大学時代を思ってみれば…

4章 モラトリアムは終わって( 5 / 20 )

46 親父に教わった銀座

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4章 モラトリアムは終わって( 6 / 20 )

親父に教わった銀座

 

前に浅草を書いたときに、そういえば銀座もイッパイ親父におそわった事があると思った。

 

親父がまだ谷中に戻ってくる前も、戻ってきてからも、銀座には思い出がある。

 

縦の線で言えば、有楽町から築地までに、いろんな店や出来事が浮かんでくる。最初は、「煉瓦亭」の食い物かもしれない。いわゆる洋食屋さんで高級感はないものの、懐かしく食べたのを思い出す。おそらく本家のヨーロッパには同じ物は探せない。

 

今の日産のショールームの先に、銀座では珍しいそば屋があったが、いつの間にか消えている。「藪」といっていたと思うけれど、もうさだかではない。捜してみると分かるけど、東京ではそば屋がドンドン消えていっているというのが実感だ。そば自体が、若い人たちに魅力がないのかもしれないし、コスト・パフォーマンスの点でもちょっと高いのかもしれない。そば好きには悲しい現象だ。

 

さらに隅田川に向かって行くと、歌舞伎座のはすむかいの三原はしの角っこに、ビルの谷間に埋もれながら、昔からの木造の店と看板で商売を続け頑張っている店がある。この「大野屋」も、親父に教えてもらった日本手ぬぐいの店だ。藍染のブルーがきれいだった。歌舞伎座に近いので、頑張っていられるのかもしれない。

 

もっと行くと、築地郵便局裏の「江戸銀」になる。すしは大好きだが、値段がわからなくて金のない学生の身では入るのをためらっていた。そういう時の親父は頼もしかった。先日折があって、夕方早くに行ってみたら、昔と替わらない店構えで商売していた。しかし、古色蒼然とした姿には驚いた。後で聞くと、新館ができたといっていた。今日のお客を迎える名前を書いた歓迎の看板は変わらない。

 

場外の寿司屋も思い出しながら行ってみたが、満員だったり、無くなっていたりして、結果として一見の大きな明るい寿司屋に入った。カウンターが好きなので、空を待って滑り込んだ。しかし、隣がいけなかった。中年の女の人が2人で来ていて、話しながらだらだらと寿司を食っている。握ってもらった寿司は、そこに置きっぱなしで話に夢中だ。さらに悪いことに、タバコを二人とも吸っている。灰皿に置きっぱなしになっているタバコが燻っている。僕のすしの味も香りも台無しだ。草々に勘定して退散した。いけないなあ~と思った。

 

横の線にはイッパイある。一丁目から行くと「つばめグリル」、「中華第一楼」や文房具の「伊東屋」だったりする。「伊東屋」に入ると時間がドンドン過ぎて、約束の時間に遅れたりした思いでがある。ここにいると、飽きることがない。

 

親父に教えてもらって一番印象的だったのは、「菊水」だと思う。ここは、僕がパイプを始めるきっかけになった店で、親父がそこによく行っていたからだ。最初のパイプを買ったのはここだった。そこで何を買ったのかは覚えていない。その後,それが尾をひいて、結果としてヨーロッパに行った時もパイプに目が行って、ついいろいろと買ってしまった。

 

 ついこの前まで、僕の手元に10本くらいはあったけど、息子はパイプをやらないというので、友達のTにみんなまとめて送ってしまった。使ってくれる人の元にあるのがいい。

 

思い出してみると、アイルランドのピーターソン、フランスのブッショカンやシャコム、イタリアのザビネッリ、イギリスのダンヒルとか、スリービーなんかがあった。「菊水」では、愛用していたピーターソンのブライヤーにクラックを入れてしまって、銀巻きで補修してもらった覚えもある。

 

タバコは、いつも軽いアン・フォーラだった。デュポンとカルティエのライターもここでお世話になった。特にデュポンには手間がかかった。詰め替えガスが専用で、そこかしこでは売っていなかったのだから、銀座まででかけた。

 

一般にタバコが吸われなくなって、特にパイプはその香りが強くて世間で敬遠されている今では「菊水」は大変だと思うけど、がんばって残っていって欲しい店だ。

 

そして最後は、資生堂パーラーとその画廊が親父の教えた銀座のとっぱずれということになる。

 

いろんな意味で、親父には教わったことがイッパイあるのに今さら驚く。

4章 モラトリアムは終わって( 7 / 20 )

47 夏・後立山の縦走

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4章 モラトリアムは終わって( 8 / 20 )

夏・後立山の縦走

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どこから始まった話だったのか、覚えていない。僕の一番古い友達と、二番目に古い友達三人で行ったことは覚えている。彼らは山の経験が全くなかったから、僕が提案したのかもしれない。

 

大学に入ってから、山への僕の興味はドンドン増していって、単独峰では浅間だとか、赤城だとか、妙高だとかに友達と登って味をしめていった。山は体が慣れるまでは本当に苦しい。調子に乗れば、頂上に立った自分が大きくなったようでうれしいものだ。

 

 自然に、いつか後立山を歩きたいと思うようになっていた。時期は自ずと7月末。

 

山の天気は大体7月末から8月初めが安定しているというのが、その頃の定説だった。最近はどうもそれも怪しい。安定していないような年も多いようだ。

 

なぜ後立山なのかというと、どうしても白馬の雪渓を歩いてみたかったのと、不帰のキレットを含む唐松への稜線、五竜、できれば山の形の美しい鹿島槍を歩いてみたかったのだ。

 

僕たちは体力とかの問題もあり、3泊4日(車中を入れると4泊)で、白馬、唐松、五竜と決まった。天候なんかの問題も心配だったので、余裕をもっての行程だった。残念ながら、鹿島槍はこの次ということになった。

 

白馬を「はくば」と呼ぶには、僕にはものすごい抵抗がある。村の名前も今でも「しろうま」でいいと思っている。苗代の代を掻く時期を教える「雪形」から出た名前だからだ。はくばでは王子様が乗っかって出て来てしまう。まあ本題からはハズレだが…。

 

新宿発の大糸線・南小谷までの夜行寝台に乗った。馬鹿の何だかで、よせば好いのに最上段の3段目をひいてしまった。実は寝台車の最上段はとても揺れるのだ。先頭車両からの連結器の間隙分が合計されてゴーンと縦揺れ、それに加えて車両の横揺れで最上段はとても落ち着かないのだ。結果として3人ともよく寝られなかったが、でも行くっきゃない。

 

幸いに4日とも天気には恵まれた山行きだった。白馬から猿倉まではバス。そこからが歩き始めだ。初日は辛い上りばかりで、猿倉から白馬尻をへて稜線まで6~7時間というところだ。

 

アイゼンをつけるのは初めて。ガイドの人に確認してもらって雪渓に踏み出す。ガシガシと万年雪の上を歩いていく。全長600mの白馬大雪渓は表面にもやが出ているようだ。高山植物を見る余裕も無く、足元のみを見つめて自分の心臓の音を聞きながら呼吸を整えながらゆっくり登る。

 

標高差1500mは本当にきつかった。最初にバテたのは僕だった。二人の歩みは確実で、僕のスピードが足を引っ張ることになった。追い越しの人達をやり過ごしながら、彼らは僕が登るのを待っていてくれた。大雪渓を過ぎて、ガレ場、小雪渓の辺りが一番のきつかった記憶がある。酸素も平地の7割ぐらいに落ちるらしいから、心臓がバクバクいっていた。少し慣れて小雪渓ではやっと高山植物を見る余裕ができた。雷鳥に出遭ったのもこのあたりだった。

 

尾根には、やっとたどり着いたって感じだった。しかし、そこから山頂までさらに30分くらい。白馬山頂に立ってやっと立山・剱岳が見えた。風がきつかった。その夜は頂上小屋で、ドロのように寝た。

 

2日目は尾根道で、稜線に出れば快適そのもの。気持ちよく歩けた。昨日のかったるさは吹っ飛んで、僕は元気になっていた。天気が良くて、遠くは剱が、眼下には黒部ダムが見える。もっと遠くには槍ヶ岳がその姿を見せてくれるたまらない山の道だった。黒部側も長野側もよく眺望が開けて風が少しあった。

 

天狗ノ頭からやがて不帰のキレットと呼ばれる最大の難所がきた。はしごや鎖がなければ、僕たちの腕ではどうにもならない岩場だった。不帰のキレットの最初は2700mからの標高差400mもの大下りだ。滑らないように慎重に、慎重に下った。やはり緊張した歩きとなった。

 

下りきると、今度は急な岩場の上りが立ちはだかる。ラックに気をつけながら這い上がる。「ラック」って声を何度もきいた。耳元を小岩が吹っ飛んで落ちてくる。見上げて避けるわけには行かない。ヘルメットはない。運を天に任せるしかない。誰かが浮石に気づかず、転がすことが多かったのだと思う。

 

登りきって唐松岳だ。結構きつい後半だった。二泊目はこの唐松小屋。この行程は一番の難関で、全体に余裕を持ったのはここの行程で何が起こるかが判らないからだった。結果としては、この日かなり稼いだ。ここで天気でも悪かったら、泣きが入るところだった。

 

三日目は本当に余裕。唐松から五竜を眺めながらの行程。一度下り、そこからきつい上りを稼いで五竜。山頂から、鹿島槍を眺めてゆったり過した。気持ちとしては鹿島槍まで行けそうでもあったが、三泊目が五竜小屋だったし、遠見尾根を下山する予定は変えなかった。天気のよさが印象に残る。穂高や反対側の八ヶ岳なども見えて、呆然とした時間が過ぎていった。

 

次の日はもう五竜から遠見尾根を下って、僕たちはその夜には新宿にいた。満足だった。

 

残念ながら、鹿島槍ヶ岳には登らずじまいになってしまった。その後、山といえる山に自分の足で登ったことはないまま今に至っている。

 

追記

ウンと後になっての発見がある。それは後立山連峰を眺めるのに絶好の場所を偶然見つけたことだ。長野から白馬に抜ける鬼無里の峠。オススメです。

徳山てつんど
作家:徳山てつんど
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