三 ローザの別れ
「ジャア、オ姑サンヲスッカリ失望サセタッテワケ」
るりはまた皮肉な流し目をして言った。女たちについては触れるのを避けていた。
「あの頃はまだましな方だったよ。勉強もしていたからね。その前は、手当たり次第、毎
晩違う女の子さ。短い関係が次々と続いた」
「ドウシテ、ナゼソンナコトバカリシタノカ。新シイ子ダト、ヤハリ新鮮ナノダロウカ」
「それはそうさ。僕だって人生を楽しみたいわけだし。しかしやがて疑問は起こるもんだ
ね。ある夜、組み敷いてる相手が誰だかわからなくなった、参ったなあ、途中で止めてし
まった。それからはさすがに自粛したね」
るりはアクセルが気楽そうに寝転んでいる真紅のダブルベッドを眺めやった。
「なんだい、このベッドが気に食わなくなったのかい」
「ソンナコトハナイ」
「確かにこれは二回目の婚約のときに親に買ってもらったものだから、気にくわないと
は思うけどね、買い替えるにはまだもったいないし。それにいつも言うように、あの婚約
は本気じゃなかったんだよ」
「ワカッテル、オ金ハナイシ」
「そうだよ、お利口さん」
アクセルはわざわざ起き上がってるりの頬に口をつけた。るりは急いで微笑み、目を伏せ
た。地模様のバラの花が確かにまだまだ美しく浮き出ている、その深紅のベッド地には無
数のしみと、タバコの焼け焦げの穴がひとつあった。
その後、三人の女たちとは並行して続いた。
ウーテは花嫁衣裳の並べてあるショウウインドウや結婚指輪にあいかわらず興味を示した。
ローザは、いわば第二夫人を自認する度合いがひどくなった。ある夜、飲み屋でヘルマン
と一緒のところをローザとばったり出くわした。彼を認めるや、ローザは優しい眉を逆立
てて、店から出ていった。
アクセルはるりにそう語りながら、愉快そうに笑った。
「面白イ、ソレデ第三夫人ハドウナッタ」
と、るりは黒いたわわな髪をちょっと気取ってゆすって見せた。
スザンネはやや積極的になった。友人間にアクセルを紹介したがった。苦手な日光浴に誘
われて、アクセルがやっと昼もずいぶん過ぎた頃に、イザール川の野原に行ったことが
あった。すでに彼も顔見知りの知人二人と並んで、スザンネはトップレスで甲羅干しをし
ている。その壮観な眺めまであと十メートルということろへ、アクセルがサングラスに隠
れるようにして歩いていったとき、
「パピィ」
と子供の声がした。マックスだと思った瞬間、
「パピィ、パピィ」
少しわざとらしく叫びながらはたして跳びついて来た。
「まったく。まるでああするように言い聞かせてあったみたいだった」
「彼女モ結婚シタカッタノカモ」
「まさかと思うけど。結婚すると男女関係の一番味わい深いところが失われるって、いつ
も言っていたからね。それに、自活できる女なら、自分の生活を自分で決定できる自由を
絶対手放すべきじゃないって言うのが持論だったから」
「確カニソウダ」
「そうか、るりも本来は結婚はこりごり派だったな」
「デモ、ドウシテ男ノ人モワザワザ結婚シテ不自由ニナリタイノカ。ア、ソウカ、彼ラハ
結婚ニヨッテモ決定ノ自由ヲ失ワナイバカリカ、家政婦ヲ安ク雇ッタコトニナルノダ」
「日本人の亭主族のことだろう、とくにるりの前夫のこと」
「マア、ソウ思ッテモラッテモイイ、トコロデ、私ニハ決定ノ自由ガアルワケ?」
「半分はあるさ。僕が半分。何でも話し合って決める、人生を分け合う。それが結婚の意
義だ」
「理屈トシテワソウダ。シカシ誰ノ意見ガ正シイノカ、ソレヲ誰ガ決メルノカ」
アクセルがじろりと見た。議論を吹っかけてくる気だ、とるりも身構えた。
「るりがね、不自由をかこっているのは知ってるさ。でも構わないさ。僕だって自分勝手
なことは何一つしない、模範亭主なんだから。そうだろう」
「フン、ソレモ認メルケド」
「それにいつでもセックスパートナーがいるってのも結婚の利点さ」
「アラッ」
いきなりるりはベッドに倒れた。アクセルが
頭を不意につっついたのだ。
「何をそう驚いてるんだい」
「ダッテ、ドア、ドア、開イテイル」
「誰もいないぜ、ちょうど」目の前にアクセルの顔が大きく映った。優し
い目の線を美しいと思った。
そんな嬉しい眺めは、もう一年も前のこと
だったろうか。
まだ楽しいと言えた頃の事だ。
結婚生活とはつまるところ、人生を生き抜いて行くための、荒波を二人でひっかぶって進
む二人三脚なのだから、とアクセルは言った。
市役所での結婚の宣誓を言葉通りに受け取っている、珍しく批判的でないのが妙にバカら
しかった。