おとうさんに抱っこしてもらって二階には登った。二階は広い書斎とベッドルームになっていて、お父さんとおかあさんのベッドが並んでいた。


 フローリングはやはり木でよく滑った。お昼寝は、おとうさんのベッドにおとうさんと直角に寝ていた。温かくて安心だった。そうすると、自然とヨダが出てくる。お父さんのベッドの真ん中の端のほうには、僕のヨダレがたくさんつくことになった。

 

 ある日、二階に上がって、ちょっと下に下りたいなと思いながら、階段の上で下を覗き込んだそのとき、僕は前足がつるりと滑って、あっという間もなくダダダダダァって階段を転げ落ちた。僕は何がおきたのか分からなかった。一階まで僕は階段を転げ落ちたのだ。体のいろんなところが痛かったけれど、それより僕はショックで階段の下でうずくまって泣いていた。

 

 音を聞きつけて、おとうさんとおかあさんが飛び出してきた。おとうさんが、あっ、おっこったんだ。怪我してない、骨折れてないって、体中を撫で回した。骨は折れてはいなかったようだ。お母さんが、なでてくれた。

 

 これが、生まれたから初めてのおっかない出来事だった。それから、僕は階段に近づくのを避けていた。階段は本当に怖かったのだ。

 

 翌日、おとうさんがホームセンターで、階段に貼り付けるゴムの滑り止めのキットを買ってきて貼り付けてくれた。でも、その後も僕は階段が怖くて二階には登れなかった。

 

二章 伊豆の生活・子犬のころ( 2 / 17 )

5.おいしくないゴハンと嫌なもの達

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 僕が最初に食べていたのはドライのドッグ・フードで、ネーチャーズ・レシピーっていうんだ。でもこのゴハン、食べているとモサモサしておいしくなかった。おいしくないな、おいしくないなって言いながら、おなかがすくから食べていた。だから、ゴハンは最初は楽しみではなかった。


 でも、おかあさんがミルクで浸してくれるようになって、やわらかく、モサモサしなくなっておいしく食べられるようになった。このゴハンは、瀬田のシュナウ博士がおとうさんにこれを食べさせてくださいって、言ったものだった。

 

 健康のために良いというので、おとうさんはそれを守っていた。でも、近くの犬やさんには、このネーチャーズ・レシピーはなくて、おとうさんは伊東の町までそれを探しに出かけた。値段も高くておいしくないって変じゃないかって、僕は思っていたけれど、他のゴハンにははなかなか変わらなかった。


 だから、ミルクは僕のゴハンをおいしくしてくれる魔法の液体だった。そういえば、ミルクは犬のおかあさんのおっぱいのにおいに似ていたんだ。

 

 伊東の町まで行って、おとうさんが見つけてきたものは僕の嫌いなものばかりだった。一番嫌いなものは、爪きりの機械。おとうさんはそれで、僕の爪をパッチンするのだけれど、時々、切りすぎて、僕の爪から血がわきだしてきた。血の臭いがした。それほど痛いわけではないのだけれど、おかあさんは血が苦手らしく、わぁって、目をそらしていた。

 

 それに、櫛。僕の毛が絡まっていると、あれに引っかって、僕は痛くて痛くて逃げ回っていた。大嫌いだった。でもだんだん、おとうさんも上手になってきて、無理に櫛を毛にとおすようなことはなくなって、おとうさんが僕の毛の根元を握って櫛を使うようになって、僕はやっと安心した。

 

 デンキバリカンも買ってきた。ごうごう音がするでかいバリカンで、ねだんも高かったっておとうさんが言っていた。3ヶ月に一回ぐらいはやられていたんだと思う。ごうごう音がするのと、時どき、僕のおっぱいをおとうさんが間違って切るものだから、またしても血が出ておかあさんは大騒ぎ。

 

 でも、ほんとにひどかったのは耳の周りの傷。断耳した傷はなおってたんだけど、おとうさんはまだバリカンがへたくそで、だんじされて薄くなっている所を、間違ってすっとバリカンが通る。すると、薄い皮が破けてまた血が出てきた。


 おとうさんは反省して、薄いところも切らないよう、3ミリのに加えて1ミリのうすい刃を買ってきてくれてた。それからは、切られたぁ、ってことはなくなったんだけど、でもバリカンはあまり好きじゃなかった。

 

 シュナウのおしゃれには絶対…ってお父さんは信じてたから、シュナウのスタイルの刈り方はずっと続いた。だから、かっこうよかったんだよ!シュナウの定番の形は耳は断耳、しっぽは断尾、そして、おじいさんみたいな口のまわりの大きなフアフアひげ、両手両足は先に行くほどフアフアの毛、背中は短毛って決まってるんだ。それに印象的なのは、長くて大きな太い眉毛と、よく見ると長~いまつ毛げなんだ。目も大きかったんだょ。

 

 背中からしっぽまでは、3ミリの刃で短く刈り上げられていたんだ。でも冬は、お腹のほうはチョッキを着たように、温かく毛を残してもらっていた。

 

 僕のバリケンはリビングに置かれていたから、おとうさんやおかあさんのやっていることが、バリケンの中にいても良く見えた。バリケンの扉は、寝るとき以外は開いていて、自由に出入りできた。広い、新しい家にもだいぶなれて、二階はこわくて登れなかったけれど、後はもう自由に遊んでいられた。

 

 リビングの外は、芝生の庭。生垣の外が遊歩道で、いろんな人や犬たちが散歩する。

僕は、どういうわけだか、いつか番犬をしていた。僕んちを守らなくてはと思い始めたわけだ。だから、外の遊歩道を誰かが歩くと僕はリビングから、和室まで、吼えながら追っかけていって、外の人を追っ払っていた。

 

 お父さんが、シュナウは結構吼えるんだよっておかあさんに言っていた。あまり吼えていると、おとうさんに、「ノー」って叱られた。でも何故、家を守っているのに叱られるのか分からなかった。

 

 まだ二回目のチックンが残っていたから、外には出してもらえなくて、ウチの庭でときどき遊んでいた。おとうさんはどこからか、やわらかい黒いネットを買ってきて、かいずかいぶきの生垣の下一面に貼り付けてくれたので、僕は脱走もできないけれど、そとから入ってくる犬や動物もいなくて、ほんとに自由に遊ぶことができた。

 

 おいしくないゴハンもミルクのおかげでおいしくなって、一月もたつと僕はここにきて倍近く重く、体も大きくなっていた。外に出られのはいつだろうって、楽しみだった。

 

 

二章 伊豆の生活・子犬のころ( 3 / 17 )

6.初めてのお散歩

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 僕が始めてお散歩に出たのは、伊豆高原に越してきて一ヶ月ぐらいたった4月の終わりに近かかった。二度目のチックンも終わり、僕も体重は4kgになっていた。

 

 最初は、お散歩のいみがよくわからなかった。後になって、こんなに楽しいものだと知ったのだけれど、はじめはお散歩の楽しさはわかっていなかったのだ。

 

 引き綱のリードと首輪を買ってもらった。それに、僕の迷子札のメダルのようなペンダントをおとうさんが注文して作ってくれた。そこには、僕の名前「チェルト」と連絡先の電話番号が刻印してあった。これで、もし、ひとりぼっちになっても僕はうちに帰れると安心した。

 

 最初にリードをつけて、門の外に出たとき、なんだか怖かった。とても外は広くて、今までのバリケンの中や、リビングに較べてとても広いのだ。僕はどうなるのかと心配だった。おとうさんが頼りだった。怖くて最初の一歩が踏み出せなかった。怖かった。体が震えた。行きたくなかった。歩きたくもなかった。でも、お父さんは僕を引っ張って歩き始めた。手と足で踏ん張ってみたけれど、ズルッと引っ張られて、歩くしかなかった。

 

 最初に連れて行ってもらったのは、お隣の原さんち。僕の鳴声が聞こえていたのだと思う。だから最初に、ご挨拶をして、よろしくおねがいしますって言っておかなくてはならないお家だった。おばあさんがニコニコしながら、僕の頭をなでてくれて、これが「猛犬がいます」のワンちゃんね、よろしくねって言ってくれた。これが、伊豆で知った初めての人だった。

 

 おとうさんと一緒に、伊豆高原の大室山のふもとをめざして登っていった。いろんなにおいや風や、太陽の温かさなんかを感じた。まだ歩き慣れていなくて、少しよたよたしてたと思う。でもだんだん、歩くのが楽しくなってきた。だって、瀬田のうちでも嗅いでいた、ほかのワンチャンたちのオシッコのにおいがいたるところでするから、きっと友達に会えるとがんばったのだ。

 

 少しうちからのぼった所で、大きな犬に出会った。背丈はぼくの5倍くらいあって、僕がおなかの下だって通り抜けられるような、大きなおじいさん犬だった。おなかの下から見ると、僕にはない大きなオチンチンとぶらぶらした袋が歩くたびに揺れていた。セッターと他の血が混じったミックスだった。僕はうれしくなって、おじいさんに遊ぼうよって言った。まわりをまわったり、お尻のにおいを嗅いだり、前足の前に回ったり、少し一緒に歩いた。彼は一人で散歩していた。それがチャーリー君だった。僕の最初の友達だった。僕はうれしくなった。お散歩っていろんな犬に会えるんだなって、うれしくなった。

 

 でもお散歩には別の意味も僕にはあった。それはオシッコとウンチをすることだった。なぜか、どうしても家の中では、僕はウンチもオシッコもしたくなかったのだ。だから、けっこうがまんしていたのだ。でも外に出ると、オシッコもウンチも自由に出来るという気持ちになった。だから、僕は始めて自由にそれが出来た。

 

 坂を上っていったら、また他の犬に出会った。それが僕の2番目の友達、アンナちゃんだ。飼い主のおばさんは、僕の頭をなでてくれて、可愛いねっていってくれた。これが、僕のお姉さん犬のウエリッシュ・コーギーだった。でもこれから、このアンナちゃんとはいっぱいいっぱい、いい思いでも、嫌な思いだもできるんだけれど、とにかく僕は大好きですって、アンナちゃんに言った。少し、アンナちゃんは太めだった。茶っぽい毛がふさふさしていて、足が短かった。でも、デカサは僕の4倍ぐらいはあった。

 

 最初の散歩で、僕は2匹の友達を見つけてとてもうれしかった。これからもよろしくねって、心でいっていた。もう、お散歩は怖くなかった。楽しかった。これが、瀬田のお父さん犬やお母さん犬、おばさん犬以外の初めての犬社会の友達だった。

 

二章 伊豆の生活・子犬のころ( 4 / 17 )

7.定番のお散歩コース

 

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 少しずつ、少しずつ、お散歩の楽しさが分かってきた。

 

 とにかく世界が広くなった。もちろん怖いと思うことだっていっぱいあった。

たとえば、自動車のブレーキのキューって音だって、最初に聞いたときはナンだろうと思って震えた。おとうさんの後ろの回りこんで様子を見たりした。遠くのほうで、他のワンちゃんたちが吠えてるのも、ちょっと怖かった。

 

 でも楽しい事のほうが多かった。クンクン、においながらお散歩すると、新しいことばかり。

 

 おとうさんと僕は、とにかく、上へに上へにって探検して行った。うちを出ると、まっすぐの登り道を少し登って、最初の角を右に曲がって、しばらく行くとゴミの集積の場所があった。ここも、その後、僕の楽しい場所になるんんだけれど、強いゴミのにおいがして最初は嫌だった。

 

 さらに、左に曲がって林の中をいくと、ヌッと背の高い消火栓が現れる。僕は、はじめて見る形にびっくりして、びびってしまったから道の一番端っこを歩いて、できるだけ遠くを通りすぎることにした。でも慣れてくると、その消火栓にオッシコをかけられるようになるんだけれど、それはもっと後のこと。そこを過ぎて、次の角を左に曲がって、さらに登っていく。

 

 そして突き当りを左に回る角に、セロちゃんのお家があった。セロちゃんはベージュ色の毛のふわふわしたミックス犬で、僕よりかなりの年上だったけれど、いいにおいがして、友達になれると最初に会ったときから僕は思った。僕たちは、セロちゃんが庭にいて、僕がお散歩で通りすぎるとき、生垣の下からセロちゃんがクンクンないて友達になった。3番目の友達犬だった。

 

 そしてしばらく平らな道を歩くと、右手に大きなおうちが見える。庭は花がいつもいっぱい咲いていて、シーズーのリリーちゃんのおかあさんが、やさしく僕をなでてくれるようになった。こうして、僕は伊豆高原に来て、もう4匹の友達を持ったことになる。チャーリー君とアンナちゃん、そして、セロちゃんとリリーちゃんだ。

 

 リリーちゃんのところを右に登っていくと目の前に急な石段が現れる。僕の短いチビの足では、その高い一段が登れそうも無い。左に曲がると右手に、大きな芝生のあるアンナちゃんのおうちだ。山の斜面をうまく利用して、美大の建築家を卒業した人が設計したって聞いたけど、屋根に大きなガラスがはまった三階建てのうちだった。まわりを通ると、必ずアンナちゃんに「今日は」を言って、アンナちゃんと鼻を合わせてから、さらにぼくたちは大室山を目指して登っていく。これが、僕たち、おとうさんと僕との定番の伊豆高原でのコースになっていった。だから、登りのコースっていってた。そこから、さらに長い急な坂が続く。

 

 どんどん登っていくと、プチホテルがあって、そこには、犬たちが一緒に泊まれるので大賑わい。僕も新しいワンちゃんたちに会えるから、そこを通るのを楽しみにしていた。でも、そのホテルには2匹の犬がいたんだけれど、長~い針金が高く張ってあって、その針金にロープをつけて繋がれていたんだ。かわいそうだった。シャラシャラ、音を出しながら2匹の犬たちはつまんなさそうに往復しながら、うらやましそうに僕を見ていた。

 

 さらに右に曲がって登っていく。シャボテン公園にいく大きな道を少し歩いて、右に曲がってどこかの別荘への急な小道を登っていく。そこが行き止まり。伊豆高原の一番上の家だった。僕たちは、誰もいない別荘の石段の所で二人で、息を切らせて登ってきた別荘や林なんかを見下ろしていた。目の前に、大島が見えて、右手に神津島、利島、式根島、遠くは三宅島の噴煙がかすかに見える最高のながめの場所だった。でも僕には見えない。

 

 おとうさんは階段に腰掛けて、僕を両足の間に入れてくれて、頭をなでていてくれた。

 

 だいたい3時ごろだった。いつも飛行機雲ができて、西のほうに飛び去るのを見ていた。ちょっと疲れて、舌を出して、ハァハァいいながら、陽にあったって気持ちよかった。眠くなる時だってあった。

 

 これが、僕とおとうさんとの定番のお散歩コースとなったったのだ。40分くらいのコースだった。

 

徳山てつんど
作家:德山てつんど
M.シュナウザー チェルト君のひとりごと  その1
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